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エピローグ


 肇は妻の恵子と長女の心と公園で遊んでいた。

「お父さんは少し休む」

 肇がそう言うと

「しょうがないな……おかあさん、噴水見にゆこう」

 心が恵子を誘った。

「そうね」

 心と恵子は手をつないで噴水へかけていった。


「行方不明だった鈴木秘書の妻子も忽然と消えた。しかし鈴木さんはアメリカに拉致されたというわけではなく、アメリカ政府のために働く決心をしたようだ。あとからわかったことだが、鈴木さんは、あらかじめ技術資料をたくさん収集していたようで、それを武器にアメリカ政府と交渉したのだろうと思われる。米国版プロジェクトDだ。日本での犯罪は罪に問わないという日米政府間で密約があったという。中国と北朝鮮にプロジェクトDの技術が渡った形跡はないということだが、アメリカには間違いなく渡っている。技術を独占し、新しい市場を切り開こうとしていた日本政府の思惑ははずれてしまったが、相手がアメリカではどうしようもない。


私は二度目の手術を受けることにした。手術を受ける決断は一人でしたが、手術を受ける前に、妻と娘にはすべてを話した。娘はまだ幼いのでどこまで理解しているかわからないが、妻は理解し受け入れる決心をしてくれた。記憶などはそのままなので時間とともに違和感は薄れてゆくのかもしれない。しかし、デュープ化技術はこれから議論されてゆくだろう。その中で私たち家族は生きてゆく道を選んだのだ。


ただ、私にはどうしても解けない謎がある。生命ラボらしき場所でみかけた多くのデュープたち。溶融装置で情け容赦なく溶かされてゆくデュープたち。そして高木さんとの出会い。それらの記憶が私にはある。しかし私は帝都病院を出てはいない。帝都病院で脳移植手術を受けたが、それ以降、病院を出て生命ラボへ移動した記録はない。ではなぜあんな記憶があるのだろうか? あの記憶は私の記憶なのだろうか? もしかしたら私の脳を移植したDデュープが持っていた記憶を私が受け継いだのではないだろうか? 一般的に身体的記憶と呼ばれるものは、実際には脳の奥にある大脳基底核と小脳によって記憶されているというから、脳による記憶という点ではほかの記憶と変わらないはずなのだが…脳による記憶ではなく、身体そのものの記憶というものがあるのだろうか……身体も記憶している、そう主張している科学者もいるという……」



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