第1話 聖剣に選ばれなかった俺、帰宅したら聖剣が玄関で待っていた
聖剣は、俺を選ばなかった。
王都中央広場に集まった数千人の前で、その事実はこれ以上ないほど分かりやすく証明された。
「――次。カイル・レインズ」
「はい」
神官に名前を呼ばれ、俺は壇上へ上がる。
白い石造りの祭壇。その中央には一本の剣が突き立っていた。
金とも銀ともつかない刀身。柄には青い宝石。刃に沿って淡い光が脈打ち、ただ置かれているだけなのに、周囲の空気まで澄んでいるように感じる。
王国に一本しか存在しないと言われる《聖剣アルセリア》。
三百年前、魔王を討った勇者が使った伝説の剣だ。
そして今日、この剣に選ばれた者が次代の勇者となる。
「カイル・レインズ。十八歳。王立騎士養成院、剣術科所属」
神官が俺の経歴を読み上げる。
「剣術成績、上位。魔力量、中の上。人格審査、問題なし」
悪くはない。
だが、飛び抜けてもいない。
俺の前に挑戦した連中には、もっとすごい奴が何人もいた。
名門貴族の天才剣士。
十六歳で上級魔術を使える神童。
魔物討伐数がすでに百を超えている若き冒険者。
けれど、聖剣は誰にも反応しなかった。
だからこそ。
ほんの少しだけ、期待していた。
「剣の柄を握りなさい」
「はい」
俺は祭壇の中央へ進み、聖剣の柄へ手を伸ばした。
冷たい。
けれど、不思議と手には馴染んだ。
「では――抜け」
神官の声に合わせ、力を込める。
「……っ」
動かない。
もう一度。
「ふっ……!」
やはり動かない。
聖剣は石に根でも張っているように、びくともしなかった。
広場が静まり返る。
俺は一度息を吐き、最後に思い切り力を込めた。
「ぐ……!」
結果は同じだった。
聖剣は、一ミリたりとも動かなかった。
「そこまで」
神官の声が響く。
「聖剣はカイル・レインズを選定せず。次の候補者を」
「……はい」
俺は手を離した。
その瞬間だった。
ほんの一瞬。
柄の青い宝石が、かすかに光ったような気がした。
「……?」
振り返る。
だが、聖剣は何事もなかったかのように祭壇へ突き立っている。
気のせいか。
「カイル、早く降りろ」
「あ、すみません」
神官に促され、俺は壇上を降りた。
観客席から、ひそひそ声が聞こえてくる。
「レインズ家の次男だろ?」
「騎士養成院じゃそこそこらしいけどな」
「まあ、勇者って器じゃなかったってことだろ」
別に珍しい話じゃない。
今日だけでも、すでに百人以上が聖剣に拒まれている。
なのに、自分の番になると少しだけ胸に刺さるものがあった。
「……まあ、こんなもんか」
俺は小さく呟いた。
勇者になりたいか、と聞かれれば。
正直、よく分からない。
魔王軍との戦いは激化している。
勇者になれば名誉も金も手に入るが、同時に世界で一番危険な場所へ送り込まれる。
俺は英雄願望が強いわけでもないし、自分を特別だと思っていたわけでもない。
ただ。
もし聖剣に選ばれたら。
俺にも何か、特別な役目があるのかもしれない。
そんなことを、少しだけ考えていた。
結果はご覧の通りだ。
「帰るか」
俺は広場を後にした。
◇
「え? 最後まで見ていかないの?」
広場を出たところで、同期のミリアに呼び止められた。
赤い髪を肩で切り揃えた、小柄な少女だ。
養成院では魔法科に所属している。
「もう俺の番終わったし」
「誰が選ばれるか気にならない?」
「明日には嫌でも学院中その話題だろ」
「それはそうだけど……」
ミリアは少し迷ったあと、俺の顔を覗き込んだ。
「落ち込んでる?」
「ちょっとは」
「正直」
「嘘ついても仕方ないだろ」
俺が笑うと、ミリアも少しだけ安心したように笑った。
「でもカイルなら、普通に騎士になれるでしょ」
「普通って言うなよ」
「褒めてるのよ。普通に強くて、普通に真面目で、普通にいい人」
「三回も普通って言ったな?」
「つまり安定感があるってこと」
「勇者とは真逆だな」
「たぶんね」
「否定しろよ」
二人で笑う。
その程度には、俺も立ち直っていた。
勇者になれなかったからといって人生が終わるわけじゃない。
来年には養成院を卒業する。
騎士団に入る道もあるし、冒険者になるのも悪くない。
辺境の町で警備隊に入って、静かに暮らすのだってありだ。
「じゃ、俺は帰る」
「うん。また明日」
「おう」
ミリアと別れ、俺は王都の外れにある自宅へ向かった。
正確には、自宅というより借家だ。
兄が家督を継ぐことが決まってから、俺は実家を出て一人暮らしをしている。
古いが二階建て。
小さな庭もある。
家賃も安い。
俺は結構気に入っていた。
今日はもう剣の稽古も休もう。
風呂に入って。
適当に飯を作って。
さっさと寝よう。
明日からは、また普通の日常だ。
そんなことを考えながら家の前まで来た俺は。
「……は?」
足を止めた。
玄関の前に。
剣が立っていた。
「…………」
見間違いかと思った。
目をこする。
もう一度見る。
剣はある。
長剣だ。
金とも銀ともつかない刀身。
青い宝石の嵌まった柄。
刃に沿って淡い光が脈打っている。
「いやいやいやいや」
俺は首を振った。
そんなわけがない。
今日、王都中央広場で見たばかりだ。
何千人もの兵士や神官が守っている。
国宝。
伝説の武器。
次代の勇者を選ぶための――。
「聖剣アルセリア……?」
剣が。
かすかに震えた。
「……え?」
俺は固まった。
今、反応したよな?
恐る恐る近づく。
「お前……本物か?」
ぴかっ。
青い宝石が光った。
「返事した!?」
思わず後ずさる。
すると聖剣が傾いた。
「あっ」
倒れる。
反射的に手を伸ばし、俺は柄を掴んだ。
その瞬間。
――キィィィン。
澄んだ音が鳴り響いた。
聖剣全体から、昼間とは比べものにならないほど強い光が溢れ出す。
「うわっ!?」
眩しさに目を閉じる。
数秒後。
光が収まり、俺はゆっくり目を開けた。
手の中にある聖剣は、まるで昔から俺のために作られていたかのようにしっくり馴染んでいた。
重さすらほとんど感じない。
「……いや」
違う。
「いやいやいや」
昼間は抜けなかった。
俺は選ばれなかった。
神官だってそう宣言した。
なのに。
「なんでお前、うちにいるんだよ」
聖剣の宝石が。
もう一度。
嬉しそうに光った。
「……」
嫌な予感がした。
とても、とても嫌な予感だ。
俺は慌てて玄関を開け、聖剣を家の中へ引っ張り込んだ。
誰かに見られたらまずい。
国宝を盗んだと思われる。
というか、どう考えてもそう見える。
「待て。落ち着け俺」
居間のテーブルへ聖剣を置く。
「まず状況を整理しよう」
俺は椅子に座った。
聖剣はテーブルの上。
「今日の昼、俺はお前に選ばれなかった」
ぴか。
「そこ光るところか?」
ぴかぴか。
「なんで二回!?」
まるで否定しているみたいだった。
「じゃあ何だ。俺を選んだっていうのか?」
――ぴかあああっ!
「眩しい眩しい!」
俺は顔を覆った。
光が収まる。
「……選んだの?」
ぴか。
「でも抜けなかったよな?」
沈黙。
「……」
俺は聖剣を見る。
聖剣も、たぶん俺を見ている。
「もしかして」
嫌な考えが浮かぶ。
「お前、あの祭壇から抜かれるの嫌だったのか?」
ぴかっ。
「おい」
俺は頭を抱えた。
つまり。
聖剣は俺を選ばなかったのではない。
その場では抜かれたくなかった。
だから拒否した。
そして。
「俺が帰ったから、追いかけてきた?」
ぴっかあああああ!
「嬉しそうにするな!」
意味が分からない。
聖剣ってそういうものなのか?
勇者を選ぶんじゃないのか?
勝手に勇者候補の家まで来るものなのか?
「どうやって来たんだよ……」
聖剣は答えない。
光るだけなので、細かい意思疎通には限界があるらしい。
「とにかく返さないと」
俺がそう言った瞬間。
聖剣の光が消えた。
「……?」
さっきまで輝いていた青い宝石が、完全に沈黙する。
「明日の朝、神殿に返しに――」
ガタッ。
「ん?」
聖剣が動いた。
テーブルの上を。
ずる。
ずるずる。
「……お前」
聖剣は俺から離れるように移動していく。
「返されたくないのか?」
さらに、ずるずる。
「分かりやすすぎるだろ!」
俺が柄を掴もうとすると、聖剣はするりと逃げた。
「剣が逃げるな!」
居間を一周。
俺が右へ行けば左。
左へ回れば右。
最後には壁際まで追い詰めた。
「観念しろ!」
俺が飛びつく。
その瞬間。
聖剣は床から跳ね上がった。
「は!?」
頭上を飛び越える。
そして。
ガチャ。
玄関扉の前へ着地した。
「……」
聖剣が玄関に立っている。
さっきと同じ構図だった。
青い宝石が、誇らしげに光る。
「いや、戻るなよ」
ぴか。
「そこがお前の定位置じゃないからな?」
ぴかぴか。
完全に居座る気だった。
俺はしばらく聖剣を見つめたあと。
深く。
本当に深く、ため息をついた。
「……とりあえず今日は泊まっていい」
ぴかあああああっ!
「だから光るな! 近所にバレる!」
俺は慌ててカーテンを閉めた。
その夜。
王都では大騒ぎになっていた。
勇者選定の途中。
数千人の目の前で。
国宝《聖剣アルセリア》が。
祭壇から忽然と消えたからだ。
もちろん俺は。
そんなこと、まだ知る由もなかった。




