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放課後ノート〜翠明高校ライティング部〜  作者: やた
01.桜ヶ瀬の空っぽな僕

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Prologue.『桜ヶ瀬の、終わらない春に』

 桜ヶ瀬(さくらがせ)の春は、残酷なほどに完成されている。


 多摩川の支流に沿って、数キロにわたり無数に咲き誇るソメイヨシノ。その圧倒的な淡いピンク色の奔流を前にしたとき、私たちはただ立ち尽くし、その美しさを消費することしかできない。スマートフォンをかざし、画一的なフィルターをかけ、どこかで見たような称賛の言葉を添えて、タイムラインの塵(ちり)として放流する。


 けれど、そうして「消費」された景色は、私たちの血肉にはならない。


 満開のピークが過ぎ、風が吹くたびに薄紅色の花びらが死を孕んで舞い落ちるその時、私たちはようやく気づくはずだ。この街の春は、私たちのためにあるのではない。ただ季節という巨大な歯車が回る過程で、私たちは偶然そこに居合わせただけの「観客」に過ぎないのだということに。


 無力だ、と思う。

 美しすぎる世界を前に、語るべき言葉を持たない私たちは、あまりにも空っぽだ。


 しかし、その「終わり」を言葉に刻もうと抗うとき、私たちは初めて、美しさの当事者になれる。

 誰かに教わった形容詞を捨て、自分の心に沈殿した澱(おり)のような違和感を掬い上げること。

 散りゆく花びらの一片に、自分自身の喪失や渇望を重ね合わせること。


 それは、世界をそのまま受け入れるのではなく、自分というフィルターを通して「リライト」する作業だ。


 私たちは、ただ流されるために生まれてきたのではない。

 今日という一日を、借り物の言葉で埋め尽くすために生きているのではない。

 昨日までの自分という「下書き」を、自分の手で書き直すために。


 白紙であることは、敗北ではない。

 それは、あらゆる可能性が許された、最高の贅沢だ。


 だから私は、今日もペンを持つ。

 この桜ヶ瀬の、終わらない春に、私だけの「正解(ボイス)」を刻みつけるために。


執筆:K.S.(翠明(すいめい)高校3年 ライティング部 部長)

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