04.1.テスト明けに吹く風
窓の外から、テスト期間の終わりを告げるような乾いた風が吹き込んでいた。
五月下旬。中間テスト最終日の放課後、翠明高校の校舎内には、張り詰めた糸が切れたような騒がしさが満ちている。解放感に突き動かされた生徒たちが、タブレット端末を鞄に放り込み、桜ヶ瀬川沿いの遊歩道や、商店街「ことのは通り」へと足早に消えていった。
佐倉湊は、喧騒から逃れるようにして、部室棟にあるライティング部の部室へと向かっていた。
部室のドアを開けると、冷房の涼やかな空気とともに、微かな静寂が湊を迎えた。すでに先客がいる。一分一秒を惜しむようにキーボードを叩いているのは、一年の同期、瀬戸口結衣だ。
「……お疲れ様、瀬戸口さん」
湊の声に、結衣は視線を画面に向けたまま、短く「お疲れ様」とだけ返した。彼女の指先は、まるで冷徹な機械のように正確なリズムで動き続けている。結衣が向き合っているのは、「Writia」の翠明高校ページの管理画面だ。
湊は自分の席に座り、貸与されているタブレットを起動した。画面に表示されたのは、前回の宿泊行事の際に執筆し、数日前に公開された自分の記事だった。
そこには、残酷なまでの「現実」が数字として横たわっていた。
PV、すなわち閲覧数。そして、読者からの反応を示す「スキ」の数。
結衣の記事や中野太陽が書いた記事には、三桁を超える数字と、いくつものコメントが並んでいる。対して、湊の記事に並ぶ数字は、その半分にも満たない。
「……届いてない、のかな」
湊の口から、無意識に独り言が漏れた。
宿泊行事で感じたこと、見た景色。自分なりに言葉を尽くして書いたつもりだった。しかし、画面越しに見る自分の文章は、どこか余所余所しく、熱量を失った化石のように見えた。
「数字を確認しているの?」
いつの間にかタイピングを止めていた結衣が、氷のように鋭い視線を湊に向けた。
「あ、うん。やっぱり、難しいね。みんなに読んでもらうのは」
「当たり前よ。あなたの文章は、ただの『報告書』に過ぎないもの。事実は正確に並んでいるけれど、それを読むことで読者が何を得られるのか、その視点が欠落している」
結衣の言葉は、相変わらず容赦がない。彼女は言葉の誤用や不確かな事実関係を許さない厳格さを持っている。
「読み手の迷子を防ぐためにPREP法は守っているけれど、あなたはまだ、書くことの目的を見失っているわ。誰のために、その言葉を置いているの?」
湊は言い返せなかった。自分が「何を書くか」に必死で、それを「誰が読むか」まで想像が及んでいなかった。
その時、部室のドアが勢いよく開き、明るい声が室内に飛び込んできた。
「うっす!テスト終了、マジで神っしょ!開放感やばくない?」
エナメルバッグを肩にかけた太陽が、汗の匂いとともに現れた。続いて、スマートフォンの画面を指先で弾きながら、市川凛も入ってくる。
「太陽、うるさすぎ。ウチ、まだテストの脳みそから切り替えられてないんだけど。……あ、湊くん、お疲れー。記事、見たよ。真面目だよね、相変わらず」
「……ありがとう、市川さん」
凛の言葉は悪気がない分、余計に湊の胸を小さく突き刺した。「真面目」という評価は、裏を返せば「面白みがない」と言われているのと同じに感じられたからだ。
「さて、一年生が揃ったわね」
部室の奥、窓際の特等席で文庫本を読んでいた部長の神崎涼香が、ゆっくりと顔を上げた。彼女が纏う空気は、穏やかでありながら、どこか底の知れないミステリアスな重みがある。
「みんな、初めての定期試験、お疲れ様。解放感を味わいたいところだろうけれど、Writiaには『季節』があります。私たちが立ち止まっている間にも、読者は新しい言葉を求めているわ」
涼香は、湊たちの前に一枚のプリントを置いた。そこには、毎年恒例となっているプロジェクトの名前が記されていた。
「今回のミッションは『部活動紹介』よ。新入生だけでなく、他部活の様子を知りたい在校生、そして地域の方々に向けて、翠明高校の鼓動を伝えてほしいの」
湊はプリントに書かれた担当表に目を落とした。
『佐倉湊:サッカー部』
その文字を見た瞬間、湊の脳裏に、同じクラスの親友であり、サッカー部のエース候補でもある柏木亮の顔が浮かんだ。中学からの腐れ縁である彼は、いつだって眩しいほどに「普通」で、そして「熱い」存在だ。
「各部の部長や顧問には、國分先生から話が通っています。取材の締め切りは来週。……佐倉くん、あなたの『空っぽな視線』が、何を見つけるのか楽しみにしているわ」
涼香の言葉に、湊は小さく頷いた。
サッカー部。身近すぎる取材対象。しかし、今の湊には、あの熱狂的なグラウンドの空気をどう言葉に変換すればいいのか、全く想像がつかなかった。
ふと隣を見ると、結衣が自分の担当である「ダンス部」の文字を凝視していた。彼女の端正な横顔に、かすかな緊張が走ったのを、湊は見逃さなかった。
「……瀬戸口さん?」
「なんでもないわ。……ただ、少し面倒なことになりそうなだけ」
結衣はそう言って、再びタブレットの画面に視線を戻した。
テスト明けの爽やかな風は、部室の中までは届かない。湊は、自分のタブレットに表示された、一桁台の「スキ」の数字をもう一度見つめた。
これが今の、自分の実力だ。
誰かに届く言葉。それを手に入れるための戦いが、また始まろうとしていた。




