青葡萄
ジゼルと諸々の確認が終わるころには自室に着いていた。
まだ朝食までには少し時間がある。その間にサラから渡された報告書に目を通し、固定通信の魔導具に魔力をこめる。
「ベルガル様、シェリエルです。今よろしいですか」
『シェリエル様! 驚きました、これほど早くご連絡いただけるとは』
「少し時間が出来たので。それで、てぬぐいを織る糸が足りないとのことですが、あとどれくらい持ちそうですか」
『あと二月程度でしょうか。不作の地では良い収入になっていますし、都市部に浴場を建設するという計画も進んでおりますので…… そうなると一気に需要は増えるかと』
「分かりました、そちらはお兄様にお願いしておきます。あとは…… 消毒薬と蒸留酒の工場の稼働率が高過ぎます。いまこの状態だと後が回らなくなるので、人員を増やすか生産を抑えてください」
『蒸留酒は利益率がとても高いので、人員を増やすように致しましょう』
「はい、それと……」
シェリエルは見やすく羅列された質問リストに上から答えていく。
ベルガルも同じリストを持っているのかスムーズに問答は続き、たまにカリカリとペンの走る音がした。
「シェリエル、朝食でも…… おや執務中だったか」
「あ、先生。少しお待ちください」
軽く片手で魔導具を覆ってユリウスに返事をし、残りの質問に答えて「また何かあったら文通の魔導具で」と言って通信を切った。
「お待たせしました。先生、もう授業は終わりですか?」
「ああ、少し質問したら教師が泣いて帰ってしまった」
「先生…… 本当に感じ悪いのでやめた方がいいですよ」
「ディディエにも良く言われるな。私、そんなに感じ悪いかい?」
「……大人げないです。人を言い負かして楽しいですか?」
「純粋に疑問だったんだ。神々の信仰がどうとか言い出したからその矛盾を…… 君、よくあの退屈な授業を聞いていられたね」
「わたしはジェフリー先生だったので面白かったですよ」
「私もⅡ級に上がれないか聞いてみようかな」
「え、やめてください」
「なぜ」
「はぁ…… 先生、そんなにわたしと一緒に居たいのですか?」
「いや、ただの道楽だけど」
「はい?」
執務机の前の椅子に腰掛けたユリウスは軽く首を傾げて不思議そうに目を丸めた。
感情不全と言っていたディディエに強く同意したい。何をどう拗らせたらこんな大人になるんだ。
「それで、マリアはどうでした?」
「対策はしてきた。完璧だよ」
「……そうですか」
「ほら、それより朝食に誘いに来たんだ。ディディエも後で来るから先に行って待っていよう」
「え、でもわたしはアリシアと約束が」
「彼女も誘えば良い。ディディエが喜ぶよ」
「そうですね、時間もありますし……」
ジェフリー先生もあの様子だったし朝食くらいは休ませてあげるとしよう。そう思って席を立つ。
ユリウスも一緒に席を立って、サラに伝言を頼んでから部屋を出た。
まだ授業中なので人気はなく、シンとした廊下を歩き大階段を登る。なぜかサロンのあるフロアも通り過ぎて、まだ階段を登っていた。
「あれ? こちらにサロンなんてありましたか?」
「サロン?」
「大人数で食事をするときにはサロンを使うのですよ?」
「ん、王族の寮室ならこの程度の人数は余裕だよ」
「あ、そうなんですね……」
わ、先生の部屋か。どんな部屋だろ。て、二人きり? あ、オウェンス様がいるか。それなら……
急にトクトク心臓が鳴り始めて居心地が悪い。
自分の部屋に招くのは慣れているが、これまでユリウスの部屋に入ったことがないと気が付いたのだ。
「先生の、お部屋は…… 初めてですね」
「私の部屋ではないけど?」
「は? ではどこに?」
「アルフォンスの部屋だよ。ほら、浴室をどうにかすると約束していただろう?」
「え、ちょっと、待ってください」
キュッと足を止めるがユリウスはチラと横目で見ただけでズンズンと歩いていく。結局置いていかれないように付いていけば、豪勢な扉の前に着いていた。
ユリウスは指先で扉に模様を描くように複雑に動かしていく。これは魔法鍵の解錠のための仕草だ。
「先生、解錠方法を教えて貰えるほど仲が深まったのですね」
「ン? 私大抵の鍵は開けられるようになったんだ」
「と言うと?」
「ほら君に鍵の魔法陣をお願いしただろう? 自分で解錠出来ないかしばらく研究していたんだ。そしたら大体の鍵の仕組みは理解出来た」
「そうではなく」
「君の言う“不法侵入”だね」
「せ、先生ッ!」
カチャ、と鍵が開いてユリウスは自室のように入っていく。止めようと後を追えばパタンと扉が閉まってまたカチャと音がした。
オートロックか! というか王族の部屋のセキュリティどうなってるの! いやこの人がおかしいのか、え、どうしよう。王太子の部屋に不法侵入ってさすがにダメでしょ。怒られるどころじゃ済まないし、なに、え、これまさか断罪フラグ残ってる?
「どうした、シェリエル。ああ、外聞が気になるかい? まあ、誰も見てない」
「そういう問題では」
「ふふ、何もしないよ。ああ、そこの果実は好きに食べていいから」
ユリウスはなぜか自分の部屋のように中央にある大きな長椅子に腰掛け、ローテーブルの端で大皿に盛られた果実を顎で指す。
言われるまま向かいに座るとユリウスが茶器と小さな茶瓶を取り出して慣れた手つきでお茶を淹れ始めた。
「先生⁉︎ いつもご自分でお茶を?」
「メイドが居ないからね。オウェンスも外に出していることが多いし」
「メイドは付けないのですか」
「弱者は善良な者ほど流され易い。君も同じ理由でメイドを増やさないのだろう?」
「……まあ」
長い指で軽く振る短杖はオーケストラを指揮するように繊細で、湯気のたつお湯をポットにそのまま注いでいく。
それをシェリエルはうっとり眺めていた。何気ない魔法だがメイドならひっくり返るほど技術力が高く、それでいて無駄が無くていつ見ても美しいなと思ってしまう。
魔術の調整は祈り、すなわちイメージによって実現する。それは五感で直接覚えるということで、触れられないものはイメージがしづらい。
シェリエルはすでに魔術の構造を解き明かしつつあるため、例えば火の温度を上げるとすれば酸素の量だとか付与する場所だとかを調整するが、実際の温度は分からないのだ。
「君は学院の教育に満足しているかい?」
「それは…… 一般常識との齟齬を埋めるためにも必要だとは思います」
「ふむ、それが人の社会で生きるために必要だと」
「そうですね」
ユリウスは陶器の器からさらりと茶葉を掬ってポットに入れ、蓋をしてカップにもお湯を注ぐ。
「常識を覆し技術を発展させるには時間がかかる」
「はい、現状を理解しなければどういった影響を及ぼすかも予測できませんから」
「君はどこでその思考を手に入れた? ベリアルドが先の事を考えるのは謀略のみだと思っていたけれど」
「先生からでしょうね」
「ハハ、そうか。たしかにね」
「わ、ありがとうございます。いただきます」
目の前に置かれたティーカップをゆっくり口に運ぶ。チョコレートとなにか甘く香ばしい香りが鼻腔を湿らせ、しかし口当たりはスッキリしていた。
「お、美味しいです…… こちらの茶葉はどこで?」
「ああ、それはオウェンスがブレンドしたんだ。君の作る菓子から着想を得たそうだよ」
「オウェンス様にそんな特技があったなんて…… これ売れますよ?」
「何でも商売にするね」
「すみません、品のない発言でしたね」
「いや? まあ、暇になったら使ってやるといい」
ユリウスは軽く口端を上げて、テーブルの端にある青葡萄をひと粒もぎ取ると、スンと匂いを嗅いで口に入れる。何度か咀嚼してそのまま口に布を当てた。
「ハハッ、毒入りだ、部屋を間違えたのかな?」
「エッ、ちょ、と、何でッ! なん! そんなことあります⁉︎」
「私に言われても……」
ユリウスは心底おかしそうにアハハと笑う。すると、ちょうど扉が鳴って自ら扉を開けに行ってしまった。
いや、なに? いま笑うとこだった? 毒殺とか普通にあるの? え、アルフォンス殿下が?
「……そうそう、もう教師辞めるとか言って泣いてたよ。面白くてしばらく見てたから遅くなっちゃった」
「後で謝ったほうがいいかな? さっきシェリエルにも大人げないと言われた」
「いいんじゃない? あ、ほらアリシア、シェリエルもいるだろ? ね、嘘じゃなかった」
ディディエの隣ではアリシアが真っ青な顔で立っていた。どうやら教室からそのままディディエに捕まり連行されてきたらしい。
「シェリエル…… どうして、アルフォンス殿下のお部屋で……」
「わ、わたしは反対しました! 先生が無理やり!」
「君もくつろいでいたじゃないか。共犯だよ」
「クッ……」
「え、ユリウスに淹れてもらったの? あ、リヒトがユリウスがいないって泣きそうになってたから連れてきたよ」
「は⁉︎ リヒトが⁉︎ なぜです! え、リヒト?」
リヒトはちょこんと壁の角から叱られる前の犬の顔を覗かせた。そして「シェリエル様、申し訳ありませんッ」とだけ言って護衛騎士らしく扉を守りにまた姿を消す。
「先生! どういうことです!」
「メイドの代わりにリヒトを連れてきたんだ」
「いやいやいや、待ってください。リヒトはわたしの護衛騎士です、任命式もしましたし、忠誠を誓ってくれました!」
「まあ、私の従者として入れたけど君を護るためだから」
「だったらなぜわたしが知らないのです!」
「忘れていた」
「護らせる気ないじゃないですか! そ、それに、オウェンス様は」
「オウェンスは新入生として入学したよ。私に付き合って彼も学院には通ってなかったからね。それに王族は従者に制限が無いからガルドも連れてきている」
ちょっと本当に意味が分からなくてビックリした。言い訳なのか本気なのか分からないし、どちらにしてもおかしいと思う。
以前悪魔の森で合宿させていたのも知らなかったし、何もかも知らない。
というか護衛騎士の横取りだ!
こんな寝取られ展開許して良いのか!
……否!
これは主人の沽券にかかわる問題だ!
「他の何を黙っていても仕方ないと納得して来ましたが、これだけは許せません! 人の騎士を何だと思っているんですか!」
「そんなに怒るかい? 私は良かれと思って…… 君もリヒトを側に置いた方が安心だろう?」
「結果ではなく! わたしに無断でリヒトを連れて来たことに怒っています!」
「了承を得るには私が入学することも言わなくてはいけなかったから」
「そうです、それなんです! そうやって一つ隠し事をすればそれを隠すためにいくつも秘密が積み重ねることになるでしょう! そんなに人を怒らせたいのですか、先生もお兄様も! ええ、二人ともですよ! 泣かせるか怒らせるかで他人の心を揺らすなんて洗礼までに卒業すべき愚行です! ッ何なの本当、好きな子を苛めるショウガクセイか! 良い大人が恥を知れ! このラピドシエのゴンゴンブタ!」
「待って待って、最後良く分からないけどもの凄い悪口言われてるのだけは分かるし僕はリヒトの件に関わってないから!」
「お兄様はなんっにも分かってないのですね! まず!」
……すると。
「貴様ら人の部屋で何を……?」
そこにはアルフォンスが目を丸めて呆然と立っていた。
四人の護衛騎士も後ろでどうして良いか分からないといった様子で立ちすくんでいる。
たしかに人の部屋で何をしてるんだろう……
ふと頭が冷えて、スンと怒りの代わりに疲労が押し寄せた。





