授業初日
授業初日はジェフリーの魔術・Ⅱから始まった。
まだガイダンス期間であるがジェフリーの顔色は去年よりもさらに悪く、もうほとんど死人と同じだった。
最前列に座るシェリエルもだいたい似たようなものである。
食事はしばらく問題無いし部屋もサラが整えてくれた。お風呂はユリウスが何とかしてくれると言っていたし、心配するようなことは無いはずなのに心配しかない。
「あー、ええ、Ⅱ級担当します、ジェフリーです…… 未来に希望があると信じている君たちに質問があります」
ジェフリーのことを知っている生徒たちは「うわ、始まった」と言い、噂だけしか知らない生徒は好奇心と嫌悪の混ざった顔で黙って聞く。
「不運は人に与えられる罰なのか、何をすれば罪になるのか……、分かる人いますかね。教えてほしい、ボクがなにをしたって言うんだ。ただ美人で可愛くて天然で天使みたいな女性と結婚しただけだ。……たしかに大罪ですけども。それでこの仕打ちか?」
視線はずっと床に落としたままジェフリーはいつにも増してボソボソと喋った。声は掠れていて、ゆらゆら小さく身体が揺れている。
教室には困惑が満ちていく。
「なあ、教えてくれよ。なんでボクは朝まで頭のおかしい悪魔二人の酒盛りに付き合わされて、わけの分からない話で頭のなかぐずぐずに掻き回されて、気絶して、吐瀉物で窒息しかけて目が覚めたら、それから死ぬほど…… クウウ、ホント死ぬかと思った。腹の底が痙攣するんだよ。もう出る物も無いのに。それなのに、あいつらゲラゲラ笑ってそのまま帰ってった…… ボク、一人で、残されて……」
なんだ二日酔いか。
シェリエルはそう思ってチラリと後ろを見る。他の生徒もだいたい同じようなことを思っているらしい。
この教室には二年次以上の生徒しかいないため、ジェフリーに同情する者は大人しそうな御令嬢くらいだった。他は「いい加減ちゃんと授業してほしい」とか「今期この先生になった俺たちの方が不運だよ」といった具合に呆れかえっている。
ジェフリーはグス、と鼻をすすりアー、と枯れた声で髪をかき上げる。げっそりとした綺麗な顔が光を浴びても影しかなくて、それがどうして格好良かった。
「……笑うことないだろ。引き攣ったみたいに笑うんだあいつら。“アハハハ、ジェフリー悪い夢でも見た?”とか、“君、若いのに根性ないな”とか。そうだよ悪夢だよ。根性? あるわけないだろ。そんなものベルティーユとの結婚に使い果たした。貴族の義務なんて知るか、親の残した財産が尽きるまでずっとベルティーユと二人で森の別邸に引きこもっていたいんだ。でも親はまだ生きてるしベルティーユには長生きしてほしいしずっと幸せでいてほしいからこうやって世間知らずのガキに物を教える仕事をイヤイヤやってる」
最悪な告白をシェリエルはちょっと笑いそうになりながら聞いた。この男の偏屈で卑屈な告白が自分より大変な人がいるんだという慰めになった。
ジェフリーが答えを求めるようにゆっくり視線を上げる。
教室いっぱいの生徒たちは「どうしたのかしら……」「あれ危ないだろ、人殺すやつの顔だぞ」「盾の魔法って呪文なんだっけ?」「どういうこと? 酒の飲み過ぎって話?」「授業に関係ある?」と小さく囁きあっていた。
シェリエルはパチと目が合った。それでお互い苦労しますね、という気持ちで苦々しく微笑むと、ジェフリーは目にいっぱい涙溜めて苦しそうに「うぅ……」と呻いた。
「……、授業範囲は去年のこの級と同じ。Ⅱ級初回の人は進級し損ねた先輩がたくさんいるので頭の悪そうな老け顔を探してその人たちに聞いてください。さすがにそれくらいは覚えてるでしょ、存分に先輩風を吹かせてください。これを逃すと後は役に立たない落第生でしかありません、威張れるのは今しかありませんよ、頑張って」
そう言って教室を去ろうとするジェフリーに真面目そうな生徒が声をあげる。
「待ってください、ジェフリー先生! 二日酔いで大事な授業を放棄するおつもりですか! 我々はこれから…… 授業の予習だったり……」
男の子は言葉尻を弱めて結局黙ってしまった。ジェフリーのゆったり笑っているような緩んだ口元と、ジーッと前髪の隙間から覗くただの穴みたいに真っ黒な目が完全に異常者のそれだったから。
「二日酔い……? ボク、ひと口も酒なんて飲んでませんが…… ボクはあの二人の会話だけで具合が悪くなったし意識も飛ばしたし吐いたんだ。君たちが予習すべきは懇切丁寧に解説される授業なんかじゃなくて、こういう理不尽についてだと思います。生きてれば予告もなくやってくるから…… あ、そうだ。次の授業でマグダカブラをやろうかな。不合格者は…… 今期の実演授業の的役にします。以上です、帰ります」
踵をコツと鳴らしてそのまま床を引っ掻くような音をさせながらジェフリーは出て行ってしまった。
シェリエルが「え、マグダカブラ……?」と初めて聞く言葉にあたりを見回すと、半数は同じく目を丸めながらも「何か不味いことになったらしい」とキョロキョロしていた。
残りの生徒たちは机の上で頭を抱えたり、ダラっと喉仏を晒して天井を見つめたり、口元を隠して上品に困った顔をしたりしている。
「嘘だろ、そんなの……」
「マグダカブラって、あの? わたくし、まだ無理だわ」
「いや、難易度はさすがに調整されるだろう」
「Ⅰ級の復習ということで良いのかしら」
「何なんだよあの教師……」
一気にざわつき、それでも教室から出る生徒は一人もいなかった。情報交換をするため席を立ち領地ごとに集まり始めている。
すると、後ろからジゼルがやって来てやはり不安そうに教室を見回しながら「シェリエル様、ベリアルドの上級生に落第は居ないようです。それは喜ばしいことですが……」と声を落として言う。
「下位の者も全員合格したのね、すごいわ…… それで、マグダカブラって何かしら?」
「申し訳ありません、わたくしにも……」
「……あ、待って」
シェリエルは耳を澄ませて雑音を細かく選別して。
あー、なるほど、口頭実技試験ってこと?
なんか楽しそうだけど…… ゲーム? ああ、プレッシャーかかるな、これ。
と、だいたいを把握した。
「ジゼル、大丈夫よ。ベリアルドで組めれば……」
「後で履修者を集めておきます」
ジゼルは落ち着きを取り戻して静かにその後の予定を立てているようだった。
シェリエルとジゼルは静かに教室を出て誰もいない廊下を歩く。
ディアモン寮は本館からそのまま渡り廊下で繋がった裏手に位置する。元は王の御殿として使われていたのだろう。王の寝所だった階はそのまま王族専用となっていた。
「シャマル、シルバに上がれて喜んでたわね」
「ふふ、そうなんです。昨夜も遅くまでラウンジやサロンを見て回っていました」
「今日はディアモンの部屋を整えないとね。マチルダ様とエミリア様が寮の案内も兼ねてお手伝いしてくれるそうよ」
「……! 助かります! シェリエル様はサラ様お一人で大丈夫ですか?」
「ええ、夕食はアリシアと食べるから問題ないわ」
ディアモンに食堂は無く、各自好きなように食べることになっている。自室で一人で食べても良いし、兄弟姉妹や友人と一緒に食べても良い。
なのでしばらくはアリシアの部屋で寮の説明を受けながら一緒に食べることになっている。
サラも食事の受け取り方や洗濯場の使い方などをアリシアのメイドに教わっている最中だし、シャマルとジゼルも手厚い補助がある。
今期はロランスに全面協力してもらう形でスタートした。
「あの、ユリウス殿下とはお食事されないのですか?」
「さっき聞いたでしょう? しばらくはジェフリー先生がお相手してくれると思うわ」
ジェフリー先生には尊い犠牲になっていただいて……
夜会の影響についてはこれまでアリシアと対策を立てていたが、あの二人が学院に来たことによってまた少し変化があるだろう。
元凶二人の相手をしている暇は無い。
「すでにお茶会の招待状がいくつか届いていますが、どうなさいますか」
「今週いっぱいは様子を見るわ」
「では簡単にお返事の定型文を用意しておきます」
「ありがとう」
ジゼルはもうすっかり侍女らしく、そして補佐官らしく成長していた。手紙や招待状、女性らしい気配りはジゼルに任せておけば問題ない。
シャマルは決断力がありハッキリ物が言えるので補佐官や文官たちとも対等にやり合っていた。学生ばかりの学院で気後れすることはないだろう。
シェリエルは二人がいれば社交は問題ないわね、と安堵した。





