第48話 手紙の送り先
私はカーラの後ろに続いて書斎へ向かった。
居間と書斎はすぐ近くだし、間取りも分かってるから案内はいらないんだけど。
「ねえカーラ、どうして静かにしないといけないの?」
「ロマーノ様が、なるべく人目に付かないように奥様を呼んでいただきたいと仰せです」
ロマーノが?
なんで人目に付かないように呼ぶ必要があるの?
ま、まさか……。
私いま、世に言う逢引というやつに誘われてるんじゃ……?
「あ、あいびき……」
「合い挽き? 今夜はハンバーグをご所望ですか?」
そうそうそう、牛と豚を半分ずつ、……って、合い挽き肉じゃないよ!
ノリつっこみしてる場合じゃない、不測の事態に備えなければ。
「なんでもないわ! カーラも一緒に書斎に入って待っていてちょうだい」
「はあ、かしこまりました」
ーートントン。
私は書斎の扉をノックし、中からの返事を待った。
「どうぞ、お入りください」
中からガチャッと扉が開かれる。
「ロマーノ様、お手紙は書き終わりましたか?」
「はい。ーー悪いけど、君は居間に戻っていてくれないかな」
ロマーノがカーラに向かって言った。
「かしこまりました」
ええっ、カーラ行っちゃうの!?
私の方が先に一緒にいてって言ったじゃん!
なんで人払いなんか……。
「アメティースタ公爵夫人……」
ロマーノは後ろ手にパタンと扉を閉め、物憂げに私の名前を口にした。
ひいっ!
愁いを帯びたその表情、色気が半端ありません!
この人絶対モテるよ、モテるに決まってる……!
眉目秀麗、文武両道、人当たりも良く、気遣いにもそつがない、これ以上の人を探す方が難しいってくらいの優良物件じゃない。
どんな世間の荒波もスイスイ泳いでいけそうだ。
モテない要素が皆無ではないですかッ!
でもっ……、私には夫が……!
「ごごごご、ごめんなさいっ! そんなに、やすくありましぇんのでっ!」
か、噛んだ……!
でも、簡単に不倫するような安い女じゃないってビシッと言ってやったよ!
「えっ? これは失礼。ハヤメールは有料でしたか。料金はおいくらでしょうか?」
「えっ!?」
は、ハヤメール!?
ハヤメールを出してって言いたかったの?
ええーっ、そんなことを言うために、無駄に色気を撒き散らさないでほしいな!
ちょっとした公害レベルなんですけど!
「王都までお願いします」
お財布構えていつでも支払える体勢になっちゃったよ……。
「いえっ……! これからっ、手紙を配達する事業を始めようと思っていましたの! 料金はおいくら位が妥当なのかいろんな方に聞いてみようとっ! でもまだ先の話ですし、お友達にはもちろん無料ですわっ……。ホホ、ホホホ、ホーホホホ……」
ふう……。
これでなんとか誤魔化せた……。
「はあ、左様ですか。いくら位に設定なさるおつもりで?」
あ、そこ追及しちゃいます?
えーと、いくらにしよう。
「い、1銭貨くらい……?」
「激安ですね。安くないんじゃなかったですか? 1銭貨では大した儲けにならないでしょう」
……しまった。
さっき自分で安くないって言ったのに、早速矛盾しちゃったよ。
「最初は料金を安く設定して、広くみんなに宣伝しようという意図があるのです。それにロマーノ様、1銭貨を笑うものは1銭貨に泣くという先人の教えもありますわ」
「先人の教え……? 初耳ですが」
えっ、そう?
それじゃあ、もっと具体的に説明します。
「たとえ1銭貨でも立派なお金だということです! 1銭貨あれば、うまし棒だって買えるんですから!」
売ってるかどうかは知らんけど!
「うましぼう……? それは一体なんでしょうか?」
「え、えーと。これから売り出す予定のー、子ども向けのお菓子……? ですかね? エヘ?」
完全に口から出まかせだったけど、商品化したら売れるのは間違いないし、今度暇を見つけて商品開発してみるか。
まずは定番のチーズ味からだな。
「な、なるほど。ところで、この手紙を王都までお願いできますでしょうか?」
ほっ、やっと話が元に戻ったよ。
やれやれ。
「はい。どなた宛でしょうか?」
私はペンタブを取り出し、保存しておいたハヤメールの絵を呼び出した。
宛名を変えるだけだから簡単な作業だ。
「……」
え、なんで黙ったの?
誰宛?
「どうかなさいましたか?」
私の準備はOKですよ?
「いえ……、ロマン・トリスタン伯爵宛にお願いいたします」
「あら、お父様ですか? 騎士団宛ではなく?」
騎士ネットワークはどうなったの?
「……私の父も幹部ですので」
「まあ、そうだったんですね。ロマン・トリスタン伯爵行。ーーポチッとな! はい、どうぞ」
やっぱりこっちの世界は、親子で同じ職業に就く人が多いよねぇ。
特に長男に生まれると、ほとんどの人が選択の余地なく親の仕事を継ぐことになる。
就活しなくていいというメリットはあるけど、例えば画家になりたかったり、歌手になりたかったり、そういう夢がある人にとっては職業の自由がないというのは気の毒な話だ。
かくいう私も、辺境伯令嬢というお嬢様に生まれてさえいなければ、今頃は女優だったかもしれないのにね……。
「……ロマーノ様?」
ふと気が付くと、ロマーノがハヤメールに括り付けた手紙をじっと見つめていた。
「窓からポイって放り投げないと、そのままでは届きませんよ?」
「あ、はい。失礼しました、少し旅の疲れが出たようで、ぼうっとしてしまったようです」
疲れてたのかあ。
やっぱり王都からだと遠いもんねえ。
「まあ、お疲れなんですね。そうだわ、ゲンキーナはいかがですか? 疲れが取れますよ」
「ふふ……。懐かしいですね。あなたがまだ幼い頃にも、そうやってゲンキーナを勧めてくれたことがありました」
体調が悪いところを無理して笑顔を作ったせいか、なんだかロマーノがいやに儚げに見える。
大丈夫かな……?
ゲンキーナを飲んで、しばらくここで休んでいてもらおう。
「ロマーノ様、これを。この小島は安全ですので、こちらでしばらく休んでいてください」
「……では、お言葉に甘えてそうさせてもらいます。ありがとうございます」
私は頷いて書斎を後にした。
「ただいま戻りました。ロマーノ様は体調がお悪いようですので、書斎で休んでいただいています。他にも体調が悪い方はいらっしゃいますか?」
私は居間に戻ると、ロマーノの体調不良を伝えた。
「まあ、乗り物に酔ったのかしら」
馬車と違ってバルーンは揺れが少ないけど、もしかしたらロマーノは高さに弱いのかもしれない。
「そうかもしれませんね。ゲンキーナを飲んでもらいましたから、しばらく休めば回復すると思います」
「そうか。子どもたちも昼寝をさせた方がいいかもしれんな」
……寝るかな?
クラリッサ姫は、窓ガラスに自分の手形をペタペタつけていく遊びを始めたようだけど。
あれって生クリーム付きの手だよね……?
壁じゃないから被害は少ないと思って大目に見るべきなの?
「あっ、クララ! 生クリームをガラスにつけるな! そのケーキは他では食べられない、ものすごく貴重なものなんだぞ!」
そっち!?
前から思ってたけど、クリス様のいちごのロールケーキへの愛が重いよ……。
「ちょっと窓を開けて外の空気を吸いましょうか」
私は窓に近づき、開閉できるようになっている部分を開けながら言った。
これでクラリッサ姫の気が逸れるといいけど。
「わあっ、おそとだーーー!」
窓が開くとは思っていなかったクラリッサ姫が、大喜びでこちらに突進して来た。
クラリッサ姫はビビの手を取り、半ば引きずるように自分に付いてこさせている。
「ダメだ、早く閉めろ!」
クリス様が窓を閉めようと慌てて手を伸ばす。
え、なんで?
「わーーーーー!」
クリス様が窓を閉めるより早く、ちびっこ2人は足元をすり抜けて外へ出てしまった。
「クララ! 走るな!」
そうだ……、湖面が良く見えるようにと、水際のすぐ近くにコテージを出したんだった。
幼児と水辺……、嫌な予感しかないじゃない!
「クラリッサ姫、止まってください!」
今更ながら自分の迂闊さに気付いた私は、2人の後を追ってあたふたと走り出した。
1銭貨=10円です