産声
太陽が地平線から一条の光を作り出し、朝を迎える準備をしていた。
限りなく黒に近い青い空は、地平線から漏れ出す光の剣によって切り裂かれ、少しずつ明るくなっていく。
その光はいずれフィンバーグを、世界を、包み込み、人々を、生き物を、植物を、目覚めさせようとしていた。
「……これですか……」
フィンバーグから少し離れた場所、ただでさえ小さい村であるフィンバーグを見下ろすような場所にビビアンが立っていた。
そして彼女がいる場所にあるのは、大きな岩に突き刺さった一本の錆びた剣だ。
岩に刺さるそれは、雨風に長年晒され続けて錆びているため、本来どの様な色を持っていたのか今となってはわからない。
しかし鈍と言えど剣を抜けば、たちまち一点の曇りもない清廉な肌合いを持ち、持ち主にその剣が見てきた歴史と未来を読み聞かせ、精妙と優雅さと最大の強度を一つに結ぶことを見せつけ、これらの全てが彼女に力と美、畏敬と恐怖の混在した感情を抱かせようとしていた。
「これが……、竜殺しの剣」
彼女は昨日の出来事を思い出す。
………………
…………
……
……それは昨日の夜。
ビビアンとベディヴィアが、アリルと同じ席に着き、ドラゴンスレイヤーについての情報を聞き出しているところまで遡る。
アリルはポケットから銅貨を二十枚取り出すと、ベディヴィアとビビアンに渡した。
「……これは?」
「酒代だよ。こういう嘘臭い話は酒の肴くらいにしないと話せやしねぇ。あんたら酒を頼んできたらどうだ? 冒険者をやってるくらいなんだから酒の一つや二つ飲めるだろう?」
「生憎私は酒に弱いので飲めません。ベディヴィア。貴方は飲まないのですか?」
「あー、いいや。俺もいいわ」
ベディヴィアは右手をひらひらと揺らした。
その二人の食えない態度にアリルは難色を示した。
「なんだぁ? あんたら酒を飲まないのか。つまらんなぁ。特に赤毛のアンちゃんはザルだと思ったのによぉ」
「そうですよ。ベディヴィアならいけると思ったのに」
「いやいや、ビビ。ちゃんと場の空気くらい読むぜ?」
それに。とベディヴィアは言葉を続け真剣な表情になるとアリルの顔を見る。
「ドラゴンキラー関連の話を聞けるとなるなら、話は別だからな?」
「……そうですか」
「だから、アリル。この金は返すぜ。あんたの懐にしまっておかわりの酒に使いな」
「そうかい」
ベディヴィアは銅貨をアリルへと返す。
アリルは銅貨をポケットに戻した後、ジョッキの中の酒を呷る。
そして中身を空にした後、食堂にジョッキを見せつけるように振るった。
「では、その竜殺しの剣について話してもらいましょうか」
「わーってるって。……フィンバーグには一つ、観光名所らしき場所があってだな? そこにはこの地名、フィンバーグの由来となる場所があるんだ」
「由来?」
「あぁ、そうだ。フィンバーグっていうのは、フィンは『聖なる』という意味を持っていて、バーグが『丘』と言う意味があるんだ。つまりここは神聖な場所だったと言う意味になる」
「……」
ビビアンは顎を手で触る。
「では、この地では何があったのですか?」
「何簡単なことよ……ドラゴンだ」
食堂の店員が、アリルの元へ酒が並々に注がれたジョッキを置いた。
「へへ……どうも」
「銅貨十枚」
「はいよ……ほらよ」
「やい、九枚だ。ちゃんと払え」
「ちっ、うるせぇ奴だ」
「毎度」
店員と短いやり取りをした後、アリルはジョッキに口をつけ、一息ついた。
「……ふぃー。つまりだな? この地にはドラゴンが居座っていたんだがぁ……ドラゴンキラーが現れてよぉ……そいつを倒したって言う言い伝えがあるんだぜ? そのドラゴンキラーを讃えたことから、場所をフィンバーグと呼ぶようになったってわけだ」
「なるほどな。つまりここは何かとドラゴンと縁があるわけだ」
ベディヴィアはアリルの長い言葉を噛み砕いて発言する。
ビビアンは彼の発言を聞き、散在していた点と点が線で繋げるように推理していった。
そして導き出される答えを彼女は口にする。
「つまり……そのフィンバーグの由来ともなる場所には、その当時のドラゴンスレイヤーがある……ということですか?」
「そういうことだ……よかったな。勇者」
アリルは適当に発言した後、酒を飲む。
口端から酒が少量溢れ、服を濡らしていた。
「では、早速行きましょう」
「だがひとつだけ忠告させてくれ。その剣は呪われていることでも有名だ」
「……呪われている?」
「当たり前だろう? ドラゴンとは存在がモンスターの中のモンスターとなる存在なんだからよ……」
「嘘臭いと言っていたのはアリル、誰でもなく貴方ではないですか」
「呪い関連なら信じるぜ? 魔法っていう俺たち一般冒険者には滅多にお目にかからない代物があるしよ」
アリルはケタケタと笑う。
「これまで何人もの冒険者が、そいつを手に入れようと挑んだんだが……それら全員が雷に撃たれ黒焦げになって死んでいる。晴れの日でもな。それだけは教えておくぜ? 死なれて俺のせいにされても困るからな」
「そうですか。忠告ありがとうございます」
ビビアンは席を立つ。
ベディヴィアもビビアンに付いて立ち上がった。
「おいおいどこいくんだよ。まだ夜だぜ?」
アリルはビビアンに声をかけるが、彼女は止まらなかった。
「決まっているでしょう。ドラゴンスレイヤーの元に行くのです」
……
…………
………………
「……予想通りだが、本当に錆びてんなぁ。竜殺しの剣となるなら、切れ味が鈍らないように魔法で鍛え上げられた剣だと思っていたんだが……」
ビビアンの後ろに立っていたベディヴィアは、岩に突き刺さっている剣の姿を評価する。
「ビビ、それ抜くのか?」
「……えぇ」
彼女は、剣の目の前までに迫った。
……刹那。
上空から空気を切り裂くかのような速さで彼女に衝撃が襲いかかった。
土埃が立ち、岩に突き刺さった剣と彼女を覆い隠す。
ベディヴィアはその光景を表情一つ変えずに見つめていた。
「……やはり、呪いが込められていましたね」
土埃が、風に吹かれ晴れる。そこには傷一つ負っていないビビアンが立っていた。
「俺としては呪いが付与されているとわかって、触れようとするあんたの方が恐ろしいぜ」
彼は笑みを浮かべて彼女の行動を指摘する。
「遠くから見るより直接見たほうがわかりやすいと思いませんか? それに昨夜、アリルは呪いの話をした時点で呪い対策をするのが普通ではありませんか?」
「そうだな」
至極真っ当な答えにベディヴィアは短く答える。
ビビアンはもう一度目の前にある剣を見る。
先程の落雷を受けた所為なのか、帯電しているように見える。
触れるものならばおそらく二度目の落雷が落ちてくるだろうと想定した彼女は、剣に右手をかざす。
「解呪」
彼女の手のひらに一粒の水が生み出されると次第に大きくなって行き、手のひらほどの水球ができる。
水球は剣に触れると一定の流れを得ながら剣を覆い包んだ。
そして水が剣の表面を洗い流し終わると剣が突き刺さっている岩へと水が落ちて行く。その水には黒い靄状の、物質が含まれていた。
彼女が先程まで感じていたものはどこにもない。岩に突き刺さっただけの錆びた剣に見えた。
「……」
彼女は剣に手をかける。
落雷は落ちてこなかった。
「解呪は成功したみたいだな」
「えぇ、……そして、この剣は……」
岩と剣が擦れる音が響く。
そしてドラゴンスレイヤーと呼ばれた剣は、長年の時を経て引き抜かれた。
「ドラゴンスレイヤーではありませんね……」
岩から引き抜かれた刀身は輝きもない錆びているだけの剣だった。
ベディヴィアは嘆息する。
「結局、ふりだしってことか」
「いいえ。まだ振り出しではありません」
「……例のガキか」
彼の発言に、ビビアンは頷いた。
「兎にも角にも、彼には私達と共に来てもらわねば……」
その時だった。
フィンバーグが揺れた。
「……っ!」
「ビビ!」
揺れ出す大地。そして岩が割れ響く音。
その激しい揺れに、ビビアンは蹌踉めき、ベディヴィアは彼女の体を支えた。
「大丈夫か?」
「え、ええ。助かりました。それよりも今の揺れは」
「地震ではあるが、自然発生……っていうわけではなさそうだな」
ベディヴィアの視線の先……ドラゴンスレイヤーと呼ばれていた剣が刺さっていた岩を中心に、蜘蛛の巣状に割れていた。
彼は冷や汗を流す。
「なぁ、ビビ。可能性の話をしていいか?」
「……ええ」
ビビアンは大地が割れた場所から目を離さず、ベディヴィアの言葉を聞く。
二人は目を見合わせなかった。
割れた大地がゆっくりと上下に揺れている。
まるで呼吸をしているかのように。
「かのドラゴンキラーは、本当に倒したのか? もし本当にドラゴンを倒したのならば、その骨や、牙や、鱗が、置かれていてもおかしくはないだろう?」
ベディヴィアは失念していた。
アリルの言葉を信じすぎていたのだ。
そして、何度目かの呼吸が行われた後……。
大地が隆起する。
現れたのは山だ。
山のように大きな体が、大地という卵の殻を破るように起き上がる。
それは体を揺らし、体にこびりついた土塊を払った。
土が払われたその体は爬虫類を思わせる体、びっしりと紫水晶のように紫色に光り輝く鱗が太陽に照らされた。
露わになる顔。
鋭く、黄ばんだ牙をずらりと備えており、口や鼻からは、呼吸をするたびに割れた大地に生えていた草木を炭にする程に熱い炎が吐き出されていた。
炉のように熱を帯びたその存在にビビアンは恐怖を抱いた。
彼女は過去にそれを見たことがあった。
ブロムトルフを滅ぼした存在。
彼女の家族を食い殺した存在。
彼女の憎むべき存在。
それは目を開く。
黄色に光り輝く爬虫類の瞳が彼女たちを映しだした。
「……ドラゴン!」
そしてそれは天を仰ぎながら、大きな産声を上げた。