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ねじ巻き世界の少年ロスカ ―機人が生きる学園都市の物語―  作者: 水雲


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28/32

虚飾の肉動、真鍮の裁定

【お知らせ】

第28話を大幅に加筆・修正しました。

戦闘描写、キャラクターの心情、教頭の崩壊から理事長の帰還までの流れを、

より明確に、そして物語の核心に沿う形で再構成しています。

すでに読んでくださった方も、もしよければ改めて読んでいただけると嬉しいです。

「……不合格だ、ロスカ君。君には補習が必要なようだね」


 剥き出しの右腕を覆う疑似筋肉が猛烈に膨張し、空気の層を叩き割るような重厚な不協和音が実験室に響き渡る。


 膨張した右腕は、もはや元の体格を無視した屈強な杭と化していた。教頭はそれを無造作に振りかぶると、凄まじい風切り音を伴ってロスカたちへと叩きつけた。


「バカ!! ボーっとしてんじゃねえッ!」


 スパナがロスカを突き飛ばすのと同時に、巨大な『肉』の塊がロスカのいた場所を粉砕する。重厚な石畳が容易く砕け散り、飛び散った破片がロスカの装甲を打つ。機械的な打撃ではない。圧倒的な質量が、しなりを持って押し潰してくる異様な圧力。


「な、なんだよあの腕……気持ち悪ぃ。クランクの時より、もっと『生っぽく』なってやがる……!」


 スパナがレンチを握り直し、嫌悪感をあらわにする。得体の知れない進化への恐怖を叩き伏せるように、彼女は大型レンチの頭を石畳の床へ力任せに叩きつけた。


――ガァァンッ!


 地下室に鋭く、硬い、純粋な金属音が鳴り響く。


「そのキモい腕、叩き折ってやるよ! これでも食らいやがれッ!」


 スパナが地を蹴り、大型レンチを全力で振り抜いた。教頭の右腕、その関節へ、スパナの全力を乗せた重圧が叩き込まれる。


 だが、教頭は微動だにしなかった。  鈍い衝撃音さえしない。スパナのレンチは教頭の腕に触れた瞬間、粘り気のある泥沼に飲み込まれたかのように勢いを吸い取られ、次の瞬間、強靭な反発力によって弾き返されたのだ。


「なっ……!? 手応えがねえ……!」


「ははは! 衝撃の分散、力の再定義……。金属の剛性だけに頼るような時代遅れの教育は、もう終わりなのだよ、スパナ君。この多層防御膜は、あらゆる外部からの干渉を自らの出力へと変換する。これこそが、『リ・バース』の最新傑作だ」


 教頭は狂気的な笑みを浮かべ、さらに出力を上げる。テツが計算機を叩きながら悲鳴を上げた。


「部長、気をつけて! 数値がデタラメだ……! 理屈抜きで、あれは『強い』ですよ!」


 ・

 ・

 ・


 圧倒的な質量が再び迫る中、ロスカは逃げることもできず、ただ教頭を見つめていた。  胸の奥――あの日から変色してしまった琥珀色のぜんまいが、熱を持ったように脈打っている。それは、機人としての合理的な判断……「逃げるべき」という生存本能を裏切るように、ロスカの心に「なぜ?」という不条理な痛みを刻みつける。


 その瞬間、ロスカの視界が青い炎に焼かれた。


「……え?」


 世界がモノトーンに沈み、教頭の姿だけが鮮明に浮かび上がる。教頭の口から吐き出される「最高傑作」「進化」「教育」という言葉。それらの言葉にまとわりつくように、どす黒く、細い糸のようなものが、教頭の全身から無数に噴き出しているのが見えた。


 その糸は、教頭が誇る『疑似筋肉』の接合部や、彼のゆがんだ笑顔の端々に複雑に絡みついている。 それは論理的なエラーコードではない。教頭が自分自身にさえついている、救いようのない『嘘』の形だった。


「……先生。嘘、ついてますね」


 ロスカの呟きは、激しい戦闘の音にかき消されそうなほど小さかった。だが、教頭の動きがピタリと止まった。


「……何だと?」


「その腕、先生は素晴らしいって言ってるけど……本当は、すごく、悲しい音がしてる。糸が……先生を縛ってるみたいに見えるんです」


 ロスカには、その糸が何を意味するのかは分からない。それが過去のコンプレックスなのか、リ・バースという組織への恐怖なのか。ただ、教頭が誇示している自信のすべてが『偽物』であることだけが、青い炎を通じて残酷に突きつけられていた。


「黙れ……黙れッ! 出来損ないの分際で、私を見透かしたような口を利くなぁぁッ!!」


教頭が咆哮ほうこうした。だが、その叫びは自信に満ちたものではなく、き出しの神経を逆なでされた悲鳴に似ていた。ロスカの瞳に映る『嘘の糸』は、教頭が激昂するほどに増殖し、どす黒い粘り気を持って彼の機体各所に絡みついていく。


 教頭は、ロスカという存在そのものを抹消しようと、右腕に全てのエネルギーを注ぎ込んだ。


 だが、その瞬間、決定的な『拒絶』が始まった。


「が……っ、あああ……!? な、なんだ、この熱は……!?」


 教頭の右肩の接合部から、青白い火花と黒いオイルが噴き出した。機人としての彼の頭は、生存のために「出力を下げろ」と合理的な警告を発し続けている。しかし、リ・バースによって植え付けられた不合理な『人間への渇望かつぼう』が、その安全装置を無理やり焼き切ろうとしていた。


 心(妄執もうしつ)と体(機人)の調律が、音を立てて崩れていく。


「あ、あつい……! 私の腕が、私の言うことを聞かん……ッ!!」


 教頭はのたうつ右腕を抑え込もうとしたが、肥大化した筋肉はもはや彼の制御を離れ、ただの破壊を振りまく凶器へと変貌していた。その様子は、まるで自らついた『嘘』の重みに、自分自身の骨格が耐えきれなくなっているかのようだった。


「……ナァ」


 その歪みを、ブチョーは見逃さなかった。  巨腕の重みに振り回され、コマのように回転して軸のブレた教頭。ブチョーはその足元へ滑り込み、教頭の機人として維持していた細い左脚を、鋭く、正確に弾いた。


「ひ……っ!?」


 普段の教頭なら耐えられたはずの揺さぶり。だが、今の彼にはその衝撃をいなすバランス感覚は残っていなかった。  右肩にぶら下がった、巨大で重すぎる『嘘の結晶(疑似筋肉)』が、物理法則という冷厳な真実を突きつける。


――ドォォォォンッ!!


 逃れようのない遠心力に引きずられ、教頭は床に顔面から叩きつけられた。


 過剰に詰め込まれた疑似筋肉は、予期せぬ方向からの強烈な着地衝撃を逃がすことができない。接合部のボルトが「パキィン!」と乾いた悲鳴を上げて弾け飛び、制御中枢から引きがされた筋肉が、独立した生き物のように床の上でのたうち回り始めた。


「ひっ、ひぃぃぃっ!? 私の、私の最高傑作がぁぁぁッ!」


 教頭が悲鳴を上げる中、暴走していた赤い肉塊は、やがてエネルギーを使い果たしたように力尽きた。 『ただの肉のゴミ』に成り果てたそれを見て、ブチョーは冷ややかに鼻を鳴らす。


「……ナァ」


 あざ笑うかのように鳴いたブチョーは、その肉塊をひょいと咥え上げると、戦利品を見せびらかすように悠々(ゆうゆう)と隅へと運んでいった。


「あ、あああ……返せ、それを返したまえッ! そこから私は完璧な人間に……!」


 右肩からオイルを滴らせ、き出しになった機人の腕をみじめに震わせながら、教頭は這いつくばってブチョーを追おうとする。その姿は、先ほどまでの選民思想に染まった教育者の面影など微塵みじんもない、あまりに滑稽こっけい無様ぶざまなものだった。


「……教頭先生。あまりにブザマですね。」


 テツが冷徹に、そしてさげすむような声で告げた。


「高出力の右腕に対して、接地圧を支える脚部の補強はゼロ。重心バランスの計算をサボって、見た目のボリュームにだけ数値を割り振るなんて……。 これなら、あのボルトさんの無茶な改造の方がなんぼかマシですよ」


 テツの指摘は、機人として、設計士として、あまりに正しい正論だった。スパナやテツ、そして後にこの惨状を目にする者たちにとって、教頭の敗北は『過剰な出力を制御しきれなかった物理的な自滅』という、ただそれだけの事象として記録されるだろう。


 だが、ロスカは気づいていた。


 教頭を地面に叩きつけたのは、重心の偏りや、脚部の脆弱性ぜいじゃくせいといった計算上の数値だけではない。 ロスカの瞳に映った、あのどす黒い『嘘の糸』。 教頭が『進化』と呼び、『最高傑作』と誇った右腕が、実は彼自身の魂を締め上げ、耐えがたい苦痛と矛盾を与え続けていたこと。


 機人としての合理的な思考回路が、その『不合理な嘘』を拒絶し、悲鳴を上げた瞬間に、心と体の歯車が噛み合わなくなったのだ。


 (……あんなに、苦しそうだったのに)


 ロスカの胸の琥珀色のぜんまいが、微かに、重く脈打つ。論理では説明できない『心』という名のバグが、物理的な限界を超えて教頭を破壊した。しかし、その残酷なまでの真実に気づいているのは、この場に、自分一人しかいないのだという実感が、ロスカの心に奇妙な重荷となって沈殿していった。


 ・

 ・

 ・


「う、うるさいッ! まだだ、まだ私には予備のパーツが――」


 教頭が狂ったように周囲の実験機材に手を伸ばし、ブチョーに奪われた腕の代わりを探そうとした、その時だった。


「――ないぞ。予備など、もうどこにもな」


 実験室の入り口から、低く、腹に響くような重厚な声が届いた。 使い古された茶色の作業着を羽織はおり、右手に小さな調整用ハンマーを携えた男――理事長が、静かに歩みを進めていた。


「……り、理事長のおっさんッ!?」


 スパナが叫び、安堵のあまりその場に座り込んだ。 ブチョーは待ってましたと言わんばかりに駆け寄り、咥えていた疑似筋肉を理事長の足元へ放り出すと、「どうだ」と言わんばかりに喉を鳴らした。


 教頭の表情が凍りついた。 さっきまでの狂気的な叫びは喉の奥で詰まり、オイルの漏れる右肩を隠すことも忘れ、ただ呆然と理事長を見上げている。その瞳には、恐怖よりも深い、子供のような絶望が浮かんでいた。


「り、理事長……。なぜ、ここに……いや、今までどこに……」


「教頭。私がなぜ、今まで姿を消していたか……本当に分からないか?」


 理事長は足元の肉塊を一瞥いちべつもしなかった。ただ、真っ直ぐに教頭の瞳を射抜いた。その視線は、冷徹な管理者としての厳しさと、道を踏み外したかつての同胞への微かなあわれみを帯びていた。


「お前が『リ・バース』とやらに魂を売り、学園の地下で何をしていたかは、全て把握していた。私が学園を空けていたのは、お前の背後にある『供給ルート』を断つためだ」


 教頭の顔色が、オイルが引くように青ざめていく。


「きょ、供給ルート……?」


「お前が『進化の結晶』だと信じ込んでいたその疑似筋肉のパーツ。……それらは全て、都市の廃棄区画から闇ルートで流れてきた『産業廃棄物』だ。私はこの数日間、その違法な密輸ラインを元から叩き潰していた」


 理事長が突きつけた事実は、ロスカたちが戦っていた教頭の『嘘』を、根底から裏付けるものだった。


「廃棄物……? ゴミ……だと……?」


 教頭の声が震えた。  彼が人生を懸け、生徒を犠牲にしてまで手に入れた『進化』の正体。それは、誰かが捨てた残骸を継ぎ接ぎしただけの、文字通りのゴミだったのだ。


「お前は利用されていたんだよ、教頭。『人間になりたい』というお前の純粋で、しかしゆがんだコンプレックスを、外の組織に食い物にされていたんだ」


 その言葉は、どんな物理的な打撃よりも深く、教頭のコアを貫いた。 彼はその場に崩れ落ちた。もう言い訳も、怒号も出てこない。 自分自身についていた嘘。そして、他人に利用されていたという真実。 彼を支えていた『完璧な人間になる』という妄執もうしつが消え、残ったのは、ゴミを抱きしめて王気取りでいた、あまりに滑稽こっけいで哀れな道化の姿だけだった。


「……消えろ」


 理事長が背を向け、静かに告げた。


「お前の席はもうない。……どこへなりとも行くがいい。だが、二度と『教育』などという言葉を口にするな」


 教頭は、何も答えなかった。 よろめきながら立ち上がり、亡霊のようにふらふらと暗いハッチの向こうへと消えていった。 その背中には、かつての威厳も、狂気すらも残っていなかった。


 ・

 ・

 ・


教頭が亡霊のように暗がりの向こうへ消え、その足音が完全に途絶えた。


先ほどまでの狂気的な怒号が嘘のように、冷え切った地下実験室には、壊れた機材から漏れる火花と、誰かの荒い排熱音だけが響いている。


理事長は、教頭の消えた方向を一度だけ見据えたあと、ゆっくりと背を向けた。その視線の先には、椅子に拘束され、機能停止したままのリベットがいた。


「……さて。まずは、このメネを何とかせんと。スパナ、テツ、手を貸せ」


理事長の指示で、茫然ぼうぜんとしていた二人が動き出す。 理事長は手慣れた手つきでリベットの装甲の隙間に調整用ハンマーの柄を差し込み、複雑に絡まったリ・バース製の拘束具を、まるで知恵の輪を解くように外していった。


「よし……。テツ、スパナは彼女の体を支えてやれ」


理事長はそう言いながらリベットに歩み寄ると、喉元をハンマーで優しく叩いた、特定の周波数で軽く叩くと、彼女の体から「カチリ」と小気味よい音がした。


「……あ、……う、ううん……?」


 光を失っていたリベットの瞳に、スカイブルーの輝きが戻る。 再起動の熱が彼女の体に巡り、意識が戻ったことを確認すると、理事長は「ふぅ」と短く息を吐いた。


「もう大丈夫だ。よく耐えたな、リベット」


 スパナとテツが安堵の声を上げる。


 だが、その輪から少し離れた場所で、ロスカだけが自分の右掌を見つめたまま立ち尽くしていた。 自分の瞳に映った『嘘の糸』の感触。 教頭という一人の機人が、あんなにも惨めに、そして苦しそうに崩れ去った瞬間。 テツが分析した『物理的な欠陥』では説明のつかない、胸の奥におりのように溜まった違和感に、ロスカは一人飲み込まれそうになっていた。


 そんなロスカの異変に気づき、理事長が歩み寄る。


「どうした、ロスカ」


「……理事長。ぼく、教頭先生を見ていたら、なんだか……」


 ロスカが言いよどむ。自分の目に映った青い炎や、あのおぞましい『糸』のことをどう説明すればいいのか分からない。テツが言った『重心バランスの崩壊』という正しい答えがある中で、自分の感じたことを口にするのが怖かったのだ。


 そんなロスカを、理事長は何も言わずにじっと見つめていた。やがて、彼は大きな掌でロスカの頭を乱暴に、だが温かく撫でた。


「……無理に話さなくていい。だがな、ロスカ。機人を五十年も弄っていれば、嫌でも分かってしまうことがある」


「……え?」


機体カラダの数値は正常なのに、どうしようもなく不快な音を立てる個体が稀にいる。……機械的な故障ってわけじゃない。そいつの『ぜんまい』が、自分自身をこばんでいる時に出る音だ」


 理事長は、視線を教頭が消えていった暗闇へと向けた。


「あいつの最期の動きは、ただの操作ミスや設計ミスにゃ見えなかった。……まるで、自分自身のメイン・スプリングが、その嘘に耐えかねて自ら暴発したような……そんな、ひどく不器用で、悲しい音の響きがした」


 理事長はロスカの瞳を覗き込み、ニヤリと不敵に笑う。


「お前が何を見たのかは知らん。だが、その顔を見る限り……お前には、テツの計算機にゃ映らない『真実の不協和音』が、はっきりと届いていたようだな。……そうだろ?」


「ッ……」


 ロスカは息を呑んだ。理事長はロスカの能力を知っているわけではない。長年の経験からくる直感で、ロスカが自分と同じ……あるいは自分以上の『機人の心のきしみ』を感じ取っていたことを察したのだ。


 誰にも言えなかった違和感を、一番信頼できる大人が、職人の言葉で肯定してくれた。その事実に、ロスカの胸の奥がじんわりと熱くなる。


「その感覚を、呪いだと思うなよ。……それは、お前が誰よりも真っ直ぐに機人と向き合っている証拠だ」


 理事長はそう言うと、窓の方角を指差した。


「さあ、夜明けだ。……朝の鐘は、お前たちに任せる。 行け。最高の『金属の音』を、学園中に響かせてやれ」


 理事長に背中を押され、ロスカたちは顔を見合わせた。 ボロボロの装甲、漏れ出たオイルの臭い、心地よい疲労感。 ロスカは自分の胸の『琥珀色のぜんまい』が、今はもう震えず、静かに、しかし力強く時を刻んでいるのを感じていた。


「行こう、みんな!……ブチョーも!」


「ナァッ!」


 一行は地下の湿った空気から逃れるように、螺旋らせん階段を駆け上がった。 冷たい夜の空気はいつの間にか消え、校舎の窓からは薄紫色の朝焼けが差し込み始めている。


目指すのは、学園の最高部。 巨大な真鍮製の鐘が鎮座する、時計塔の最上階だ。

 扉を蹴開けると、そこには冷涼れいりょうな朝風と、燃えるような黄金色の水平線が広がっていた。


「……うわぁ……」


 ロスカの瞳が、朝の光を反射して輝く。 眼下には、まだ眠りの中にある蒸気街。立ち上る細い煙。それら全てが、これから始まる一日を待っている。


「よし、準備はいいか! 最高の目覚ましをぶちかましてやろうぜ!」


 スパナが大型レンチを担ぎ直し、鐘を突くための重厚な真鍮のハンマーを握りしめる。テツは隣で精密時計を確認しながら、秒読みを開始した。


「カウント、五、四、三、二……今です!」


 ――ゴォォォォォォンッ!!


 重厚な、あまりに純粋な金属の音が、大気を震わせた。 それは教頭が奏でていたあの不協和音を、そして地下室に漂っていた嘘と妄執を、一瞬で浄化していくような響きだった。


 ロスカも、スパナと共にハンマーに手を添えた。 二度、三度と鐘の音が重なるたび、街がゆっくりと動き出す。


 窓を開けて空をあおぐ人々。 蒸気を吐き出し、活動を始める工場。 それは、機人と人間が織りなす、飾らない日常の鼓動だった。


「……届いたかな、教頭先生にも」


 ロスカが小さく呟いた。 あの『嘘の糸』に縛られていた教頭が、どこかでこの音を聞き、いつか自分を許せる日が来るように。


「何しんみりしてんだよ、ロスカ! 腹減っただろ? 今日は帰り学食で、最高級の潤滑油、奢ってやるからな!」


 スパナがガハハと笑い、ロスカの肩を組む。 テツも呆れたように笑いながら、眼鏡を拭いた。 再起動したばかりのリベットが、少し照れくさそうに「ありがとう」と微笑んでいる。


 ロスカはもう一度、街を見下ろした。 自分の目に見える力が、いつか自分を苦しめる日が来るかもしれない。 けれど、この仲間たちと共に刻む『音』がある限り、きっと道は迷わない。


 ロスカの琥珀色のぜんまいは、朝陽の温もりをその身に宿すように、静かに、そして誇らしく熱を帯びていた。

読んでいただきありがとうございます。


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