EX1.連載『桜が瀬の、心のしおり』最終回
『花冷えのあとに、私たちが綴る景色』
執筆:K.S.(3年)
桜ヶ瀬川の遊歩道をひとり歩くとき、ふと立ち止まりたくなる瞬間がある。
多摩川の支流に沿って延々と続くあの桜並木は、春が訪れるたびに圧倒的な美しさで私たちを包み込み、そして初夏には深い緑の木漏れ日を落とし、秋には赤や黄の枯れ葉で足元を彩る。季節は一度として留まることなく、巨大な時の歯車を静かに回し続けている。
この『心のしおり』の連載を始めてから、早いもので一年以上の月日が流れた。
最初は、ただの思いつきだった。
変わり映えのしない日常、どこかで見たような校舎の風景、誰もが素通りしてしまうような放課後の片隅。そこに落ちている「言葉にならない感情」を、少しだけ丁寧に掬い上げてノートの片隅に挟み込んでおきたい。読んだ誰かが本を閉じたとき、胸の奥で小さな栞のように、静かな体温を残せるような文章を書きたい、そう願って、このペンを握り続けてきた。
言葉とは、不思議なものだ。
どれほど美しい風景を目の前にしても、私たちがそれを言葉に変換しようとした瞬間、景色のすべてを完璧に切り取ることはできない。写真は一瞬の光をそのまま定着させることができるけれど、文字は必ず「こぼれ落ちるもの」を生み出してしまう。匂い、温度、胸の奥でつかえた小さなため息。そういったものは、言葉の網目を容易にすり抜けていってしまう。
けれど、私は思うのだ。
その「こぼれ落ちた隙間」にこそ、私たちが生きている本当の理由が隠されているのではないか、と。
完璧ではない言葉。不器用で、主観に満ちていて、時に誰かを戸惑わせてしまうような未完成な下書き。けれど、自分の心と誤魔化さずに向き合い、指先を湿らせながら紡ぎ出された文章には、完璧な事実を超えた熱量が宿る。
私がこのライティング部で過ごした日々は、まさにその「未完成な言葉たち」と出会い直す時間だった。
論理のフレームワークに捉われず、ただ伝えたい想いだけで原稿用紙を赤く染めていた1年生の姿。
自分の内に抱える空虚さに怯えながらも、誰かの声を掬い上げようと必死にノートを広げていた少年の背中。
冷徹なロジックという鎧をまといながら、その裏側で誰よりも言葉の正しさと優しさを守ろうとしていた少女の横顔。
彼ら、彼女らと出会えたことで、私のつたないエッセイは完成したのだと思う。私は一人でこの『心のしおり』を書いていたのではない。この部室で、この桜ヶ瀬の街で、不器用に言葉を交わし合ったすべての人たちと共に、この景色を織り上げていたのだ。
私たちが生きている世界は、常に変化し続けている。
三年生という立場になり、私たちは、まもなくこの慣れ親しんだ部室の小さなデスクを離れる。今まで当たり前のように過ごしてきた「放課後」という特別な時間は、静かに終わりを告げようとしている。
けれど、寂しさはない。
なぜなら、言葉は形を変えて受け継がれていくものだからだ。
私が残したこの『しおり』は、ここで一度ページを閉じる。しかし、次にこの本を開くのは、私ではない誰かだ。新しい視点、新しい言葉、そして新しい世代の不器用な情熱が、また新しいページを紡ぎ出していく。
かつて私が桜ヶ瀬の春を観客としてただ眺めていたように、誰かがまた自分の「空っぽさ」に途方に暮れる日があるかもしれない。自分が書いた文章が誰にも届かないのではないかと、夕暮れの部室で一人思い悩む日があるかもしれない。
そんなときは、どうか思い出してほしい。
完璧な文章など、この世のどこにも存在しない。大切なのは、巧みなテクニックで飾られた言葉ではなく、あなたというフィルターを通してしか見えない「世界への眼差し」そのものなのだということ。
あなたの描いた拙い一文が、誰かの止まっていた時間に小さな「しおり」を挟み、次のページをめくる勇気を与える日が、絶対にやってくる。
窓の外を見ると、羽明橋の向こうに茜色の夕陽が沈んでいくのが見える。
部室の中に漂う、古い紙の匂いと、少し冷めた紅茶の残り香。廊下から聞こえる規則的なキーボードの打鍵音。
すべてが愛おしく、そして美しい。
これで、私の『心のしおり』をそっと挟み、このノートを閉じようと思う。
長らくこの拙いエッセイに付き合ってくれた読者のみなさん、そして何より、私に言葉を紡ぐ喜びを教えてくれたライティング部のみんなに、心からの感謝を込めて。
さようなら。
そして、これからの、新しいあなたの言葉を楽しみにしています。
(Writia連載『桜が瀬の、心のしおり』・完)




