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痛み 1



 園遊会が無事に終わった。マリアとアーサーの婚約は、貴族はもちろん国中に周知された。二人の婚約を喜び祝福ムードに包まれているアラバスターだが、当然中には二人の婚約を望まぬ者もいるだろう。

 しかし、表立って婚約反対を訴える愚かな者はいない。少なくとも、園遊会で異を唱える者や怪しい動きをする者はいなかったが、この先はどうなるか分からない。


 六華殿を訪れたエリザは、ロージーとマリアの護衛について打ち合わせをしていた。

 アーサーとマリアの婚約を害そうとする者がいるならば、狙いは用心深いアーサーよりも、王宮を出入りしている移動の多いマリアを狙うはずだ。マリアの身を守るために、アーサーは手練で信用の置ける騎士を数名つけるようにと、以前から要請していたのだ。


「うちの騎士団の中ならば、やはりアーノルドになるんだが、式典や夜会の時に護衛を頼むことにしてあるから、普段は別の騎士を四名。交代で二名ずつつけようと思っているんだ。そこに、たまにアーノルドを組み込もうかと思ってる」


「人選はどのように?」


「私が信用のおけると思った者を。階級は関係なく選んでよいと言われたから、二名は平民出身。もう二名は北部と中央貴族の子息を選んだ。こちらの二人は実家との縁が薄くてすでに自立しているから、貴族の派閥意識もないからね。もちろん皆腕が立つ」


 護衛の経歴資料を受け取ると、エリザは礼を言って立ち上がった。部屋を出ようとしたところで、ロージーが呼び止めた。


「ところでそのブレスレット、アーノルドからもらったのかい?」


「あ、はい。お土産でいただきました」


「アーノルドも似たようなものをつけていた。もしかして二人は恋人同士なのかな?」


「いえ!あの……ゆ、友人なのです……」


 エリザは頬を赤らめた。恋人だと言うよりも、友人だと宣言するのがこんなにも恥ずかしいとは。照れるエリザを、ロージーは穏やかな笑みを浮かべて何度も顎を引いた。


「それは嬉しいな。あいつには女性の友人がいなかったからね。ああ見えて中々苦労人だから、エリザ嬢があいつとよき友人になってくれると私も嬉しいよ」


 ありがとうとなぜか礼を言われて、エリザはとんでもないと手をバタバタ振ると、恥ずかしさのあまり逃げるように部屋を飛び出した。



 六華殿の廊下を歩きながら、エリザはブレスレットに視線を落とした。

 揃いのブレスレットをしていたら、恋人だと思われても仕方がないと思う。男女なのだから当然だが、それでもブレスレットを外す気にはなれなかった。恥ずかしいけれど、これをしていると本当にしあわせになれるような気がするし、なんだか元気をもらえる気がするからだった。


 訓練所の前までくると、いつものように剣を打ち合う騎士達の声が聞こえてきた。その中で、アーノルド!行け!という声を拾ったエリザは、思わず訓練所の前で足を止めて中を覗き見た。


 アーノルドは騎士達に囲まれて、二人相手に剣を振るっていた。左右から剣が振り下ろされても、一方を薙ぎ払ってもう一方を弾き返すと、流れで戻って剣を跳ね上げる。二人の騎士の手から剣が離れて地面に転がると、アーノルドの勝利となった。

 わっと騎士達がアーノルドに駆け寄る。今まで野次が飛んでいるところしか見たことがなかったが、なんだかんだで慕われているようだ。


「腕は立つよんだよな、あいつ」


 突然背後からルカが話しかけてきたものだから、エリザは飛び上がった。


「ルカ様!?驚かさないでください!」


「さっき声をかけたのに、エリザが気づかないから」


 どうやら試合を見ていて気づかなかったようだ。


「それは、すみません……あの、資料なら受け取ってきましたが、他に用事が?」


「いや。花栄殿の帰りに立ち寄っただけだ」


「そうでしたか」


 迎えに来てくれたのかと思うと、嬉しくて胸が弾んだ。ルカがさあ帰るぞと声をかけた直後、訓練所からアーノルドが手を振っているのが見えた。毎度の如く、エリザー!とぶんぶん腕を振り回している。恥ずかしくなったエリザは控えめに頭を下げると、行きましょうとルカに声をかけて歩き出した。


「おいエリザ……」


 六華殿を慌てて出ると、先を歩いていたエリザの手首を、ルカが掴んで引き止めた。驚いて振り返ったエリザを真正面から見据えたルカは、口を開いて何かを言いかけたが、結局何も言わずに手を離した。


「どうされましたか?」


「あ、いや……なんでもない。行くか」


 どこか様子がおかしいルカを不思議に思いながらも、それ以上追求することは出来ず、歩き出したルカを追った。無言で歩くルカの表情はどことなく険しい。何かしただろうかと困惑していると、水明殿へと入ったところで、ようやくルカが口を開いた。


「……そういえば、さっきエレノアがエリザに礼を言ってたぞ。ドレスについて助言してくれて助かったと。また相談に乗ってほしいと言っていた」


「そうですか。大したことはしてないんですが、私でよければいつでも相談に乗ります」


「エレノアに……何か言われたか?」


 え?と顔を上げると、ルカは困ったような伺うような複雑な表情を浮かべていた。


「何かとは?」


「いや……何もないならいいんだ」


 ルカは首を振って話を切り上げた。気になったが、ルカは口を閉ざしたまま。何を聞いても答えてくれない気がしたので、黙って執務室への廊下を歩いた。



 執務室へと戻って来たエリザとルカに、慌てた様子のオーガスタが飛んでくると、ソファの方をちらりと見て小声で言った。


「ルカのお祖父様、アルフレッド・グリメット伯爵がいらっしゃってるわよ……!」


 えっと声を上げたルカと共にソファ席を覗き込むと、アーサーの向かい側の席に細身で背の高い白髪の老人が座っていた。

 長い髪を後ろで緩く編み込み、豊かな白髭を蓄えている。背筋のしゃんとした老人の目が、じろりとルカを捉えると無言で顎を引いた。こちらに来いということなのだろう。

 ルカは一瞬眉根を寄せたが、黙ってソファ席へ向かうとアーサーの隣に腰掛けた。


「お祖父様。こちらまで……どういったご用件で?」


「仕事が忙しいようだな。いくら呼んでも来ないから、こちらから来たんだ」


 ルカから驚く程低い声が出てきたかと思うと、更に低い声でアルフレッドが返した。黙り込んだ二人は静かに睨み合っている。

 エリザとオーガスタは、ソファ席の異様な雰囲気に仕事に戻るべきか迷っていた。先に動いたのはオーガスタで、お茶を入れてくるわと言って早々に離脱した。

 この空気に耐えられなくなって逃げたなと内心思いつつ、エリザは仕方なくソファのほうへ回り込むと、アーサーの耳元で席を外しましょうかと声をかけた。


「いや、仕事中に邪魔したのはこちらだ。どうぞ気にせずに」


 返事をしたのはアルフレッドだった。エリザははいと答えたが、仕事が出来る空気ではない。その場で迷っていると、そういうわけにもいかないかとアルフレッドが隣の席を示した。仕事をしないなら座れ、ということだろう。

 戸惑いつつも、誰も止めないし断れる雰囲気ではないので、エリザは恐る恐る腰掛けた。すると、ルカは少し困ったような顔をしてため息を吐いた。


「お祖父様。私達はとても忙しいのです。話があるならば今度きちんと時間を取りますから、今日のところはお引き取りを」


「園遊会でもそう言って逃げたな。結局時間など取るつもりはないのだろう?私と二人だとお前は逃げるだろうから、アーサー殿下やそちらのお嬢さんには悪いが、間に誰かに入ってもらったほうがいいだろう」


「彼らに迷惑です。それに仕事場で話すことではありません」


「時間は取らせない。私が言いたいことは一つだ。とっととエレノアと結婚しろ。お互い未だに独身ならば、問題なかろう。グリメットに婿養子に入れ」


 それを聞いた瞬間、エリザの心臓がどくんと跳ねた。鼓動が早まる。動揺を悟られてはいけないと、エリザは必死に平静を装ったが、膝の上に置いた拳は瞬時に汗で濡れて、細かく震えていた。


「結婚はまだ考えられません」


「もうお前も二十五歳だろう。エレノアも十八歳になった。貴族の娘にしては遅いくらいだ。よく知った者同士一緒になったほうがよい」


「エレノアは……それでよいと言ったのですか?」


 ルカの目が一層険しくなった。アルフレッドは髭を撫でるように触ると、ため息混じりに言った。


「そのほうがエレノアのためになるだろう……」


 ルカは返事をしなかった。黙って俯くと、唇を噛み締めた。アルフレッドが深いため息を吐き出すと、立ち上がった。


「よいか、ルカ。近々両家で話し合う席を設ける。必ず出席しろ」


 ルカが返事をしないのを分かっているのか、アルフレッドはさっさと歩き出した。我に返ったエリザは慌てて立ち上がると、送りますと言ってアルフレッドに続いた。

 廊下に出ると、アルフレッドは悪いねと眉を下げて笑った。その表情は、先程地鳴りのように低い声で話していた人物とは思えない程優しかった。


 エリザはエレノアとルカの結婚のことをどうにか頭の隅へと追いやろうとしたが、出来なかった。二人がいずれ婚約することは分かっていたことなのに、いざ目の前に突きつけられると、どうしていいか分からない程動揺している。せめて、アルフレッドを送り届けるまではしっかりしろと、自分を叱咤した。


「君は同僚かね?」


「ホーキンス卿の部下のエリザ・ハーディスと申します」


 エリザは努めて平静に答えた。


「ハーディス……チャップマン財務大臣の秘書官のご令嬢かね?」


「はい。父をご存知ですか?」


「とても有能だと聞いている。ルカの目指すべき秘書官は彼だね」


「そんな……」


「謙遜しなくてもいい。ルカは迷惑をかけていないかね?」


「とてもよくしてもらっております。ホーキンス卿は頼りになる上司で、尊敬しております」


「そうか……」


 呟いたアルフレッドは、嬉しそうに笑った。



 正面玄関に到着したエリザは、アルフレッドが乗ってきた馬車を回してもらうように頼んで戻った。待機所の椅子に腰掛けて待っていたアルフレッドは、エリザが戻ってくると礼を言った。


「手際がいいな。君はいい秘書官になりそうだ」


「ひ、秘書官?私はただの使用人で、あくまで女官で、補佐で……」


 うろたえるエリザに、アルフレッドはくつくつと笑った。


「しっかりしてていいお嬢さんだ。そういえば、君は婿養子をもらったからハーディスのままなのかい?」


「あ……いえ。私は未婚です」


「これは失礼。婚約中だったのかな?」


「いえ。結婚の予定はございません」


 首を振ったエリザに、アルフレッドは目を丸くした。


「今まで縁談は?」


「ございましたが、夫となる方は戦地へ行き帰って来ませんでした」


「そうか……失礼なことばかり聞いて申し訳ない」


「とんでもございません」


「失礼ついでに質問するが、君は今からでも結婚するつもりはないのかい?」


「私はすでに行き遅れですので嫁の貰い手はありませんし、父を一人にするつもりもありませんから。独身を貫くことになるでしょう」


「ひとりで生きていくのは不安ではないかい?」


「そうですね……」


 呟いて、自分の人生だから楽しめばいいと言ってくれたルカの言葉を思い出す。今なら以前のように将来を不安に思う気持ちはほとんどない。貴族でなくたって、平民でもお針子として細々と生きていけるだろうし、どうにかなると少しだけ自分に自信を持てるようになった。


「不安もありますが、今までどうにかやってきましたし、これからもどうにかなるでしょう。……なんて、将来のことを何も考えてないように聞こえてしまいますね」


 エリザは苦笑して続けた。


「女性が一人で生きていくにはまだまだ厳しい世の中ですが、やって出来ないことはありません。私は毎日を一生懸命生きていこうと思います。そう……ルカ様のおかげで思えるようになりました」


「ルカのおかげで……」


 アルフレッドが口の中で繰り返すと、エリザを見上げた。エリザは急に恥ずかしくなって、慌てて付け加えた。


「ルカ様はいつも私が悩んでいると、助けてくれるのです。その……ありがとうございます」


 なぜかグリメット伯爵に頭を下げたところで、御者が迎えに来て話は終わりとなった。エリザはアルフレッドを馬車まで送った。


「突然押しかけてきて悪かったね。アーサー殿下にも改めて謝罪しないとならない」


「気になさらないでください。気をつけてお帰りくださいませ」


 頭を下げたエリザに、アルフレッドは手を上げた。馬車が去っていくのを見送ったエリザは、ようやく息をついた。途端に手が震えだして、誰もいなくなった待機所へと入ると、椅子に座り込んだ。


 ルカが結婚する。


 どっと現実が押し寄せてきて、エリザは顔を覆った。泣くな落ちつけと言い聞かせる。深呼吸をして、胸に手を当てた。それでも、胸の奥が痛み続けている。苦しい。押し潰されそうだ。


「こうなるって分かってたじゃないの……」


 呟いて、エリザは固く目を閉じた。しばらく、立ち上がることは出来なかった。




 

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