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優しい人は 1



 確かにエリザが女官になれたのは、ある意味アーサー殿下のおかげですものね。王妃殿下の侍女のままだったら出世出来なかったろうし、よかったわね。


 資料室から戻る廊下を歩くエリザの脳内では、ジェーンから吐き出された言葉がぐるぐると回っていた。

 あれほどの敵意を向けられても、何も言えなかった。怒りや悔しさなどがない混ぜになって、心の中はぐちゃぐちゃだ。


 なぜあんなことを言われなければならなかったのか。侍女達は毎日あんな浮き沈みの激しいジェーンに付き合っているのだろうか。ニーナやルイーザ達は大丈夫だろうか。

 そして、ジェーン自身も、あんな振る舞いをしていたら自らの首を絞めることになると分かってやっているのだろうか。


「エリザ!」


 考え込んでいると、廊下の先からアーノルドが弾むように駆け寄って来た。


「久しぶりだね!最近顔を見なかったからどうしてるのか心配してたんだよ!久しぶりに見る私はどうだい?かっこいいだろ?」


 きらきらとした笑顔をたたえて、アーノルドはオレンジ色の髪をかき上げてみせた。エリザはため息混じりに返した。


「……アーノルド様はお変わりなさそうですね」


「そうかい?そういうエリザは……なんだか元気がないな。どうしたんだ?」


 アーノルドはエリザの頬に手を当てて、顔を覗き込んできた。真剣な顔でまじまじと見てくるものだから、思わずアーノルドの手を振り払って背を向けた。その拍子に持っていた便箋を取り落として、床にばらまいてしまった。

 アーノルドがすかさず便箋を拾い上げる。はっとして一拍遅れてエリザもそれに習って身を屈めると、便箋を集めはじめた。


「すみません」


「エリザ……らしくないね。どうしたんだい?」


「少し疲れているだけです」


 単調な返事に、アーノルドは納得していないようだった。


「なにか悩みがあるんじゃないかい?私達は親友じゃないか。話してごらん」


「私とあなたがいつから親友になりましたか。そもそも友人になった覚えはありません」


「私はエリザを親友だと思っているし、エリザに元気がないと心配だ」


 便箋を拾い上げると、アーノルドは立ち上がって空いたほうの手を差し出した。エリザは一瞬躊躇したが、結局アーノルドの手を取って立ち上がった。


「どんな悩みがあるんだい?」


 アーノルドが優しい声音で尋ねた。

 放っておいてほしいと思いながらも、エリザは胸の内側に渦巻いている感情を吐き出したい衝動に駆られた。


 しかし、今の気持ちをどう言葉にしたらいいのか。女官長の変貌、王妃付き使用人達に対する心配と、自身のことへの不安。どれもまだ心の整理がつかないままだが、自身のことはさておき、ジェーンのことは誰かに相談したかった。

 それに、王妃のドレスのことを教えてくれたアーノルドならば、ジェーンのことも話しやすいように思えた。


 だから、エリザはアーノルドを恐る恐る見上げると、ようやく口を開いた。


「実は先程女官長に会ったんですが、最近使用人達にあたるようになったらしくて、使用人の皆から不満があがっているそうなんです」


 言ってしまったら止まらなくて、先程のジェーンとのやり取りをかいつまんで話した。アーノルドはエリザの話を聞き終えると、なるほどと言って神妙な顔つきになった。


「確かに最近の女官長は様子が変わったと、私の耳にも届いていたが……。エリザの話を聞くと、女官長はアーサー殿下のことをよく思っていないのだな」


「アーサー殿下のせいで王妃殿下が離れてしまうと思ったのかもしれません」


「あの二人は昔からべったりだったからな。王妃殿下が自立してくれるのはいいことだと思うが、そのことで女官長は自分が失墜すると思うかもな……」


「使用人の皆が心配です」


「確かにね。だけど彼らは一人じゃない。相談しあってあまりに酷いようなら王妃殿下に話がいくだろう。それよりも私は、女官長のほうが心配だな。彼女が悪い方向へいくのはよくないだろ?」


「そうですが……」


 ジェーンに忠告出来る人間など限られている。それこそキャロラインから注意すれば、キャロラインとジェーンの関係は悪くなる恐れがある。それはいいことなのか悪いことなのか、もはやエリザには分からなかった。


「エリザ。心配するのは分かるが、君はもう国王夫妻の使用人ではないんだ。あまり深入りしないほうがいい」


「ですが……」


 反論しようとしたエリザを制するように、アーノルドはゆるく首を振った。


「余計なことをして目をつけられるのはよくない。もしも女官長から嫌がらせを受けたり、何か言ってくるようなことがあれば、迷わずに周りに相談すること。アーサー殿下でもいいし、私でもいい。一人で抱え込むのはだめだよ」


 アーノルドがいつになく真剣に言うものだから、エリザは素直に頷いた。


「それにしても、女官長がそんな行動をとってると、よくない輩が湧いてきそうだな……」


「よくない輩?」


 エリザが首を傾げると、アーノルドは短く頷いた。


「火に油を注ぎたがるような連中だよ。……やっぱり、また何かあったら必ず私に言っておくれ」


 必ずだよと言って、アーノルドは念を押した。エリザがこくりと頷くと、優しくエリザの肩を叩いた。


「よし。少しだけ表情がやわらいだね。よかったよかった」


「……ご心配おかけしました」


「いいんだよ。エリザが元気でないと私も調子がでないからね。それじゃあ私は行くよ」


「話を聞いてくれてありがとうございました」


「話ならいつでも聞くよ」


 快活に笑ったアーノルドは、そっと手を離すと、ぶんぶんと手を振って去っていった。


 エリザはその背中を見送ってから、ようやく歩き出した。その足取りは、先程よりも幾分か軽くなっていた。

 アーノルドに相談してよかったと心から思った。おかげで、少しだけ気持ちの整理がついた。


「親友か……」


 親友とまではいかないが、アーノルドとは本当に友人のような関係になれるのかもしれないと、少しだけ思った。





 執務室へと帰ったエリザは、昼食の時間ということもあって、アーノルドに言われたようにジェーンのことを相談することにした。


 用意された食事を一番に口にしてから、エリザが話をすると、アーサーは険しい顔をしてそうかと小さく呟いた。ルカとオーガスタも眉根を寄せている。


「女官長のことは初耳だった。母上の耳にはまだ入っていないと思う」


「殿下達のいる前では普通を装ってるのでしょう」


「最近雰囲気が変わったなと遠目で見て思ってたけど、こっちも忙しかったから気にしてなかったわ」


 オーガスタはため息混じりに言った。


「しかし気になるな。王妃はともかくアーサーに手を出したりしないよな?」


「女官長という立場が崩れない限りは大丈夫だろう。彼女は地位を何より大切にしているし、あれくらいのことで害をなそうと思うほど恨みを買った覚えはない」


「ですが、王妃殿下の関心がなくなればどうなるか……」


 不安げにエリザが言うと、アーサーが長いため息を吐いた。


「私が真正面から意見してしまったからな。もう少しうまくやればよかった」


「それを言っても仕方ないわ。とにかく今はただ静観するしかないわ」


「そうだな……エリザ。首を突っ込むなよ」


 ルカが厳しい口調で言った。


「変に接触してまた利用されるようなことがあったらたまったものじゃない。何かあればすぐに言うんだ」


 アーノルドと同じことを言ったルカの目は、エリザを本気で心配してくれているようだった。


「分かりました」


 エリザがこくりと頷くと、ルカもまた頷き返した。


「念のために、今日から仕事が終わって帰る時は一緒に帰ろう」


「まだ何かされたわけではないので、そこまでしなくても大丈夫です」


「いいや。だめだ。朝はともかく夜は人通りが少ないからな。危険だ」


「ですが……」


「これは決定事項だ」


 ルカが全然引かないので渋々エリザが了承すると、ルカは満足げに頷いた。


「どうせほとんど毎日一緒に帰ってるじゃないの。あ、今日は私は調査に出るからいないけどね」


「そういうことなら、エリザを待たせないように早めに仕事を終わらせろよ」


「毎日膨大な量の仕事を回すアーサーに言われたくないな」


 むっとしてルカが言い返すと、アーサーは鼻で笑った。


「頼りにしてる証拠だろ」


 呆れたルカからは言葉が出てこないようで、もういいと言ったっきり首を振った。エリザはそんなやり取りを見て、くすりと笑いが溢れた。

 それを見た一同が、目を見開いて一斉にエリザを見やる。驚いたエリザが目をぱちくりさせていると、オーガスタがほっとしたように言った。


「ああよかった……。なんだか元気がないからどうしたのかと心配だったのよ」


「女官長のことを話したらほっとしたんだろ?」


「一人で抱え込むのはよくないぞ」


 次々言われて、エリザはなんと答えていいか分からなくて困ってしまった。

 まさか三人にまで心配されていたとは思わず、なんだか恥ずかしくなって俯いた。そして、そのまま謝罪した。


「ご心配おかけしました。すみません……」


 元気がなかったのはジェーンのことは関係がなかったのだが、この際全てジェーンのせいにしてしまおう。胸に空いた穴を隠して頭を下げたエリザに、オーガスタがいいのよと柔らかく言った。


「私達同じ職場の同僚なんだから、悩みごとがあればいつでも相談してね」


「ありがとうございます」


 小さく微笑めば、皆が安堵して微笑み返してくれる。エリザはここに異動してきたことに感謝した。仕事は大変だけど、助けてくれる人がこんなにもいる。


 胸が熱くなった。ぎゅっとまぶたを閉じて、涙を飲み込んだ。こんなところで泣いたら、それこそ溜め込んだもの全てを吐き出してしまいそうだ。そんなみっともない姿を晒すわけにはいかない。

 気を引き締めて目を開けると、ルカが手を叩いて言った。


「さあ。まだ昼食は終わってないぞ」


 それを相槌に昼食が再開された。ほっとして顔を上げると、ルカがこちらを伺うように見ていた。


「エリザ。きちんと全部食べろよ」


「分かりました」


「デザートもな」


「はい」


「本当に過保護ね」


「うるさいな」


 四人で過ごすこんな時間が幸せだと思う。しかし、この先のことを考えるとどうしようもなく不安で、押しつぶされそうになる。


 安心したり、不安になったり。もしかしたら、ジェーンもこんな気持ちで浮いたり沈んだりしているのかもしれない。誰かにあたらずにはいられない程の不安と虚しさを抱えて。



 

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