覚悟 2
茶会から一週間は静かだった。婚約者選定業務がなくなったために、政務の手伝いだけとなった側近達は、夕方のうちに仕事を終えることが出来た。その間にオーガスタとルカは交代で二日間の休暇を取ることも出来た。
そして一週間後。
執務室で仕事をしていると、ティント辺境伯がマリアを連れてやって来たと報せが入った。
アーサーは謁見室へと急いだ。執事や女官達が慌ただしくアーサーを追いかけていく。執務室に取り残されたエリザ達は、そわそわとアーサーの帰りを待った。
それから一時間後。
執務室へと帰ってきたアーサーから、マリアが正式に婚約者に決まったことが告げられた。
それからは、アーサーとマリアの婚約はとんとん拍子に進んでいった。
辺境伯家と王家の面談が再度行われ、貴族達への通達と説得、マリアの王妃教育の日程決め、マリアの護衛の選定、婚約を正式に発表する時期について等。仕事は再び山積みになった。
それと比例して問題も出てくると思っていたのだが、マリアとアーサーが婚約を結ぶことになったと貴族間に報せを送ると、意外なことに中央貴族はマリアを歓迎した。
というのも、以前の婚約者候補バレット公、ホーン侯爵、ケント侯爵は娘と違って皆まともで、娘が次期王妃になるのは無理があると考えていたようだ。そこにマリアを婚約者に正式に据えることが発表され、彼らはすぐに賛同してくれて他の貴族も後に続いたのだ。
また、西州の貴族達もティント辺境伯が説明して回ってくれたおかげで、当初危惧していたよりもスムーズに婚約を受け入れてくれた。マリアの婚約者候補だった子息達には、王家から相応の令嬢達を紹介することを約束したのも大きかった。
こうしてアーサーとマリアの婚約は整った。
「婚約者が決まるまでにあれだけ時間がかかっておいて、決まったらこれだもんね」
「良かったなアーサー。誕生日までに婚約者が決まって」
オーガスタとルカに言われて、アーサーはそうだなと気のない返事をすると、ぼんやりとした顔をして執務室を出て行ってしまった。
「あらやだ。マリッジブルー?」
「結婚は成人してからだろ」
「……少し出てきます」
エリザは心配になってアーサーの後を追った。アーサーを探して回廊をウロウロしていると、薔薇園でアーサーの姿を見つけた。エリザは薔薇園に出ると、ぼんやりと早咲きの白薔薇を眺めていたアーサーを捕まえた。
「殿下。どうなさいましたか?」
「エリザ……」
アーサーはエリザを見るなり、何か言いかけて口をつぐんだ。エリザもなんと話しかけていいか分からず、二人はしばらく何も言わずに薔薇を眺めていた。
晩夏の日の下、立っているだけで汗が出てくる。エリザは真っ青な空を見上げて目を細めた。こんなに空は晴れているのに、アーサーの気持ちは曇っている。アーサーが憂鬱な顔をさせている理由は何なのだろう。
「……婚約が整っても、殿下のお気持ちは整いませんか?」
「なぜ……そう思う?」
「目まぐるしい速度で決まった婚約ですから。殿下のお気持ちが置き去りになっているのではと思ったのですが、違いましたか?」
「……それは確かにあるが、嫌だと駄々をこねるようなことではない。政略結婚だからな。そこに不満があるわけではない」
「では……?」
アーサーは考え込むように俯いた。しばしの沈黙の後、顔を上げたアーサーはエリザを見据えて言った。
「エリザも聞いただろ?私が以前毒を盛られたことがあると」
「はい」
「実行犯は私の侍女だったんだ。真面目で明るくて、どんな相談にも乗ってくれる優しい人だった。私はとても信頼していて、本当の姉のように慕っていた。……それなのに、裏切られた。毒を盛られてから一週間寝込んで、やっと回復した頃には彼女はいなくなっていた。父親の命令に逆らえなかったのだろうと皆が言ったが、私は彼女の口から弁明を聞きたかった……」
アーサーの膝の上に乗せた手が、強く握りこんだせいで白くなっている。奥歯を噛み締めて言葉を飲み込んだ後、喉の奥から疑問を吐き出した。
「彼女はなぜ毒を盛ったのか?はじめから私を殺害するつもりで侍女になったのか?それとも突然父親から命令されて、仕方なく実行したのか?私に優しくしてくれたのは全部嘘だったのか?……楽しい思い出も全て嘘だったというのか?」
何も分からないままだとアーサーは続けた。
「それから私は侍女を信用出来なくなった。言い寄ってくる令嬢達も、父親の命令で私に近づいてまた暗殺しようとしているのかもしれないと思うと、ダメだった……」
はっとため息を吐いて、アーサーは疲れたように長椅子に腰掛けた。そして、情けないよなとポツリと呟いた。
エリザは愕然として何も言えなかった。
アーサーは何年経っても毒殺事件から立ち直れていなかったのだ。疑心暗鬼に陥り女性を信用出来なくなって、今も尚実行犯の侍女に、なぜ?と問い続けている。
アーサーがこれ程深刻に悩んでいたなんて、考えもしなかった。アーサーは常にエリザとは一定の距離をとっていた。必要なこと以外は話をせず、仕事以外の会話はほとんどない。
それでもエリザは、アーサー付きの女官だ。それなのに主人のことを知ろうとせず、ただ同じ執務室で与えられた仕事をこなしているだけ。
王室崇拝とは無縁の女。それを恥ずかしいと思ったことはない。しっかり仕事をこなしてさえいれば、それでいいと思っていた。それは今でも変わらない。
しかし、アーサーはエリザの主人なのだ。このまま何も知らないままでいいのか?
主人が傷ついて悩んでいても、関係ないと仕事だけしていればいいのか?
エリザが自問自答していると、アーサーが困ったように微笑んだ。
「エリザを疑っていたのもそのせいだ。私は傍に若い女性を置きたくなかったんだ。どうしても信じることが出来ないから。だが、エリザはよく頑張ってくれている。その姿を見ていれば、信用に値するのは嫌でも分かる。それでも、私は疑うことをやめられないんだ……。それはエリザに対して悪いと思ってる」
エリザは一瞬泣きたい衝動に駆られた。アーサーがそんな風にエリザを見てくれていたのが嬉しくて、それなのにエリザはアーサーのことをきちんと見ていなかったことが、恥ずかしくなった。
エリザは必死に首を横に振った。
「……いえ。私のことはいいのです。殿下が気にする必要はありません。私こそ、殿下の気持ちを何も分かっておりませんでした。そんな自分が恥ずかしいです……」
アーサーはエリザを労るように微笑んだ。
「……そう言ってくれるか。……実はマリア嬢にも、この庭園を案内した時に、同じ話をしたんだ。私は結婚しても、あなたを疑い続けるかもしれないと。それでもいいのならば、私の元に嫁いでほしいとお願いした」
「マリア様はなんと?」
「彼女はなんてことのないように、もちろんですと笑顔で答えた」
私は殿下に信用してもらえるように、自分を変えるつもりはありません。今までどおり自分らしくあり続けながら、王妃として相応しいと言ってもらえるように努力していくつもりです。その過程で殿下が私を信用してくださるならば、幸いですわ。
それに、私は元々王妃になる可能性もあると考えておりましたので、この縁談は降って湧いたものでもないのです。父は動揺を顕にしておりますが、母も私もすでに覚悟は出来ております。
王家が望んでくださるのならば、私はあなたの妻となり、ゆくゆくは王妃として国のために努めていく所存です。もちろん、アーサー殿下を生涯支えていくつもりです。
「それを聞いて、とんでもない令嬢だと思ったよ。私よりも確固たる覚悟を持っている。これ以上にないくらい王妃に相応しいとね……」
「それじゃあ何がそんなに殿下を気鬱にさせているのですか?」
アーサーは緩く首を振った。
「ただ、戸惑ってるんだよ。こんな気持ちになったのは、初めてだから……」
アーサーの耳が赤いことに気づいたエリザは、はっとして口元を覆った。アーサーは、エリザの視線から逃れるように立ち上がると、ぷいと背を向けた。それきり何も言わないので、エリザは思い切って口を開いた。
「政略結婚で相手を好きになれることは幸福だと思います」
「だが、相手も同じ気持ちであるとは限らない。……いっそのこと政略結婚だからと割り切れたほうが楽だったのかもしれない」
アーサーは、政略結婚の相手であるマリアを好きになったのだ。だからこそ、一方通行の気持ちを持て余して、苦しんでいたのか。
エリザはアーサーが結婚を憂いている理由が分かって、少し安堵した。王子らしい悩みに、エリザは小さく微笑んだ。まるでルカを想う自分を見ているようで、応援したいと思った。
「殿下。まだマリア様との関係ははじまったばかりです。婚約して、結婚して、夫婦となって国を築いていく。マリア様が言ったように殿下もまた、その過程でマリア様に好きになってもらえるように努力していけばいいのではありませんか?まだまだ道のりは長いのです。焦らずにゆっくりと進んでいけばいいではありませんか」
「……簡単に言うな」
アーサーは拗ねたように言った。
確かに、毒殺事件の傷が癒えていないアーサーにとって、好きな相手を信用出来ないかもしれないというのは深い悩みだろう。それでも、アーサーは好いた人と結婚出来るのだ。
エリザはアーサーを羨ましく思った。そして、あのアーサーでさえ恋をして不安になって悩んで、恥ずかしがったりするのだと思うと親近感を覚えた。
「憂う必要等ありません。アーサー殿下ならばきっと大丈夫です。ゆっくり歩み寄っていけばいいのですよ」
励ますように声をかけると、アーサーはちらとエリザを見やって、無言で顎を引いた。
今のアーサーならば、いずれマリアのことも信用出来るようになる。そうなってほしいと、エリザは願った。
「さ、皆様が心配しております。戻りましょう。それに、一人で出歩くのはよくありませんよ」
「それなら影が常に付いているから大丈夫だ」
影?他に誰かいる?
エリザが辺りをキョロキョロしていると、アーサーは可笑しそうに笑った。
「そんなことにも気づいていなかったのか。前々から思っていたが、エリザは鈍臭いな」
痛いところをつかれたエリザは、ぐっと唇を引き結んだ。図星なだけに何も言い返せない。
アーサーはくつくつと笑った。その顔から憂いが消えていたので、なんだかほっとしたのもあってエリザもついつられて笑ってしまった。
「行くか」
「はい」
アーサーの後について歩き出すと、アーサーが前を向いたまま言った。
「……ありがとう。エリザ」
後ろから見たアーサーの耳が赤かった。アーサーの役に少しでも立てたのならば、これ以上にない喜びだ。
はいと答えたエリザは、嬉しさを噛み締めながら執務室へと戻った。




