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幕末陰傳 飛頭蛮  作者: 猛士
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矜持


 おそらくは折重からの命で襲ってきた輩から市を助けた男は『万荒事屋よろずあらごとや』を称する、葛城という男だった。


 まるで動く仁王像のような葛城は、妙に人懐っこい笑みを浮かべ、市に仕事を持ちかけた。

 奇しくもそれは、折重と同じ案件であった。

 

 違うのは、折重側とは別の筋からの依頼らしいことだ。

 どうにもつまらぬ争いに巻き込まれてしまったようだった。無論、葛城に対しても、市は即答で断った。

 醜いまつりごとの諍いに巻き込まれるのは御免だ。

 危ういところを助けられた礼を述べ、早々に立ち去ろうとする市を、


「借りは返すのが、浮世の義理ってもんだろ」


 と、葛城は引き留めた。

 ほら、来たか――大方、命を助けたことに恩を着せ、仕事を押し付ける気なのであろう。予想通りの言動である。

 所詮は下衆な男と、睨み返した市であったが、続く言葉は想像とは少し違っていた。


「仕事を受けろとは言わねぇ。だがせめて、あんたに撃ってもらいてぇモノを、その眼で確認してくれ。自分の眼で見て、それでも気が乗らないってのなら、この話はお終いだ」


 そう言って葛城は、江戸城を見渡せるこの場所を指定した。



 三晩。城を見渡すことのできるこの屋根の上で待つ。その間に飛頭蛮が姿を現さなければこの件は終わり。最低限の金は払う。


「もしその姿を確認することができたのならば。あらためて決めればいい」


 葛城はそう言って口角を上げた。



 そして――

 一晩、二晩と何事もなく過ぎた。そして最後の夜である今宵。飛頭蛮は市の前に姿を現したのだ。


 すでに飛頭蛮は何処かへ飛び去り、市の眼前には月明りを浴びる壮大な天守が威容を見せつけているだけである。

 だが市の頭の中では、未だ天守の上を舞うように飛ぶ飛頭蛮の姿が焼き付いている。



 飛頭蛮――清に伝わる妖の一種である。東晋の怪異集『捜神記』によれば、呉の国の将軍朱桓の下女の首は、夜になるとしばし飛び回ったとある。

 残された身体を見れば、呼吸は浅く冷たくなっていたため、布団をかぶせたところ、首は身体に戻ることができず苦しみだしたという。

 慌てて布団を取り去ると、首は何事もなく胴に戻り、何事も無かったかのように落ち着いたという。

 また、この日本においても『僧呂利物語』によれば、このような妖は“ろくろ首”と呼ばれ、首が長く伸びるものや、胴から離れ飛び回るものがいると書かれている。



 敵意を向けるな――妖異というものは、こちらの意識に過敏に反応するのだと、葛城は言った。

 怯えを向ければ増長し、悲しみを見せれば煽る。怒りを向ければ激怒し、敵意を向ければ襲いかかる――と。


 獣でも鳥でもない。人智を超えた妖物。そのようなモノを撃つのに、心を揺らさずに狙うことが可能なのであろうか。

 おそらく可能であろうと思う。

 市は引き金を引くとき、獲物に対し意念をこめて銃口を向けたことなどない。獣であれ鳥であれ、人間以上に気配に敏感である。野生に生きるものはそうでなければ生き残ることはできない。気配を洩らさず狙い撃つなど、鉄砲野師としては息をするかのごとく当たり前のことである。


 だが初めて目にした妖物に、己の感情がざわめいているのは確かである。しかしそれは大した問題ではない。それよりも市が懸念するのはもう一つのこと。


 銃で撃っても死なない――葛城はそう言った。別に銃に限った事では無い。剣で斬ろうが弓で射ろうが槍で突こうが、基本的に妖物には効果が無いのだという。


「ならば坊主に経でも唱えさせれば良かろう」と、皮肉交じりに市が言うと

「声が届かんだろ」と、葛城は真面目に言った。

「あの高さじゃ坊主にも俺にもなす術がない」と、葛城は困ったように肩を落とした。


 だからこそ、市の銃が必要なのだと言う。

 だが葛城は、妖異に銃は効かないともいったはず。


「手はある。案ずるな」と、葛城は嗤った。

「あんたは、どう撃つか、それを考えればいい」と葛城は自信たっぷりに嗤った。


 癪だが、あの男の言う通り飛頭蛮を目にした瞬間から、市は考えている。どう狙うかを。

 そもそも頭しかないのである。当たれば何処でも良いのか。

 眼か眉間か耳か――距離は。風向きは高さは角度は――またあそこから出現するならば、狙撃するのに最良の場所は――と、ここまで思いを巡らせて、市は頭を振った。

 

 返事は始めから決まっている。政に関わる仕事は受けぬと誓ったのだ。自嘲するように、市は紅い唇を歪めた。帰ろう――と、市は城に背を向けた。その時だった。


「千代……」


 なんとも物悲しげな呟きが聞こえた。

 反射的に気配を殺し、物陰に身を潜めた。


 様子を窺えば、まだ若い男が飛頭蛮の飛び去った方角を見上げ、膝を着き項垂れている。

 周囲には他にひとの気配はない。まして男がひとりで悲観に暮れるような場所ではない。なんとも妙である。


「本当にあんな、あんな、()()()()なんて化物になっちまうなんて……わたしはどうしたらいいんだい――」


 男はがっくりと項垂れ、地面を叩いた。


 まさか――と、市には思い当たるふしがあった。飛頭蛮の正体として、大奥に仕える御半下の名が挙がっていると折重も言っていたが、必要ないと名前までは聞かなかった。だが葛城からその御半下は、日本橋の呉服屋『辰野や』の娘「千代」と聞かされた。


 行儀見習いとして大奥に奉公に入ったが、この春に年季が開ければ店の番頭と所帯を持ち、身代を継ぐのだと言う。はっきりとは言わなかったが、どうやら葛城の仕事の依頼先には、この呉服屋も絡んでいるようであった。


 男は拳で涙を拭うと、幽鬼のように立ち上がった。線が細く、造作の整った顔立ちである。それだけに、このような姿はより一層の悲痛さを醸し出している。項垂れたまま男は、物陰に潜む市の前を通り過ぎてゆく。

 通り過ぎる背中の羽織に描かれた紋に、市は思い当たるふしがあった。

 葛城の言っていた千代の生家『辰野や』のものである。


 もしや、あの鉛のように足取りの重い男が、辰野やの番頭の「仁吉」なのだろうか。

 千代の奉公が無事に開ければ、ふたりは夫婦となって店を盛り立てていくのだろう。だが今のままでは……暫し、男の背を見送り、市は仁吉とは逆の方向へ歩き出した。


 口の中に、錆びた鉄の味が広がっていく。いつの間にか、自分が唇を噛みしめていたことに気が付いた。――と、しばらく歩いたその時だった。


「お千代のろくろ首、見たかい」


 暗がりから気配も無く岩のような男が顔を出した。

 葛城の前で立ち止まると、市は無言で頷いた。


「どうやら返事は決まったみてぇだな」

「返事など――決まっている」


 そう、汚い政のために引き金は引かぬと誓ったのだ。


「そうかい」


 葛城はどこか困ったように、懐から紫の巾着をとりだし、市に放った。


「これは――」


 巾着を開けると、月光を受け金色に鈍く光る銃弾が入っていた。


「そいつは、赤城山にある慶尚寺けいしょうじにあった孔雀明王像を溶かして作った弾だ」

「孔雀――明王像?」


 孔雀明王――密教にて孔雀仏母ともよばれる明王である。憤怒の相を浮かべる明王の中にあって唯一、慈悲の相を浮かべた明王である。孔雀は毒蛇を食べるところから、魔を喰らうともいわれ退魔の功徳をもつという。


「これでお千代の額に浮かぶ梵字を撃つんだ」

「梵字?」

「それがお千代にかけられた呪の根だ」


 葛城は己の額を指で叩いた。


「あんたの銃の腕とこの弾があれば、お千代を助けてやれる――と、思うんだがね」

「これなら……」


 あのもだえ苦しむように夜空を飛ぶ娘の首。崩れるように項垂れる男の姿。市の白い指先が紫の巾着を握りしめた。


「さて、仕事の段取りを決めようじゃねぇか」


 葛城は、なんとも太い笑みを浮かべた。



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