●第269話●徒然ならざる船旅
新年あけましておめでとうございます。
2026年は新章と共にスタートです!!
「三日目の夕方で約六〇〇キロメートルか……。今のところまずまず順調だなぁ」
甲板の後方、船室の屋上デッキに設けられた船長室兼艦橋で、魔法具で壁に投影された情報を眺めながら勇が呟く。
例の小型船に積まれていた、船の方角とウォータージェットの強さを記録する魔法具の仕組みを応用して、半リアルタイムで船がどれだけ動いたのかを計算する魔法具を開発していたのだ。
最初は文字のみでどの方角に何キロメートル航行したのかを表示していたのだが、いまいち分かりづらい。
そこで、数字の0と1を使い、文字だけで疑似的に地図表記っぽくできるように改良を加えた。
例えば、全く動いていない状態を
00000
00000
00000
00000
00000
で表すとする。
0一つが十キロメートルの想定だ。
そして左上から出港し、真南に三十キロメートル航行した場合、
10000
10000
10000
00000
00000
となる。
さらにそこから方向転換、真東に四十キロメートル航行すれば、
10000
10000
11110
00000
00000
となる。
実際には一行の文字数はもっと多いので、粒度は細かくすることが出来る。
また、一文字当たりの距離数倍率を変えることが可能なので、粒度・精度を無視すれば理論上何キロまででも対応可能だ。
この仕組みを導入したおかげで、これまでの航路をある程度の精度で可視化することが可能となっていた。
瑠璃猫号の巡航速度はおおよそ時速二十キロメートル。
夜間の航行は危険なので、明るい時間のみの航行でおおよそ一日二〇〇キロメートル航行できる計算だ。
ちなみに船速を計るのにはピトー管と呼ばれるものを利用している。
ウォータージェットの出力も計測しているので、静止水面であればその出力だけで速度が測れるが、外洋では海流や風の影響を受けるため、別の計測方法が必要なのだ。
ピトー管という言葉はあまり耳慣れないかもしれないが、構造はごく単純で、L字型の細い筒の水平方向の先端を船の正面に向けて水中に突き出して設置すれば準備はほぼ完了だ。
船が進むと水平方向の筒の中の水に圧力がかかり、垂直方向の水位が押し上げられる。
この水位の高さは水圧の強さ=速度に応じて一定なので、水位から速度が計算できるのだ。
詳細な説明は省くが、ベルヌーイの定理を応用した仕組みである。
なお、時速二十キロメートル時の水位はおよそ一・五メートル、三十キロだと三・五メートルほどだ。
速度(圧力)の二乗に比例して水位が上がるので、高速になるととんでもない水位となるのだが、瑠璃猫号の船速は通常モードで最大時速三十キロメートル、緊急時の限界速度で四十キロメートルほどなので大きな問題は無い。
地球にあるピトー管とは、もちろん細部のつくりは異なるが、原理や効果には大きな違いは無い。
なぜ勇がピトー管やそれで速度が計測できることを知っているかと言うと、車好きの勇がF1カーにピトー管が装備されていることを知っていたからだ。
F1は地上で使っているため、計測しているのは水圧ではなく風圧だが、原理は同じである。
ちなみに曲がるストローがあれば、家でも簡単に実験が出来る。
風呂などで水平方向部分を水没させて、そのまま先端方向へストローを水中で動かせば、速度に応じて垂直方向の水位が上がり、限界を超えると頂点から水が溢れる事が分かるはずだ。
「ぼちぼち日が暮れるな……。マルセラ、海流はどうです?」
勇が、艦橋に併設された操縦席で操船するマルセラに声をかけた。
自領に持ち帰ってきた後に最も手を加えたのは、間違いなく艦橋だろう。
まず、広さが二倍以上に増築されている。
そして艦橋を増築して実装されたのは、新しい操縦席だ。
シャルトリューズ領バージョンでは、船尾にあるジェット推進のノズルの方向を直接操作していた。
それはそれで確実性があって良いのだが、複数人で操作が必要な上、外がほとんど見えないので操作精度が落ちる。
また、船長からの指示を伝声管で受けてからの操作となるため、どうしてもタイムラグが発生してしまっていた。
それを、見晴らしも良く指示を出す船長がいる艦橋に移すことで解消しようというのだ。
ただ、この世界の技術でそれを実現するのはかなりの難易度になる。
これが現代地球の船であれば、コンピューター制御でノズルと操縦席が離れていてもそこまで問題は無い。
それを解決したのが、魔法巨人の書記に使われている遠隔操作の魔法陣だった。
この魔法陣は、人の動きをトレースして、遠隔地にある魔法巨人の部位がそれを再現することが出来る。
なので、船体後方のノズルに魔法巨人の腕を配置し、操縦席側にノズルのダミーを設置しておけば、かなりの精度でノズルを遠隔操作可能だ。
仕様上タイムラグが発生するのが課題だが、艦橋とノズルの距離は十メートル程度なので、タイムラグは誤差の範囲である。
実物のノズル側からのフィードバックが無いので、慣れるまでに多少時間がかかるが、慣れれば問題なく操船できている。
万が一双方のリンクに不具合が発生した時のために、実物のノズル側に監視する者を置いておけば、大事になる前に事態は収拾できるだろう。
「若干西にドリフトしている感じなので、その方向に弱く海流が流れてますね。少し前にロープで計測した感じだと、時速二キロメートルくらいかと」
勇の問いに、操縦席にのんびり座っていたマルセラが答える。
目指す地点はまだ遥か先なので、荒天や魔物との戦闘時でもない限りは速度や進行方向をそれほど微調整する必要はない。
しかし、二人の会話にも出てきた海流の流れ方や強さに関しては、ある程度気を配る必要があった。
地球と同じように、この世界の海にも海流は存在している。
大洋を緩やかに流れているそれは、地上でいえば地面そのものが動いているようなものだ。
その流れに乗ってしまうと、否応なく船は流されてしまう。
海流に流されると、船の向きと進んでいる方向にズレが生じるし、流された分、水の抵抗を受けるため、同じ出力でも静止水面の時とは船速にもズレが生じる。
そのため、操船している人間は違和感を感じることが出来る。
違和感を感じた場合、どの程度の海流なのかを計測しないと、航路にズレが発生してしまう。
時速数キロメートルとは言え、半日それに流されれば二十キロメートル以上理論値とズレる。
何十日もの航海ともなれば、その積み重ねは無視できない大きさになるのだ。
ではどうやって海流を向きや速さを計るのか?
船の向きと進行方向にギャップがあるので航跡を見れば分かりそうなものなのだが、先にも書いたように水自体が動いているため航跡も一緒に流されてしまう。
そのため航跡を見ただけでは、ズレを目視するのは困難である。
そこで使うのが、マルセラの言っていたロープだ。
長いロープを船尾から漂わせる。
すると船尾の近くでは船の動きに引っ張られて航跡と同じ挙動を示すが、距離が離れるにつれ船の動きの影響を受けなくなり、やがて海流の影響のみを受けてロープは流される。
その流れ方を見ることで、海流の方向と強さを推し量ることが可能になるのだ。
「それくらいの速さなら大丈夫そうですね。うねりも少ないですし、仮泊の準備に入りましょう」
「了解です! アナウンスをお願いしても良いですか?」
「もちろん。あー、総員に告ぐ、総員に告ぐ。艦橋より通達。これより仮泊準備に入る。三十秒後に方向転換を開始するので作業を停止して備えるように。以上」
艦内全体に伝わる伝声菅を使って勇がアナウンスを行う。
アナウンスの内容通り、三十秒後からマルセラが細かくノズルの調整をして船速を落としながら船をその場で回頭させ始めた。
独立制御式のウォータージェットを備える瑠璃猫号ならではの挙動だ。
ザザーと舷側が波飛沫をあげながら船の向きが変わり始めると、緩やかな横Gが感じられる。
サイドスラスターも駆使しながら一分ほどかけて海流に正対するように回頭を終えると、推進力を落としていった。
「ふぅ。回頭完了。速度調整ヨシ!」
「お見事」
「あははー、だいぶ慣れました」
小さく息を吐くマルセラを勇が労う。
これで今夜の仮泊準備はほとんど整ったと言ってよいだろう。
仮泊とは、外洋で船を一時的に停泊させることだ。
GPSやレーダーが無い船で夜間航行を行うのは危険なため、夜間は原則船を止めることになる。
しかし錨が機能する近海であれば投錨するだけで済むのだが、水深のある沖合では錨が機能しないため、単に推進力を止めると潮や風に流されてしまう。
帆船であれば帆を畳んで基本的には流されるしかない。
シーアンカーと呼ばれるパラシュート状の帆を水中に投下することで抵抗とし、風上に船首を向けて安定させたり流される速度を緩める程度だろう。
瑠璃猫号は推進装置があるため、流される向きとは逆の方向に同等の速度の推力を発生させ続けることで、ほぼ流れるのを相殺することが出来る。
風向きや潮の向きに応じて、シーアンカーも補助的に使用する形だ。
先ほど回頭したのは、現海域は潮流が支配的なので、その流れに正対する必要があったためである。
自動操縦のような機能は搭載していないため、夜間の見張りと微調整は必須ではあるが、よほどのことが無い限り安定して仮泊できるだろう。
コンコンコン
「どうぞ」
船の流され方を見極めていると、艦橋のドアがノックされる。
「イーリースです。マルセラさん、お疲れ様です! 交代するので休んでください」
勇が促すと、若手騎士のイーリースがマルセラに交代を告げた。
平時の瑠璃猫号は、七時~十七時の昼番、十七時~二十四時の宵番、零時~七時の暁番という変則三直制をとっているので、この時間で昼番のマルセラはお役御免である。
「イーリース、後はよろしく」
「ありがとー! さぁて、今日の夕飯は何かなぁ」
「了解です!」
勇がイーリースに一声かけて艦橋を出ていく。
マルセラも軽く伸びをしてから、イーリースと軽くタッチを交わしてそれに続いた。
今回の航海には、総勢四十五名が乗船している。そのうち騎士は六人、兵士は十五人だ。
魔法巨人があるとはいえ、騎士は領地の最高戦力なので、六名でもギリギリである。
メンバーは、フェリクス、リディル、マルセラ、ティラミス、イーリース、ユリシーズだ。
海上での戦闘は魔法具と魔法が主となるため、魔法が使える者を優先、魔法巨人を操縦できれば尚良しという人選である。
イーリースは、魔法巨人も操縦できるが、マルセラ、ティラミスに次いで操船技術も高いため、操船担当となることが多い。
◇
「ん~~~、いい匂いがする! これはお肉を焼いてる匂いだ!!」
艦橋から甲板の船室に降り、そこからさらに地下一階の船室エリアへと降りる階段で、マルセラが鼻をひくつかせている。
地下一階はそのほとんどが船員が寝泊まりする生活エリアとなっており、勇とマルセラが向かっている食堂もこのフロアにあった。
「あはは、確かに肉を焼く匂いがしますね」
「魔法コンロは本当に素晴らしいですね。ここまで野営食が豪華になるとは……」
マルセラが真顔でそう言いながら、腕組みをしてうんうんと頷いている。
長期の航海は、通常であれば陸上の長期行軍よりも食事事情は悪くなるのが普通だ。
まず真水がとんでもなく貴重なので、水を多く使う料理は出来ない。
そして木造船最大の敵である火を使う料理にも、気を使う必要がある。
対して瑠璃猫号はと言うと、まず水は魔法でも魔法具でも出し放題なので無制限に使える。
そもそも風呂がある時点でさもありなんだ。
さらに魔法コンロのおかげで、揺れる船内でもかなり安全に加熱が出来る。
加えて各種冷蔵箱も完備されているため、持ち込める食材の幅も広い。
さすがに冷凍庫は無いので生ものは多くないし、葉物野菜など日持ちしない野菜は使えないが、それでも野営食とは思えないほどレパートリーは豊富だ。
「おっちゃ~ん、今日の夕飯はなに~~?」
食堂に入りながら、マルセラがカウンターの向こうで調理しているスキンヘッドのいかつい男に声をかける。
「おう、マルセラか。今日は塩漬け肉の焼き戻しだぜ。マスタードソースもつけてあるぞ!」
おっちゃんと呼ばれた男――騎士宿舎の料理長バルボが、フライパン片手に答えた。
退屈な船上における最大の楽しみと言っていい、夕食の時間が始まる。
本話から17章がスタートします。
本年も織姫と愉快な仲間たちを、よろしくお願いいたします!!
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