しあわせの行方 2
園遊会当日。エリザは薔薇が咲き誇る女王の庭園にて、招待客に囲まれて笑顔を浮かべるアーサーとマリアを、少し離れたところから見守っていた。
今日のエリザは、オーガスタと女官としてアーサーの傍に控えていることになっていた。アーサー付きの女官の半分は、園遊会に招待客として出席しており、ルカも同様だ。
そのため、何かあれば少人数で対応しなければならないのだが、元々国王主催の園遊会ということもあって、国王夫妻の使用人が主となって動いているので、エリザ達が客をもてなしたりすることはない。ただ、アーサーの傍に控えているだけでよかった。
とはいえ、招待客から見たらエリザもオーガスタも同じ使用人にしか見えないので、声をかけられることはある。
今も、マリアに挨拶を済ませた老齢の貴族にお手洗いの場所を聞かれたところだ。エリザは近くの従者を呼び寄せて案内を頼むと、そっと元いた場所へと戻った。
「それにしてもすごい人よね。いつもは見ない貴族も出席してるし。アーサー殿下が王子なんだってことをすっかり忘れてたわよ」
オーガスタは幼少の頃からアーサー付きの従者であったため、ルカと同様にアーサーを弟のように思っているようだ。
「マリア様を見に来た方も多いのではないでしょうか?未来の王妃に相応しい人物なのかどうか、その目で見定めたいのでしょう」
「それが一番の理由かもね。でも、今のところマリア様に死角はないわね。中央貴族よりも西州貴族のほうが今じゃ勢いがある。ティント辺境伯を敵に回すのは得策じゃないから、文句をつける人はいないでしょうよ」
ここから見る限り、笑顔でマリアとアーサーを祝福する者達ばかりのように思えるが、腹の中で何を考えているかまではエリザには分からない。問題なく二人が結婚してくれたら一番だとは思うが、今まで貴族間の揉め事がなかったことなどない。二人の仲を邪魔する者がいるかもしれないので、オーガスタとエリザは目を光らせていた。
「あら。シャーリー殿下の登場ね」
オーガスタの視線を追っていくと、シャーリーがエレノアを伴ってアーサーとマリアに挨拶するところだった。シャーリーは青紫色のドレスを着ていた。
確かエレノアはロス・リーのドレスを着ると言っていたはずだが、シンプルだが裾や襟にコスモス柄のレースをあしらった、上品でいて若々しいドレスを着ており、背が高く凛とした雰囲気のシャーリーに似合っていた。
髪の毛は若者らしくハーフアップにして編み込みつつ、後ろに流してある。イヤリングやネックレスは小ぶりのものにしてあるから、すっきりとした印象だ。
「あら。なんだか垢抜けたわね。ちょっと前まではミスマッチなドレス着てたのに、すごく大人っぽくなって綺麗だわ」
シャーリーの背後でどこか自慢げな顔をしているエレノアを見る限り、どうやらドレス選びに満足しているようで、エリザはほっとした。
ふと、エレノアが顔を上げると、エリザの視線に気づいて嬉しげに破顔すると、パチンとウィンクして見せた。エリザが小さく笑顔を返すと、エレノアは頬を上気させて嬉しそうに顎を引いた。
「あら。いつの間に仲良しになったのかしら?」
「何度か会うことがありまして」
そうなのね、とオーガスタは意外そうに目を大きくすると、エリザとエレノアを交互に見比べて、ふうんと意味ありげに呟いた。
「エレノア嬢はじゃじゃ馬姫だから、正反対のエリザに惹かれるのも分かるけど」
え?とエリザが首を傾げると、オーガスタはにっこり笑った。
「エリザはしっかりしてて頼り甲斐があるから、エレノアに懐かれてるでしょ?なんとなーく分かるわね」
ふふふとオーガスタは綺麗に微笑んだ。エリザが更に追求しようとすると、アーサーに呼ばれた。いそいそと傍に行くと、風が出てきたからマリアにショールを持ってきてほしいと言う。承知しましたと言って庭園を離れると、水明殿へと向かった。
衣装室からマリアの着ているオレンジ色のドレスに合うショールを選びだしたエリザは、足早に衣装室を出ると、階段を駆け下りた。
そして廊下に出たところで、ばったりとジェーンと出くわした。ジェーンはエリザを見るなり驚いて目を大きくしていたが、すぐに気を取り直すと美しい笑顔を浮かべた。
「エリザ。こんなところで何をしてるの?園遊会に行かなくていいの?」
「風が出てきましたので、マリア様のショールを取りに行っておりました」
「あらそう……。私もなんだか肌寒くなってきたから、上着を取りに行くところなの」
そう言ったジェーンは、ワンショルダーの肩が剥き出しになった赤紫色のドレスを着ていた。長袖といえど、胸元が大きく開いていて首も肩も寒そうだし、昼間の園遊会に着るにしては、スカートにスリットも入っていて露出が多いように思う。これでは上着が必要になるのも当然だった。
しかし、ジェーンは気にした様子はなく、エリザを一瞥して言った。
「マリア様の衣装担当になったのですって?」
「はい……」
「将来マリア様が王妃になることを見越して、今から取り入っておいたほうが得策だものね。あなた、もしかして女官長に最速でなろうと思ってるんじゃない?」
敵意を隠すことなく容赦ない言葉を浴びせたジェーンは、一歩エリザに踏み出すと、ぐっと顔を寄せて微笑んだ。エリザは狼狽えた。
「そんなこと考えたこともありません」
「だけど、噂で聞いたわ。借金全額返済したそうじゃないの。ハーディス子爵も財務大臣の第一秘書官になるともっぱらの噂だし、足枷はなくなったでしょ」
ジェーンはふいにエリザから視線を反らすと、虚空を見上げて独り言のように吐き捨てた。
「いいわよね。あなたはまだ若くて……。あのアーサー殿下からも重宝されているようだし、未来があるもの……」
エリザははっとした。間近で見たジェーンの唇は歪み、震えていた。よく見ると口元には細い皺が刻まれていた。寄せられた眉根や目尻にも皺がある。化粧でうまく隠しているようだが、この距離なら分かってしまう。いくら若作りしても、ジェーンでも老いを止めることが出来ないのだ。エリザは小さなショックを受けた。
それと同時に、目前のジェーンからは、弱さが垣間見えた。強がり牙を剥いてはいるが、弱さを隠しきれていない姿に、言葉が出なかった。
「あなた、王妃殿下付きの侍女だった頃は、誠心誠意王妃殿下に仕えたことなどなかったでしょう?」
ジェーンは急に真剣な顔付きになった。エリザはぎくりとした。何も返せないエリザに、ジェーンは言い募る。
「誰よりも働き者で使用人達から頼りにされてはいたけれど、主人に対する忠誠心は誰よりも薄かった。……ねえエリザ。私のように成り上がろうと思っているのならば、助言をあげるわ」
「助言……?」
ジェーンは、エリザの両肩を掴んでしっかりと目線を合わせた。ジェーンの雰囲気がガラリと変わって、エリザは息を呑んだ。
「本当に殿下やマリア様の信頼を勝ち取りたいのならば、エリザ、あなたのほうが心底主人を信頼しなければならないのよ。例え殿下が主人という立場であっても、主人が間違えば時として叱咤して道を正し、時には共に悲しみや怒りを共有して慰め、命をかけて主人に仕えなければならない。その覚悟がない者は、役職を得ることは出来ないわ」
それは嘘偽りのない言葉に思えた。長年キャロラインに仕えてきた女官長としての、友人としてのジェーンの本心なのだろう。今目の前にいるのは、以前エリザが仕えた、責任感がありキャロラインに頼りにされてきたジェーンだった。
「女官長……」
驚きと戸惑いでうまい言葉を見つけられないでいると、ジェーンはため息混じりに言った。
「とはいっても、どれだけ誠心誠意仕えたとしても、間違えることはあるし、切られる時はくるのかもしれないけどね……」
自嘲気味に言ってジェーンは手を離すと、上着を取りに行くわと呟いて背を向けた。自身に満ち溢れて堂々としていたジェーンとは思えないほど小さな背中だった。
以前女官長のことを皆に相談した時に、首を突っ込むなよと釘を刺されたことが脳裏をよぎったが、気づけば声をかけていた。
「女官長!まだお聞きしたいことがあります!助言をいただけますか?!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。ジェーンは振り返ると、駆け寄ってきたエリザに何よ?と問いかけた。
「主人を正すのが女官長の役目ならば、もしも私が女官長になって、私が間違いを起こした時は、誰が正してくれるのでしょうか?」
エリザの言葉に、ジェーンは目を瞠った。
エリザは一瞬迷った。ジェーン相手に言おうとしていることは、一使用人のエリザが言えたことではなく、下手をしたら処罰される可能性もある。でも、こんな状態のジェーンを目にしたら、声をかけずにはいられなかった。
「もしも自分が間違った方向に進んでしまった時に、主人が諌めてくれずに自分から離れていこうとしたら、自分を正すのは、自分しかいないと思います」
言葉が震えないようにはっきりと言い切ったエリザを、ジェーンは呆けたように見つめた。
「自分の間違いを認めることは、とても勇気のいることです。でも、恥や矜持を捨ててでも……主人を失うよりは誤りを認めてやり直したほうがずっといい。……私なら、そうしたいです」
ぶるりとジェーンの肩が震えると、寒さを覚えたように肩を抱いて俯いた。二人の間に沈黙が降りる。
出過ぎたことを言った。今のジェーンがあまりにも小さく弱々しく見えたからつい口を出してしまったが、今度こそ処罰されるかもしれない。
エリザが覚悟を決めようとした時、ジェーンが顔を上げた。泣き笑いのような複雑な笑顔を浮かべて、エリザをまっすぐに見返した瞳はうっすらと濡れていた。
「そうね……あなたならばそうするでしょうね」
ジェーンは深く呼吸を繰り返すと、腕をさすりながら今度こそエリザに背を向けた。
「気が変わったから、園遊会には出ずに今日はもう下がることにするわ。そうウィリアムかルイーザに伝えておいてくれる?」
「は、はい。あの、女官長……出過ぎたことを言いました……申し訳ありません」
「謝ることはないわよ。あなたはまだ若いから、あんなことが言えるのよね。だけどね……年を取れば取るほど、経験を得るのと同時に、恐怖も知るのよ。若い頃のようにいつまでも無知で怖いもの知らずに突き進んではいけないのよ」
それだけ言うと、ジェーンは歩き出した。背筋を伸ばして、まっすぐに回廊を歩く背中に向かって、エリザは深くお辞儀をした。
ジェーンにエリザの言葉が届いたかどうかは分からない。しかし、甘い考えかもしれないが、これをきっかけに少しでもジェーンが変わってくれることを、エリザは願った。




