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Prologue

 

 ボクはね、もういいや、って言ったんだ。

 

 そしたら、彼女は、じゃあ、ちょうだい、って。


 それから、


 ううん、それじゃやっぱり悪いから、取り替えっこしましょ? って。


 引き込まれるような赤い瞳を見ていたら、とん、肩を叩かれて。 


 はいタッチ、今からきみが『鬼』だよ、って。



 赤い瞳がとても綺麗だった。

 泳葬場(えいそうば)から見た、ダストがきらきら瞬く海中世界を初めて目にしたときと同じくらい、もしかすれば、もっと、心を奪われたかもしれない。

 

 金魚鉢の中みたいなこの世界で、幾層の鉄と人工物の壁を隔てた向こうに息づく海の脈動に憧れながら、少年は、『喰らうモノ』へと、変わった。


   

 孔世(くぜ)ユウヤは、有り体に言って、イタイ奴だった。


 人工海中都市『ブルースフィア』。

 小さな地球とさえ言われる、海中の闇の中に建造された地上から溢れた人類のための新天地。

 一般教育設備の充実した内情から『カリキュラムエリア』とさえ呼ばれるエリア27に集められた少年少女たちの中でさえ、孔世ユウヤという一人は浮いていた。


 グループに入らないこともそうだし、変な癖がたびたび目撃されていると言うこともそれに拍車を掛けていた。

 何処で手にいれてきたのか、戦争フィルムのいたいけなフォトデータを端末でにまにましながら観ていたり、先生や生徒をバカにした目で見ていたり、サボタージュを常連する不良な素行を見せたと思えば、キマグレに解答した答案では優秀さを見せる。


 ただ判ったのは、彼が他の一切を、大人を含めて対等以下に見ていると言うことだった。

 常にその視線には、自分こそが優れていてお前達は劣っているという嘲笑をさらけ出していた。


 孔世ユウヤは異端だった。

 その立ち振る舞いも、学園の立ち位置も、ストレンジャーなところも優秀なところも。


 しかしだ。

 だからと言ってた。


 これはあんまりだろう。


 あんまりの醜悪さに凪彩(なぎいろ)ルイは鼻にシワを寄せた。


 クサイ。

 汚い。


 この淀んだ空気を取り込んで細胞と結合し、自分の一部にしてしまっていると思うだけで、全身をかきむしりたくなる衝動に駆られる。


 目の前は、最悪だった。

 

 孔世ユウヤは嗤っていた。

 けらけらと、普段の寡黙な彼がどれだけ繕ったものだったか判るほどに、破顔していた。

 その頬はべっとりと汚れていて、その指先はねっとり湿っていた。


 赤黒く、普段は皮膚の下に隠された()()で。


 凄くバッチイと思った。

 ましてや、一人に一つずつ用意されたモニターによる各自進行の授業において、必要かどうか疑わしい教員という名の小太り中年のハゲのものだと思えばそれも一潮。


 もし自分があんなものを浴びたとしたら、三時間はシャワールームに引きこもるだろう。

 自然と、足は退けた。

 きっと、みんなもそう思ったに違いない、ルイに続いて、何人かもヘッドホンを外し、席を立ち、孔世ユウヤの立つ教壇から距離を取り始める。


 孔世ユウヤはルイを含めたクラスメイト達をにやついた顔で右から左へ視線で舐めて、それから言ったのだ。


「ずっとこうしてやりたかった」

 餓えた声音だった。


「僕は毎日君たちをこうしてやることを思いながらこの部屋にいた。手に持ったペンで心臓を抉ってやりたかった。眼球を抉ってやりたかった。舌を引っ張り出してこの野暮ったいスクールユニフォームを口に突っ込んでやりたかった」


 ずっとこの真っ赤な血に憧れていた!


 そして孔世ユウヤはたった今、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 絶対病気になるなと思った。


 ルイの顔がますます引き攣っていく。

 

 孔世ユウヤとは元から友達と言えるほど仲がよかったとは言えない、そもそも、孔世ユウヤは排他的だった。

 あんまり人と関わらない分、清潔かなと考えていたが、――辟易だ。

 そんな性癖があるなら、きっと今までも変なものを口に含んでいたのだろう。彼と席が離れていて本当によかった。

 金輪際、彼とはシェイクハンドすらお断りだ。


 嫌悪感で粟立つ肌をさすりながら、ルイはまた一歩、孔世ユウヤと距離をとった。

 追う様に、孔世ユウヤは教壇を降りた。


「逃げても良いさ。『鬼ごっこ』なんだから、僕が鬼なんだから。さあ、逃げる許可をくれてやる。逃げるが良いさ」


 病気持ちのくせにやけに偉そうに、彼は言う。

 いやきっと、病気持ちだからだろう、頭がおかしくなってしまっているのだ。


 一番最初に踵を返したのはやっぱりルイだった。


 冗談ではない。

 これ以上あんな病気持ちと同じ空間になんていられるもんか。


 弾かれたように、他の生徒もただ一つの入り口に殺到する。

「ああ、ちょっ!」

 青ざめた顔のクラスメイトの濁流に呑まれたルイが、悲鳴を上げる。

 つくづく最悪だ。

 こんなヒドイ目に合うのも全部あの病気持ちのせいだ。


 恨みがましいめで振り返り、またしてもルイは悲鳴を上げる。


「くるなよっ!」

 近づいてきている、あの病気持ちがにたにたしながら、ハロウィーンにお菓子を強請る子供みたいな無邪気な笑顔を浮かべて近づいてくる。


 最悪だ!

 もう何度目かも分からない最悪だ!


 あんなヤツに触れられら、一体何時間シャワールームに篭もれば良いというのだ。

 思考の間にも孔世ユウヤは一歩を踏み続け、おおよそ人のものでは無い腕力で手近の、つまりは、一番鈍くさい一人の首根っこを引いて胸をペンで貫いた。続く一人は眼球を抉って、その次は咽奥に手を突っ込んでいた。

 

 実に不衛生だ。

 血というものは不潔なのだ、もし今身を屈めなかったら飛沫はルイにもかかっていただろう。

 そらみろ、ルイを押している大柄のクラスメイトは頭から血をひっかぶっている。

 

 嗚呼、ご愁傷様。

 彼もきっともう病気持ちの仲間入りだ。

 みんなして前に行こうとするものだから、横には案外動きやすい。

 すっと、ルイは彼からも距離をとった。

 

 それが良かったらしい。

 大柄の彼がルイの開けた隙間になんとしてでも入り込まんとムキになったのか、無理に身体を前に傾け、ずでんと倒れたものだから、前のつっかえてた連中はドアごと押し倒され、百人近くを収容していた教室から、わあと、悲鳴と生徒が飛び出した。

 

 流れに身をまかせ、ルイも不幸にも転倒した何人かを踏みつけながら教室から出ると、そのまま走り出した。

「ああ、最悪だ」

 

 もちろん、シャワールームに向かってだ。



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