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第1話 宅配司書と作家志望 ⑨

 芝生が広がる海が望める広場。

 ごつごつと積まれた大小の岩に両手をつき、激しく息をつくプルメリアの数メートル後方から、ラヴェンナは声をかける。

「プルメリア様」

 あえぐような息の合間に返答が返ってくる。

「ほっとい、てよ」



 リゾート地から少し離れた広間にはそれでも、休日を楽しむ人々は多い。

 ウエディングドレスの女が涙する絵になる風景をその視界から遮るように、そっと傍らに移動する。

 ラヴェンナは言葉を発しない。

 沈黙は時に何よりも、語りを促すから。



「本のことを、教えてくれた人だったの。読む世界が、そのままあの人が導いてくれた場所のように錯覚してた」

「はい」

 くくっと喉の奥から笑い出し、プルメリアは額にレースで縁どられた右手をあてる。

「ばかみたい。どっかで期待してた。婚礼衣装姿見せたら、焦ってとめてくれるんじゃないかって」



 ラヴェンナはもう一度頷いた。はい、と。

 無表情にほんの少し、水気をたっぷりと含んだ淡い色を織り交ぜたような表情。

 プルメリアは一度だけ目を見開く。やはり不思議な女だと思う。

 わけもなくまた笑いが込み上げてくる。が、今度のは自嘲ではない。そう自覚していた。



「もういいの。これで踏ん切り着いた。たぶんそのために、抜け出したんだと思う」

 意味もなくぶらぶらと岩陰を歩き、振り返ってにっと笑ってみせる。

「あの人にとってあたしは特別じゃなかったの。誰にとっても。どこにでもいる生意気な小娘」

 知らないうちに角度を下げていたこの目はきっと笑っている。

 ごちゃごちゃと他の何か、余計な糸くずが色々と混じってはいても。

「ちょっと変わってて目障りな。でも目を置く価値なんかない存在。想いを告げられたって迷惑な、道端の厄介な雑草。それだけ」

 勝気な笑顔をプルメリアは掲げる。

「うん、それを確認したかったの」

 水彩で描かれた絵のようなお人形の顔に一服、憂いが盛られた気がした。

 気になってその顔を視線で負うと、お人形はようやく言葉を発する。



「……否定する言葉は、持ちません」

「は?」



 そう言いながら、ひび割れた貝殻をそっと波に返すような顔で、ラヴェンナはプルメリアを見上げた。

「お客様は誰にとっても何者でもない。不利益な個性というわけではない代わりに、優位的個性もない。想い人にとっても。もしかしたらご両親にとってすら、ただの道具なのでしょう」

 さすがのプルメリアも数秒、動きを失う。

「……あんた」

 勢いよく岩に持たせた背中は痛んだが、不思議と怒りは沸いてこなかった。

「ちょっとはとりつくろうとか慰めるとかしたら」



 無論呆れはしたが。

 呆然と常夏の澄んだ茜空を見上げていると、そこにほのかな笑い声が通り抜ける。

 小さく息を呑み、プルメリアは横を見た。

 お人形が、笑っている。

 小さく肩を揺らして。

 内緒話を打ち明ける少女のように、彼女は人差し指を口元にあてる。



「わたしも、そうですから」



 短い夏の間に咲いて散る花々のように。

 束の間の楽土のためであるように、そっと、そう言い置く。



「わたしの所属するウィスタリア私立図書館には、移動図書館や司書、本の運搬を行い、本についてのあらゆる質問に応答する運転手がいます。本の挿絵の再現と提供を生業にする挿絵画家というのもいます」



 半ば惚けて楽土の幻影を見せられているような心地で、ぼんやり思う。

 ふぅん。変わった図書館だ。

 そう思った直後、胸の芯に熱いものが灯る。

 おもしろそうだと思った。

「みな、自身に価値などないと思っていたところを、見出された者たちです。その者にしかできない仕事があると」

「……」



 いつしかウィスタリアの瞳には朱鷺色が混じり。

 優し気とも形容できるのに、どこか挑戦的に、その宅配司書は右手を差し出す。

「世間はまだあなたを見出してはいません。一生、見出されないかもしれません」

 きれいに纏め上げたセピアのハーフアップを、海風がさらっていく。

「世間の中の何人に見放されようと、まだ可能性はあります。全世界の人類に見放されることは不可能だからです。ただ」

 女は、そのこめかみをきゅっと抑えた。



「自分で自分を見放したら、きっと、その日は来ません」



「……」

 数秒か、あるいは数分か。

 プルメリアの瞳のブラックカラントはじっと、この風変わりな宅配司書を捕らえていた。

「ふぅ」

 ある時、豪奢な食事の後のように息を吐くと、たったっとヒールの音をさせて近寄り、ぎゅっと、お人形の手を握る。

「帰るわよ」

 かすかに目を見開くラヴェンナに一言、プルメリアは告げた。

 朱鷺色だった空は灼熱の色へと変化し、傍らの家族が歓声を上げた。


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