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ねじ巻き世界の少年ロスカ ―機人が生きる学園都市の物語―  作者: 水雲


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盤上の鳴動、鋼の追跡

 夜の帳が降りた『ねじ巻きクラブ』の部室には、ポータブルスキャナーが放つ冷たい青光だけが揺れていた。窓の外では、教頭の命を受けた警備ユニットが放つ重苦しい蒸気の排気音が、規則的なリズムで校庭を徘徊している。その鈍い足音は、まるで学園という巨大な機構を無理やり抑え込んでいるかのようだった。


「……やっぱり、そうでした」


 テツが額のオイルを拭い、モニターを指差した。そこには、テツが理事長室からこっそり持ち帰っていた不自然な生体パーツの制御チップの欠片から抽出したログが流れていた。


「……なぁ、テツ。本当に出るのかよ。教頭先生が言ってたことが、全部嘘だって証拠がさ」


 スパナは作業台に腰掛け、愛用の大型レンチをもてあそんでいた。彼女の指先は、怒りと、恩師を疑いたくないという迷いで微かに震えていた。


「時計塔から戻る時に感じた違和感は、間違いじゃありませんでした。このチップの内部に残っていたシステム署名……。これ、教頭先生が以前担当していた最新型アクチュエータの試作シグネチャと完全に一致します」


 スパナが大型レンチの手入れを止め、身を乗り出した。


「教頭の試作チップ……? 教頭おっさん、理事長がこのパーツを使って何か企んでたとか抜かしてたよな」


「ええ。ですが、自分の手の内にある試作チップを、わざわざ理事長に使わせるなんて筋が通りません」  


 テツは冷徹な解析官の目で画面を見つめた。


「教頭先生は、僕たちの目の前であのチップを壊して、理事長が犯人だと思い込ませようとした。……でも、この番号が本物なら、理事長を追い詰め、失踪に追い込んだのは……」


 テツの言葉が途切れる。その沈黙を切り裂いたのは、スパナが苛立いらだちをぶつけるように、作業台をレンチの柄で叩いた音だった。


「……クソっ、理事長のおっさん、ずっと前からこうなるって知ってたんじゃねえのか」


 ・

 ・

 ・


 スパナは立ち上がり、部室の中央にある、年季の入った巨大な木製の作業台を見つめた。


「……なぁ、テツ。覚えてるか? この部室をもらった日、理事長のおっさんが言ったこと」


「え? ええ、確か……『この台は少し足がガタつくが、無理に直そうとするな。耳を澄ませば、いつか正しい直し方がわかる』……とか。結局、一度も直させてくれませんでしたけど」


 スパナは作業台の右隅、引き出しの裏側に手を回した。そこには、彼女がずっと『ただの建付たてつけの悪さ』だと思っていた、錆びついた小さな歯車が埋め込まれている。


「俺さ、ずっとこれ、ただの不良品だと思ってた。でも……今ならわかる。これ、あのおっさんからの置き土産だわ。いつか俺たちが教頭の変調に気づいたとき、ここに辿り着くのを信じてたんだ」


 スパナはレンチをその歯車の隙間に差し込み、絶妙な手加減で一定の方向にトルクをかけた。カチ、カチ……。規則的な音が響くが、最後の一押しが噛み合わない。


「……ロスカ。お前のそのぜんまい、こいつのリズムに合わせられるか?」


「……やってみるよ、スパナさん」


 ロスカはスパナの隣に立ち、作業台にそっと手を触れた。琥珀色こはくいろのぜんまいが、深い湖の底で火を灯すように熱を帯びる。彼には聞こえていた。作業台の内部で、複雑に組み合わされた木製のカムと歯車が、現在の時計塔が刻む時間とは僅かに違う、理事長が守り続けてきた私的なリズムを刻もうとしているのを。


「……今だ、スパナさん! 三分の一回転だけ、戻して!」


「おうよ!」


 スパナが力強くレンチを回した。――カラン。乾いた音とともに、作業台の奥から隠し戸がせり出してきた。


そこに入っていたのは、学園の初期設計図の写しと、理事長の直筆メッセージだった。



『ーー指先が金属の冷たさを忘れたとき、調律は狂い始めるーー』



「……金属の冷たさを忘れた、か」


 スパナがその言葉を噛みしめるように呟くと、部室の隅で丸まっていた猫のブチョーが「ナァ」と短く鳴き、ロスカの足元に体を擦り寄せた。ロスカがその柔らかな背中にそっと触れる。


「……ブチョーは温かい。生きているから、当たり前だけど。でも、教頭先生が言っていた『進化』って……機人が無理やりこの温かさを手に入れようとすることなのかな」


「だとしたら、それはもう調律じゃねえ、ただの冒涜ぼうとくだ。……行くぜ。この図面の先に、あいつが隠している『狂い』があるはずだ」


 ・

 ・

 ・


 三人は隠し図面に従い、旧校舎の地下へと潜り込んだ。そこは、かつて学園の動力を司っていた『積層ぜんまい貯蔵庫』へと続く、忘れ去られた暗部だ。蒸気パイプが迷路のように入り乱れ、天井からは冷たいオイルの雫が滴っている。


 ブチョーもまた、音もなく三人の後を追っていた。


「……静かすぎるな」


 スパナがレンチを構え、周囲を警戒する。ロスカは壁に手を当て、微かな振動を探った。


「……こっちだ。何かが、無理やり動かされているみたいな音がする。ブチョーも、警戒してるんだ」


 ブチョーは低く唸り、毛を逆立てて一点を睨んでいた。その先には、分厚い真鍮しんちゅうのハッチ。そこには補助ケーブルとして、赤黒い『疑似筋肉』の繊維が不気味に巻き付けられていた。


「テツ、この中だ。……理事長の言ってた『狂い』が、ここから溢れてる」


 スパナがレンチの先端をハッチの隙間に差し込み、全体重をかけてこじ開けた。疑似筋肉がブチブチと千切れる、不快な濡れた音が静寂を切り裂く。


 ・

 ・

 ・


 ハッチが重々しく開かれた先。そこは、かつてのメンテナンスルームを強引に改造した、冷たく無機質な実験室だった。その中央の拘束椅子に、リベットが座らされている。


 彼女の全身にはエネルギー伝達用のチューブが繋がれ、彼女の喉元――発声ユニットは、過剰な駆動トルクによって赤く焼け、微かに白煙を上げていた。


「リベット……!」


 スパナが駆け寄ろうとするが、ロスカがその肩を掴んで制止した。


「待って、スパナさん。……よく聴いて」


 静寂の中、リベットの喉から、声にならない振動が漏れていた。それは一定の周期で繰り返される、「カチッ……カチッ……」という、機人のコアが完全停止する直前に発する、切実な警告音だった。


「……これ、学園の古い緊急信号だ。リベット、自分のぜんまいの残量をすべて、この『音』に変えてるんだ。誰かが気づいてくれるのを信じて……」


 ・

 ・

 ・


「……素晴らしい。その微かな不協和音を正確に拾い上げるとは。やはり、君のぜんまいは私の期待を裏切らないね、ロスカ君」


 背後の闇から、穏やかな、聞き慣れた声が響いた。


 振り返ると、そこにはいつも通りの端正なスーツを着こなした教頭が立っていた。右腕を背後に回し、静かに微笑んでいるその姿は、いつもの厳しい授業の風景そのものだった。


「教頭先生……。やっぱりあなたが……、リベットをこんな目に……」


 ロスカが問う。その声には震えが混じっていた。


 教頭はため息をつき、悲しげに首を振った。


「誤解しないでほしい。本来なら、君たちのような未来ある若者を、この『特別授業』に巻き込むつもりはなかった。だが、教育者としての義務感が私を突き動かしたのだよ。古びた伝統という檻に閉じ込められた君たちに、真実の夜明けを見せる責任が私にはある」


「リベットを壊すのが、あんたの授業だって言うのかよ!」


 スパナが激昂げきこうし、レンチを突きつけた。


「壊すのではない、再定義するのだよ、スパナ君。彼女には、新しい時代の記録者になってもらう。ぜんまいの巻力量まきりきりょうという呪縛じゅばくから解き放たれ、有機物の柔軟さを得た、真の機人へとね」


 教頭はゆっくりと、背後に隠していた右腕を前に出した。最初は、単に袖が膨らんでいるようにしか見えなかった。だが、彼がゆっくりとジャケットを脱ぎ捨てたとき、その異様な姿が露わになった。


「そして、ロスカ君。君のその特別な『琥珀色のぜんまい』があれば、私のこの腕だけでなく、全身を完璧な『回帰』へと導くことができる」


 教頭の右腕は、肩から指先まで、剥き出しの赤い疑似筋肉によって禍々(まがまが)しく肥大化していた。それが心臓のように脈動し、周囲の空気をゆがませる。


「……そういうことだったんだ」


 ロスカは、足元で威嚇いかくするブチョーの柔らかな背中を見つめ、それから教頭の異形の腕を見据みすえた。


「教頭先生。あなたが手に入れたのは、進化なんかじゃない。……理事長の言葉の意味が、今わかりました。金属としての誇りも、生き物としての本当の温かさも、今のあなたは両方失っている」


「何だと……?」


「その腕は、ブチョーのような本当の命じゃない。ただ、冷たいはずの金属を無理やり生々しく歪ませただけの、醜い塊だ! あなたは、自分たちが何者であるかという一番大事な『冷たさ』を忘れてしまったんだ!」


「……不合格だ、ロスカ君。君には補習が必要なようだね」


 教頭の瞳から温度が消えた。疑似筋肉が猛烈に膨張し、空気の層を叩き割るような重厚な不協和音が響き渡る。


ロスカの胸の中で、琥珀色のぜんまいが、教頭の歪んだ調律を拒絶するように激しく回転を始めた。

読んでいただきありがとうございます。


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