Prologue.『桜ヶ瀬の、終わらない春に』
桜ヶ瀬の春は、残酷なほどに完成されている。
多摩川の支流に沿って、数キロにわたり無数に咲き誇るソメイヨシノ。その圧倒的な淡いピンク色の奔流を前にしたとき、私たちはただ立ち尽くし、その美しさを消費することしかできない。スマートフォンをかざし、画一的なフィルターをかけ、どこかで見たような称賛の言葉を添えて、タイムラインの塵として放流する。
けれど、そうして「消費」された景色は、私たちの血肉にはならない。
満開のピークが過ぎ、風が吹くたびに薄紅色の花びらが死を孕んで舞い落ちるその時、私たちはようやく気づくはずだ。この街の春は、私たちのためにあるのではない。ただ季節という巨大な歯車が回る過程で、私たちは偶然そこに居合わせただけの「観客」に過ぎないのだということに。
無力だ、と思う。
美しすぎる世界を前に、語るべき言葉を持たない私たちは、あまりにも空っぽだ。
しかし、その「終わり」を言葉に刻もうと抗うとき、私たちは初めて、美しさの当事者になれる。
誰かに教わった形容詞を捨て、自分の心に沈殿した澱のような違和感を掬い上げること。
散りゆく花びらの一片に、自分自身の喪失や渇望を重ね合わせること。
それは、世界をそのまま受け入れるのではなく、自分というフィルターを通して「リライト」する作業だ。
私たちは、ただ流されるために生まれてきたのではない。
今日という一日を、借り物の言葉で埋め尽くすために生きているのではない。
昨日までの自分という「下書き」を、自分の手で書き直すために。
白紙であることは、敗北ではない。
それは、あらゆる可能性が許された、最高の贅沢だ。
だから私は、今日もペンを持つ。
この桜ヶ瀬の、終わらない春に、私だけの「正解」を刻みつけるために。
執筆:K.S.(翠明高校3年 ライティング部 部長)




