06.2.1年生カルテットの放課後
部室の扉が勢いよく開き、湿った風と共に、賑やかな声が流れ込んできたのは、ちょうどその時だった。
「おっ、やってるねー!二人とも、そんな暗い顔してたら、せっかくの梅雨の晴れ間が台無しだぞっ!」
入ってきたのは、一年生のムードメーカー、中野太陽だった。
その後ろから、スマホの画面を凝視しながら、リズムよくガムを噛んでいる市川凛が続く。
「太陽、声デカすぎ。結衣の集中、切れるじゃん」
凛が面倒そうに呟くが、太陽は気にする様子もなく、湊の肩を叩いた。
「なんだ湊、また結衣ちゃんに絞られてんのか?どんまい!ほら、これ見て元気出せよ。俺のLi-NK、さっきの投稿でもう100いいね超えたんだぜ!」
太陽が突き出してきたスマホには、青空をバックにした校舎の写真と、一言『夏、来ちゃった感エグいw』というキャプションが添えられていた。
湊は、苦笑しながらその画面を見つめる。
論理性もクソもない、その一瞬の感情を切り取っただけの言葉。
けれど、そこには確かに、結衣が言った「読者の心を動かすフック」のようなものが、野生の感覚として宿っている気がした。
「……僕の記事、タイトルがダメなんだって」
「タイトル?ああ、それなら俺に任せろよ!いかに中身を読ませずに期待させるか。これ、現代社会のサバイバル術だろ?」
太陽の適当なアドバイスに、結衣が鋭い視線を飛ばす。
けれど、その視線はどこか、先ほど湊に向けられたものよりも柔らかかった。
「ってわけでさ、この『夏、来ちゃった感エグいw』って投稿、ついに150いいね突破!これ、俺の歴代最高記録更新っしょ!」
太陽が、湊の目の前でスマホをこれ見よがしに振ってみせる。画面の中では、彼が適当に撮ったはずの「青空と校舎」の写真が、タイムラインの波に乗って次々と拡散されていた。
湊は自分の執筆画面、結衣に「ボツ」を突きつけられ、死体のように動かないドキュメントと、太陽のスマホを交互に見比べた。
「すごいね、太陽。……僕が二時間かけて調べた『歴史的背景』より、君の数秒の呟きの方が、ずっと多くの人に届いてる」
「まー、それが『SNS(Li-NK)』のリアルってやつ?情報量より、その場の『ノリ』と『スピード』がだいじ!」
太陽は悪びれる様子もなく、部室の椅子を逆向きに座って背もたれに顎を乗せた。その隣では、市川凛が相変わらずのリズムでガムを噛みながら、自分のタブレットを指先で弾いている。
「太陽、それ、ただ運が良かっただけだし」
凛が顔を上げずに口を挟んだ。
「その写真、彩度上げすぎ。空が青すぎて逆に安っぽい。キャプションも『w』が多すぎて頭悪そうに見える。……でも、まぁ、季節感の『フック』だけは評価してあげてもいいけど」
「おっ、お褒めの言葉あざっす!凛もたまにはデレるじゃん?」
「……死ねばいいのに」
凛は冷たく言い放つと、今度は湊の端末を覗き込んできた。
「湊のそれ、読みづら。文字がぎっしり詰まってて、見た瞬間に『うわっ』てなる。今のJK、こんなの三行読んだら飽きるよ」
「やっぱり、そうかな……」
湊は肩を落とした。
技術を学べば学ぶほど、自分の書く文章がどんどん「硬く」なっていく気がする。結衣の教えに従って論理性を追求した結果、かつての「内面ポエム」からは脱却できたが、代わりに「誰にも読まれない報告書」になってしまった。
「凛、あんたも人のこと言えないでしょ。昨日のWritiaのレビュー記事、タイトルが尖りすぎてて、コメント欄でちょっと荒れてたわよ」
それまで沈黙を守っていた結衣が、腕を組んだまま割って入った。
「『令和のタピオカは、もはや液体ではない』……何よこれ。クリックしたら、ただのわらび餅ドリンクの紹介じゃない」
「……あれは『意外性』を狙ったの。事実、PVは跳ねたし」
凛が珍しく少しだけ頬を染めて、ガムを膨らませた。
「でも、中身とのギャップが大きすぎると、それは『釣り』になっちゃうわ。読者は裏切られたと感じて、二度と私たちの記事を信じてくれなくなる。それはWritiaの信頼を削る行為よ」
「っ……わかってるよ。結衣は相変わらず真面目すぎ」
凛は面白くなさそうに視線を逸らした。
結衣は凛を真っ向から批判したが、その表情には微かな焦りのようなものが見えた。湊はそれを見逃さなかった。実は結衣も、今回の夏祭り特集のメイン記事を受け持っており、そのタイトル付けに相当苦戦していることを、共有フォルダの更新履歴で知っていたからだ。
「瀬戸口さんも……悩んでるんだよね?」
湊のその問いに、部室が一瞬静まり返った。
結衣の肩がぴくりと震える。彼女はゆっくりと湊の方を向き、いつもの毅然とした、けれどどこか防衛的な口調で答えた。
「悩んでいるんじゃないわ。私は、複数のパターンを『検討』しているだけ。A案は論理重視、B案は情緒重視、C案は……」
「それを世間じゃ『悩んでる』って言うんだよ、結衣ちゃん!」
太陽が空気を読まずに笑い飛ばした。
「いーじゃん、みんなで考えようぜ!せっかくライティング部の『一年生カルテット』が揃ってるんだし。湊の『真面目』、結衣ちゃんの『理屈』、凛の『センス』、そして俺の『ノリ』!これ合わせれば最強のタイトル、爆誕っしょ!」
「カルテットなんて呼んだ覚えはないわ」
結衣は即座に否定したが、その手は止まっていた。
窓の外からは、運動部の掛け声と、遠くを走る電車の音が聞こえてくる。梅雨特有の湿った風が、カーテンを頼りなく揺らした。
湊は、自分たちの未熟さを再確認していた。
結衣は僕に「招待状」だと言った。けれど、その招待状の書き方を、彼女自身もまだ完全には掴みきれていない。僕たちは、真っ白な封筒を前にして、どんな言葉で大切な人を誘えばいいのか分からず、立ち尽くしている招待客のようなものだ。
「ねえ、これ見て」
凛が、不意に自分のタブレットをテーブルの中央に差し出した。そこには、SNSで「万バズ」しているインフルエンサーの投稿が並んでいた。
「この人たちの言葉、別に正しくない。でも、指が勝手に止まる。……何でだと思う?」
湊は画面を食い入るように見つめた。
そこには、僕が忌避していた「感情的な言葉」や「不完全な文章」が溢れていた。けれど、それらは間違いなく、僕の胸をざわつかせた。
「……自分に関係があるって、一瞬で思わせるから?」
湊が呟くと、結衣が小さく頷いた。
「そう。論理は人を納得させるけれど、感情は人を動かすのね。タイトルにおける『正しさ』と『引き』の両立……それが、私たちが超えなきゃいけない壁なのかもしれない」
「おー、なんか部活っぽくなってきた!」
太陽が調子よく拍手する。
凛は相変わらず不愛想にガムを噛んでいるが、その指先は新しいタイトルの草案を書き留め始めていた。
湊は、さっきまで死んでいた自分のドキュメントに、再びカーソルを合わせた。
一人では、きっとこのタイトルで満足して終わっていただろう。
けれど、ここには僕の「正しさ」を疑ってくれる仲間がいる。
僕の言葉にリズムを与えてくれる仲間がいる。
そして、僕の「招待状」を受け取ってくれる、まだ見ぬ誰かが外にいる。
「……もう一回、最初から考え直してみる。歴史とか概要じゃなくて、僕が、あの祭りの何に心を動かされたのかを」
湊の決意に、結衣が少しだけ口角を上げたのを、彼は見逃さなかった。
六月の放課後。未熟な四人の言葉が、熱を帯びた部室の中で混ざり合い、静かに火花を散らし始めていた。




