しあわせの行方 1
夏の暑さはいつの間にか失せて、すっかり涼しくなり秋らしくなってきた今日この頃。エリザは秋の園遊会に向けての準備に追われていた。
国王主催の秋の園遊会は、一年で一番大きな園遊会である。社交シーズン真っ只中で、国中の貴族が集まり盛大に行われるのだが、今回はアーサーとマリアの婚約を発表してから二人が初めて公に出る場だ。
そのため、アーサーはもちろんマリアも多忙な毎日を送っていた。園遊会の衣装決めや、貴族への挨拶と対応についての打ち合わせをしながら、平行して王妃教育も受けているため、マリアは王宮に通い詰めていた。
そんなマリアのスケジュール管理をすることとなったルカやオーガスタは、毎日文句を言いながらも忙しく働いている。
そしてエリザは、マリアの衣装を担当することになった。新しい仕事を任されることは頼りにされている証拠だ。嬉しいのと同時に責任を負ったエリザは、やり甲斐を感じつつも、増えた仕事をこなすのに必死で、毎日てんてこまいだ。
その日、エリザはマリアのドレスが出来たと聞いて、ドレスの受け取りをして検品を行った後、王妃教育を終えてアーサーとお茶をしているマリアに、今週末にドレスの試着を行うことを報せに来ていた。
マリアは楽しみだといってアーサーと顔を見合わせて微笑んでいる。アーサーはそんなマリアを愛おしそうに見つめていた。
マリアの王妃教育がはじまったのは、二週間前のこと。週に三度王宮に来て王妃教育を受けた後は、必ずアーサーとお茶をして帰るのがマリアの日課となっていた。お茶をしようと決めたのはアーサーで、二人は少しずつ打ち解けているように見える。
アーサーがマリアに好意を抱いているのはもちろん、マリアも少なからずアーサーにいい印象を抱いているようだった。このまま順調に愛を育んでいってくれたらいいのに、というのがアーサー付きの使用人達の願いである。
この日のアーサーも、いつものようにお茶が終わるとマリアをエスコートして正門まで送り、馬車が見えなくなるまで手を振り、見送りが終わると執務室へと戻って淡々と公務をこなしていた。
以前のアーサーからはなんとも信じられないくらいの献身ぶりに、ルカとオーガスタは、はじめこそ化け物でも見るような目で見ていたが、今となっては他の使用人達同様に、あたたかい目で見守っている。
二人がこのまま信頼して相思相愛の夫婦になってくれたらいいなとエリザも思っていた。
エリザは伝票を整理し終えて、六華殿へと向かうために書類を持って執務室を出ると、誰もいないのをいいことに小さくあくびをした。ここ数日睡眠時間を削っていたせいで、昼間に眠気が襲うことが度々あった。
マリアの衣装のコーディネートや髪型を考えていたら、なかなか寝付けなかったからだ。だが、執務室であくびをしようものならば、ルカに見つかってきちんと寝ろと言われるのは目に見えているから、こうして誰も見ていないところでため息を吐いたり、凝った肩をほぐしたり、あくびをして息抜きをしていた。
「なんだいエリザ。お疲れのようだね。忙しかったのかい?」
訓練所の前でアーノルドが声をかけてきた。アーノルドとこうして会うのは久しぶりのことで、この二週間は早朝の廊下でも訓練所でも姿を見ていなかった。
「アーノルド様。お久しぶりです。そういうアーノルド様も最近お見かけしませんでしたね」
「長期訓練に駆り出されていてね。西の辺境まで行っていたところさ」
「そうでしたか」
「そこでエリザにお土産を買ってきたんだ」
「お土産?」
これだよといってアーノルドがポケットから取り出して見せたのは、紐を編み込んだブレスレットだった。緑とオレンジ色で細かく編み込まれたそれは、西州の巫女が編んだ魔除けのブレスレットだという。
「これを付けていると悪いものを払ってくれるんだって。早速付けてあげよう。ブラウスの袖に隠れてしまうから目立たないし、いいだろう?」
「あ、はい。ありがとうございます」
せっかくお土産にと買ってきてくれたのだ。いらないと返す理由もないので、エリザは素直にアーノルドにブレスレットを付けてもらった。
鮮やかな緑色はノースグリンの夏の木々の新緑を思い出させた。オレンジ色はまるでアーノルドの髪の色だ。しっかりとエリザの手首に巻かれたそれをまじまじと眺めていると、アーノルドが言った。
「これを商店で見つけた時に、エリザに買って帰ろうと思いついてね。実は私も色違いのものを買ったんだ。騎士らしい情熱的な赤色と私の髪のオレンジ色だ」
と、アーノルドは左手首に付けたブレスレットを掲げて見せた。
「オレンジ色は幸運を引き寄せるらしい。これを編んだ巫女が教えてくれたんだ。エリザに幸運が訪れるように、この色に即決したよ」
幸運。エリザは気恥ずかしくも、アーノルドの気持ちが嬉しくて俯いた。友人だと言いはじめた頃は煩わしい奴だと思っていたが、アーノルドの優しさに触れる度に、元気をもらってきたのは事実だ。
今日もまた、忙しいこんな時に不意打ちでお土産をくれたものだから、胸がじんわりあたたかくなった。なんだかんだでアーノルドはいい奴なのだ。もう友人と認めてもいいような気がした。それもなんだか悔しいのだけど。
エリザは改めて礼を言った。
「アーノルド様にも幸運が訪れるといいですね。……あの、ありがとうございました」
「いいや。それじゃ、仕事中なのに引き止めて悪かったね。あまり根を詰めすぎないように」
「はい。アーノルド様もお気をつけて」
エリザが頭を下げると、アーノルドは訓練所のほうへと去っていった。エリザは六華殿のロージーの執務室へと急いだ。
六華殿で園遊会の警備体制について打ち合わせを終えたエリザは、夕暮れに染まった回廊をせかせかと歩いていた。手には倍に増えた資料を抱えていて、今日も夜更けまで仕事になりそうだと覚悟を決めていると、エリザ様!と弾んだ声で呼び止められた。
振り返ると、花栄殿のほうからエレノアが大きな衣装袋を抱えて駆け寄ってきた。
「エレノア様!大きな荷物ですが、これは?」
挨拶も忘れて思わず声をかけると、エレノアは衣装袋を手に下げてうふふと笑った。
「シャーリー殿下の新しい衣装が届いて、取りに行って来たところなんです。新進気鋭のデザイナー、ロス・リーの新作なんですよ!」
「そうですか。秋の園遊会で着るのですか?」
「ええ!淡いピンク色のコスモス柄のドレスなんですよ!」
エレノアが華やかな笑顔を浮かべて言った。エレノアが笑うだけで場の空気が和んで、エリザはつられて笑った。
「それは楽しみですわね」
「あ、そういえばルカから聞きました。エリザ様がマリア様の衣装担当になったのだとか。ドレスに関してはエリザ様に頼むのが一番だとルカが言っておりましたよ!」
「まあ。そうなんですか?少々買いかぶりすぎな気がしますが……」
「王妃殿下の衣装を担当していたのもエリザ様とお聞きしました。ルカが言うに、エリザ様はその人に見合ったドレスを選ぶのが得意なんだとか」
「それは……褒め過ぎですよ」
と、言いつつもエリザは恥ずかしくも嬉しかった。
「そんなことありませんわ!私はシャーリー殿下の衣装担当になって日が浅いのですが、私もいつかそんな風に言ってもらえるように頑張らないと!……あ、エリザ様はどんなことを気をつけて衣装を決めていますか?」
エレノアがエリザの手をとって、勢いよく聞いてきた。これだけ大きな荷物を抱えながら器用なものだと関心しつつ、勢いに押されてええと、と頭をひねる。
「……やはり、自分の好みや趣味を置いておいて、着る人に似合っているか、その場に適したものかどうか、ですかね?」
「自分の好みを置いておく……」
エレノアは目をまん丸にして繰り返した。
「ドレスを選ぶ時、どうしても自分の好みが出てしまうものなんです。着るのが自分ならまだしも、誰かのドレスを選ぶ時は、客観的に見てその人に本当に合うドレスを選ばないとなりません。その人の体型や雰囲気、似合う色や形をよく考えて、夜会や茶会等どういった催しものかによっても衣装の傾向は変わってきます」
「……む、難しいですね」
エレノアはうーんと頭をひねっている。
エリザはふとジェーンの顔を思い浮かべた。自分の好みや意見を押し付けていけば、ジェーンのようになってしまうかもしれない。他人事ではないと思った。エリザも同じ轍を踏まないとは言い切れない。
「そうですね。でも、本人がどんなドレスを着たいかもとても重要です。エレノア様は一人で悩まずにシャーリー殿下と相談して決めていけばよろしいと思います」
エリザから言えることはそれだけだったが、エレノアはそれを聞いて、明るい顔つきになって頷いた。
「私、今までシャーリー殿下に自分の好みを押し付けていたかもしれません……。だから、エリザ様の意見はとっても参考になりました!今日ここでエリザ様に会えてよかったです!本当にありがとうございます!」
ぎゅうぎゅうエリザの手を握りこんだエレノアは、今にもエリザに抱きつかんばかりの勢いだった。そこまで感謝されるようなことを言ったつもりはないのだが、喜んでもらえて何よりだ。
エリザがどういたしましてと返した時だった。
「何やってるんだエレノア」
呆れた顔をしたルカが、いつの間にかエリザの背後に立っていた。
「あらルカ。いたのね」
「いたのねじゃない。どうも帰りが遅いと思ったら、エレノアが引き止めていたのか」
「エリザ様にアドバイスをいただいていたのよ。そういうルカはわざわざエリザ様を迎えに来たの?」
「六華殿に行ったっきり帰らないからどうしたのかと思ってな」
「まあ!」
とエレノアは目をぱちくりさせてルカとエリザを見比べている。エリザは慌てて言った。
「遅くなったのは、六華殿に行く途中に友人と会って話をしていたからです。エレノア様のせいではありません」
「何にせよあんまり遅くなって心配をかけさせないでくれ」
「申し訳ありません……」
「ルカったら、口うるさいのは昔からだけど、いつからそんなに心配性になったの?」
エレノアが首を傾げて尋ねると、眉根を寄せたルカが低い声で言った。
「何だと?」
「あんまり厳しくしてるとエリザ様に嫌われちゃうわよ!」
「余計なお世話だ!」
「あらそ?ねえエリザ様。ルカが嫌になったらシャーリー殿下付きの女官に異動すればいいですからね!私がいつでも推薦しますから」
「エレノア!」
と、怒るルカを尻目に、エレノアは弾むような足取りで離れると、ぺこりとエリザに向けて腰を折った。
「ではエリザ様!貴重なアドバイスをありがとうございました!私頑張りますね!」
エレノアはスキップをする勢いで回廊を駆けて行った。その背中を見たルカは呆れたように、まったくと呟くと、エリザに行くぞと声をかけて歩き出した。
エリザが慌ててルカを追いかけると、ルカはエリザの手から資料をそっと抜き取った。その時、ふとエリザの手首に視線を止めた。
「エリザ。それ、朝から付けてたか?」
一瞬なんのことだか分からなかったが、それがブレスレットのことだと分かった。
「ああ……友人からお土産にいただいたのです。魔除けのブレスレットなんですって。これをもらっていたから遅れたのです。すみません……」
「いや、何事もなかったならいいんだ」
ほっとしたように呟いたルカは、いい色だなと言ってブレスレットを褒めた。
エリザはアーノルドにもらったブレスレットを見下ろすと、そっと触れた。
「はい。幸運を引き寄せるオレンジ色だそうです」
「そうか。いい事あるといいな」
「はい」
エリザはルカを見上げて小さく微笑んだ。ルカは一瞬目を大きく見開いた後、穏やかに微笑み返した。




