やっぱり世の中は不平等で、面倒事に満ちている
「やぁ、待ってましたよ。江川鉄君」
まるでこうなる事が最初から分かっていたような口ぶり。にこやかに迎えてくれたのは聖教会の神父・結木だった。
――臭い。やはりこの神父は胡散臭過ぎる。
鉄は仏頂面で一言、どーもとだけ答えた。
「あれ、どうしたんですか? その頬。大きな猫にでも引っ掻かれましたか?」
「……そんなところです」
猫ではないことぐらい絶対気付いているくせに。
その証拠に結木の口元は笑いを噛み殺すように歪んでいる。
九日目。
新記録を達成して、鉄は先ほど辛くもバイト先をクビになった。いや、厳密には店長に辞めてくれとお願いされての、自主退社だった。
今回もダメだった。またいつものように客同士のトラブルに巻き込まれたのだ。
事の元凶は店内に入って来た時はピンクのオーラを振りまいていたカップルだった。
ラブラブ。そんなコソバユイ形容詞が痛い程当て嵌まる男女。だが、それも長くは続かなかった。どうやら男の方から別れ話を切り出したらしい。
どうしてそんな大切かつ面倒事の種になりそうな会話をする場所にこの店を選んだのか。きっともうこの時点で鉄のトラブル体質が秘密裏に働いていたに違いない。
唐突に狭い店内に女のヒステリックな声が響いた。割と近くにいた鉄はモットー通り、不穏な成り行きを察知してキッチンへと引っ込もうとした。
が、その時だった。何を思ったのか、通り過ぎようとする鉄の腕を男が掴み、平手打ちしようとする女の方へ突き出したのだ。
鉄は勢い余って女の胸元へ飛び込み、勢い余ってあまつさえ押し倒す格好となってしまった。
右頬の傷。それは激昂した女に思いっきり引っ掻かれたため。
もちろん男はその間に尻尾を巻いて逃げだしたわけだが、いろんな意味で怒りの収まらない女は矛先をただ巻き込まれただけの鉄に向けた。
暴漢! 警察に突き出してやる! と叫びながら……。
(えぇぇぇええぇー、俺ぇえ?)
鉄は思わず内心唖然茫然とした。
店長始め店員は鉄を庇おうとしてくれたが、女の怒りは右肩上がりに加速していく一方。
――正義なんてものは存在しない。世の中はひどく理不尽で面倒事に満ち溢れている。まさに、行き場のない程に溢れている。そして、ここにもあった。
明らかに女の方が悪いのに、鉄は巻き込まれただけなのに、お客様は神様なわけで。
サービス業において体裁、噂ほど大切なものはない。
おかしな噂が流れることを恐れた店長は鉄をクビにするから、大事にしないでくれと懇願したのだ。もちろん、お食事代はタダにして、次回サービス券までお渡しして、だ。
女はその言葉に納得したのか、それとも多少は冷静さを取り戻し、自分のやらかしたことに気が付いて気まずくなったのか。フンと鼻を鳴らすと店を去って行った。
鉄も男に腕を掴まれた時から、なんとなく予想のついていた事だったので可哀想なまでに平謝りする店長を宥めて、辞めてきた。
小心者なだけで良い人なのだ、店長は。それに不可抗力とは言え女性の胸を掴み、のしかかってしまった事も事実。悪いのはすべてこのトラブル体質。他にできることなんて、あっただろうか?
ただこんなことになる事なら、もっとあの時ドサクサ紛れでも、三次元特有の柔らかな感触を味わっておくんだった。なんて考えてしまうのは幾度となくトラブルに見舞われてきたために神経が図太くなっているのか、それとも思春期特有のホルモン分泌がそうさせるのか、鉄は考えないことにした。
「フフ、こんなところでもなんですね。中へどうぞ」
招き入れられた鉄は黙って結木に続いた。