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ねじ巻き世界の少年ロスカ ―機人が生きる学園都市の物語―  作者: 水雲


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32/32

三学期の歯車、遠い雷鳴

 降り積もった雪が、中械校の武骨な鉄の装甲を白く覆い隠していた。


 二学期のあの凄惨な地下の戦いは、表向きには教頭の病気療養と、地下パイプの破裂事故として処理された。しかし、学園を流れる空気は、どこか変わってしまった。見えない亀裂を塞ぐように、冬の静寂が校舎を包み込んでいる。


 だが、その静寂を真っ向から否定するように、ねじ巻きクラブの部室からは小気味よい金属音と、それ以上に鋭い怒声が響いていた。


「……ちょっと、ギア! そのネジ、サイズが違うって何度言ったらわかるの? 幼馴染だからって甘えは許さないわよ、ここは部室なんだから!」


 ピニオンが、手に持ったクリップボードをパチンと鳴らす。 部室の光景は、冬休みを境に劇的に変わっていた。二学期の終わりに部長のスパナから強引とも言える勧誘を受けたピニオンは、年明けとともに当然のような顔で『副部長』の座に居座っていた。


「あんたたちが馬鹿なことして退学にでもなったら、風紀委員の、ひいては幼馴染の私の経歴に傷がつくわ」


 それが彼女の掲げる大義名分だったが、その実、彼女が真っ先に行なったのは混沌としていた部室の徹底的な整理整頓だった。


 以前はジャンクパーツが地層のように積み重なっていた床は、今やチリ一つないほどに磨き上げられ、工具はサイズごとに壁の専用ボードへ整然と並べられている。ピニオンの手によって、部室は『ガレージ』から『研究所』へと昇華されていた。


「わわっ、ごめんピニオン! でもさ、やっぱりお前が仕切ると引き締まるなあ。探し物がすぐ見つかるって最高だよ」


 ギアが頭を掻きながら苦笑いを浮かべる。彼はねじ巻きクラブの部員ではない。にもかかわらず、もはや備品の一部であるかのように毎日この場所に足を運んでいた。ピニオンからは当然のように清掃や運搬の雑用を命じられ、文字通り『こき使われて』いたが、ギアの表情には嫌がる素振りは微塵もない。彼にとっては幼い頃から聞き慣れた信頼の証のようなものであり、その表情にはどこか満足げな安心感が漂っていた。


「感心してないで手を動かす! ロスカ、あなたもよ。センサーの感度設定を勝手に弄らない。後で私が全部チェックし直すんだから」


「あはは……。ごめん、ピニオン。でも、すごく助かってるよ」


 ロスカは作業机に向かいながら、穏やかに微笑んだ。ピニオンという『正論』が加わったことで、自分たちの技術がより確かな形になっていくのを肌で感じていた。


 ・

 ・

 ・


 そんなにぎやかな中心部から少し離れた、青白いディスプレイの光が漏れるデスク。そこでは、一年機のテツが感情を排した瞳を画面に向けていた。


「……ピニオンさん。もう少し静かにしてくれませんか。データの同期にノイズが混じる。……非効率だ」


 テツが淡々と、しかし拒絶の色を含んだ声で進言する。ピニオンは一瞬、眉を吊り上げたが、相手が後輩であり、かつぐうの音も出ない正論を述べていることを理解すると、咳払いを一つした。


「あ、ごめんなさいテツ。……ほらギア! テツの邪魔になってるわよ、少しは声を抑えなさい!」


「えっ、俺だけ!? お前もロスカも喋ってたじゃんかよ!」


 不条理な扱いにギアが抗議するが、ピニオンはそれを無視して次のチェック項目へと目を移す。テツはそれ以上何も言わず、再び無機質な指さばきでキーを叩き始めた。彼はこのクラブの脳として、学園内外の情報を精査し、ロスカたちが持ち帰るデータの整合性を保つ役割を淡々とこなしていた。


 ギアは、テキパキと指示を出すピニオンの横顔を盗み見て、少しだけ排熱ファンを回した。


「……なあロスカ。ピニオンのやつ、副部長になった途端に拍車がかかってるけどさ。こうして3人で部室にいると、昔のガレージ遊びを思い出すよな。なんだかんだ、あいつが仕切ってくれないと始まらないっていうかさ」


「そうだね。スパナさんが彼女を誘った理由、今ならわかる気がするよ」


 ロスカの言葉に、ギアも深くうなずく。かつて三人で泥だらけになってネジを回していた頃。いつも最後に片付けを命じ、計画を立て直していたのはピニオンだった。場所が学園に変わっても、その本質は変わらない。


「……ま、なんだ。あいつも、ああやって張り切ってる時が一番、なんていうか……」


 ギアは言いかけて言葉を濁し、指示を飛ばすピニオンの横顔をぼうっと見つめた。西日に照らされた彼女の髪や、真剣に歪められた唇を無防備に目で追っては、自分の排熱ファンが少しずつ高鳴っていくのを自覚していないようだった。その視線があまりに真っ直ぐで、そして甘いことに気づいたロスカが、苦笑いを浮かべて口を挟む。


「……進歩ないなあ、ギアは」


「うるせーよ! 観察だよ、観察!」


 足元では、猫のブチョーが「ナーン」とあくびをしながら、ギアのズボンの裾で爪を研いでいた。  その様子を、部長のスパナがパイプ椅子に深く腰掛け、ブチョーの喉を指先で撫でながら眺めていた。


「……フン、賑やかなことだ。だが、こいつ(ギア)の持ってくるパーツは、ブチョーも気に入ったらしい。ピニオンの管理が行き届いている、三学期中にボルトの脚部も完成しそうだな」


 スパナが低く笑うと、修理台の上で調整中だったボルトが「ガシュン」と重厚な駆動音で同意を示した。ピニオンは二人には厳しいが、ブチョーが自分のノートPCの上に乗った時だけは、困ったように眉を下げてその柔らかな毛を撫でる。そんな穏やかな、嵐の後のなぎのような時間が流れていた。


 ・

 ・

 ・


「……。これなら、俺がいなくなった後もこのクラブは安泰だな」


 スパナが何気なくこぼしたその一言が、部室のすべての歯車を止めた。 金属同士が擦れる音、キーボードを叩く音、ギアの笑い声。そのすべてが、真空に吸い込まれたかのように消え去った。 ロスカが、手に持っていた精密ドライバーを止めて顔を上げる。


「……えっ? スパナさん、今、なんて?」


 スパナはブチョーの頭を撫でる手を止めず、不思議そうに眉を寄せた。


「あ? だから、俺がいなくなった後の話だよ。もう一月だぜ。三月になりゃ、俺は卒業だ。この学園の本科は三年制だからな」


 静寂。  それは肥大した教頭の疑似筋肉よりも重く、部員たちの心に圧し掛かった。 部室の隅では、古びた換気扇だけが「カラカラ……」と、場違いに乾いた音を立てて回り続けている。ギアは中腰のまま石像のように固まり、ピニオンの掲げた記録簿が、幽霊にでも触れられたかのように小刻みに震えた。


「……卒業?」


 ロスカが、意味を確認するように繰り返した。


「卒業って……誰が、ですか?」


「誰がって、俺だよ」


 スパナが自分の胸を指差す。


「いや、スパナは……違うわよ。 ええと、部長で……」


 ピニオンが、計算が合わないと言いたげに指を折る。


「……三年機。あ、そうか。本科は三年……。って、ことは、三月で、終わり?」


 数秒のタイムラグを経て、部員たちの脳内でようやく『スパナ=三年機=卒業』という等式が完成した。


「「「えええええええーーーーーっ!!!」」」


 部室の窓がガタつくほどの絶叫が重なった。


「卒業!? そうか、卒業かよ!! 全然意識してなかった! っていうか、スパナさんが卒業とか、そんな概念あったのかよ!?」


 ギアが椅子を蹴り飛ばさんばかりの勢いで身を乗り出す。


「ちょ、ちょっと待って! 卒業ってことは、あと二ヶ月くらいであんた、いなくなっちゃうってこと!? この部室から!?」


 ピニオンも、先ほどまでの冷静さはどこへやら、記録簿をひっくり返して詰め寄った。


「何を驚いてんだ、お前ら。当たり前のことだろ」


 あまりの動揺ぶりに、スパナは「おいおい」と苦笑いして肩をすくめた。


「進路だって決まってる。外界の調査を行う『技術探査公社』の研修生枠だ。卒業式の翌日には、学園を出て本部の施設に入る予定だぜ」


「け、研修生!? でもスパナさん、まだ中機校を卒業するだけですよね? 普通はそのまま高等課程に進むんじゃないんですか? 研修生とはいえ、働くなんて……早すぎるんじゃ……」


 ロスカの戸惑いは、この場にいる全員の思いを代弁していた。この世界において、中械校とは義務教育の最終課程。そこから専門的な学術院、さらには最高機関である工務府と長い年月を経て、ようやく外界への切符を手にできるのが一般的なエリートの歩む道だ。中械校の卒業と同時に調査組織の門を叩くなど、前代未聞であった。


 だが、スパナは面倒くさそうに頭を掻き、窓の外の雪を見据えた。


「飛び級だよ。この世界の教育課程なんて、その気になりゃ数年で終わる。俺は工務府相当までの履修は去年のうちに全部終わらせたぜ。義務教育期間だから、仕方なく籍を置いてただけだ。だから卒業と同時に、実地に出る権利を貰ったんだよ」


 部室に、再び沈黙が落ちる。 一年機のテツが、初めてディスプレイから完全に目を離し、スパナを直視した。


「……スパナ部長の学業成績は、アーカイブでも特級クラスの閲覧制限がかかっています。卒業と同時に公社の研修生枠を勝ち取るのも、論理的な帰結……ではありますが。やはり、驚きを禁じ得ませんね」


 テツの言葉に、ようやく一同は『部長・スパナ』が、自分たちとは全く違う高みにいた天才であったことを再認識した。彼はただの豪快な先輩ではなく、この停滞した世界を先駆けて歩む、本物の技術者エンジニアだったのだ。


「なんだよ、湿っぽい顔すんな。お前らだって順当に行きゃ、あと数年で外界調査の許可が出るだろ?」


 スパナは不敵に笑い、修理台の上で静かに沈黙するボルトの装甲をポンと叩いた。


「……数年、ですか」


 ロスカは、自分たちの手元にある未完成の回路図を見つめた。スパナにとっては『たった数年』かもしれない。だが、高械学術院、そして大械工務府という高い階段を一つずつ登らなければならない自分たちにとって、外界への切符はまだ、霧の向こうにある遠い蜃気楼のようなものだった。今の自分たちには、目の前のネジを回し、この部室を守っていくことだけで精一杯なのだ。


「先に行って、面白いジャンクの山でも見つけておいてやるよ。お前らが来る頃には、俺が現場を仕切ってるかもしれねえからな」


 ・

 ・

 ・


 学園の重厚な門をくぐり、街灯が雪道に長い影を落とす中を、ロスカは一人で家路を歩いていた。


 部室でスパナが語った『卒業』という言葉が、溶けない雪の塊のように胸の奥に居座っている。慣れ親しんだ賑やかな放課後が、もうすぐ終わってしまう。その予感が、ロスカの歩調を重くさせていた。


 ふいに、少し先を歩く一人の背中が目に入った。 街灯の柔らかな光に縁取られた、見覚えのある銀髪。防寒具に身を包み、ゆっくりと雪を踏みしめて歩くその姿は、どこかはかなげで、けれど凛としていた。


「……コハクさん!」


 ロスカは思わず声を上げ、彼女のもとへ駆け寄った。 雪を蹴る音に気づき、コハクが足を止めて振り返る。サファイアとエメラルドの瞳が、驚きに少しだけ大きく見開かれた。


「ロスカさん……? まだ部室にいるのかと思っていました」


 追いついたロスカは、少し肩で息をしながら彼女の隣に並んだ。白いため息が、冬の夜空に溶けていく。


「あはは、ちょっとね。……コハクさんも今帰りだったんだね」


「はい。今日は少し、考え事をしていて……」


 並んで歩き出すと、二人の間に穏やかな、けれどどこか寂しげな沈黙が流れた。ロスカの視線が自分のつま先へ落ちているのを見て、コハクがそっと横顔を覗き込む。


「……何かあったんですか? どこか、元気がなさそうに見えます」


 ロスカは一瞬躊躇ためらったが、コハクの真っ直ぐな瞳に見つめられると、胸の奥に溜まっていた熱い重荷を吐き出さずにはいられなかった。


「……さっき部室で、スパナさんが三月で卒業するって聞いたんだ。進路も決まっていて、卒業式の翌日にはもう、技術探査公社の一員として外界調査に行くんだって」


「卒業、ですか……」


 コハクが小さく息を呑む。ロスカは、夜道に広がる暗闇を見つめた。


「うん。なんだか、当たり前のようにずっと一緒にネジを回していられると思ってたんだ。でも、時間は止まってないんだね。……なんだか急に、明日からの学園が、今までよりずっと広くなる気がして。これから僕らだけで、やっていけるのかなって」


 うつむきかけたロスカの視界に、白い手袋をはめたコハクの手がそっと差し出された。  彼女は足を止め、ロスカのコートの袖を、ほんの少しだけ指先でつかんだ。


「……ロスカさん」


 その声は、てつく夜の空気をそっと包み込むような、優しい響きを持っていた。


「スパナさんは、いなくなってしまうわけではありません。……ただ、少しだけ遠い場所へ、先に行くだけです。私たちの繋いだ歯車が、消えてしまうわけではないですから」


 彼女はそれ以上、強い言葉を重ねることはしなかった。ただ、ロスカが顔を上げるのを待って、静かに微笑む。


「私たちは、私たちの速さで……一歩ずつ、歩いていきましょう。……一緒に。……ね?」


 ロスカは、自分の胸の奥……琥珀色のメインスプリングが、トクン、と不合理なリズムを刻むのを感じた。大きな背中を失う不安。けれど、一人でいた自分を見つけてくれ、袖を掴んでくれるコハクの存在が、その隙間を静かに、けれど確かに埋めていく。


 その時、背中の奥底、メインスプリングの基部がカチリと熱を帯びた。


 かつて夏休みの図書館で、彼女の手に触れた瞬間にせり出してきた、あの『軸』の感覚だ。一度は自分の疑念で押し込めてしまったはずのそれが、今は痛みを伴ううずきではなく、彼女の言葉に呼応するように、内側から優しくスピンドルを押し上げていた。


 まだ完全な形ではないかもしれない。けれど、ロスカの『軸』は間違いなく、今この瞬間も彼女に向けて自分の背中を、命のぜんまいを預けようと共鳴していた。


「……ありがとう、コハクさん。そうだね、僕らにはまだ、やるべきことがたくさんあるもんね」


 ロスカがようやく微笑むと、コハクも安堵したように、柔らかな笑みを浮かべた。


「ええ。それに、ギアさんとピニオンさんの騒ぎ声は、きっと明日も部室の窓から漏れ聞こえてきますから」


 いつもなら、ここで「じゃあ、また明日」と手を振って別れるはずだった。けれど、背中の奥で熱を帯びた『軸』の残響が、ロスカの心に小さな、けれど消えない勇気の火を灯していた。


「あの、さ……コハクさん」


 ロスカは、自分でも驚くほど真剣な声で彼女を呼び止めた。コハクが小首をかしげて、不思議そうに足を止める。


「三学期が始まって、きっとこれから忙しくなると思うんだ。ボルトの脚部もスパナさんが卒業するまでには完成させなきゃいけないし……。でも、その、もしよかったら、次の休みの日。二人で、中央区の『大時計公園』まで行かないかな。……調査とか、部品探しとかじゃなくて、その。……もっと、君のことが知りたいんだ」


 言い切ると同時に、ロスカの顔は自分の排熱ファンが追いつかないほど熱くなった。雪の夜道に、自分の心臓メインスプリングの音が丸聞こえなのではないかと不安になる。


 コハクは、凍りついたように動きを止めた。サファイアとエメラルドの瞳が、冬の星空を映して激しく揺れている。彼女は掴んでいたロスカの袖を、無意識にぎゅっと握りしめた。


「私の……ことを……?」


 蚊の鳴くような、かすれた声。コハクは慌ててうつむくと、防寒具の襟元に顔を半分ほど埋めてしまった。隠しきれない頬の赤みが、街灯の光に透けて見える。 一秒が、一分にも感じられるような沈黙。


 やがて、コハクは襟に顔をうずめたまま、震える声で、けれどはっきりと答えた。


「……はい。……私、も。ロスカさんのこと、もっと、知りたいです。……喜んで」


 顔を上げた彼女の瞳には、ほんの少しの涙の膜と、それをかき消すほどの眩しい光が宿っていた。彼女が掴んでいた袖の先から、微かな振動が伝わってくる。それは、コハクの背中の奥からもまた、隠しきれない『共鳴』が始まっている証だった。


 二年機、三学期。 雪の帰り道、二人の歩幅がこれまでよりもほんの少しだけ近づいた。 それは、失われていく時間を数えるためではなく、新しい季節を共に刻んでいくための、温かな約束の始まりだった。

この第32話をもって、第1部はひと区切りとなります。

けれど、ロスカたちの物語はまだ始まったばかりです。

次の季節へ向けて、彼らの歯車はこれからも回り続けます。


次の部でも、彼らの歩みを一緒に追いかけてもらえたら嬉しいです。


第2部 ねじ巻き世界の少年ロスカ ―継がれる歯車たち―

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