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   あなたと共にいるために ② [イザーナ]

 覚悟は、していた。

 それは私だけではなかったはずだ。

 この場に立っている誰もが、最大の覚悟を持って臨んでいたはずだ。

 ――だが、最悪の想像と、実際の最悪を目の当たりにするのでは、天と地ほどの差があったのだ。


「あ……う……」

 

 それは、まるで黒い津波が押し寄せてきているかのようだった。

 私が立つ場所――長城の防壁の上から見渡せる魔王領のほぼ全てを、蠢く『黒』が埋め尽くしている。

 それら黒の波は砂煙を上げながら、凄まじい勢いで人類領域へと迫りきていた。


 地を駆ける四足の獣。

 全身を毛に覆われた二本足の巨体。

 逆に人の半分ほどの背丈の、人とは似ても似つかぬ醜悪な面構えをした猫背の小人。

 地を這う蟲をそのまま巨大化させたような、悍ましき姿の数々。


 それは魔王の尖兵、魔なるものどもの大群だった。

 無限に思えるほどの数が、魔王領の奥地より沸いて出て、私達に向かってくる。

 その非現実的な数、光景に、戦が始まる前まではあれほど息巻いていた騎士も、気勢を上げていた兵士達も、みな圧倒されてしまっていた。

 想像して、覚悟していたというのに、現実はそれを容易く上回った。


 無理もない、と思う。

 大陸で唯一のこの国は己を脅かす外敵もおらず、もう長いこと国を挙げての戦など経験していないのだ。

 おそらく最後にあった大きな戦といえば、前回の魔王討伐戦争であり、それを経験した人間などとうの昔に天に昇っている。

 だから、これほどの数の外敵と対峙するのは、私達にとって初めてのことだった。

 加えて、魔物どもから発せられる《瘴気》、大群となったことで濃度と邪気を増したそれが私達の精神をひどく苛んだ。

 本能的な恐怖、忌避感を呼び起こし、すぐにでもこの場から逃げ出したくなる。

 一度あの災厄としか言い表せない竜型の魔物と遭遇している私でさえこうなのだ、今回初めて魔物を目にする人間にとっては、まさに猛毒だろう。


「ふ……はっ……はぁっ」


 このままでは、不味い。

 総崩れになる前に動かなければ――そう思うのに、身体が、心が言うことを聞いてくれない。

 膝の震えは止まらず、浅くなった呼吸は元に戻らず、心臓だけがドクドクと激しく脈打っている。

 全身を覆う白のローブの胸元をぎゅっと握りしめ、なんとか気を落ち着かせようとするが、うまくはいかなかった。


 考えがまとまらない。余計なことばかり思い浮かぶ。かつての光景が、脳裏をよぎっていく。

 竜型の魔物。恐怖。逃げて。走って。アベルの元へ。身体を押されて。アベルが炎に包まれて。

 絶望。

 無力感。

 虚無感。

 まるで世界が終わってしまったかのような――。


「落ち着いて、イザーナ」


 そっと、背中に誰かの手が添えられた。

 状況に似合わぬ穏やかな声。

 ハッとして振り向けば、そこには私の大切な人。

 アベル。

 このときのために特別に誂えられた、光り輝く白銀の鎧をまとい、腰には豪奢な作りの鞘――今はおさめられたままの聖剣を佩いている。


「大丈夫。君のことは、僕が必ず守るから」


 彼方から魔物の軍勢が押し寄せてきているというのに、彼は、いつものようにやわらかく微笑んでいた。

 まるで自室で寛いでいるかのような自然さ。

 ほんの少しの動揺も、不安も、そこには存在していなかった。

 場違いにも思える彼のそんな態度に、私は呆気にとられてしまう。

 意識を周囲に向けてみれば、戦の要・・・となる私達の護衛として配置された守護騎士――フレイシア様やベイル様もその中に含まれている――も、同じように間の抜けた面で彼を見ていた。


「君を傷つけようとする全てのものから、僕が守るよ。だから真っ直ぐ前を向いて」


 ……アベルは、ずるいと思う。

 そんな顔で、そんな声で、そんなことを言われてしまったら。

 どんなときだって、どうしたって、私はうれしくなってしまうし、安心してしまうに決まっているのだから。

 

「なにも不安に思う必要はないんだよ。君は、ただ為すべきことを為せばいいんだ。そのために、今日まで必死に頑張ってきたんだろう?」

 

 私は、こくりと小さく頷いた。


「あのときの無力を、二度と味わうことがないように」


 大きく、頷いた。


「よし、いい子だ。なら、僕も始めるよ」


 最後に頭を撫でると、アベルは私から離れて城壁の縁に立った。

 子供扱いされたことを不満に思うも、やはり心は素直によろこんでしまう。

 複雑な気持ちになるが、ひとまず今のところは棚上げにしておき、気を引き締めて、アベルの背中を見つめる。


 城壁に立つ彼は、眼下を見下ろしながら左腰に佩いた聖剣の柄に手を掛けた。

 一呼吸置いて、ゆっくりと鞘から引き抜いていく。

 

「――――――」


 やがて完全に鞘から解き放たれると、聖剣は身震いするかのように白銀の輝きを発する。

 その光を目にして、周囲の騎士が感嘆の声を上げた。


 アベルは片手で握った聖剣を頭上にかざす。

 あたかも天へ突き立てんとするかの如く、真っ直ぐと。

 そして、告げる。


「これは、救われぬ九十九を救うための行いである! ――然れば、起動せよ!」


 聖剣が、まばゆい閃光を放つ。

 天に座す太陽が落ちてきたかと思うほどの輝き。

 戦場に突如現れた神聖さをまとう銀光に、眼下、城壁の前で隊列を組んでいた万を越える兵士、騎士が頭上を振り仰いだ。

 そして、それを見た、

 城壁の上に威風堂々と立ち、光りまとう聖剣を天へと掲げるアベルの姿を。


 ――勇者。


 どこかで誰かがその言葉を口にする。

 それを皮切りに、声、叫びはさざめきのように兵の間へ広がっていく。


 ――天の恩寵。

 ――聖寵。

 ――《聖勇者》。

 ――アベル。

 

 いくつもの声が、重なる。唱和する。

 まるで土の中の種子が芽吹き、花開くかのように、次々に彼を呼ぶ声が生まれていく。

 魔物の大群を目の当たりにして悲愴に満ちていた空気が、熱を取り戻していく。

 聖剣が放つ光もまた同調するように、より大きく、強く、輝きを増す。 


「その威、その意義を今こそ示すがいい!」


 そして。

 ざわめきを貫いて、アベルの峻厳な声が響き渡り、


「《聖剣:此処にアスラあり、いずれ至るもの・エレイオン》!!」


 その御名が唱えられた。

 瞬間――。

 微塵もぶれることなく天を指し示していた聖剣より、爆発的な光が溢れでて、あたり一帯を包み込んだ。

 アベル自身を、後ろの私を、周囲の騎士を、城壁を。

 眼下の兵の全てを呑み込んで、なにもかもを銀光に染め上げる。

 

 その聖銀の中で、私は、私達は『繋がった』というたしかな感覚を得る。


 心身を覆う聖剣の光。

 それを通してアベルの、勇者の力と意思が流れ込んでくる。


 怯えを払拭し、前へ足を踏み出す勇気。

 立ちふさがる困難を打ち倒し、ひたすらに前へと進もうとする信念。

 誰かを守るという、確固たる誓い。

 そしてそれらを可能とする、《瘴気》打ち払う聖剣の、いと尊き銀。

 勇者より分け与えられたその力と意思を以って、私達は、魔を打ち砕く鋼へと変じる。

 やがて一帯に満ちていた輝きがおさまったあとも、私達の身体はうっすらと銀光を帯びたままだった。


 これこそが、勇者が持つ力の本来の使い方。

 人々とともに戦うための力。

 聖剣によってもたらされる爆発的な身体強化や特殊な斬撃など、これに比べればおまけのようなものでしかないと言われている。

 勇者がどれだけ強力であろうと、ただのひとりで、際限なく生まれる魔物全てに対処できるはずもないからだ。

 力の多寡ではなく数の問題であり、大群には大軍、《瘴気》を貫く力を率いる軍勢全てに与え、個ではなく多で戦うのが魔王との戦の常道とされていた。


「さあ戦うぞ! この身が朽ち果てるまで戦い続けるぞ! 我々こそが、人類最後の砦であるがゆえに!」


 アベルが声高に叫ぶ。

 同調して、兵もまた鬨の声を上げる。


「この背が負うは、大陸に生きる全ての人命である! この手が握るは、全人命の天敵を討ち滅ぼすための刃である! この胸に宿るは、ひたすらに前へと突き進む意志である!」


 アベルの鋭い眼差しが、彼方へと向けられる。

 蠢く魔物の群れを越えて、切り立った岩山を越えて、その向こうに潜むモノへ。


「なれば――」


 天へ掲げる聖剣を握る手に、力が込められて。


「立ちふさがる尽くを屍に変えて、果てに至るまで駆け抜けろ!」


 勢いよく振り下ろされた。


 ――咆哮。


 空気が震えるほどの喚声が轟き、銀光をまとった兵士や騎士が、地を埋め尽くす魔物の群れへと突撃していった。

 城壁が揺れる。

 大地が揺れている。


 彼らの勇ましい背中を見送ってから、私もまた覚悟を決めて行動を起こす。

 一歩、二歩。前へ進んでアベルの隣に立つ。左腕を前方に向け、真っ直ぐ突きだす。

 その二の腕あたりを右手で掴み、しっかりと固定。

 大きく息を吸い込み、彼方の宙空を睨みつける。

 そして、口を開いた。


「《赫々たる朱、業々たる焔、汝が名は、我が裡より零れ、世に満ちる》」


 手の平を向ける先――魔物の群れの上空、なにも存在しないはずの空間に極小の点が生まれる。

 血のように不吉な色をした赤。

 それは唱句が重なる度、明滅するように膨張と縮小を繰り返しながら、徐々にその体積を増していく。


「《奪い、奪え。与え、与えよ。恐れ、恐れる。其は世に在りしものの大敵。須らく、そう在れと望まれし咎》」 


 水の塊のようだった球体の表面が、やがて煮立ったかのようにぼこり、ぼこりと泡立ちはじめた。

 膨れ上がり、弾けて、膨れ上がり、弾ける。

 そうしながらも、さらに巨大になっていき――。


「《そうなればこそ、在るがままに在れ。真に真を示すがいい。――そうあれかし》」


 燃え上がった。

 煮え立つ鮮血の球体は、一瞬にして、血のように赤い業火へと転じる。

 同時にその火炎は爆発的に成長し、魔物どもの空を覆い尽くさんと横に広がっていく。

 その規模はいつかの魔物が放った火球を遥かに上回り、比較するのも馬鹿らしいほど。


 空が、血のように鮮やかな赤で染まる。

 燃え盛る炎で作られた雲が、空を覆い尽くす。


「……ッ!」


 くらり、と目眩がして倒れそうになったのを、必死で堪える。

 現象を起こすための力――マナ、生命力とでもいうべきものが、身体の奥底から際限なく吸い上げられていく感覚に恐怖を覚えるが、耐える。

 まだ、終わっていなかった。

 最後の鍵となる言葉。

 それを口にして初めて、仮想の現実は真実となるのだ。


 遥か大地を睨み据える。

 魔なるものどもの大群。それらに向けて突進していく兵の姿。

 上空で起きている事象が視界に入っても、彼らに動揺した様子はない。

 これより小規模なものではあったが以前に見せたことがあったし、なにより、『繋がった』アベルから心配する必要がないと伝えられていたからだ。

 

 私自身もそれに後押しされて、後のことはなにも考えず、ただ今このときだけに集中する。

 為すべきことを為す。

 人と魔の初戦において、私に期待されている役割を、正しく果たす。


 私はもう、ただ無力に震えるしかなかった子供じゃない。


 アベルが私を守ると言ってくれるのなら。

 私だって彼の力となり、守り抜くのだ。


 だから、私はそれを口にする

 この大魔術を完成させるための、最後の唱句を。


「《灰燼と散り果てよ――焔雷にしてホロウ灼熱にして終焔・エンネイク》」


 刹那。


 空が、墜ちた。


 そう表現するしかない現象が起こる。

 大地に落下した炎が、魔物の群れ――その後ろ半分を完全に呑み込んだのだ。

 

 紅炎が噴き上がる。炸裂して、轟音。爆風。

 

 十万にも届くかという数の魔なるものども。そのおよそ半数が炎の海に沈み、消えていく。

 恐ろしい、光景だった。

 まちがいなく自分の為したことでありながら、あまりに現実離れしていて、この魔術を行使したあとはいつも呆然としてしまう。

 完全に、己だけの努力で手にしたものではないからだろうか。

 そんなことを考えているうちに、急速に意識が薄れていくのを感じる。

 極まった業を行使した反動だった。

 手足から力が抜けて、ふらりと後ろに倒れ込み――。


「頑張ったね、イザーナ」


 彼に、背中から抱きすくめられた。

 耳元でやさしく呟かれる声に、緊張が緩む。瞼が、とろとろと落ちていく。


「あとは僕達に任せて。次に目が覚めたとき、君に勝利を贈るよ」


 背中にあたるのは硬い鎧の感触だったけれど、心はこの上なく安らかだった。

 自分が手に入れてしまった力は、ときに恐ろしく感じるけれど。

 それでもこの力のおかげで、私は彼の隣に立つことを許されたのだ。

 だから。


 ――ねえ、アベル。私、あなたの役に立てた?


「うん。君は、やっぱり世界で一番の大魔術師だよ」


 その言葉はなによりもうれしいもので。

 誇らしい気持ちで胸をいっぱいにしながら、私の瞼は完全に閉ざされた。


「なんと凄まじい……これが、《緋色の魔術姫》の真の力か」

 

 寸前、周囲の騎士が慄いたようにそんなことを口にするのが耳に入ったけれど。

 その恥ずかしい名で呼ぶのはやめてほしいと言い返す前に、私の意識は途切れてしまった。


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