09*俺の願いが叶うとき
答えを期待した訳じゃない。
それに、伝えたいというよりは、ただ自分自身にけじめをつけたいというだけの事だった。
いつも思い出だけを見てきた。僕の中でこいつだけが、『女』と呼べる存在だった。
でも今日やっと分かったのだ。
楓は変わった。僕の思い出の中の彼女とは比べ物にならないほどに。声も仕草も愛らしい瞳も、なにもかもが美しく成長していた。
そんな彼女を邪魔する権利など僕にはない。ここは男らしく引き下がるのが筋だ。
だけど最後に一度だけ、彼女に伝えておきたくて、どうしようもない自己満足に、彼女を巻き込んでしまったという訳だ。
緊張してるカッコ悪い僕を悟られないために、できるだけ淡々と述べた。
正直、与える印象なんて、もうどうでも良かった。何も突っ込まずに、聞き流してほしい気分だった。
「へぇ、そうなの」って、負けないくらい淡々と答えてくれても良かったのに。
「本当の事を言え」
「ほんとだよ」
優しい彼女は、きっと誰にでも気を遣うんだろう。
「龍ちゃんこそ。もし嘘だったら、あたし…泣いちゃうからね……!」
うっすら膜の張った瞳を誤魔化しながら、頬を真紅に染めて僕を見上げる彼女は、僕だけが知っている楓だ。
「ったく、かわいい奴」
そう笑って頭をくしゃくしゃにしてやると、幸せそうに楓も笑った。
「最高だ」
彼女の前髪をかき上げ、額にそっと口づけた。絹のように柔らかな肌の感触が伝わる。
大きく見開いた瞳だけで僕を見上げる彼女を、壊してしまいたい衝動に駆られる。
でも、今はまだダメだ。
もう一度だけ彼女の柔らかい肌を唇で確認すると、僕たちはまた窓の外の世界に目を向けた。
「もうすぐクリスマスだね」
幻想的に街頭や街路樹を彩るイルミネーションに、楓が目を細める。
「今年こそ、雪が降ったらいいなぁ」
彼女はホワイトクリスマスを想像しているかのように、柔らかい瞳でぼんやりと外を見やっていた。
「外、行くか?」
僕は飲み終わったコーヒーのグラスを、確認するように少し傾けながら訊いた。
「じゃあ、もう少し待って。今、飲み終わるから」
彼女は嬉しそうに僕に笑いかけると、少し慌てながら残りのミルクティーを飲み干した。
「おいしかったぁ」
満足そうにそう言って立ち上がろうとする彼女の口元に、ミルクティーが少し残っている。
「ちょっと待って」
僕は彼女の腕をできるだけ優しく引っ張って抱き寄せた。僕が顔を近づけると、彼女はとっさに目をつぶった。
「ここ……付いてるぞ」
指で拭ってやるつもりだったが、本能は理性を無視し、気付くと唇が彼女の頬に触れていた。
惜しいところまで行ったので、彼女もさすがに瞳をぱちくりと忙しく動かしている。
まだダメだ。あともう少し待っていろ。俺はせめてクリスマスまで……取っておきたいんだ。
――結構大胆な行動も、実は得意なのかもしれない。
◇◇◇
外の凍えるような寒さは、いっこうに和らぐ気配がなかった。
こんな気温では、寄り添っていなければ死んでしまいそうだ。夜の街に散りばめられたイルミネーションを二人で眺めながら、大きな噴水の縁に腰かけた。
「星は……見えないね」
残念そうに楓が呟く。都会の真ん中の公園には、星の光は届いてくれていなかった。
「いつか、満点の星空が見てみたいな」
「そうだな……」
楓と二人で満天の星空を眺められたら、どんなに幸せなんだろう。二人で夜の草原に寝転んで、一晩中 眠りもせずに。
「行こう、草原に」
突然 彼女の手を握り、草原なんて言い出した僕はおかしな奴だっただろう。
くすくす笑いながら、彼女は訊いてきた。「星を見に行くの?」
「ああ。俺の金が貯まったら、二人で見に行くんだ」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。本気にしてくれたかどうかは分からない。でも必ず彼女を連れて行くんだ。
「そんなにお金がないの?」
「……」
彼女が微笑したのは、喜んだからではなかったのかもしれない。
「約束だよ」
運転席の窓を開けると、楓が小指をさし出してきた。
「ほら、ゆびきり」
少し面倒くさそうに自分の小指を絡ませると、彼女の小指は微かに温かかった。
冷え切った楓を、僕は家まで送り届けてやった。公園から僕の家までは近かったから、そこから車を出して彼女を家に送った。
懐かしい街だ。引っ越してから、まだ4年しか経っていないのに。
そのせいか、街は以前と全く変わっていなかった。相変わらず、楓の家の窓からは暖かな光が零れていて。相変わらず、楓の家の隣には僕の家があって。
楓が見えなくなってしまってから、僕はひさしぶりに実家に寄っていこうと思いついた。
父さんと母さんの顔をしばらく見ていない。これから年末年始で忙しくなる時期だし、なかなか顔を出せなくなるだろう。と言ってもまあ、正月には帰ってくるのか……。
そんなことをごちゃごちゃ考えながら、とにかく僕は車を止め、久しぶりに実家の門をくぐった。




