覚悟 1
アーサーの婚約者候補が三名に絞り込まれた後、国王イーモンとの連日の話し合いの結果、婚約者に選ばれたのは、やはりマリア・ティントであった。
しかし、マリアが婚約の話しにのるかどうかは、ティント辺境伯次第である。娘を溺愛する辺境伯に婚約を蹴られたらそこで終いだ。
それでも茶会の招待状を送ると、すぐに親子揃って参加すると返事があった。こうなったら失敗は許されないため、使用人達は気合を入れて茶会の準備に取りかかった。
そして茶会当日。今回の茶会にはティント辺境伯親子が揃って参加するため、国王夫妻も出席することとなった。
この日のために用意されたお茶菓子は、葡萄のゼリーに、いちじくのタルト、桃のムース、紅茶クッキーと、チョコレート。
茶葉の種類は香りの強いものと癖のないものを用意して、選べるようにしてある。準備は完璧だった。
「順調にいくといいんですが」
「断られたら傑作だよな」
「ルカ様……!」
「そんなことになったら、いっそのこと敵国ヘリオドールから第三王女辺りを嫁にもらえばいいわよ。両国仲良くなっていいんじゃない?」
「オーガスタ様も!」
エリザがたしなめると、二人はにやりとほくそ笑んだ。呆れたエリザは二人を置いてサロンを出ると、お出迎えのために水明殿一階の回廊へと降りていった。
廊下にはユーリや他の女官達が待機していた。皆新品の制服を着てきっちりと身支度を整えていて、見るからに気合が入っている。これには理由があった。
アーサーがマリアに好意を抱いて婚約者に据えたがっている。マリアに婚約者になってもらうには、今日の茶会でマリアの心を掴むしかない。と、使用人達はオーガスタから聞かされていたのだ。
アーサーが若い女性に対して苦手意識があることは周知されている。そんなアーサーがマリアに恋をしたと思い込んだ使用人達の気合の入りようは凄まじかった。
なんとしてでもアーサーの恋を成就させてやろうと、燃えていたのだ。
おかげでサロンはピカピカで、若い娘が好きそうな色とりどりの生花で溢れている。帰り際に渡す花束やお菓子もしっかりと用意してあり、水明殿のあちこちに使用人が控えていた。
「サロンは大丈夫ね?何も問題はない?」
「はい。大丈夫です」
「そろそろ時間ですから、来たらエリザも一緒に案内してちょうだいね。私達はアーサー殿下を呼びに行ってくるから。今日の衣装は気合が入っているのよ」
ユーリは目をギラつかせて言った。エリザは軽く引いたが、幼少からアーサー付きの女官として働いているのだから、気合が入るのは当然といえた。
分かりましたと答えてしばしそこで待機していると、アーサー付きの執事であるバートンが、ティント辺境伯親子を連れてやって来た。使用人一同が一斉に頭を下げて出迎える。エリザも一礼して前に出ると、頭を下げた。
「ようこそお越しくださいました。サロンまでご案内致します。どうぞこちらへ」
「エリザ・ハーディス嬢……?」
エリザに驚きの声がかけられて頭を上げると、辺境伯のエリック・ティントは、強面に似合わない穏やかな笑みを浮かべてエリザを見下ろしていた。
「やはり!驚いたな。女官に昇進したのだね」
「私のことを覚えてくださっていたのですね」
「忘れるはずがないよ。デヴィッドは元気かい?」
「はい。親子共々元気にやっております」
「それはよかった」
「ティント辺境伯もお元気そうで何よりです。本日はお暑い中皆様に来ていただいて、アーサー殿下をはじめ、使用人一同も大変喜んでおります」
そうかいと微笑んだエリックの顔は複雑そうだった。エリザは、エリックのやや後ろを歩く母と子をそれとなく観察した。
夫人のジャミーラ・ティントは、背の高いすらりとした美女だった。
茶斑の髪に金髪の混じった珍しい髪を緩く束ねて、シンプルなワインレッドのドレスを着ている。大ぶりのイヤリングと揃いのパールのネックレスは、ジャミーラによく似合っていた。
ジャミーラは派手なドレスも似合いそうな、目鼻立ちのはっきりとした顔立ちをしている。思わず見惚れていると、エリザの視線に気づいたジャミーラは、にこりと微笑みを返してくれた。
「主人から話は伺っておりますわ。ハーディス子爵には騎士団に所属している間に大変お世話になったとか。一度私も会ってみたいと思っていましたの。今度うちにお二人で遊びに来てくださいね。社交シーズンの間は王都に滞在しておりますから」
エリザは実を言うと、デヴィッドとエリックが同僚だったということしか知らないのだが、エリザが思っていたよりも二人の仲は良かったようだ。
うふふと微笑む夫人に礼を言うと、その隣でマリアも微笑んでいた。
マリアは夏らしい水色のドレスを着ていた。全体に蔓の柄の刺繍が入り、襟や袖、リボンタイには細かな縁取りがしてある。シンプルに見えてかなり凝ったドレスだ。
こうして母子並んでみるとよく分かるが、マリアは完全に母親似だった。優しげな笑顔はそっくりだ。母親に似て本当によかったと、恐らくここにいる使用人全員が思ったことだろう。
水明殿のサロンにやって来ると、扉の前ではルカとオーガスタが待ち受けていた。二人はティント辺境伯親子に頭を下げると、中へ入るように促した。
「こちらで少々お待ちくださいませ」
ルカが出ていくと、エリザは一同に嫌いなものがないか聞いてから、紅茶の種類を選んでもらった。ジャミーラとマリアはその間、夏の生花で飾られたサロンを見渡して、素敵ねと微笑みあっていた。
執事がお茶の用意をしに出て行くと、エリックがすかさずエリザに問いかける。
「エリザ嬢はアーサー殿下付きの女官なのかい?」
「はいそうです」
「アーサー殿下はどんな方だい?」
「あらやだ、あなた。気が早いわよ」
「だがね……」
と、言葉を濁すエリックから、娘が心配で仕方が無い父親の様子が見て取れて、エリザはついつい笑ってしまいそうになった。
今のエリックはまるで、エリザがリスターと結婚すると言い出した時のデヴィッドのようだ。おろおろして動揺を顕にしている父親そのもの。反対にマリアは、エリックを呆れた目で見ていた。
「お父様。そういったことはご自分の目で確かめてはいかがですか?他者の評価や噂に流されて自分の判断を誤るなと、いつもおっしゃっているではありませんか」
「そうだが……この茶会に呼ばれた理由はだな……」
「そんなものマリアも私も承知でここに来ているじゃありませんか。まさか今更怖気づいたのですか?」
いや、その、とエリックはまごついている。これがあの屈強な辺境伯だとは思えずに、エリザはくすりと笑ってしまった。
「ティント辺境伯。アーサー殿下はしっかりしたお方ですよ。よくお話をされてみてください」
「そ、そうか……そうだな」
この中で一番緊張をしているのは、エリックのようだった。ジャミーラとマリアは落ち着いたもので、国王夫妻とアーサーが来るまで、きゃっきゃとはしゃいでいたが、エリックは一言も話さなくなっていた。
それからしばらくして国王夫妻とアーサーがやって来ると、威厳を取り戻したエリックは、深々と頭を下げて挨拶した。そして、アーサーを威嚇するように見下ろしたが、アーサーはなんてことないように微笑みを返す。
その隣でキャロラインは心配そうにしていて、イーモンやジャミーラ、マリアはただ静観していた。
サロン内に妙な緊張が走る中、エリザは紅茶を運ぶのを手伝った。
そして茶菓子を運び込む頃になると、両家は挨拶を終えて、西州の現状について話しはじめた。それが終わるといよいよマリアとアーサーの話に移った。そこで、エリザはサロンを出た。
廊下にはルカとオーガスタが控えていた。エリザもそこに並ぶと、ルカがぽつりと言った。
「さて、どうなるかな……」
「そうねぇ。辺境伯次第よね」
「それにしても、マリア嬢も夫人もとても落着いておりました」
「西州出身だから、肝が座ってるんだろうな」
「王妃の素質はあると思うのよ」
「素質があっても断られる可能性があるからな」
「マリア嬢が断ったら、最終候補のうちのどちらかに話が回るだけよ」
そんな会話をだらだらしていると、唐突にサロンの扉が開かれて、そこからアーサーとマリアが出て来た。
「今からマリア嬢に庭園を案内しに行ってくる」
「かしこまりました」
バートンが目配せをしてきたので、エリザとルカが付いていくことになった。
アーサーはマリアをエスコートして薔薇園へと向かった。その後を護衛騎士が付いていき、更にその後ろをエリザとルカが並んで歩いた。
薔薇園に出ると、アーサーはマリアに日傘を差してやりながら、庭の一角へと案内した。そこには夏だというのに、一重の小さな白薔薇が咲き乱れている。
この早咲きの薔薇は庭師が丹精込めて育てたものなんだ。と、聞こえない二人の会話を想像しながら、エリザは遠目で二人を観察した。
やがて二人は木の近くに置かれた長椅子に腰かけると、会話をはじめた。エリザのいるところまで内容は聞こえないが、アーサーは緊張した様子もなくマリアもリラックスしているようで、時折二人は顔を見合わせて笑っている。いい雰囲気のように見えた。
「殿下は大丈夫でしょうか?」
「どうだかな。潔癖症はまだ発動してないようだし、マリア嬢もほどよい距離を保っているから、アーサーもやりやすいみたいだな。案外お似合いかもな」
「後は辺境伯とお二人のお気持ち次第ですかね」
「そうだな」
しばらく会話をした後、アーサーが立ち上がって手を差し出すと、その手をマリアが取った。
二人が手を取り合う姿は、まるで一枚の絵画のように美しくてお似合いで、エリザはほうっと息を吐き出した。
「見てくれだけならお似合いの二人だな」
「……ルカ様」
咎めると、にやと笑ったルカは、アーサーの後を追って歩き出した。
「これで心も通じあえたら万々歳なんだがな。マリア嬢はともかくアーサーは気難しいからな」
本当にそのとおりだと思いながら、エリザはルカの背中を追いかけた。
その後無事に茶会は終わり、エリザはメイドと一緒にサロンの後片付けをした後、執務室へと戻った。すると、すでに皆揃っていた。
アーサーはエリザが来るなり言った。
「エリザも来たことだし、今日の報告をする。結論から言うと、ティント辺境伯の返事は保留だ」
「なんだ」
「保留か……」
「しかし、マリア嬢に直接王家に嫁ぐ気はないか打診してみたところ、父が許すならばあると返答を頂いた」
えっと一同が驚きの声を上げると、アーサーは淡々と言う。
「元々私と年齢が近いこともあって、王家から縁談が来ることは想定していたそうだ。エリザの報告の通り、マリア嬢は聡明だ。王家としてはマリア嬢に正式な婚約者になってほしいことを伝えた」
「でも、辺境伯が首を縦に振るかな?」
「それは辺境伯次第だ。そのうち結論が出る。それまでは通常業務のみとなる」
それを聞いて、オーガスタとルカは喜びを隠しきれずに笑顔になった。
この二週間、業務の大半を婚約者の選定と茶会の準備に費やしてきた。婚約者候補の情報の整理はもうしなくてすむと思うと、エリザもほっとした。とはいえ、それもマリアが婚約者に正式に決定したらの話だ。ここで断られたら、また一からやり直しだ。
「よいお返事をいただけるといいですね」
そうだなと返事をしたアーサーの顔は少し不安げで、こんな顔を見るのは初めてだった。
もしかしたらアーサーは、本当にマリアを気に入っているのかもしれない。だとしたら、縁談がうまくいけばいいのだが。今エリザにしてやれることは何もない。ただうまくいくようにと、見守ることしか出来なかった。




