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   それが叶わぬ願いと知りながら ③ [ガリオス・ヴァンブレスト]

 大陸最西端――魔王領。

 その地は、決して融けぬ氷と雪に覆われた極寒の領域である。

 果てなき無限の海へと不自然に突き出した半島。その全てが、魔王の支配する地とされていた。


 またの名を、絶対凍結封鎖領域という。

 大陸北部の寒冷とは根本的に異なる、自然の力によるものではない氷雪の地。

 半島の入り口近辺は一年をとおして比較的温暖な気候であるというのに、ある一定の境域――半島に入った途端、環境が一変する。

 まるで境界線を引いたかのように、全く異なった気候に転じるのだ。

 境域のこちら側がどれだけ晴れ渡っていようと、その先、半島は常に薄暗い雲と吹き荒れる氷雪に包まれている。


 魔王領が絶対凍結封鎖領域と仰々しい名で呼ばれる主な理由は、その氷雪――冷気にあった。

 彼の地に吹き荒れる極寒の嵐は、自然のそれとは全くの別物である。

 その冷気は、一度領域に足を踏み入れたものを、瞬く間に凍りつかせてしまう。

 たとえどれだけ防寒しようと、魔術の炎によって周囲に熱結界を張り巡らせようと、甲斐もなく凍結させ死に至らしめる。

 かつて、幾人もの無謀な人間が魔王領を踏破すべく足を踏み入れたが、ただのひとりも生きて返った者はいなかった。


 魔王領に満ちる冷気。

 それは最早、人間が寒さと言い表すものとは別のもの、力であると結論付けるしかなかった。


 神殿の説明によれば、それは天が魔を封じ込めるためにもたらした奇跡だという。

 命持つ存在を拒む彼の地の氷雪は、同時に魔王の骸を縛っている。

 その復活を拒み、遅らせているのだそうだ。


 ゆえに、魔王領の氷の健在は、いまだ魔王が復活していないという証でもあったのだ。

 だが逆に言うならば、もし彼の地の氷が融けることあらば――それは人類にとって絶望の始まりを意味していた。






          **********






 大陸西端。人類領域の最西部。

 半島の入り口を塞ぐ目的で建造された長城、魔より人類を守護するための防波堤。

 その中央部に存在する主城の視察に、私は訪れていた。


「…………」


 現在立っているのは、主城において最も高さのある建造物――主塔の天辺。

 青空の下、風を受けてその端に立つ私は、周囲をぐるりと見渡した。


 平原に造られた人類の砦たる長城は、左右――この場合は南北と表したほうが正しいか――のはるか彼方まで伸びており、その終端は霞んでしまって見て取ることはできない。

 それほど長い距離に渡って、この長城は築き上げられていた。

 この城壁を境界線として、人と魔の領域を隔てるためにである。

 これより先は、人の生きる地ではないのだ。

 

 視線を前方、城壁の向こう側へ移す。

 魔王領。

 しばらくはなだらかな草原が続いていくが、ある一定の距離に達すると急激にその様相は変化する。

 大地の緑は雪と氷に覆われ、空の青は灰色の曇天に隠され、その狭間は吹き荒れる暴風雪によって一面を埋め尽くされている。

 半島の周囲の海域も同様だった。

 岸が視界に入る範囲には氷雪と嵐で近づくこともできない。 

 であるから、当然、魔王領の奥がどうなっているか、こちらから観測することもできなかった。

 それゆえの絶対凍結封鎖領域、というわけだ。


「状況に変わりはない、か」


 魔王領の氷は、いまだ融けてはいない。氷雪に閉ざされたままである。

 それが意味するのは、魔王がまだ本格的に活動を開始していないということ。

 そして――あの日現れた竜型の魔物は、例外中の例外であったということだ。


「…………」


 天を仰ぐ。

 雲ひとつない晴天に、あの日城内で見上げた空が重なる。

 不吉な気配をまとった巨体が広大な翼を広げ、我々になど見向きもせず彼方へと飛び去っていった光景。

 遅れて、あれが魔王領から現れた――おそらく魔物であろうという報せがもたらされた。

 

 無力であった。

 騎士団をまとめる長でありながら、この国の民を守るべき武人の頂点にありながら、なにをすることもできなかった。

 ただ阿呆のように見上げて、見送るしかなかったのだ。

 仮に対峙する機会があったとしても、勇者がいまだ誕生していなかったあの時点では為す術がなかったとはいえ、だ。


「勇者……か」


 想起は、次いでそちらに移る。

 自らの手で日々剣を仕込んでいる直弟子。息子であるグレンを除けば、唯一の教え子。

 王都にやってきた彼を初めて見たとき、言葉も交わさぬうちに悟ったことがある。


 ああ、これが勇者というものか。

 

 私にそう思わせたのは、あの目だった。

 こちらを真っ直ぐ見上げてくる、どこまでも透き通っていながら、過去に出会った誰よりも力強い眼差し。

 およそ欲心というものが感じられぬ、純粋な瞳だった。

 善悪は別として、人であれば例外なく有しているはずのものが、彼の者にはなかった。

 それは無垢というよりは、欠落した結果のように、私には思える。

 生来のものなのか、或いは勇者となるために削ぎ落としてしまったのか。


 どちらにしろ、勇者として現れた少年は、常人ではなかった。

 ゆえに、あの拷問じみた鍛錬を提案されたときも驚きはなかった。

 この者ならばそうするだろうという納得だけがあった。


「団長殿は」


 そのとき、背後から声が掛かり、意識が回想から引き戻される。

 振り向けば、そこには補佐として連れてきていた、普段は王女殿下の守護を任じられている騎士グレン――息子の姿があった。


「勇者殿を、どうお考えですか?」


 そう訊ねてくるグレンの顔に、これといって表情はない。

 だがその内心には多くの感情が渦巻いているだろうことが、察せられた、

 おそらく身内ぐらいにしか読み取ることはできないだろうが。


「どう、とは?」

「つまり……その、あのような子供が勇者である、ということについてです」


 私の言葉に、グレンはわずかに視線を揺らしたあとで、そう返してくる。


「ふむ。どうもなにも、彼の者は正しく勇者であろう。聖寵――聖剣が彼の手にあることが、その紛れもない証だ」

「それは」

「お前とて、理解しているはずだ。我々では、試し・・を乗り越えることはできなかったのだから」


 私の言葉に、グレンは息を呑んだ。

 奥歯を噛み締め、悔しげに顔を伏せる。

 

 聖剣の試しは、勇者殿の許可を得て、見込みがある者は一通り行った。

 だが、誰ひとりとして資格を得る者はいなかったのだ。

 それは目の前のグレンも例外ではなかった。

 しかし、それでも一時は納得して受け入れていた。

 たしかな事実を突きつけられて、それでもなお現実を受け入れぬほど狭量な人間ではなかったはずだった。


「しかし……しかしッ」


 だが今のグレンは、そのときとはまたちがった思いを抱いているらしい。

 再び顔を上げた息子の目には、隠しきれぬ感情――憤りがあった。


「彼は、まだ子供なのです! 勇者に相応しいとは、とても言えない!」

「…………」

「たしかに素質は十分でしょう。剣の才能があり、戦う覚悟があり、誰かを守るための志がある。しかし成人してもいない子供なのです! それも、地図に名も記載されぬほど辺境の、小さな村の平民でしかない! この世界のことなどろくに知らぬのです! そんな子供を、どうして勇者として扱えましょうか!」


 それはおそらく、本心からの叫びなのだろう。

 彼の者に勇者たるに相応しい素質があることは認めながら、実際に勇者として在ることは受け入れられぬ矛盾。

 だが、それがどれだけ受け入れがたい事実であろうと、民の上に立ち、この国の中枢と否応なく関わらざるを得ない我々は、飲み込まなければならない。

 それが、王家の血を引くものの定めだ。


「今のこの国に、彼の者の他に勇者の資格を持つ存在はいないのだ。ならば、事実は事実として受け入れねばならん。それが立場ある我らの責務であろう」

「わかってはッ、わかってはいるのです……! しかし、だからこそ、立場に相応しい責を負う我らだからこそ、私は、見過ごすことが……」


 深い苦悩が滲む声だった。

 その面差しにもまた、色濃く苦衷があらわれている。

 

「…………」


 グレンのこの思いを、ただ若さという一言で斬って捨てることは容易いだろう。

 だがそれは、人として決してまちがった感情ではないのだ。

 たしかにレイトナー公爵としては窘めるべき事柄である。

 だがひとりの父親としては、いまだこの若さで汚濁に塗れてほしいとは思えなかった。

 

 これもまたひとつの矛盾であった。

 ゆえに。


「アベル殿が、勇者として在ることを厭う言葉を、一度でも口にしたことがあったか?」

「……!」


 私人としてではなく、公人としての言葉を告げるしかなかった。

 レイトナー公爵ガリオス・ヴァンブレストは立場ある人間なのだから。


「正しい勇者たる彼の者がそれを否定しないのであれば、余人に口を挟む権利などありはしない」

「…………」

「受け入れよ。それがお前の責務だ」

「……は、い」


 ひどく口惜しげではあったものの、それでも、グレンはしっかりと頷いた。

 そのことを父親としては申し訳なく思うも、王の弟としての自分は安堵している。

 これより先、グレンにはより厳しい未来が待っている。

 ここで面倒な事態を引き起こして、潰れてしまっては困るのだ。


 ――自分は死したとしても、天には行けないだろう。

 ふと、そんなことを考えた。

 そして、以前に似たような言葉を、兄である陛下や神殿長からも聞いたなと思い出す。


 罪と悪。


 我々は、誰も彼もがそれを抱えている。背負っている。

 この世界に生まれ来る人は、ただひとりの例外なく。

 それが世に秘されし、原罪。


 唯一、その罪を贖いうるのは、世界でただひとつ。

 勇者と呼ばれる存在だけであった。






 夜も深い時刻。

 人気のない城内――塔と塔を結ぶ、中空に掛けられた回廊を、ひとり歩いていた。

 臣下としてではなく弟として招かれた兄との酒席、その帰りだった。

 と言っても、城下にある邸宅に向かっているわけではない。

 すでに夜も遅かったため、兄の厚意に甘え、特別に用意された城の一室へと移動しているところだった。

 

 王の暮らす区画より出て、貴賓用の寝所が集まる別塔へ歩みを進めていた私は、その中ほどで、ふと穏やかでない気配を感じ取って、足を止めた。

 己に向けられたものではない。

 また、至近で発せられているものでもなかった。

 ここから離れた城の一画――城の裏手側、昼間であれば下働きの者らが洗濯などを行うあたりから、その気配は感じられた。

 しかし平時のこの時間帯である、すでに彼らは仕事を終えて寝床についているはずである。

 その寝屋も一画より離れた位置にあるため、下働きの者が近づくはずもない。

 

 ――なにより、不審な気配は武威を帯びていた。

 下働きの者ではありえなかった。


「……ふむ」


 回廊に空いた窓よりそちらを窺ってみる。

 この位置からは陰になって見て取ることができないが、城内のあちこちで動く見回りの騎士の篝火は確認できた。

 そのどれにも慌てた様子は見られない。

 定められた順路のとおりに、ゆっくりと城内を巡回している。


 気配には気づいていないようだった。

 無理もない、と思う。

 気配はたしかに武威を帯びていたが強大ではなく、また殺気や殺意、敵意のように害意あるものでもなく、周囲へ振りまいているわけでもなかったからだ。

 先ほどから一箇所に留まり、動いていない。

 どちらかと言えば、これに気づいた己の感覚のほうが鋭すぎるのだろう。


「確認してみる、か」


 近場の騎士を向かわせてもよかったが、興が乗った。

 いまだ残る酒気に影響されていたのかもしれない。

 ――私は歩みを、そちらに向けた。  






「……なんと」


 そうして辿り着いた先で私が目にしたのは、月明かりに照らされし、ひとりの少年であった。

 私もよく知る、見目麗しき彼は――アベル。

 《聖勇者》アベルだった。


 彼は、私が来たことにも気づかず、一心不乱に剣を振るっている。

 素振り。

 特別なことはなにひとつしていない。

 両手で握った模擬剣を振り上げて、振り下ろす。ただ、それだけ。

 剣の基礎となるその動作を、汗みずくになりながら、ひたすらに繰り返していた。

 

 幾度も、幾度も。

 ひと時も休むことなく、延々と続けている。

 その形相は、必死というに相応しいものだった。

 歯を食いしばり、眉をきつく顰めて、眼差しは宙を鋭く睨みつけている。


「…………」


 彼の足元に視線を落とす。

 地面は何度も踏みしめられたせいか、大きく抉れていた。

 見れば、彼の周囲には同じような『穴』がいくつも空いている。

 そららに紛れて、水溜まりのようなものも見受けられた。

 目を凝らして彼の手元を見る。

 柄を握りしめた両の手の平の間から、黒い液体が伝っていた。

 それは柄の先より地面に零れ落ちると、足元に新たな溜まりをつくっていく。


 ――いったい、この少年は、どれだけの時間をこうしている?


 勇者がこのような鍛錬を行っているという話を、耳にしたことはない。

 ならば、人の目より隠れての行いなのか。

 仮に人々が寝静まってから始められたのだと考えても、常人であればとうに倒れていてもおかしくはない時が経過しているはずだ。

 軽く身体を動かす、といった次元ではない。

 ゾッとするものを、私は感じた。


 やはり、この人間は、常軌を逸している。

 だがそれゆえの、勇者なのだろう。

 古来より、勇者とはそういうモノだった。


「あ……ガリオス様、ですか」


 気づけば、彼は剣を振るう手を止めて、こちらに視線を向けていた。

 その顔に、つい先ほどまで浮かんでいた険しさはない。

 気が抜けたようなゆるい笑みで私を見ている。

 疲労のせいか、その眼差しは定まらず茫漠としていた。


「見つかっちゃい、ましたね。秘密の特訓、だったの、ですけど」

「……いつから、このようなことを続けている?」

「ええと……初めて、あなたの調練を受けたときから、でしょうか」

 

 ふらりと頭を揺らした彼は、ぼんやりとした声で答えた。

 

「自分のあまりの無力さを痛感して……だから、少しでも力をつけなければ、と思ったのです」

「勇者殿。では貴方は、いつ眠っているのだ?」


 日が昇りはじめたころには、毎日体力づくりのために走り込みをしていることを、私は知っていた。

 日が中天に輝くまでは、《聖人》としての修練に励んでいることも知っていた。

 日が落ちるまでは私やグレンの調練を受け、それが終えてからも自主的な鍛錬を続け、時には他の騎士と立ち会うこともあると知っていた。

 日が沈み自室に戻ってからも、聖寵と向き合い、その力を扱うための訓練を行っていることも知っていた。

  

 そして今、人々が寝静まってからも、文字通り血の滲む鍛錬を積んでいることを知った。

 ならば、彼は、いったいいつ寝ているというのだろう。


「……あはは」


 私の問いに、彼は頬を掻いて、困ったように笑う。

 そして、言った。


「その、もうずっと、寝ていないのです」

「――なに?」

「《神秘》は、怪我や体力だけでなく、疲労や睡眠欲もなかったことにできるのです」

「――――」

「であれば寝る必要など、ないと思いませんか? 限られた時間は、有効に使わねばなりません」


 まるでそれが当然のことであるように、彼は告げる。

 耳を、疑った。

 すぐには言葉の意味を理解できず、思考が止まる。

 しかしやがて理解が浸透すると、思わずにはいられなかった。


 勇者とは、ここまで――と。

 こうまで人であることを切り捨てねば、至れないのか、と。


「それで……問題はないのか?」

「今のところは、健康そのものですよ」


 冗談めかして言う彼に、無理をしている様子は感じられなかった。

 嘘は吐いていないのだろう。

 実際、肉体に問題はないのだろうと思う。

 

 しかし、その内側はどうか。

 精神が、耐えきれるのか。

 そんな私の思いを悟ったのか、彼は自分の胸にそっと手を当てると、微笑む。


「本当に、大丈夫です。この心があるかぎり、私が折れることはありません。勇者としての使命は、必ず果たします」


 悲観することもなく。

 絶望することもなく。

 真っ直ぐな眼差しでその言葉を告げる勇者の姿が、あまりにも鮮烈で。


 私は、ひどく悲しい気分になった。


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