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放課後ノート〜翠明高校ライティング部〜  作者: やた
01.桜ヶ瀬の空っぽな僕

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01.3.射抜かれた一行

 放課後の校舎は、部活動の見学に向かう生徒たちの足音で活気づいていた。


 湊は、その喧騒から滑り落ちるようにして、一人で廊下を歩いていた。翠明高校の校風である「自主自立」という言葉が、今の彼には重い鉄球のように感じられた。自由でいろと言われても、自分の中にその中身がない。真っ白なタブレット端末は、まだ一度も自分自身の言葉を刻まないまま、制服のポケットの中で重みを増していた。


 ふと、生徒会室の近くにある大きな連絡掲示板の前で、湊の足が止まった。


 そこには、各部活動の勧誘ポスターが所狭しと貼られていた。派手な配色の運動部、繊細なイラストが描かれた美術部、活動実績を誇らしげに記した科学部。


 その色彩の暴力に圧倒されそうになった時、掲示板の右隅、少しだけ他から距離を置いた位置に貼られた、一枚のA4プリントが目に留まった。


 装飾は一切ない。ただ、太めの明朝体でこう記されていた。


『翠明高校ライティング部より:今週のセレクト』


 その下には、あるWebメディアのQRコードと、短い文章の断片が引用されていた。


「桜ヶ瀬の春は、残酷なほどに完成されている。

 薄紅色の花びらが死を孕んで舞い落ちるその時、私たちはただの観客でしかない。

 けれど、その『終わり』を言葉に刻もうとする時、私たちは初めて、美しさの当事者になれる。

 私たちは、ただ流されるために生まれてきたのではない。

 今日という一日を、自分の手でリライトするために、ペンを持つ」


 湊は、その場に縫い付けられたように動けなくなった。


 肺の奥まで冷たい水を流し込まれたような衝撃だった。心臓の鼓動が、今まで聞いたこともないほど大きく耳元で鳴り響く。


(これは……)


 文章の最後には、『神崎 涼香(かんざき すずか)』という名前と、掲載元である『Writia(ライティア)』のロゴが添えられていた。


 湊は震える手でポケットからタブレットを取り出し、カメラを起動した。画面の中に現れた黄色い枠がQRコードを捉える。リンクをタップすると、ブラウザが立ち上がり、一編のエッセイが表示された。


 タイトルは、『桜ヶ瀬の、終わらない春に』


 湊は画面をスクロールさせた。文字を追うごとに、視界から廊下の風景が消えていく。


 そこに書かれていたのは、単なる春の感想ではなかった。自分の居場所が見つからない焦燥、言葉にならない孤独、そして、それを「書く」という行為によって乗り越えようとする、凄絶なまでの「意志」だった。


 これまで湊が触れてきた文章は、どれも「誰かのために用意された正解」だった。教科書の模範解答や、SNSで流れてくる耳当たりの良い宣伝。


 けれど、画面の向こうにいるこの『神崎 涼香』という人物の言葉は、まるで湊の胸ぐらを掴んで、「お前はどうなんだ」と問いかけてくるような、鋭い牙を持っていた。


 彼女は、自分が「空っぽ」であることを、惨めなことだとは書いていなかった。


 空白があるからこそ、言葉を刻む余地があるのだと。その空白を埋める作業こそが、生きるということなのだと、彼女の言葉は語っていた。


「……リライト」


 湊は、その単語を口の中で転がした。


 昨日までの自分。今の、この情けないほど中身のない自分。


 もし、それを書き直すことができるのだとしたら。


 この何の色もない世界に、自分だけの「正解」を一行でも書き込むことができるのだとしたら。


「あ、それ。涼香さんのエッセイでしょ」


 背後からかけられた声に、湊の肩がびくりと跳ねた。


 振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。


 湊と同じ、真新しい制服。けれど、彼女の瞳には湊が持ち合わせていない、研ぎ澄まされた刃のような鋭さがあった。彼女の手にも、湊と同じタブレットが握られていた。


「驚くのも無理ないわね。あの人の文章には、読者の解像度を強制的に引き上げる力があるから」


 彼女はそう言うと、湊の隣で掲示板のプリントを静かに見つめた。


「でも、憧れるだけなら時間の無駄よ。言葉は鑑賞するものじゃない。使うものだから」


 彼女の声は冷淡だったが、そこには不思議な熱がこもっていた。彼女もまた、神崎涼香の言葉に射抜かれた一人なのだということが、湊には直感的にわかった。


「……君も、ライティング部に行くの?」


 湊が尋ねると、彼女はふん、と鼻を鳴らした。


「行くわよ。私は、私の言葉を完成させるためにここに来たんだから」


 彼女は湊に背を向け、迷いのない足取りで部室棟の方へと歩き出した。


 湊は、掲示板に残されたエッセイの最後の一行をもう一度見つめた。


『白紙であることは、敗北ではない。それは、あらゆる可能性が許された、最高の贅沢だ』


 湊の指先が、微かに熱を帯びていた。


 何も持っていない自分でも、この場所に行けば、何かが変わるかもしれない。


 いや、自分を変えるための「書き順」を教えてもらえるかもしれない。


 湊は深く息を吸い込み、タブレットを鞄に仕舞った。


 そして、先を行く少女の背中を追うように、走り出した。


 自分という物語の、最初の一行を書き出すために。

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