現在の実力と学習予定
全身の打撲が収まり、骨折が治っていく。
「ふむ、この程度ですか。意気込みは十分でしたが、やはり実力が伴っていませんね」
「……悪かったな」
結局反撃だけで散々にボコボコにされ、だらしなく地面にへたばっている。
殴られ、蹴られ、投げられ、極められ、徐々にその力加減が強くなって、気がつけば無数の打撲と骨折を負っていた。竜化の影響か痛みなど無視できたが身体が動かなくなって降参したのだ。
「しかし、竜化は上手くいったようですね。あれだけやられても動いていましたし、傷の回復も随分速い。竜騎士としての基礎性能は十二分に在ります。その点は評価しましょう」
言われても、華月はあまりうれしくなかった。褒められているのかどうか、微妙な言い回しだったからだ。
「しばらく休んでいなさい。開始からそれなりの時間が経過しています。そろそろ昼食です。私は陛下に報告と食事の準備をしてきます。私か、他の誰かが呼びに来るまでそうして大人しくしているといいでしょう」
言うだけ言ってテレジアは階段を登っていく。
それを見送った後、華月は身体を起こす。
「は、転がってられるか。あれだけやられ放題で悔しくないわけ……」
少し軋む程度まで回復した身体を動かす。
さっきのテレジアの動きは捉えられる範囲で観察していた。中には速すぎで掴みきれない動きもあったが、基本的な拳打、蹴打、身体の動かし方、そして――。
「こう、か……?」
握った右手に意識を集中する。すると、右手から薄く陽炎が見えた。
「お……、上手くいったか?」
時折テレジアが自分の手や足から陽炎を立ち上らせているのが見えた。それがどういうものなのか、理屈も何も解らなかったがテレジアの動きはこの現象が起きるとき一瞬のタメがあった。そこから意識の集中が重要なのだろうと当たりを付けた。
何より、この状態で殴られ、蹴られると物凄く痛かったのだ。
「しかし、これ何だ?」
試しにそのままの状態で天然石を最初と同じ力で殴ってみる。
するとどうだ。天然石に皹が入った。さっきは動くだけだったにも拘らず、だ。
「破壊力? が上がったのか?」
よくは解らないが、攻撃を強化できるのだろう。そう当たりをつけ、納得しておく。
そのまま陽炎を出した状態を維持しながら、身体を動かす。
中々にその状態を維持し続け、行動する事は困難で、身体を動かすことに意識を振ると途端に陽炎は消えてしまう。
「あはは。意識しないと魔力を纏えないようじゃぁまだまだ、だねぇ」
「……誰だ?」
突然声をかけられ、動きを止めてしまった華月。声をかけたのは漆黒の真っ直ぐな長髪を揺らしながら薄い蒼の瞳を細めて微笑する少女。何時から居たのか華月には解らなかったが、彼が居る位置とは丁度真逆の岩の上に腰掛けていた。
「キミが陛下の新米竜騎士だよね」
「誰だと、聞いてるんだけど」
「あ、あたし? あたしはフェリシア。フェリシア=リステンス」
ひょい。っと、非常に軽い身のこなしで岩から飛び降り、華月に近づいてくる。
「いや~、まだまだとは言ったけど、凄いね。成り立ての竜騎士でこの岩に皹入れたのあたし初めて見たよ」
「君は、竜か」
「そうだよ。成長が遅いみたいで小さいけど、これでも500年は生きてるよ」
華月が皹を入れた岩の表面を撫でながら答える。
「一度も竜騎士なんて持った事が無いから他の人が訓練してるの見てただけだったけど。契約から目覚めて初日の訓練で魔力に気づいて、このドワーフも手古摺るヴェネスド岩に皹を入れる騎士は初めて見た。
キミ、テレジアはあんな事言ってたけど素質は一番なんじゃないかな」
165cmの華月。決して大柄とは言えないはずだが、その華月と比べても明らかに頭一つ分ほどフェリシアは小さかった。腕を伸ばして華月の肩を叩くが、とても500歳を過ぎているとは思えない。
傍から見ると兄を背伸びして褒めている少々ませた妹にしか見えない。
「……フェリシア様、何をしてらっしゃるのですか?」
「あ、テレジア……。早かったね?」
華月が皹を入れた岩の上に、テレジアが立っていた。その顔が若干怒っている様に見えたのは、華月
の錯覚だろうか。
「本日は、倉庫の手入れをなさる筈ですが?」
「あ、あはは……。飽きちゃっ――」
肉と骨を打つ鈍い嫌な音が響いた。
神速で地面に降りたテレジアがフェリシアの頭頂部に、鋭い手刀をこれまた神速で打ち下ろしたのだ。それも華月を相手にしていた時以上に力を籠めて。
「……痛い……痛いよ、テレジア……」
「当然です。痛くなければ意味が在りません」
涙目で頭を抑えるフェリシアを見て、少しだけ可哀想になった華月だったが、仕事を放り出してこんな所に来る方が悪いよな。と、思ったので同情はしなかった。
「割り振られた仕事は、きちんと消化してください」
「解ってるよ。でも、息抜きぐらいいいでしょ? あんな穴倉に篭りっ放しじゃ心が病気になっちゃうよ」
「ああ言えばこう言いますね。本当に、こればかりは血筋でしょうか」
「あたし、母様ほど適当じゃないよ。
それに、テレジアが直々に教育する竜騎士がどんな者なのか見たかったし」
「テレジアが直々にってのは、珍しい事なのか?」
思わず口を挟んだ華月だったが、テレジアの無表情とフェリシアの呆れ顔にちょっと拙い事を言ったかと後悔した。
「あ~、テレジアの役職知らないんだ。
テレジアはね、女皇付侍従総纏役なんだよ。女皇に付いてる近衛も、従者も、全部最終的にはテレジアの指示で動くの」
「……何、それってかなり重要な役職じゃ?」
「一応はそうなっていますが、私の仕事などたいした事では在りません。適度に各部署を確認し、異常が無いか見回るだけです」
謙遜も甚だしいが、やってる本人に言わせればどんな事もこんなものだろう。自分の就いている仕事が難しいと思うようでは一人前とは言えない。
「しかし、私の役職を大変だと思うのであれば、早く一人前の竜騎士になることです。そうすれば私から貴方の面倒を見ると言う仕事が無くなります」
「……出来る限り――いや、それ以上やってやるさ」
「本当に、気概だけならば立派なものです。さっさと実力を追いつかせなさい。
ですが、飲まず食わずで身体が保てるものでは在りません。竜騎士は死にはしませんが飢餓感などは普通にあるので。今から食事です」
「あ、そんな時間なの?」
「はい。もう昼食の時間です」
テレジアはそういうと背を向けて歩き出す。
食事の内容は、華月が考えていたものとは色んな意味で違っていた。
まず、きちんと調理がされていた事。
次に豪華絢爛と言う事は無く、普通もしくは質素と言っていいものだった。
「……」
「何ですか? その予想を裏切られたと言うような顔は」
「あ、ああ……。俺の先入観が悪いんだ。気にしないでくれ」
テレジアの不審げな言葉に、華月は思ったとおりの事を言った。
「大方の予想は付きますが、何も生肉を貪り喰らうのが竜種の食事だ。などと言う事はありません。少なくとも、この姿をしている時は」
空いた食器を片付けながら、テレジアは淡々と答える。
「竜化した状態では家畜一頭程度では到底足りませんが、この人化している姿なら味覚から必要な食料まで人間と大差ありません。味覚が十全に機能していると言う点のみ面倒ですが、限られた敷地で多数が生存するにはこの姿の方が利便ですからね」
「そりゃ、そうだろうな」
食料の消費から何から、人化している方が少なくて済むのだから。というよりも、竜という生物は一体どのぐらいの食料をどの程度の期間でどの程度消費しなければ生存できないのかということすら、華月には解らなかった。
「竜化した状態では魔力運用以外のあらゆる面で消費が激しすぎるので、余程の変わり者でもない限り、人化しているのが竜種の常識です。とは言え、勘違いしないでください。
いいですか? 私たちが人間の姿を真似ているのではありません。人間とは我々先発種族の反省点を踏まえ、最も後に創造され――」
「食事時に講釈を垂れるものではないだろう、テレジア」
「陛下……」
優雅に食後の茶を啜りながら、ヴェルラがテレジアを嗜める。
「カヅキが異世界の人間で、神やら何やらの概念すら違うかもしれないのに、それらを無視して言った所で納得しないだろう。そう言う事も含め、講義の時にしっかり教えてやれ」
「……はい」
少ししょんぼりしてしまったように感じるテレジアの反応だが、表面上本人は顔色一つ変えていないように見えた。
「では、午後は座学になります。居眠りは『決して』許しませんので、覚悟して望んでください」
「……ぉう」
「気の抜けた返事ですね。しゃんとしてください」
「了解!」
「宜しい」
「何だか、テレジアにカヅキを盗られた感じがするな。やはり私自らが――」
「陛下は公務に集中してください。
……私は騎士を必要としていません。それは陛下もご存知のはずですが」
毅然としていたテレジアの表情が少しだけ曇った。
「そうだったな。
余計なことを言った。私は公務に戻る。カヅキ、しっかり励め」
「ああ」
少しだけテレジアのことが気になったが、アレコレ詮索するのは得策ではないと判断し、華月は黙った。
「では、講義に移りましょう。付いて来てください」
片付けが終わったのか、テレジアは華月にそう言うと歩き始めた。置いて行かれないよう華月もその後を追う。
「座学ってどの位掛かる予定だ?」
「時間の感覚が私たちと貴方とでどう違うのかも知らないので、答えようが無いのですが」
「じゃぁ、この世界の時間の概念を教えてくれ」
「そうですね。この世界の時間の計り方は日が昇って沈み、また昇るまでで一日。一日は昼間十二時間、夜十二時間で計二十四時間」
何だ、一緒か。と、華月が言おうとした所で。
「一時間は百二十分、一分は六十秒です」
「……。何で一時間が百二十分なんだ?」
「六十進数で一分、その後百二十進数になっているからですが、何か?」
「何で六十進数の後が百二十進数になるんだ? 六十進数のままでいいじゃないか」
「それでは昼夜合わせて四十八時間になってしまいます。後になればなるほど、位が大きくなって言い難く扱い辛くなります」
「結構違うなぁ……。
それじゃ、一年って?」
「百八十二日で、一年置きに一回百八十三日になります」
何とも言い知れない奇妙な感覚に襲われた華月だった。
(一日の長さが違うだけで、後の計算は一緒か)
「まぁ、解った。一時間の数えだけが違うけど、慣れるだろ」
「そうですか。
では、最初に質問された座学の予定される必要時間ですが、ざっと丸七日と言う所でしょうか」
「あ、その程度で済むの?」
華月の反応は、テレジアにとって意外なようだった。視線だけ華月に向けてきた。
「そんな眼を向けないでくれるかな? これでも元の世界じゃ一般教育を受けてたんだから」
「一般教育、ですか?」
「語学、世界史、自国史、数学、物理、化学……。まぁそう言う教育機関に都合十年以上通ってたんだよ。だから、丸七日程度で終わるなんて思ってなかったんだ」
(それでも俺の感覚だと二週間分の時間はちょっとキツそうだなぁ)
「……驚きました。貴方の世界は随分と余裕があるのですね。そんな長期間、勉学に費やせるなど」
「働くにしても最低限、九年は教育機関通いだからなぁ。そこから先、更に三年から七年勉強し続ける奴も居る」
「話に聞く人間の学習院みたいなものですか」
「ああ、この世界にもあるんだ」
結構共通点が多いことに驚く。
「詳しくは知りませんが、数年から十数年の学習期間を取る、一部の階級のみが通えるところらしいですが」
「その辺も含みで教えてくれるんだろ?」
「この世界の概念から種族の在り方、一般常識を中心に教育します。それ以上は自分で書物を紐解くことをお勧めします。
その辺は、貴方の方が慣れているでしょうし、得意でしょうから」
テレジアは視線を前に戻した。
(あれ? それってテレジア自身は勉強が嫌いだってことか?)
「着きました。この部屋です」
重苦しそうな扉を開け、テレジアが中に入っていく。華月も続いて入る。