プロローグ
庭の桜が、ちょうど見頃だった。
枝の手入れを終え、落ちた花びらを掃き集める。
山に囲まれたこの辺りの春は遅く、空気にはまだ冷たさが残っている。
だが今日は妙に静かで、やるべきことも一段落していた。
そんなところへ、宅配業者から連絡が入った。
――本日、十三時から十五時の間にお届けします。
VRMMOと呼ばれている、初の実用機だという。
午後の予定を空ける理由としては、十分だった。
指定された時間帯に合わせて家に戻り、設置作業が終わるのを眺める。
部屋の中央には、寝台にも似た白いカプセルが収まっていた。
帰り際、作業員から一枚の広告を受け取る。
「正式サービス開始 18:00〜」
簡潔な表記だった。
開始時刻まで、まだ少し余裕がある。
機材の電源を入れ、取り扱い説明書兼仕様書に目を通す。
構造や用語は目に入るが、立ち止まることはない。
開始三十分前。
初期設定は、すでに可能になっているらしい。
カプセルの側面に手を置くと、
低い駆動音とともに、上部が静かに開いた。
内部は、必要最低限の造りだった。
体を預けると、背中と脚部を支える感触が均等に伝わってくる。
カプセルが閉じ、視界が暗くなる。
わずかな振動のあと、外界の音が遠のいた。
初期設定用の接続を選び、ログインする。
次の瞬間、視界が切り替わった。
足裏に床の感触がある。
重心も姿勢も、最初から安定していた。
その空間の上に、設定画面が重なって表示される。
外見調整の項目が並ぶ。
操作というより、自分の身体を確かめながら整えていく感覚に近い。
必要な部分だけを調整し、確定する。
画面が切り替わる。
――プレイヤーネームを入力してください。
入力欄に、短く打ち込む。
クロウ
次に表示されたのは、種族選択だった。
複数の種族名が並んでいる。
聞き覚えのあるものも、そうでないものもある。
クロウは、その一番下にある
〈ランダム〉を選んだ。
一瞬、表示が止まり、切り替わる。
《???》
一瞬だけ表示を確認し、
問い合わせ用の項目を選ぶ。
『仕様です』
「そうか」
それ以上は気にしない。
職業選択の画面が表示される。
【戦闘職】精霊術師
【生産職】錬金術師
そのまま確定する。
時刻は、まもなく十八時。
カプセルの外では、
庭の桜が、また一枚、風に舞っている。
――VRMMO正式サービス、開始。
この世界が、どんな法則で動いているのか。
その時の彼は、まだ知らない。
だが――
世界を観測する姿勢だけは、
すでに最初から変わっていなかった。




