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その夏は惨劇の匂いがした

 高嶋唯と言う一人の少女がいる。

 彼女にとって夏は至上の幸いでもあり……全ての終わりの季節だった。


 少女はそして破滅を迎える。



♪ ♪ ♪



 杉原清人は所謂リア充である。

 気が強くて、カッコよくて、それでいて可愛らしい彼女がいるのだ。

 その上家庭環境はこの上なく良好。本人の顔も悪くはなく、黒猫の親友だっている。


 虐めこそあるものの今が人生の絶頂だと胸を張って言えた。

 そう、文字通り絶頂だ。後はここからドン底に向かって落ちて行くだけなのだから。


「このプリントを高嶋さんに届けて下さい」


「分かりました」


 清人は珍しく学校を風邪で休んだ唯の為にプリントを受け取りながら帰路についていた。


「なぁん♪」


 すると、待ち構えていたかのように親友のクロが後ろを付いてきた。


「おっ、クロも唯の家行くか?」


「に゛ぃ!!」


「クロは唯が本当に嫌いなんだな……」


 そう言えばと清人は思い出す。

 クロは唯が手を出そうとすると最近は絶対大袈裟に逃げるのだ。あの時はあまりにも反応が劇的なものだから少し驚いたものだっけ、と。


 辿り着いた唯の家の外観はお世辞にもあまり良くはなかった。


「そう言えば唯の家の前に来るの何気に初めてだっけ」


 おつかいのときは途中で半ば強制的に分かれさせられていたから実際のところ今回が初だった。


 チャイムを鳴らすと……誰も出ない。


「おかしいな……唯居るはずなんだけど」


 数度ドアをノックする。やはり返事は無い。


「ドア……」


 開けて良いものかと思案する。もう既に住居侵入ではあるのだが、ここでは更に慎重になる。所謂、親しき仲にも礼儀ありと言ったところか。


 ゴクリと唾を飲むとドアを弱く引いた。


「あれ、開いた?」


 意外にもドアはあっさりと開いた。

 玄関に足を踏み入れると酒の匂いと散らかったゴミと、妙な音が清人を出迎えた。


「……鍵の、かけ忘れ?」


「にゃぅう」


 クロが匂いに耐えかねたのかしなやかな動作で塀を飛び越えて何処かへと走って行った。


「にしてもこの音……」


 その音は二階からしていて、何となく鞭打つ音にも似ているなんて事を考えていた。


 唯が居るものと思いその部屋のドアをあけると。



 その先には、地獄が広がっていた。



 青臭い匂いが立ち込め、清人の最愛の女の子が見知らぬ男に組み敷かれている。

 その行為を清人は知識として知っていた。


 そして、高嶋唯も、清人の方を向いて、愕然とした表情を、浮かべていた。


 見知らぬ男は口を開く。


「ああ、こいつが唯の彼氏か。どうよ、俺の中古品」


 皮肉にも、ある日の唯とそっくりな台詞を男は吐いた。


 清人はプリントを手から取り落としワナワナと震えた。

 眼前の光景を認めたくなくて頭を掻き毟る。けれど、それは変わってはくれない。喘ぐ最愛の人。その行為を前に清人は何も出来なかった。


 その部屋は、青臭い惨劇の匂いがした。


 青く澄んだ空はいっそ皮肉のようで、吐き気が込み上げる。



♪ ♪ ♪



 一度目の惨劇から暫く経ち、清人は壊れた。


「……清人」


「どうした?」


 清人は勤めて笑みを浮かべようとして、引きつった笑みを浮かべた。

 化け物のように歪んだ笑みを。


 清人は唯に捨てられたと思い、必死に距離を置こうとした。

 清人自身、守ると言いながら守れてはいなかったのだ。その負い目も確かにあった。


 だから、あの男性と唯が結ばれたならばその時は祝福しようと考えてすらいた。

 それは……臆病な優しさ故に。


 一方、唯も壊れていた。

 風邪をひいて休んだものの間が悪いことに父親が帰って来てしまったのだ。

 母親の身に起きた事を思い、あれこれと思案を巡らせたが……それで終わりだった。

 武器を持とうが、小細工を重ねようが、成人男性には敵わなかった。

 そして……父親から性的虐待を受けた。

 その上、その場面を清人に見られている、と言うのも最悪だった。


 こちらも守るべきものを守れず、却って傷付けてしまったのだ。


「話したいの」


「ごめん、俺……ちょっと具合悪いんだ」


「清人……!!」


 唯に清人を引き戻す手段は最早思い付かなかった。

 醜態に次ぐ醜態。それでも唯は清人を想っていた。


「どうすれば良いのよ……」


 脳内にあの化け物のような笑みがこびりついて離れないままだった。


 純粋さを殺したばかりでは飽き足らず、唯は清人を化け物へと変えてしまったのだ。



♪ ♪ ♪



 高嶋唯は最期の作戦を考えた。


 人生最期の作戦を。


 出会いがあの公園からならば、別れもあの公園で。

 清人の脳髄に自分の存在を永遠に刻みつける為に。

 高嶋唯は自殺する決意をした。


 きっと、今のままならば清人は自分を忘れて勝手に幸せになるだろう。

 それは嫌なのだ。

 唯は永遠に愛されたかった。愛を与える事を覚えても、そこに変わりは無い。


「本当、私って一番の大馬鹿」


 やり直せるならばきっともっと幸せな帰結があったかもしれない。

 けれど、もう幸せなどはあり得ない。それは清人の哀しい笑みが証明している。


 携帯を手に唯は清人にメールを送信する。


『今夜、公園で会いましょう』と。



♪ ♪ ♪



 蝉の鳴き声が響き渡る。

 吹き抜ける風が酷く生温くて唯は目を静かに細める。

 夜の公園は昼間の賑わいとは打って変わってもの悲しい静けさが漂っていた。


 清人はベンチに腰かけて黒猫を撫でながら吹き出る汗を拭った。


「……良かったのか? 家出なんてして」


 それは唯の父親を気にしての台詞だった。


「良いのよ。……私が家にいても碌な事起きないし。それに家出したいって言ったのは私よ。清人が気にするような事じゃないわ」


 これが唯の作戦。

 公園で会う口実を作る。ただそれだけ。

 ただし、必要な条件は三つある。

 交通量の増える夜に来る事、清人がいる事、クロがいる事。

 この三つだ。


「そう、か……」


「……清人」


 不意に少女は少年の名前を呼ぶ。


「清人は私の事……好き?」


「か、からかうなよ。……それに俺、唯に聞きたいことが――」


 口にする言葉はいつもの清人のようだった。けれど、顔は件の歪な笑顔だった。


 この公園付近は夜になると交通量が増える。


 唯は今だとクロに手を伸ばす。清人はそれに気付かない。


『クロは唯が手を出そうとすると最近は絶対大袈裟に逃げる』


 膝の上で大人しくしていたクロはいきなり道路へ飛び出した。

 信号機の緑が明滅し、車のヘッドライトがクロの姿を照らし出している。


「クロ!!」


 叫ぶけれどクロは戻っては来なかった。

 クロと比べると余りにも大きな車体が迫る。


「……ッ!!」


 唯は黒猫を助けると言う体で直進する車へと飛び込んだ。


「――好き」


 薄く笑みを浮かべたまま道路へと消えていく唯に清人はまた何もできなかった。


 絹を裂くようなブレーキの絶叫。冗談みたいに撥ね上げられた少女の肢体。


 清人には唯が何を思って道路に飛び出したのかは分からない。

 けれど、ブレーキの残響が耳奥でこだまする暑苦しい夏の夜。


 蝉の鳴き声はもう聞こえない。



 六年目の夏、二度目の惨劇は鉄の匂いがした。

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[良い点] 情景描写がスムーズでありつつ、要所要所は抑えていて、没入感が尋常ではないです。 実際に第三者視点で見ている、そんな状況。 目の前で起こる、いくつもの出来事。 何より、徐々に歪んでいくのがリ…
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