第三章 聞けば嘲笑ってしまうようなライトノベル 001
001
夜叉神羅刹という名前を初めて見た時は、随分と格好いいハンドルネームだなと思った。夜叉だの神だの羅刹だの、物騒なんだか大層なんだかとっちらかっちゃったような、小学生が覚えたての格好いい言葉を詰め込んだような、まさにお子様ランチのような粋なネーミングセンスだなと、感心すらした記憶がある。そしてもちろん、そんなネーミングセンスの持ち主が見た目幼女の成人女性などとは、当然だが想像だにしなかったわけで。
夜叉ちゃんとの出会いは、一言で言えば異常だった。
話せば長くなるので大事な点のみを抽出すると、中学二年生だったかそれくらいの秋の頃、当時何かの気の迷いで俺はオリジナルの小説をネットに――某小説家になろうに――公開していたのだが、その時から使っている小説用のツイッターアカウントに、その夜叉神羅刹という名のユーザからダイレクトメールが、ある日突然届いた。
夜叉神羅刹:『俺モテ』めっちゃ面白いです! ぜひ作者様に一度会ってお話してみたいです!
こんな感じのダイレクトメールだった気がする……今思い返しても不信感しかない、出会い系サイトのサクラみたいな本文だったので返信もせずに放置していたら、一カ月後くらいに家のチャイムが鳴り、出てみれば見下ろした位置で小学四年生くらいの女の子と目が合った。
「なんで無視するんだよ! 返信くらいしろ!」
……お分かりかと思うが、当然その小学生は本物の小学生ではなく、小学生を模した成人女性、夜叉神羅刹その人である。どうやら俺のツイッターアカウントから住所を割り出して自宅を突き止めたらしい。たまたまその時は家に一人だったからよかったものを、俺でなく親とか妹が出てたらどんな誤解を受けたかと思うと、恐怖で夜も八時間くらいしか眠れない――そんな感じで、夜叉ちゃんとの初遭遇は珍妙で奇々怪々、宇宙人に耐性が付くくらいの不思議な出会いだったわけだ。
まあそんな出会いでも、彼女が俺のファンであることに変わりはなかったし、何よりこうして、高校進学と同時にバイトとして彼女の店で雇ってもらえているのだから、悪いものではなかったけれど――悪かったことと言えば、彼女が俺を訪れたタイミングと言うのが、丁度俺が小説執筆を辞め始めた時期だったこともあり、あれ以来新しい物語を彼女に読ませていないわけで、その辺は悪く思っている。折角ファンが直接会いに来てくれるという刺激的な出来事があっても、俺の中での決意が変わることがなかったことに関しては、自分の粗末な意思が原因だと自戒するほかないだろう。
ファンと言えば、もう二人。更新する度にコメントを残してくれた『美少女大好きさん』というユーザもいたっけな――それと。
最も身近なファン。
彼女が待つのは、ここ、鹿角家。
都内から少し外れた場所にある庭付き一戸建て4LDKで、俺のバイト先である須佐之男書店と俺の進学先でもある白露高校、それから昼間にお邪魔した濫読の家と、三か所のポイントに徒歩十五分以内でアクセスできる中々の立地条件である。まさに夏の大三角の中心、オリオン座で言うところのミンタカ、アルニウム、アルニタクとでも言ったところだろうか――世帯主である俺の父親とその婚約者である母親は仕事の都合上滅多に家に帰ってこないので、基本的に家には俺と妹の二人しかいない。ここだけ抜粋すると、まるでラノベによくありそうな設定に聞こえなくもないので、もしかしたらこの世界は本当にラノベなのかもしれない。まあ、仮に本当にそうだったとしても、自分が主人公だとかそんな傲慢な考えは微塵もないけれど、ならばラノベらしく、目の前にある玄関の扉を開けたら超絶可愛い妹が兄の帰りを寂しそうに待っていたりしないだろうか――そう妄想する読者もいるかもしれないが、ご名答。
扉を開けると。
縦線のスクリーントーンが頭頂部に似合いそうな様子で、項垂れた妹が玄関に寝そべっていた。
「た、ただいま……」
「……んあっ?」
俺が声をかけるとその人物は目を覚ます――どうやら気絶していたらしい――そして俺が帰宅したことに気付くや否や、
「よみ兄い!!」
グイーッと、扉が開閉するかのように踵を支点にして起き上がった。
死人のような表情から一変、明るい未来を夢見る若者の顔になっている。
「なんで!? 今日早くない!? クビになったの!?」
「んまあ、ちょっと色々あってな」
現在時刻は一九時四〇分。通常ならバイトは二一時まであるのでもっと遅い帰りになるのだが、今日はちょっとした事情で早上がりになったため、意気消沈気味にこうして帰ってきたという次第である。
「もしかして、私に会いたくて早く帰ってきたとか!?」
「えっ? いや、違うけど……」
「……チッ」
舌打ちが聞こえた。
マジな方の舌打ちである。
えーっと。
「なーんてな。実は仕事中に突然妹の顔が見たくなってな。夜叉ちゃんに無理言って早引きさせてもらったんだよ」
「そうなの!? いやーそんなことだろうとは思ったよ。よみ兄いってば、マジで私のこと好きすぎだもんね♪」
完全回答が聞けてご満足なのか、一気に上機嫌へと戻る彼女――鹿角みるくは、俺のたった一人の兄妹である。兄妹お揃いの色である黒髪は腰の位置まで伸びており、毛先にがっつりパーマを当ててふわふわくるくるとさせている。この前中学生になったばかりにしては身長は高めであり、ロリにしか見えない夜叉ちゃんはもちろん、同年代の中では比較的小柄な濫読とほぼ同じ高さはあるだろう。スタイルに関して言えば兄の俺ですら驚くほどのモデル体型であり、胸は小柄なものの足もすらっと細く、整った顔立ちも相まってかなりの美人だ。同じ遺伝子が間違いなく俺にもあるはずなのだが、どうしてここまで兄妹の間で差がついたのか、死ぬまでに見つけたい謎のうちの一つと言えよう。そんな見た目と遊び心でかけたパーマのせいもあってか、学校では俺とは正反対にギャル仲間とつるんでいるらしく、学校に行く時の制服は校則違反で退学になる瀬戸際辺りまで気崩しているし、友人と遊びに行く時はヘソ出しスタイルやがっつり足が出るような挑発的な格好で出かけたりするし、頭やら首元やら手首やらにじゃらじゃらとアクセサリーをつけているのだが、妹曰く、それはあくまで付き合いの上でわざとそういう格好にしているらしい。現に今だって、
「よーしよしよみ兄い、愛しの可愛い妹が鞄を持ってあげるからね」
「ん? ああ、ありがとう」
「制服も脱がしてあげるからね」
「ん? ああ、ありがとう」
「全部脱がしてあげるからね」
「ん? ああ、いや待てや」
そんな風にスキンシップを迫ってくる妹の格好はと言えば、リスそのものだった。
リス。
漢字では栗鼠と書くらしいが――背中に三本線の入った茶色っぽいぶかぶかの着ぐるみパジャマに、かぶるとリスになれるフードが付いた、コスプレにも使えるルームウェアである。おまけに無駄に再現度が高く、お尻のところにでっかい尻尾がついていた。
背もたれ付きの椅子に座れない造りになっていた。
そのせいで、椅子に座るときはわざわざ背もたれの位置を横にして椅子に座ってるし、寝る時も左右どちらかの方向を向かなければ寝れないのである。これ以外にも猫とか犬とかパンダとかハムスターとかアルマジロのデザインの物を持っているはずなので、もうリスは着なくてもいいんじゃないかと前に質問したことがあるのだが、頭ではわかっていてもリスになりたい気分の時があるらしく、結果としてその日の気分次第でコスチュームを選ぶこととなってた。
今日はリスの気分だったらしい。
まあどの道、陽キャらしからぬ格好ということだ――それもそのはず、みるくは別段、陽キャではないからだ。付き合いの上で仕方なくそういう風を装っているが、あくまでそれは表の顔であり、真逆の裏の顔、家にいる時や俺の前では、本性だしまくりの曝け出しまくりなのである。
本性――もちろん、オタクとしての鹿角みるくだ。
「そう言えばよみ兄い、新キャラのデザインできたよ」
「新キャラって……なんのだ?」
「もう! 兄様の神小説のに決まってるでしょ!」
なんか知らんが怒られた。
兄様ってなんやねん。
「完全に私の趣味なんだけど、俺モテって小悪魔後輩系キャラがいないじゃん? お兄ちゃん、もしかしたらうまくイメージできてないんじゃないかと思って、私が一から考えてみたの」
俺の鞄とブレザーを嬉しそうに抱えながらリビングへと入っていったみるくは、そのまま食卓テーブルの上にあるipadを手に取って俺に見せつけてくる。
「ほら、こんな感じでデザインしてみたんだけど……どうかな?」
画面に映し出されているのは、お絵かきアプリで描かれた一枚のイラスト。
みるくが描き上げた、オリジナルの美少女キャラだった。
「おお、めっちゃ可愛いじゃん」
見た目小学校高学年から中学一年生くらいの、うっすらと褐色気味でプラチナブロンドヘアという、中々に小生意気そうなキャラだった――成る程、最近流行りの『わからせてやりたいメスガキ』とでも言った感じだろうか、小悪魔な後輩には正にふさわしいキャラ設定と言えよう。
「やっぱりみるくは絵が上手いなー。お兄ちゃん感動しちゃうよ」
「そう? そう? えっへへ、もっと褒めてもいいんじゃない?」
「最高。やべえ。尊い。しんどい。無理。マジ卍。神絵師。世界一の妹」
「でゅ、でゅふふ~。いや~、よみ兄いに褒められると、生きた心地がするでありますな~」
みるくの頭を優しく撫でると、一昔前のオタクみたいな笑い方が返ってきた。
みるくはとても絵が上手い――絵心はあるが模写しかできない俺とは違い、みるくは構図からラフから色使いから、全部描くことができる。子供の頃から紙とペンさえあればいつでも絵を描いているような子であったが、ちょっと前にiPadとApple Pencilを親が与えてからメキメキと画力が上達し、加えてキャラクターや服装のデザイン力も高く、発想力の乏しい俺に代わって俺が書きたいとするキャラクターのデザインを肩代わりしてくれていたのだ。活字だけでしか表現できないというのは読み手だけに限らず書き手にも同じことが言えるので、絵に起こしてキャラクターをデザインしてもらえれば、それを頭の中で動かしやすくなる――そう意味では、彼女の才能はまさに最高の妹でも言うべき才能だったのだ。
「早くよみ兄いの小説が文庫化されないかな~。ねえよみ兄い、その時は絶対あたしに挿絵、描かせてよね!」
「……ああ」
眩しい笑顔と共にそうはしゃぐ妹を前に、しかし俺は――目を逸らしながら曖昧な返事しかできなかった。
俺がもう小説を書いていないことを、くるみは知らない。
そもそも彼女がこういったキャラクターデザインに長けた才能の片鱗を見せ始めたのは俺が小説を書いていたのがきっかけであり、それでもそれはただのきっかけに過ぎず、彼女自身の才能に違いないにもかかわらず、彼女はそれを『俺が小説を書いていたから見つけられた特技』だと思っている節があるようで、未だに彼女のイラストにおける原動力の根端には、俺と言う存在が大きく絡んでいる。言い訳がましく聞こえるかもしれないが、だからこそ俺は、俺自身が小説を書くのを辞めてしまったことを、彼女に言えずにいるのだった。丁度中二の秋頃からという時期もあり、受験勉強に集中するために暫く休むと偽り、高校に受かった今では、取り敢えず高校での学習状況が安定するまでは様子を見ると、そんな見え透いたような嘘を。
俺のせいで、彼女に才能をどぶに捨ててほしくないがために――平気な顔して嘘を貫いている。
「俺も挿絵を任せるならお前以外にありえないよ」
どのみち傷つける結果にしかならないのに、その時の顔を見るのが嫌で、先へ先へと先送りにしてしまう――そんな自分に吐き気すら催した。
「だよねー! あたしたち、運命で結ばれてるもんねー!」
中学生にしてこれだけの画力を持ち合わせている彼女はツイッターにも完成した絵を掲載しており、そのクオリティからか当然至極、ファンもかなりの数がいる。加えて定期的にダイレクトメッセージにてオリジナルブイチューバーのデザインやら自作TRPGのキャラデザやらラノベの挿絵イラストの依頼やら、色々な案件が来ているようなのだが―、彼女は断固としてそれらの仕事を拒否している。その理由も俺にあるようで、将来は漫画家兼イラストレーターになりたいらしく、初めての仕事として、俺の小説の挿絵と、コミカライズされた際の漫画を描くのが夢だというのだ。
処女を捧げる、みたいなことを言っていた気がする。
何を描くにしても、初めては俺が良いそうで――その夢を聞かされるたびに、なんとも言えない歯痒さを胸に抱えてしまう。
「……ん」
と、そこで俺はテーブルの上に一冊の本が置いてあることに気が付く。
A6サイズの文庫本。
俺が朝読んでそのまま置いていった、『君を探す僕、僕を見落とす君』だった。
「みるく。もしかしてそれ、読んだのか?」
逃げの一手――というわけでもないけれど、話を逸らすためにそんな風に話題を振ってみる。
「読んだ読んだ! これヤバいね! ちょーヤバい!」
「……えっと、面白かったってことでいいんだよな?」
「うん! ヤバヤバだった!」
語彙がヤバいしかなかった。
なんだろう、中学に上がってからの妹の語彙力に一抹の不安を覚える……小学生だった時からお勉強は少し苦手だったみたいだけれど、それでも面白いものに対してヤバいヤバいというような終末のギャルではなかったはずだ……それとも、最近の若い子の間ではそれが普通なのか?
濫読もヤバいヤバい言いながら締め切りに追われたりするのか?
「ほんとマジヤバいじゃん、これ。イラストも綺麗だけど何より中身が面白いって言うか、なんかこー、わーって来てドーンって去って、最後は寂しくなる感じ? がヤバい!」
ヤバいのはお前の知能指数だよ――とは言えなかった。
とにかくヤバかったらしい。
「あ! でも世界で一番ヤバいのはよみ兄いの小説だからね! これマジだから!」
「…………」
それでも、例え小学生レベルの語彙力だとしても、例え相手が身内だとしても、自分の作品を誰かに褒められるのは満更でもないようで。
例え、もう捨てたものに対してだとしても。
壊れたおもちゃを手放すように、いとも容易く投げ捨てたものでさえも、そんな風に真正面から褒められると、嫌な気分はしなかった。
久しぶりの感覚。
最近、わざと小説についての話題は避けていたからな……妹もどこかでそれを察していたのか、積極的にそこに踏み入るようなこともしてこなかったし――だからこそ、今ここでリミッター暴走気味に話しているんだろうけれど。
妹に対しては悪いとは思いつつも――褒められることを悪いとは思えなかった。
嬉しささえ覚えてしまった。
だから不覚にも、こんな質問までしてしまうのだった。
「なあ、みるく」
「どったの?」
「お前、俺の小説好きか?」
「当たり前じゃん」
即答だった。
思わず惚れそうになるほどの潔さだった……作者自身でさえ、目を背けたくなるような劣情を抱いてしまうというのに。
「よみ兄いの小説は、私がオタクになったきっかけでもあるし、私に将来の夢ができたっかけでもあるの。私はよみ兄いの小説が大好き――世界で一番面白いと思ってる。あんな作品に見合うくらいの絵が描けるように、私もなりたい」
よみ兄いの隣に立つためなら、何でもするよ。
何でもできるし、何にだってなれる。
真っ直ぐ、俺の瞳を見たまま、彼女はそう言い切った。
いつだってそうだ。
くるみが将来の夢の話をするとき、彼女はいつも同じことを言う。同じことを、同じように、同じ言葉で言う。
真っ直ぐ夢を紡いでいく。
「……そうか」
それは責任重大だな、と俺はみるくに笑って返す。
彼女の覚悟を受け止められるだけの器が、俺にあるだろうか? 例えば俺が今、仮にもし小説を改めて書き始めたとして、彼女の思いに応えられるだけの熱意を、俺も小説にぶつけることはできるだろうか? そもそも過去の俺は、それだけ高い意識を持って小説を書いていただろうか。
みるくは、言うならば俺のファンだ。
いや、最早信者と言っても良いレベルかもしれない――俺が自己満足で書いている作品を、心の底から楽しんでくれているのだ。俺の自己満足のはずなのに、いつからか俺以上に楽しんで読んでいるのだ。
彼女の中で、俺と言う人間はきっと過大に評価され過ぎているだろう――だとしたら。
彼女の中の俺を、現実の俺は、越えられるのだろうか。
「あ、でもでも。あの本に関しては、俺モテの次の次くらいには面白いかもしんない!」
「あの本……ああ、ヤバい本か」
「そうそう! ヤバい本!」
兄妹間でしか通じない言葉ってあるよな……そんなことを不意に思う。あの素晴らしい本より俺なんかの小説を評価してくれるのは嬉しいのだが、その二冊の間に入る本は何なのだろうか。
気になるなあ。
妹のことは全部知っておきたいなあ。
「なんていうのかな? 話の内容もそうなんだけど、小説自体が読みやすいんだよね。読みやすいって言うか、文体が読み慣れてるって言うか」
「あー、それなんとなくわかるかもな」
「でしょでしょ?」
彼女も自他共に認めるオタクであり、俺ほどではないにしろ結構な数の作品を読んでいる。そんな中で、これほどの高い評価を彼女自身が下す作品と言うのは、結構珍しかったりもする。そもそもみるくは小説の内容より挿絵を重視するタイプの読者なので、ラノベを買う時も表紙や挿絵を決め手に買う、所謂『イラスト買い』をしてくることが多い。実際、挿絵だけ見て満足している作品も何冊かあるようで、それを踏まえると、『君を探す僕、僕を見落とす君』に対するみるくの評価は、中々に高尚なものと言えよう。
だからこそ、その間の作品が気になって仕方がないのだが――そうなのだ。
彼女の感想には激しく同調したい。
そうなのだ。
『をすをとす』――うん、未だに慣れない略称だ――に関して、俺とみるくがこうもハマっているのは、作品の内容やキャラクター性のクオリティの高さもさることながら、話の読みやすさにも理由があるのだ。
話しの読みやすさ――文章の馴染みやすさ。
実家にいるような安心感というか、どこか懐かしい感じというか、どこかで見た小説の書き方というか――まるで、自分で書いたかのような。
「なんていうか――あ! よみ兄いの小説に似てるんだ!」
そこで何かを閃いたかのように、みるくが突然声を発した。
「俺の小説に? 何が似てるって?」
「これだよ、これ! ヤバい奴!」
言いながら、みるくはテーブルの上にあった小説を掲げて見せる。
ヤバい奴て。
いやまあ、『をすをとす』よりかは言いやすいけれども……。
「……みるくよ。お前がそうやって兄を慕い祭り上げてくれるのは嬉しいが、それはさすがにらん……原作者にも失礼だろ。俺なんかが書く小説が、この素晴らしい作品に似てるだなんて」
「……むう」
みるくは少しむくれるように、
「よみ兄いは、またそうやって自虐的になるんだから」
と言った。
「別に自虐的にはなっていないぞ?」
「なってるもん。俺なんかが、って。それはあれだよ、よみ兄いの小説が世界一面白いって言ってる、あたしのことも馬鹿にしてるんだよ?」
「いや、そんなことは」
ない、とは言えないな……すぐネガティブ思考に陥りがちなのは、自分でも認めている俺の悪い癖だ。
自認はしている――是認した覚えはないけれど。
もうすこし前向きな性格であれば、小説も書き続けていたのかもしれないーーいかんいかん、だからこういうところが自虐的なんだろうが。
「小説家になるなら、自分の作品に自信を持ってよ。OK?」
「ああ、悪かったよ。OKだ」
「ほんとにOK?」
「ほんんとほんと」
「KO?」
「のめされてるじゃねえか」
まあ、みるくの言ってることはその通りだしな……もちろん、みるくのことをそんな風に馬鹿にする気など微塵もあるわけはないのだが、成る程、確かに自分の先程の台詞を反芻してみるとそう聞こえなくもない――作家を目指していた者として、物書きを目指していた者として、こういういらぬ誤解を与えるような言い回しはなるべく避けていくべきだなあと少し思った。
「そうは言ってもよ。マジな話、どこが似てるって言うんだよ。俺が書いてるのは、美少女がいっぱい出てきてキャッキャウフフしてる、ラッキースケベのバーゲンセールみたいなやつだろ。対してあれは、少ない設定ながらも緻密な構成と念密な伏線が捻りに捻られた、淡く儚い雰囲気を醸し出したファンタジーじゃないか」
「う~ん、そうじゃなくてね……なんて言ったらいいんだろう」
少し悩んだそぶりを見せたみるくは、「むむむぅ……」とか言いながら持っていた俺のブレザーのぼふっと顔をうずめ、数十秒ほど深呼吸した後に、
「あ、わかった」
「今の変態的行為で? お前の犯罪性が?」
「そうじゃなくて――文章だよ」
「あ?」
「内容じゃなくて文章――よみ兄いの小説と、書き方が似てるんだよ」
ブレザーを抱きかかえたまま、みるくは得意げに言ってみせる。
「よみ兄いって、西尾維新さん大好きじゃん?」
「ん? まあ、好きだけど」
「すっごい読んでるじゃん? 色んな小説を読んでるけど、なかでも西尾さんの小説は特別読み込んでるじゃん――で、よみ兄いの小説って、ちょっと西尾さんの小説に似てるんだよね」
「…………」
それは、余りにも意外で。
今まで全く意識していないようなことだった。
「キャラ同士の会話展開とか、構成の仕方とか、一番目立つのは言葉遊びが多いところだと思うんだけど――あ、勘違いしないでね? パクってるって言いたいんじゃないんだよ? ほら、私のイラストも、線の細さとか目とか髪の塗り方が、トマリ様に結構近くなっていってるっていう自覚はあるんだよ。だからこう、憧れの人とか、自分が感銘を受けたものに、無意識のうちに引っ張られていく感じ? みたいな?」
うーん、とみるくは軽く頭を捻り、「つまりね」と言葉を続ける。
「この本の作者も、西尾維新さんのファンなんだと思うの!」
「……はあ」
そう結論付けるみるくに対し、そんな間の抜けた反応しかできなかった。
成る程。
自分の書く小説があの素晴らしいお方に無意識下で近づいていたと、自分より先に妹に指摘されたという点で結構衝撃を受けているのだけれど、取り敢えずそれは置いといて、濫読が西尾維新先生のファン……?
いや、おかしなことではない。あの人は業界でもかなり有名だし、目にする機会も多いはずだ。
けれど。
西尾維新先生の作品に似ている……似ていると言えば似ている気はするが、俺の乏しい記憶力で思い返してみて、彼女の家に、西尾維新先生の小説があっただろうか?
あの人の本は結構異質と言うか、ライトノベルでありながらラノベ定番の大きさであるA6サイズの本はあまりなく、新書サイズだったりB6サイズだったりバラバラだ――けれど、俺の頭の中に思い出す彼女の部屋には、A6サイズのラノベが大多数を占めていて、それ以外の大きさの本は転スラサイズの大判小説と、漫画が数冊あっただけではなかっただろうか?
それははっきりと言える。
ファンの俺が言うのだ――ファンの俺なら、西尾維新先生の本は背表紙を見ただけでどの本かわかる。だから確かに彼女の部屋には西尾維新先生の本はなかったはずだ。
まあもちろん、どこかに隠しているだけかもしれないけれど。スライド式の本棚とかあったし、その裏にあるのかもしれないけれど。
『俺妹』の桐乃ちゃんみたいに、押し入れの中に西尾先生のグッズを大量に隠し持っているのかもしれないけれど。
でも――それ以前に、西尾先生の小説に似ているという点が、そもそも疑問だ。
似ている――言われて意識してみれば、確かに似ているかもしれない。が、どうだろう。直接的に似ているかと言われれば、一ファンとして素直に首を縦に振りずらいところがある。
うーん。
俺もみるくのことが言えないな……語彙力に乏しいのは物書きとしては致命的だ。いや、元、だけど――なんだろう、あの似方は。
間にワンクッション挟んでいるような――まさにそんな感じか。
ワンクッションと言うか、ブローカー……仲介人とでも言うべきだろうか。
なんともわかりずらい感じだな。
西尾先生繋がりで、いっそ請負人って表現もありかもしれない。
「あー、よみ兄いまた難しい顔してるー」
なんて考え込んでいたら、みるくに頬をむにーっとつままれた。
「最近、そんな顔ばっかりだよー。もー」
「ああ、悪い……って、そんな顔ばっかりしてるか?」
「してるもん! よみ兄いの顔は世界一見てるもん!」
なんとも説得力のある物言いだ……みるくは俺の目を真っ直ぐ見て言う。
「だって、小説書いてるときのよみ兄い、毎日楽しそうな顔してたもん!」
「…………」
全く、この小動物には敵わないな。
自分でも気づいていないそう言った細かな変化を見逃すことなく観察している彼女――鹿角みるくに、例えばあの時、何か相談していれば、或いは小説を書くことを、辞めずに済んだのかもしれない――なんて、そんな可能性の上でしかない未来を想像してしまう自分のちっぽけさに、やはり嫌気がさしてしまう。みるくに悟られないように表情を隠すことで精いっぱいだ。
「さ、暗いよみ兄いは明るくなるようなことをした方がいいよ。ということで、ご飯で私にする? お風呂で私にする? それともベッドで私にする?」
「…………」
これは敵わないわ。
最近思うのだけれど、俺の周囲の人物における大ボスと言うのは紛れもなく夜叉ちゃんであると考えていたのだが、もしかしてみるくこそ真の大ボスなんじゃないだろうか? なんか噂じゃこいつ、最近どこからか婚姻届けを入手してきたみたいだし……。
妹なりの愛情表現ってことでいいんだよな?
可愛い妹で間違いないのだが、ふとした拍子に恐怖を覚えてしまいかねない。
「……じゃあ、風呂にしようかな。雨に当たって身体も冷えてるし」
「そう言うと思ってお湯を張っておきました! ささ、早く早く」
「あー、うん。鞄置いてくるから先入っててくれ」
「ラヴァ!」
多分、「らじゃ!」って言いたかったんだろうな……めちゃめちゃ熱い風呂だったらどうしようなどと適当なことを考えつつ、みるくからブレザー類を奪い取って二回へと上がり、自室に入っていく。バッグから今日やる課題一式を雑に取り出して机に放り投げ、なんとなく、本当になんとなく、ノートパソコンの電源をつけてみる。
小説を書くために親から譲り受けたものだったが、その割にスペックは高く、電源も二十秒程度で付いてしまう――そのまま、『小説家になろう』のサイトを開いた。
……丁度一半年ぶりくらいに開いたな。
自分の小説投稿ページにアクセスをする。幸いにもパスワードを忘れていたりはせず、ログインはすんなりとすることができた。ただ、自身の作品公開ページの一番上に、『この作品は半年以上更新されていません。物語が完結した可能性があります』と四角い枠で囲われた警告文っぽいものが表示されているのを見て、さっそくログインしたことを後悔してしまう。
公開ページで後悔ってね。
はいはい閑話休題閑話休題。
いや、閑話休題ではない――俺と言う人間は結構適当に閑話休題って言う癖があるから、いずれは直さなければな――そんなことはどうでもよくて、何が閑話休題ではないのかと言うと、後悔する必要がなさそうだったからだ。
コメントが二件、寄せられていた。
最後に投稿した小説――『俺がモテまくる100の理由』の最新話である第五十六話の四章に対しての感想が、十分前に、しかも二件も付けられていた。
「…………」
うち一人のユーザ名は、『美少女大好きさん』――現役で投稿していた時から毎話欠かさずコメントを寄せてくれていた、俺のファンの一人と言っても差し支えない読者の一人だった。
……え、ってかこの人、あれから毎日コメントくれてるんだけど……あの頃は毎日投稿していたからそれに対する感想も毎日来ていたので深く意識したことはなかったが、投降を辞めたその日から今日にいたるまで、最新話に限らず過去の話まで遡って色んな話に様々なコメントを残している。「最近更新有りませんね、忙しいのですか?」とか「生き甲斐なのでぜひ再開してほしいです」とか「すいません更新してください何でもしますから」とか、ちょっとメンヘラ気味なコメントまでされていた――そんな彼(彼女? いや、こんな小説を女子が読むわけないか)から来ていた本日のコメントは、「そろそろ酸素不足なので新しい話が読みたいです(供給過少)」だった。
思わず可哀想にさえ思えてくる文面だ……。
そしてもう一人は『ラノベ大好きっ娘』というユーザ名であった。こちらの方は初めて見る名前だったが、恐らく向こうも初見なのだろう、『触りしか読んでませんが結構面白いですね。続きはないんですか?』というような、美少女大好きさんから比べればにわかが目立つような内容だった。
まあこちらとしては、触りだけでも読んでもらえたのならそれだけで幸せなのだが。
作者冥利に尽きるだろう――だから俺は、久しぶりに感じた作者しか味わえない幸福感に懐かしさとむず痒さを思い出し、約束なんてできるはずもないのに、果たすつもりも全然ないくせに、『コメントありがとうございます。近いうちに続きを書こうと思います』なんて無責任な返信を、両者ともにうっかりしてしまった。
久しぶりに小説でも書いてみたら――夕方、夜叉ちゃんに言われたその言葉をふと思い出す。
俺が今、小説を書かない理由は何だろう。
あの時、もう二度と書くものかと心に決めて――その堅固な考えと意地が邪魔しているだけなのだとしたら、そろそろそれも潮時なのではないだろうか。
いい頃合いなんじゃないだろうか。
そろそろ自分自身を許せる時なんじゃないだろうか――そう思う気持ちが少しでもあるから、こんな思わせぶりな返信をしてしまったのではないだろうか。
「……いや」
心の中の自分との会話のキャッチボールを成立させる。気持ち的には角度の鋭い変化球を投げられた気分だが、それを見逃すほど、あの時の決意は甘いものではない。
もう小説は書かない。
書きたいか書きたくないかではなく、書かない――そう決めた以上、自分で決めた以上は、そうあるべきだと自分に言い聞かせながら、みるくの待つバスルームへと向かうのだった。