心配性のホーキンス一族
結婚式からしばらくしたある日のこと。
エリザとルカは昼食会に参加するために、ホーキンス邸宅へと赴いていた。
「それにしても、いい新居が見つかってよかったわね。結婚式も無事に終えることが出来たし、引っ越しを終えたら二人でゆっくりと新婚旅行に行ってくるといいわ!」
嬉々として言ったのは、トレイシー・ホーキンス。ルカの母親である。
ふくよかな体躯に、常に柔らかな笑顔を浮かべたトレイシーは、傍にいるだけで周りを和ませてしまう温厚な性格の持ち主だ。
「二人一度に休んだらアーサーが困るかもしれないよ」
次いで口を挟んだのは、トマス・ホーキンス。ルカの父親である。
長身で整った顔をしたトマスは、外見はルカとよく似ている。一見目つきが鋭く見えるが、微笑むと目尻が下がって、目の奥に明かりが灯ったように優しくなる。
「新しく文官を雇ったんだろ?新人が仕事に慣れてきた頃に休みを取って、ゆっくりしてくるといいじゃないか」
なあ?と隣に座る美女に同意を求めたのは、フェイ・ホーキンス。ルカの兄だ。
顔立ちはルカとよく似ているが、目元はトレイシーに似てやや垂れ目がち。肩下まで伸びた髪を、後ろに緩く編み込んでいる。
そして隣に座る、微笑を浮かべた寡黙な美女が、フェイの妻のカーラ・ホーキンス。
細身の長身で、明るい豊かな金髪を後ろで一くくりにした、凛々しいという言葉がピッタリな女性だ。聞けば、結婚前は魔術師マーチン・ヴァロワの下で働いていたという。
「どうせならば一ヶ月程長期の休みを取ったらどうだ?二人共働き詰めで、有給休暇もまともに使ってないんだろう?」
上座に座るのは、ルカの祖父、アルフレッド・グリメット。エリザとルカがホーキンス家に昼食を食べに来ると聞いて、急遽参加を申し出たそうだ。
「まだ入って間もなく、仕事にも慣れていないので、旅行は先になりそうですね」
ルカが答えると、使用人達が入ってきて、テーブルいっぱいに料理を並べていく。ただの昼食会にしては豪勢で量が多い。しかも、昼だというのにワインまである。
「さ、料理が運ばれてきたわ!エリザさん、たーんとお食べになってね!」
「美味しいものを食べて栄養をたっぷりとらないと!」
「ホーキンス家は味にうるさいから、料理は絶品ですよ!」
トレイシー、トマス、フェイが口々に言って、エリザが料理を食べるのを今か今かと待っている。
こんなにも食べられないと、エリザは困った。助けを求めるようにルカに視線をやると、ルカは察したように頷いて、フォークとナイフを手にして料理を口に運んだ。
「うん。真鯛の蒸し煮が美味しいぞ。切り分けようか?」
そういうことじゃないと、エリザは力なく首を振った。
ルカを含めたホーキンス家の一同は、エリザが婚約の許可を得るために挨拶に行った時から、エリザに甘かった。
特にトレイシーは、エリザの細い身体を見るなり、夕飯を食べていくように言って、豪勢な料理を用意させると、エリザにたくさん食べるよう薦めてきた。
「たくさん食べてね。遠慮しなくていいのよ?ああ、どうしてこんなにも細いのかしら。栄養をきちんととって、ぐっすり寝るのよ?ルカ、あなた仕事を押し付けてばかりいるんじゃないでしょうね?あらやだ。腕なんてこんなにも細い!私の半分以下じゃないの!私のこのむちむちの二の腕とは正反対!」
といった調子で、何かとエリザの世話を焼きたがった。
トマスも同様に、エリザがデヴィッドと住んでいるアパートメントの住所を知ると、大袈裟な程驚いてみせた。
「あそこは貴族街から少し離れていて、少々治安の悪い所だ……。エリザさんのような可憐な女性が住むには心配だな……。そうだ!私にも新居探しを手伝わせてくれないかい?心配で心配で仕方がないんだよ!」
トマスはエリザの返事も聞かずに、そうと決まれば知人に連絡してくると言って、部屋を飛び出していった。
このように、ホーキンス夫妻は二人揃って心配性である。ルカの心配性は、二人からしっかりと受け継がれたのだなと、エリザは思ったのだった。
「あの、全てを食べることは出来ないかもしれませんが、しっかりと美味しく食べさせていただきます」
前置きをして、エリザはフォークとナイフを手に取った。それを見て、ホーキンス一族はにっこりと微笑んだ。
「エリザさん、胃薬はあるからね?」
にこ、と人の良さそうな笑みを浮かべて、フェイが言った。
「は、はい……!」
エリザはごくりと喉を鳴らすと、覚悟を決めて料理を口にした。
「ところで、新居は父上の知人から紹介していただいたんですか?」
フェイが尋ねると、いや、とトマスが首を振って否定した。私だよと声を上げたのは、アルフレッドだった。
「西州の友人が、タウンハウスを手放すつもりだと言うからね。丁度いいんじゃないかとルカに声をかけたんだ」
「二階建ての庭付きで部屋数もあるし、日当たりもいい。すぐに気に入りました。助かりましたよ」
アルフレッドが紹介してくれた新居は、貴族街の中でも王宮から近い位置にあった。家は建ててから三十年以上経過していたが、何度か壁を塗り替えたり屋根を補強したらしく、比較的綺麗に保たれていた。
エリザもデヴィッドもすぐに気に入って、ルカと三人で相談して、家を購入することにしたのだ。現在は中を改装している最中で、ルカとエリザはまだ寮に住んでいる。
「これから家族が増えるかもしれないんだし、少し大きいくらいの家がいいわねぇ!」
「そうだな!ここからも近いし、エリザさんとハーディス子爵には、たまにこうして食事に来てもらえるしな!」
嬉しげに頷きあうホーキンス夫妻に苦笑して、まだたっぷり残っている料理に手を伸ばした。もっと食べないと、この夫婦が満足してくれないことを知っていたエリザは、必死に食事を口に運んだ。
エリザはお腹いっぱいになってごちそうさまを告げると、ようやくナイフとフォークを置いた。
今日はもう夕飯もいらないくらいに食べた。お腹はパンパンだったが、こんなこともあろうかと、身体の線が出にくいゆったりとしたワンピースを着てきていたので、膨らんだお腹は目立たない。
「そういえば、エリザさん。庭に綺麗な薔薇が咲いているのを見つけたんだよ。よかったら二人で見に行かないかい?」
エリザが一息ついていると、ふいにアルフレッドが散歩の誘いを口にした。エリザが二つ返事で是非と答えると、ルカが私もと立ち上がりかけたのを、アルフレッドが制した。
「ルカはここで茶でも飲んでなさい」
有無を言わさない目をしたアルフレッドに、ルカは心配そうな視線をエリザに向けると、渋々腰を下ろした。
「それじゃあ行ってきますね」
席を立ったエリザの手をそっと握ったルカが、早く帰ってこいよと耳元で囁いて見送ってくれた。本当に心配性である。
アルフレッドに連れられて庭へと降りてきたエリザは、ゆっくりと庭を眺めながら歩いていた。
「唐突に散歩に誘って悪かったね。少しエリザさんと話をしたくてね」
「いえ。何かお話があるのではと思っておりましたから」
「察しが良くて助かるよ。……今日昼食会が開かれると知って急遽参加したのも、一度きちんとエリザさんと話をしたかったからなんだよ。エリザさんはお忙しいだろうから、呼び出すのも気が引けるし、仕事場まで訪ねていったらルカに叱られそうでね。結婚式の時はバタバタしてて時間がなかったものだから……」
アルフレッドは薔薇の咲く花壇の前で歩を止めると、話というのはねと、エリザに向き直った。
「エレノアのためとはいえ、ルカを無理矢理結婚させようとして悪かった……。私はエレノアのことを心配に思うあまり、ルカのことを蔑ろにしていた。結果、エリザさんのことも傷つけてしまったことを、改めて謝罪させてほしい。申し訳ないことをした」
突然の謝罪に驚くエリザに、アルフレッドは頭を下げた。慌てに慌てたエリザが、肩を持って頭を上げさせると、苦笑したアルフレッドと目があった。
「私は大丈夫ですよ!結果的に、ルカ様と気持ちを通じ合わせることが出来て、結婚することも出来ましたし……」
「だが、私はエレノアのためと言いながら、危うく二人の仲を引き裂くところだった。……そうならなくて本当によかったよ」
あの日、とアルフレッドは薄紅色の薔薇の花に目を向けた。それは、以前見舞いの時にルカが持ってきた薔薇と同じ種類だった。
「エリザさんが毒に倒れて、容態が落ち着いた頃だったかな。ルカに一度話し合おうと連絡をすると、ルカも話があるからと、私をここに呼び出してね。ルカはすごい剣幕で現れると、好きな女性がいるからエレノアとは結婚出来ないと言い切った。……あの時、私はなんとなくピンときてね。相手はエリザさんじゃないかと尋ねたら、ルカは肯定したよ」
ふっとアルフレッドはエリザに微笑みかけた。
「エリザさんがルカの気持ちを受け止めてくれたなら、結婚を許してほしいと頭を下げられて、ようやく私は目が覚めたよ。……いや、本当はもっと前かもしれない。エリザさんと初めて会った日に、君が一人でも毎日を一生懸命生きていきたいと言ったのを、耳にしてからだ。……エレノアのためと言いながら、私が一番エレノアの気持ちを分かっていなかった。結婚が全てじゃないと気づかせてくれたのは、エリザさんとルカだ」
礼を言う、とまたもや頭を下げようとしたアルフレッドを、エリザは慌てて制した。
「私はルカ様との結婚を許可していただいて、しかも新居探しまでしてくださって、本当に感謝しております。こちらこそお礼を言わなければなりません。……あの、ありがとうございました!」
勢いよくエリザが頭を下げると、今度はアルフレッドが肩に手を添えた。
「エリザさんは優しい人だ……。ルカはいい人と出会えたな。ルカは幸せ者だ」
「そんな、私のほうが幸せ者です」
照れるエリザに、アルフレッドは小さく笑った。
「それにしても、ルカは中々束縛の強い男かもしれんぞ?」
「え……?」
「君と結婚したいがために、エレノアの両親を説得し、エレノアとも話し合いをして、最後にはハーディス子爵をも説得してしまった。君は聞いていないかもしれないが、ハーディス子爵は当初君との結婚を許さなかったようだ。だが、ルカがあまりに熱心だし、どうやら君のほうもルカのことを好きだろうと、薄々勘付いていたみたいでね。娘が幸せならと、最後は了承したようだ」
それは聞いてないと、エリザは黙り込んだ。またもやデヴィッドとルカに隠し事をされていたと知って、エリザは複雑な気持ちになった。
そんなエリザを見て、アルフレッドは可笑しそうに声を上げて笑った。
「ホーキンス夫妻を見たら分かるだろうが、ルカは一見ぶっきらぼうに見えて、愛情深い。ホーキンス一族は一途だから、そういう意味ではエリザさんも苦労するかもしれないな」
くつくつと笑うアルフレッドに、エリザは困って顔を赤くした。ここは素直に喜ぶべきかどうか。結局、エリザは小さな声ではいと答えた。
それにしても、ここ数カ月は謝られてばかりだなと、エリザはなんだか不思議に思った。
散歩から戻ってくると、待ちきれなかったのか、ルカが一階のテラスで待っていた。それを見たアルフレッドが、ほらねと言ったので、アルフレッドとエリザは思わず顔を見合わせて笑った。
「なんだよ?」
「いいえ」
「なんでもない。それよりもルカ、エリザさんにヴァイオリンでも弾いて差し上げなさい。お茶の時間までまだまだ時間があるからね。私はフェイ達とサロンにいるよ」
「はい……」
怪訝そうな顔をしたルカが答えると、エリザの手を引いてヴァイオリンのある部屋へと案内してくれた。
そこには、ヴァイオリンの他にもグランドピアノやハープ等、様々な楽器が置かれていた。
「まあ!ホーキンス家の皆様は楽器を弾くんですね!」
「これも祖父の薦めでね。エリザは楽器は?」
「幼少期はピアノを習っておりました」
「まだ弾けるか?」
「あまり覚えてませんね。指も昔のようには動かないでしょう。でも賛美歌なら覚えてるかも……」
「一緒に弾こう。二重奏だ」
「下手くそですよ?」
「それでもいい」
ルカはヴァイオリンを手にした。エリザはピアノの椅子に座ると、指ならしに鍵盤を叩いてみたが、やはり昔のように滑らかに指は動かない。音も硬かった。
「やっぱり昔のようにはいきませんね」
「上手く弾こうとしなくていい。楽しんで弾いてみよう」
「はい。先生」
「よろしい」
冗談を言って微笑み合うと、ルカの合図で二重奏がはじまった。
エリザは出だしこそぎこちない音を出していたが、ルカが上手く合わせてくれて、次第に昔の感覚を思い出していった。間違ったりつっかえたりするところもあったが、後半は大分マシになったと思う。
反対に、ルカの紡ぎ出す音は柔らかくて繊細で、聴いていて心地のいい演奏だった。
演奏が終わると、ルカがよかったよと褒めてくれた。
「後半は楽しんで弾けてた」
「ルカ様の演奏は素晴らしかったです」
「そうか?でも、新居にヴァイオリンを持っていくのもいいな。たまに弾くと息抜きになる」
これでまたルカの演奏が聴けるとエリザが喜んでいると、ルカがヴァイオリンをしまいながら聞いた。
「ところで、さっき祖父と何を話してたんだ?」
「何って……ルカ様が結婚の承諾をしに来た時のことを聞きました。父に当初は結婚を反対されていたことや、それをルカ様が説得したことなど」
「な……!聞いたのか?」
「はい。聞きました。ルカ様は私にはそういったことをあまり話してくださらないから」
「そういうことは、あまりベラベラ話すものじゃないだろ」
顔を背けたルカの手を引くと、ルカは困ったように眉を下げている。耳も薄っすらと赤かった。その顔がなんだか可愛くて、エリザは更に追求してやりたい気持ちになった。
「でもグリメット伯爵から話を聞いて、不思議に思いました。どうしてルカ様はそこまでして私と結婚したいと思ったのかと」
「どうしてって、愛してるからだ」
ルカは大真面目に答えた。
「いつから?」
「いつって……言ったろ?気づかないうちに好きになってたんだよ。いつからなんて分からない」
「でも、ルカ様は私に初めて会った時に言いました。私みたいな痩せた女は好みじゃないから安心しろって」
「……覚えてたのか?」
「はっきりと覚えています」
「あれは、ああでも言わないと安心して眠れないだろ?」
「……え?」
意外な言葉が返ってきて、エリザは目を丸くした。
「知らない男と突然同じ寝台で寝ろと言われたら、襲われるんじゃないかと、普通は警戒するだろ?安心して眠れたものじゃないから、わざとあんなことを言ったんだよ。……ま、結局あんな言葉だけじゃ安心なんて出来ないだろうし、結果的にエリザもほとんど眠ってなかったけどな」
「そ、そうだった……んですか?」
「ああ。二回目からはぐっすり眠ってて、それはそれで心配したけどな」
けろりと答えたルカに、エリザは詰め寄った。
「それじゃ、本当はどう思っていたのですか?!」
「どうって言われてもな……」
覚えてない、とルカはそっぽを向いた。完全にはぐらかそうとしている。
ルカ様!と、エリザが尚も詰め寄ると、ルカは反対にエリザの手を引いて抱きしめた。
「だから、覚えてない」
ルカはちょんと頬に口づけた。
「大体エリザだって、俺のことを老けてると言っただろ?お互い様だ」
あれはアーサーと比べたからだと抗議しようと開いた口を、ルカの唇で塞がれた。キスで誤魔化す気だと分かっていながらも、唇を押し付けられると抗えなくて、エリザはルカの背中に腕を回した。
そのまましばらく角度を変えては唇を重ね合わせていると、コンコンと扉を叩く音がして、慌てて二人は離れた。入ってきたのは、ホーキンス家に仕える執事だった。
「お邪魔して申し訳ありません。トレイシー様が夕飯を食べて行かないかと仰っておりますが、いかがなさいますか?」
エリザはひっと声を上げた。
「今日はもう……食べられません……」
泣き言を言うエリザに、ルカは可笑しそうに笑った。




