マザーの過去2
楽しみにしている方がいるのか不安だ……
辺りが暗くなってもシータはそのまま外にいた。
マザーが孤児院の中に入ってからちょっと経った頃、血相を変えたプライムが飛び出してきたが二人の死体を見て少しは納得したようだった。
中に入らないことを不思議に思われたがシータが適当にごまかすと深くは追及してこなかった。納得したというよりは何かを察したのだろう。
プライムは死体に祈りを捧げてからとりあえず建物の陰に移動させると、中へと戻っていった。
『シータさんの言う通りにすると、僕はあなたを殺さなければなりません』
マザーの言葉が頭の中で繰り返される。そして自分の放った軽薄な言葉がマザーをどれほど苦しめるのか、それを考えるだけでシータの胸も窮屈になった。
どれほどの時間が経ったのだろうか。すっかり暗くなった夜空には星が煌めいている。
ここまでの間、孤児院の中は静かだった。プライムが子供たちをうまく注意しているのだろう。
マザーはまた夜に話をすると言った。シータはマザーが起きるのをひたすらに待つ。あれだけの力を使ったのだ、もしかしたら今晩は目覚めないかもしれないがそれでも待つと決めた。
『僕はあなたを殺さなければなりません。』
マザーの言葉が頭から離れない。
自分はマザーのことを何も知らなかった。マザーを戦わせないなどと中途半端にプライムと約束をして、結局この有り様だ。プライムはどこまで知っていたのだろうか。そして自分にどれほどの期待をしていたのだろうか。
シータはひたすらに考える。マザーへかける第一声は謝罪にすべきなのだろう。
しかし何と言えばよいのだろうか。マザーに戦わせた時点でもはや取り返しのつかないことをしてしまったのだ。
孤児院の周りには何もない。静かな闇に覆われている。
しかし微かに物音がした。孤児院の中からだった。ゆっくりと玄関に近づいてくる。扉が開かれ、マザーが現れる。
「……マザー……」
シータはそれ以上喋れなかった。長い間考えた謝罪の言葉はどれも意味をなさないように思われたからだ。
相変わらずの細い目はいつもの平和なマザーで、あどけなさがまだ少し残る。だが今からの話はその顔にはふさわしくないものとなるだろう。
「生まれた祖国のために、仲間のために、能力持ちは戦場で戦う義務がある……素晴らしい考えだと思います。」
マザーは何でもないことのように言う。責める気はないのだろうが、シータの心は苦しくなる。
「……マザー……」
「だけど、僕がその通りにすると、あなたを殺さなければなりません。」
頭の中で繰り返された台詞もマザーに面と向かって言われると重みが違った。
(なんでこんな場所に孤児院があるのだろうか。)
シータは一ヶ月前に抱いた疑問を思い出す。その疑問はある面では解消され、ある面ではより強くなった。
「マザー……あなたの生まれは……」
シータの声は震える、尋ねていいのか分からない。だが確かめずにはいられなかった。
「はい、僕の生まれはローレンツ連邦国です」
やはり、とシータは思う。
「七年前にこの孤児院に預けられるまで、僕はローレンツの兵として戦っていました。」
七年前、まだ八歳ほどのときから戦場にいるなどそれだけでどれほど悲しいことだろうか。
「当然、ラグランジェの兵を殺してきました。」
マザーは淡々と述べていく。マザーほどの力があれば相手が何人でも問題はなさそうだ。
「広域へのエネルギー攻撃、何人どころじゃない。何百、何千人と殺しましたが何とも思いませんでした。それこそ、ローレンツのために当然のことだと思ってました。己の生きる意味だとも思いました。」
シータにマザーを責める権利などない。戦争とはそういうものだ。
「ですがここに預けられ、先代マザーに育てられ、ラグランジェの人達を殺した己の罪に苛まれました。」
ローレンツとラグランジェ、両方の国で育てられた者などほんの一握りだろう。まして戦場にいた者などマザーぐらいしかいないはずだ。
「この孤児院は、戦場へ向かうラグランジェの兵が子供を預ける場所という役割もあります。」
例えばテグラルがそうだとマザーは言った。
元々テグラルには両親がおらず、唯一の肉親の姉は兵士だったらしい。念のためにと預けていたら、姉はそのまま還らぬ人となってしまい、テグラルはここのお世話にならざるを得なくなった。
テグラルの絵にいた青い長髪の少女は本当に“お姉ちゃん”だったのだ。
「僕は恐らくたくさんの子をテグラルのような境遇にしてしまったのでしょう。」
マザーは淀みなく言葉を続ける。建物の中で喋る決心をつけてから外に出たのだろうか。
「己の存在意義が何なのか、分からなくなりました。ラグランジェの兵を殺したという正義が一変して大罪へとかわりました。一生かかっても償うことは出来ない十字架に、僕は押し潰されそうになりました。」
マザーの表情に変化はない。が、その裏にどれほどの悲しみを抱えているのか、シータには想像もつかない。
「ですが、」
突然、マザーが口元を少し緩める、
「先代マザーはこんな僕を許してくれました。過去を捨て、これからを生きるようにと、新しくジュニアという名前をつけてくれました。」
マザーは実に嬉しそうに話す。
「五年半もの間、僕は子供でいられました。先代マザーに守られて、日常を楽しみました。己がローレンツの者であることなど段々薄れていきました。でも、」
五年半、プライムから聞いた話ならここで、
「ローレンツの兵が来た、しかもCランクが五人……そうでしょ?」
シータの言葉にマザーは一瞬驚く。しかし、プライムから聞いたわとシータが言うとすぐに納得した。
「そうです、一年半前、ローレンツのCランク兵五人が来ました。そして僕は……先代マザーを見殺しにしました。」
マザーは声のトーンを落とす。見殺しとは物騒な響きだ。少なくともプライムから聞いた話とは少し違う。
「見殺し?でも……先代があなたの戦闘を認めなかったんでしょ?」
「確かに、先代マザーは僕の戦闘を認めませんでした。多分、僕がローレンツの者を殺すのはまずいと考えていたのでしょう。」
マザーは言葉を繋げる。
「実際、僕も抵抗がありました。ローレンツはまだ僕の中で消えてなかったのです。きっと先代マザーなら何とかしてくれる……そうやってどこかで甘えていたのでしょう。結果、先代は死にました。立派な見殺しです。」
マザーは決して表情を乱さない。いや、乱さまいとしていた。つとめて淡々と話す。
「そこで僕の中で何かが吹っ切れました。気がつけば力を使って五人を、ローレンツの者を倒していました。ある種の復讐心が働いたんだと思います。」
マザーの話を聞いて、シータは仕方がないことだと思う。親愛なる人を殺されれば誰だって相手が憎くなる。
「その時に気付いてしまったのです。」
いつの間にかマザーは泣いていた。表情は保っていたが滴が頬を垂れていく。
「僕がしてきたことも同じなのだと、ラグランジェの国民全員から憎まれているのだと、この時になって再び己の罪の重さに気付いたのです。」
同じ立場になって本当にわかること。マザーは己の抱いた復讐心を殺した兵の数だけ抱かれていると感じたのだろう。
「で、でも、ラグランジェの人全員って……」
いくら何でもオーバーではないだろうか。それとも本気で言っているのか。
マザーは上を見上げる。まだまだ暗く、星が煌めいていた。
「シータさんは夜空が綺麗だと思いますか」
「えっ」
マザーが予想外のことを言うので、シータはつい間抜けな声が出てしまった。
「誰なんでしょうか。亡くなった人がお星様になるなんて言ったのは。」
確かによく聞く話だ。シータも父、サイコスが死んだときによく母から言われた。だが星を見ても普通の人なら親しい者の顔しか浮かべないはずだ。
「マザーには、星が殺した人に見えるの?」
「いいえ、具体的に殺した人の顔なんて覚えていませんから。ただあまりにも多くの知らない人の命を奪ったので、特定出来ないのです。だから全ての星が怖くなるのです。だからラグランジェの全国民が僕を恨んでいる可能性があって恐ろしいのです。」
そうか、集団に不特定多数の対象が混ざればもはや集団全員が対象に見えてくるのか。
「ひょっとしたらシータさんも僕を恨むかもしれません。」
マザーが不安そうにシータを見つめる。初めて見せた表情だ。
ここまで苦しんでいるマザーを見て恨むものなどいないだろう。彼は十分に罪に耐えた。だから安心させてあげよう。
「それは大丈夫よ。私の父も戦場で死んだ。けれどローレンツの強敵と相討ち。だからあなたじゃないわよ。相手も死んでるんだもの。」
シータはつとめて明るく話す。実際、シータの中で父の死はとっくに消化されている。
「相討ち……ですか。」
「そっ。まあ正確に言えば両者行方不明ね。父…サイコスって言うのだけど、その活躍は地元じゃちょっとした英雄伝になってるわ。『最強の剣士サイコスはラグランジェを“霧の殺し屋”から守った』ってね。」
シータとしてはもう言うことはなかった。マザーは今、ローレンツとラグランジェ、どちらの国にもつくことが出来ない中で孤児院を懸命に守っている。それは誰にも責めることなど出来ない。むしろ応援したいくらいだ。
だがマザーは涙を流しながらか細い声で謝った、
僕が“霧の殺し屋”です
と。




