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東シナ海
E‐2D早期警戒機
September 24.2021
ホエールテールのコールサインを与えられたE‐2Dホークアイ早期警戒機の機内で先任機上兵器管制指揮官の本城将人一等空尉は大きなあくびを漏らした。
機上兵器管制官は要撃管制を行う機を管制誘導する役職だ。本城は他に乗り込む機上兵器管制官や機上警戒管制官を束ねる指揮官だった。
今、第二五任務部隊を支援する警戒航空隊艦上警戒管制飛行隊の第604飛行隊《かが》分遣隊と《きい》分遣隊は合計でたった四機のE‐2D早期警戒機でローテーションを組んで二十四時間警戒を続けている。予備要員はほとんど居ないに等しく搭乗員の数に余裕はなく、疲労が溜まっても緊張などからしっかりと寝付けないこともあり、休養は十分とは言えない。長丁場になればこちらはどんどん不利になるだろう。乗員達の顔もすでに疲労の色が濃くなり始めている。
E‐2Dの滞空時間は無給油で六時間以上だが、三時間も飛べばパイロットも乗員達の集中力も限界になるため、交代は平時より早く行われていた。《きい》のE‐2Dと共に常に二機体制で艦隊防空圏を監視している。
本城は魔法瓶に入れてきた紅茶をカップに注いだ。湯気と共に紅茶の匂いが漂い、思わず息を吐く。本当はコーヒーを飲みたいが、コーヒーには利尿効果があるため、長時間任務を強いられる機上要員たちは避けていた。機体が揺れてこぼすことが無いようカップに注ぐ量も少なめで、二口で飲み切ってしまう。
「遂に始まりますね」
機上兵器管制官の田宮曹長が言った。田宮は幹部候補生の若手曹長で、作業服にそれを示す桜星の襟章がついていた。本城も田宮も《かが》では同室で寝泊まりする気心の知れたクルー同士だが、若い田宮はこの防衛出動以降、ときたま自分の管制下で戦う戦闘機を撃墜される夢を見ていてうなされているのを本城は知っていた。
田宮が始まると言ったのは中国艦隊に対する第二五任務部隊による大規模航空攻撃のことだ。
「そうだな。これでけりがつくと良いんだが」
木村は空返事をしながら早く艦に戻って熱いコーヒーを飲んでシャワーを浴びたいという欲求を頭の中に思い描いていた。
その時、新たな目標を探知したことを知らせる警告音が鳴った。田宮曹長が探知した目標を確認する。
『新たなコンタクト。IFF、応答なし。敵機です』
「また性懲りもなく来やがったな」
本城もレーダースクリーンを確認した。スクリーン上に次々に新たな目標が表示されていき、探知された目標の類別が完了し、それぞれが自動的にナンバリングされていくが、その数は増え続けていた。
「なんて数だ。大規模攻勢だぞ、《かが》に警告しろ」
多数の編隊が複数の方向から真っ直ぐ艦隊を目指している。艦隊防空圏を哨戒中のCAP機四機に直ちに警告を送り、要撃機の発進を空護に指示する。
《かが》と《きい》から直ちに二機ずつ戦闘機がスクランブル発進した。艦隊も陣形を素早く変えながら最大戦速で突き進んでいた。
「敵に先手を打たれたか」
『マズいですね』
今、《かが》と《きい》では《遼寧》空母戦闘群に対する攻撃に備えて準備が行われており、対艦兵装を抱えた機も多いはずだ。今さら兵装の転換を行うわけにはいかないだろう。ミッドウェー海戦のことを本城は思い出してぞっとした。
CAPの四機と緊急発進した四機の合計八機が敵機の接近する方向にそれぞれ急行した。本城はそれらを管制し、データリンクを用いて敵機の後方へ誘導する。その間にも敵性航空機は距離を詰めていた。
本城はアフターバーナー全開で雲を切り裂きながら飛ぶF‐18の姿を想像した。さらに二機が《かが》より発艦し、それは艦隊の上空援護につく。
『新たな敵機。方位005。……数が多すぎる』
思わず機上警戒管制官の並川一曹は呻き声を上げた。レーダースクリーンに移るブリップの数は三十を軽く超える。
「これが全部ボギーか」
本城が思わず呟いた時、状況表示装置画面が突然真っ白になってから乱れ、コンソールがフリーズした。コンソールのキーボードを操作しても全く反応が無い。他の管制官達のSDCも同様だった。
「どうなっているんだ。再起動しろ」
『レーダーアウト。電子妨害を受けています』
並川が叫ぶ。電子戦対抗手段をすぐさま講じようとするが、それは叶わなかった。レーダーシステムが完全に沈黙している。
「ジャミングじゃないな、何が起こった?」
『強力なECM攻撃を受けています、レーダーが焼かれました』
『レーダーを焼かれた?』
「くそ、電子爆撃だ」
思わず本城は毒づいた。E‐2Dホークアイ・ホエールテール2号機のレーダーシステムはレーダーからデータを入力する部分を損傷していた。レーダーは高性能だが、敏感だ。暗闇で耳を澄ませていた人間が、音響手榴弾のような強烈な騒音を聞かされ、鼓膜を損傷するのに似ていた。
「艦隊は無事か?」
『分かりません!通信波にもECMです!』
敵はまず電子戦を仕掛けてこちらの索敵能力を削ぎにかかった。次に来るのは攻撃だ。
「対電子戦対抗手段!《かが》と連絡を取って代替機を上げさせろ!ミサイルが来るぞ!」
敵機接近の急報を受け、《かが》は直ちに対空戦闘態勢に移行し、風に立って走り始めていた。要撃機が発艦を開始した時、突然異常を知らせる警告音がCICに鳴り響いた。
「何事だ?」
岡本は努めて平静な声で聞いた。対空レーダーの電測員達は騒然となっていた。
「レーダーアウト! 強力なECM攻撃です、システムダウン」
電測員長が振り返って報告する。レーダースクリーンの画面は乱れ、どれも正常な表示ではない。
「何だって?」
「システムがダウンしました、指向性電磁波攻撃と思われます」
敵は、こちらが使用するレーダーの周波数帯に長時間の妨害電波をかけて正確な信号を受信できなくさせるジャミングと、強力な電磁波をビームのように短時間で浴びせてこちらのレーダーシステムを攻撃する指向性電子攻撃を行ってきたのだ。
「復旧を急げ。イージスは?」
「《ひえい》、《きりしま》、レーダーアウト。レーダー、通信共に妨害を受けています。警戒機との通信途絶」
通信員が告げる。艦隊の防空の要であるイージス艦は《はるな》、《ひえい》、《あしがら》、《きりしま》の四隻だが、常に全艦が索敵態勢にあるわけではなく、電波管制のために交代で二隻が警戒していた。
「《はるな》と《あしがら》はレーダーに火を入れさせるな。無力化されるぞ」
「だが、こんな強力な電子爆撃を行っては向こうもただでは済みません」
布施一佐が言った。強力な電子攻撃を行うにはそれなりの代償が必要だ。過度な出力が必要な電子攻撃は機材上、長時間は行えない。
「目標探知、右六度、真っ直ぐ接近。ミサイルと思われる」
これは《かが》のレーダーによる情報ではなく、データリンクで得た情報だ。無力化されていない残る護衛艦が対空戦闘を開始する。
「飛行隊に敵電子戦機を撃墜させろ」
「了解」
電子戦機を排除しなくてはアウトレンジで迎撃できるイージスを使うことが出来ない。艦隊の防空能力はすでに半減していた。
そんな中、艦隊から百二十キロ離れたアウターディフェンスゾーンにおいて要撃機が迎撃を始めようとしていた。
「全機、武器の使用を許可。交戦せよ。繰り返す――」
通信すら妨害を受ける中、戦闘機は次々に発艦していく。
「対艦兵装を抱えた機はどうしますか?」
副長の高岡二佐に聞かれ、岡本は答えに一瞬窮した。対艦ミサイルを抱えていては空戦は無理だ。かといって敵が大規模な攻撃を仕掛けてきた今、一機でも多くの機体を空に上げておきたい。
「兵装を対空兵装に換装させろ」
「待って下さい」岡本の指示を遮ったのは布施だった。「むしろ今は好機です。敵は保有する戦闘機のほとんどを我が艦隊に向けているはず。攻撃隊を出して敵の空母を叩かせます」
「護衛機は出せないぞ。艦隊防空でこっちは手一杯だ」
「増援が到着します」
本土からの作戦支援のために奄美空港まで進出した第6飛行隊のF‐2支援戦闘機と、岩国の第104飛行隊のF‐35戦闘機が合流のためにこちらに向かっていた。他にもこの攻撃を支援するために第305飛行隊、第307飛行隊が別働隊として任務に当たっている。
「間に合うのか」
「敵の電子戦機を撃墜して猶予を稼ぎます」
布施はコンソールの管制官達に新たな指示を飛ばす。
その時、笠原達は航空隊のブリーフィングルームで最後の確認を行っている最中だった。艦内にはアラートが鳴り響き、飛行管理員から全機に緊急発進が指示される。
「全機か?」
「全機です!上げられる機はすべて上げろと」
飛行管理員が電話に耳を当てながら叫び返す。
「マズいな、敵に先手を打たれた」
笠原は呻きながら椅子から立ち上がる。
「行くぞ。緊急発進だ」
「ああ!」
黒江も資料も纏めず、笠原に続いて飛行甲板へと走る。全員、すでに装具をつけていたのが幸いだった。他のパイロット達も飛行甲板へと殺到している。
「飛べる機体はすべて出せ!」
「急げ!」
急かされてもカタパルトに並んだ機体が発艦するには時間がかかる。自分の機体の点検もそここそに乗り込んだ笠原はすぐに機体を立ち上げにかかった。
隣を並走する《きい》からは対艦ミサイルを抱えた第101飛行隊のF‐18FJもカタパルトから飛び出して行く。指揮官たちは兵装を転装するよりも上げることの出来る機体を上げることに専念しているらしい。
「まさか、作戦を続行する気じゃあないだろうな」
一瞬頭によぎった懸念に笠原は顔を引き攣らせる。遠くの空で爆発閃光が輝くのが見えた。もう戦闘が始まっている。
「急いでくれ……」
カタパルトまで続く機体の列はまるで渋滞だった。艦載機の発艦を続けるため、風に立った《かが》、《きい》と違い、他の艦艇は大きく回頭し、陣形を組み直していた。
『シャドウ、お前はチャーリー隊だ。ファルとセナ、ゾノを率いて上がれ』
安藤が無線で呼びかけてきた。安藤のF‐18はすでにカタパルトの手前に位置していた。主翼には増槽に加え、空対空ミサイルを満載している。
「ラジャー」経験の未熟な四機編隊長である笠原の練度を考慮して使いやすいメンバーを即座に選んでくれた安藤に笠原は心の中で感謝する。
『こちらイーグルネスト。シーウルフ・アルファ編隊、発艦後方位290、高度二万フィートへ上昇。方位305から接近する敵機編隊を迎撃せよ。ブラヴォー編隊、発艦後方位200、高度一万八千フィートへ上昇。方位220から接近する敵機編隊を迎撃……』
雑音交じりの無線を聞きながら笠原は、射出位置へハンドラーの合図に従って機体を進ませる。
カタパルトによってF‐18EJが射出され、上昇していく。バリアーが下がり、笠原は機体を射出位置へと運ぶ。
『チャーリー編隊、発艦後方位340、高度三万二千フィートへ上昇。グロウラー01と合流し、方位340、距離二百マイル、敵電子戦機を撃墜せよ』
「チャーリー・リード、ラジャー」
電子戦機の大まかな方向がHUDに表示される。
「二百マイルか」
燃料を計算し、アフターバーナーを焚く時間、空戦が可能な時間を割り出し、素早くニーボードに書き記す。その間にノーズギアにランチバーが取り付けられ、発艦準備が整っていた。無線に応答しながら笠原は隣の第二カタパルトを見やる。黒江のF‐18EJが発艦態勢を整えていて、こちらの視線に気づいてサムアップしてきた。笠原もそれにサムアップを返す。甲板要員たちの敬礼に左手で答礼しながら発艦に備えた。
『こちらシーウルフ03、攻撃を受けている。増援を求む』
無線に聞こえた高田一尉の声に生唾を飲み込んだ。CAP機はすでに交戦していた。
轟炸H‐6G爆撃機八機編隊とその直掩の殲撃J‐11戦闘機八機編隊が艦隊の北から接近していた。その迎撃に向かった高田一尉は敵機のレーダー範囲外から忍び寄るために大きく旋回し、その後方に回り込んでいた。
「03より各機。目標は爆撃機だ、発射後直ちに離脱する」
旋回しながら高田は無線に呼びかける。爆撃機は対艦巡航ミサイルを抱えているはずだ。発射される前に落とさなくてはならない。
『ラジャー』
続く三機のパイロット達の声は緊張していた。早期警戒機からの電子支援が受けられず、通信波はジャミングを受けている。そして最後に確認された敵機の数は三十機以上だった。
中距離ミサイルの射程に爆撃機を捉えた。
「ターゲット、ロックオン。FOX――」
その時、ミサイルを発射しようとした高田の耳に警報が鳴り響いた。IRSTに反応。後方から敵機が急迫してくる。
『フランカーだ!』
敵の一部も同じくレーダーの範囲外からこちらを撃墜するべく忍び寄っていたのだ。警報は続いてMWRに切り替わった。
「ミサイル、ブレイク!チャフ・フレア、アウト」
操縦桿を右に叩き付ける様に倒し、ラダーを踏みつけて急旋回する。IEWSが自動で自機防御手段を講じ、ミサイルに対してECMを行い、チャフを射出する。
『六時方向ボギー!』
ミサイルを回避する僚機が叫ぶ。その間にも爆撃機の編隊は艦隊に向かって突き進んでいた。
「こちらシーウルフ03、攻撃を受けている。増援を求む」
無線に呼びかけるが、このECM下で届いたかは分からなかった。背後から迫る戦闘機を回避するために強烈なGに耐えて旋回を続ける。誰かが爆撃機を仕留めてくれることを祈りながら高田は編隊機に反撃の指示を出した。