主の温もり、敵の冷感
心が痛んでいた。
思い出してしまった。理由はまだ思い出せないが、自分が散々失敗を積み重ね、期待を裏切り続け、その結果として、係わったほとんどの人間から突き刺さる『失望』を告げられてきたこと。
その事実だけを思い出し、心がジクジクと、ズキズキと、痛んでいた――。
(痛い、なぁ……)
考えたくない。
思い出したくない。
何もしたくない。
失敗に身が竦み、失望に恐怖する。
いっその事、このまま無意識の深淵に解けてしまえれば――。
「カヅキ……?」
「……ヴェルラ?」
ふ、と。華月は自分に触れる暖かな感覚と声を聞いた。以前にも感じた、あの温もり。
「消えるな。大丈夫だ」
触れていた温もりは、いつの間にか『華月』を完全に包み込んでいた。
「……大丈夫じゃない。いつも、俺は足りなくて――」
「足りない分は私が補ってやる。お前の中には私の血という『私の一部』がある。解けて混ざり、お前と一つになっている。お前はいつだって私と共に在る。
この地上で最強の竜が一緒なんだ。何を恐れる必要がある?」
「でも、それはヴェルラの力で――」
「カヅキ自身の力だって、着実に増している。元の世界での価値基準がどうだかは知らないし、必要ない。この世界で、私が必要としている力が確実にカヅキに在るんだ」
「……」
自分を包む温もりが、少しずつ、心の痛みを和らげていた。
「カヅキ。もう一度選べ。
我が騎士として生きるか、死ぬか」
自分を包んでいるものが、アルヴェルラの『心』だとようやく気付く。
「私の期待は大きいし、テレジアだって、他の誰かもこれからお前に期待する。だが、常に『私』が居る。カヅキを見限らない私が。それだけじゃ、お前の不安と恐怖は消せないか?」
直に触れるこの状態で、虚勢も虚偽も意味を成さない。お互いに筒抜けになっているのだから。
だから、華月には伝わった。言葉にしてないアルヴェルラの気持ちも。
だから、アルヴェルラは理解する。華月の裡に巣食う不安と恐怖感を。
「ありがとう、ヴェルラ。
ここまでしてもらわないと駄目とか、どうしようもないよな」
「私の方こそ、今まで気付いてやれなくて済まない」
「いや、大丈夫だ。もう大丈夫だ。
もう一度誓う。
俺は、アルヴェルラ=ダ=ダルクの騎士になる」
「ああ、期待しているぞ。我が騎士殿」
華月の心の傷は、『アルヴェルラ』が塞いだ。
『今から順に記憶を繋ぐわ。アルヴェルラ、離れなさい。カヅキ君、自分を保つことに全力を傾けなさい』
華月の忘却していた記憶が繋がれていく。
華月の目覚めは、今までに無い気持ちで迎えられた。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
「記憶の混乱は無いわね? ちゃんと『セギ カヅキ』のままかしら?」
「ディーネ? ああ、大丈夫だ。俺は俺のままだ」
ゆっくりと上半身を起こし、しっかりとアルヴェルラとディーネを見据える。
そして、頭を垂れた。
「迷惑を掛けた。助かった。ありがとう」
「気にするな。自分の騎士の為だ。この位苦労の内に入らない」
「竜皇の騎士が廃人じゃ、話にならないからね。
ああ、記憶は繋いだけど、直ぐには繋がらないわ。何か切っ掛けがあれば思い出すと思うけど。
さて、私は帰るわ。私に魔法を教わるつもりがあるのなら、また着なさい」
ディーネが黒い霧の塊になって、消えていく。
「闇系の上位魔法、黒霧転移だ。使えれば便利な魔法なんだがな」
「ヴェルラ」
「ん? なんだ、カヅキ」
アルヴェルラの手を取り、華月は真っ直ぐアルヴェルラの眼を見る。
「本当にありがとう。こんな俺を必要としてくれて」
「礼を言われることじゃない。それに、そう思うなら自分を卑下するな」
アルヴェルラは華月に優しい笑顔を見せる。
「お前は私のモノだ。誰にもやらない」
アルヴェルラは華月の唇に口付ける。
「私は何故か、お前がいいんだ。他の誰でも無い、カヅキが」
華月の頭を撫でつけながら、アルヴェルラははっきりと告げる。
「私の為にも、簡単に自分を放棄しないでくれ」
「ああ」
華月はアルヴェルラの手に自分の手を重ね、少しずらして立ち上がる。
「思い出せていれば、ヴェルラとちょっと話したいところだけど、ディーネが言った通り、思い出せてない。
しばらくは――」
「カヅキ、落ち着くまでしばらく休め」
「そうも言ってられないだろ? 圧倒的に技術も何も足りないんだ。
俺が、この世界でアルヴェルラの『求め』に応える為には」
「それは、確かにまだ予定している水準には達していないが……」
(その到達予定は本来はまだ、半年以上先の話だ)
「まぁ、今日の所は休むよ。少し、頭を空にしていたいから」
「そうしろ。短い間に身体を酷使しすぎだ。いくら死なないとはいえ、感覚は人間の頃のままだからな。少し精神の方を休ませろ。
ついていてやりたいが、女皇の立場というものはままならない。済まないな」
「十分居てもらったよ。大丈夫だ。
ヴェルラはしっかり、自分の務めを果たしてくれ」
名残惜しそうなアルヴェルラを送り出し、華月は窓から外の風景を見据える。
吸い込む空気の匂いも、感じる風の感覚も、差し込む日差しの眩しさも、世界の色付きさえ、少し前とは違っているように感じた。
「こっちの世界は、眩しすぎるな……」
華月の思い出せた記憶は、全体量からすれば極、僅かなものなのだろうが、その全てが色彩を欠いていた。モノクロの、モノトーンの風景だった。
「俺は、本当に前の俺と同じなのか?」
自分に自信が無くなってきていた。昔の自分と今の自分が、同一のものだという自信が。
「基幹は変わらないんだろうが、細かい部分で変わっているだろうな……。
まぁ、いいか。
何か不都合があるわけじゃないし、むしろ良い方向へ変わったんだろ」
窓枠に腰掛け、静かに目を閉じる。
(しかし、この世界に着てから、他の連中に対してあまり関心が湧かなかったのは、こう言う訳だったか。
……俺は薄情なのか?)
自問に自答できない。いや、今の自分の価値基準なら、否と言える。だが、それは昔の殆ど全てを思い出せないでいるからで、何か事情や理由があったらと思うと、断言できない。
(まぁ、考え込んでいても仕方ないか)
頭を空にしたいと言ったのは自分だ。考え込むのは止めることにする。
「ん?」
華月の耳に何か、聞こえてきた。
「これは、風切り音か……?」
甲高いような、何かが高速で飛んでいる音がする。
それは、段々近づいているようで――。
「カ~ヅキッ!!」
窓から飛び込んだ何かが華月を直撃。人間だった頃なら胴体に穴が開きかねない速度で突っ込んできたソレを、華月は後ろに押されながらも難なく受け止めていた。
「危ないぞ、フェリシア」
「あはは、今のカヅキなら余裕でしょ?」
華月の腕から抜け出たフェリシア。床に降り立つと、窓枠に腰掛ける。
「昨日は大変だったみたいだね」
「誰かに何か聞いたのか?」
「ううん、近くの木の上に居たから知ってるだけ。で、様子を見に来たの」
「そうか。まぁ、もう大丈夫だ」
「うん。大丈夫そうで安心したよ。
で、さすがに今日はお休み?」
「まぁ、な。ディーネにも迷惑をかけたし、今日教えを乞うのもどうかと思った。武器が無いからトレイアの所も行っても意味が無いしな。テレジアには教えることが無いって言われてるし」
華月がそう言うと、フェリシアは呆れ半分という様子で苦笑する。
「それじゃ、あたしにちょっと付き合ってよ」
「ん? どこか出かけるのか?」
「まぁね~。ヴィシェに頼まれたから森で薬草取り」
「ヴィシェ? 誰だ?」
「ドワーフのヴィシュルだよ。愛称ってやつ」
フェリシアは窓枠から降りると、華月の背後に回る。おもむろに華月の両脇に腕を通すと、そのまま窓枠に向かって一気に走り出す。
「おいっ!?」
「いいから!」
窓枠から窓の外へと出てしまった。華月の個室は皇宮でも上の方に在るので、地面までは相当距離があり――。
「お、落ちる!」
「大丈夫だよ~」
小さいながらも飛翼を展開したフェリシアは、華月を抱えたまま飛び始めた。
「いくらあたしが小さいって言っても、人間一人ぐらい抱えて飛べるよ。闇黒竜族舐めちゃ困るなぁ」
そのまま上空から森へと入っていく。
「よし、この辺にデジネ草とフェグラの花があるんだよね~」
フェリシアは適当な所に降りると、華月を放して木の根元を丹念に探し始めた。
華月はその様子を見ながら、周囲の風景を観察する。
(まぁ、気分転換にはなるか)
部屋に篭っていてもしかないと、頭を切り替え薬草採集に付き合うことにする。
「フェリシア、見本を見せてくれ。手伝うから」
「あ、本当? じゃ、この形の花と草を集めて!」
そう言ってフェリシアが華月に見せたフェグラの花は、小さいラフレシアの様で、デジネ草はドクダミの形と臭いがした。
小一時間掛けて、採り集めた量は相当なものになっていた。
「ちょっと調子に乗っちゃったかな?」
「……これ、持っていけるのか?」
ちょっとした山になっている、採集されたフェグラの花とデジネ草。それが放つ臭いもまた、相当なものになっている。特に、デジネ草の独特のドクダミ臭が堪らない。
「ん~、多分入ると思うけど……」
フェリシアは懐から一枚の布を取り出した。黒い生地の、特別何の変哲も無いハンカチ程度の大きさだ。
「拡大っ」
掛け声とともに振られた布が、一瞬で十倍程度にまで広がった。
「格納!」
山になっていた薬草の上に被せ、さっと引き戻すと、不思議と全て消えていた。
「縮小」
また掛け声とともに大きくなった布を振ると、今度は元通りの大きさに戻った。
「それ、収納布か?」
「そうだよ~。コレはあんまり容量は大きくないけどね」
「知識で知ってても、実物を見ると驚くな」
目の前であれだけの量が一瞬に消失する様は確かに驚愕ものだろう。
「声に反応して自身の大きさを変え、内部に対象を格納する。便利だな」
「現象魔法が人間に使えない時代に、人間が自分の身体に紋章を刻んで使ってた魔法が起源らしいけどね~。まぁ、詳しくはディーネに聞いたらイイと思うよ」
「そうだな。
さて、これで終わりか?」
「後は、セフィールの水が50リットルと樹液10リットル!」
「……何に使うんだ?」
「ヴィシェが言うには鍛造に必要なんだって」
そう言われると、華月は何も言えない。鍛冶ついては無知に等しい。専門職の言葉だ。確かに必要なのだろう。使い道はさて置き。
「そうか。じゃぁ、さっさと――!?」
「カヅッ!?」
華月がフェリシアを突き飛ばす。
だが、突き飛ばしたはずの華月が、フェリシアを追い越して樹の幹に激突する。
「か、カヅキ……?」
地面に尻もちをついたフェリシアは、自分から10数メートルも吹き飛んだ華月を見た後、反対側を向いて驚いた。
そこには、ツルっ禿の緑色の巨漢が居た。腰に襤褸布の様な腰巻をしている以外、素っ裸と大差無い。手にはフェリシアの胴より太い棍棒を持っている。
「と、トロール!? ウソ、何でこんな所に!?」
この国にトロールは存在しない。居る筈が無いのだ。
だが、現にトロールが実在し、手にした巨大な棍棒で華月を吹き飛ばした、いや、本当ならフェリシアが吹き飛ばされていたのだろう。
「こちらに攻撃の意志は無いよ!」
「グ、ガァーーーーッ!!!!」
巨大な棍棒が唸りを上げて振り抜かれる。何とか回避したフェリシアは思考する。
(言葉が通じない筈ないのに! 何かに操られてる? 反撃するべき!?)
亜人種のトロール族には共通言語が通じる筈なのだ。フェリシアは共通言語で語りかけたが、返ってきたのは雄叫びのみ。
あの棍棒の直撃を喰らった所で死にはしないが、昏倒してしまう可能性が高い。フェリシアは反撃に打って出るべきか悩んでいた。
(あたし、加減が下手だから……殺しちゃうよ!)
平常時ならまだしも、こういった状況で気が昂った場合は、力加減や出力加減が極端に下手糞になる。
(せめて、武器だけでも!)
大きく息を吸い、主肺も副肺も空気で満たす。
口を閉じ、吸った空気にある特性を付与する。
その間も振るわれる棍棒はかわし続ける。
「ーーっ!!」
音にならない空気の解放。外気と触れた瞬間、爆発的に燃焼し、火線となってトロールに殺到する。
知能まで低下しているのか、そのドラゴンの炎のブレスに棍棒で対抗しようとする。が、当然棍棒はドラゴンのブレスに耐えられるわけも無く、一瞬で消し炭になる。
「や、やった!」
「グルアァァァァ!!」
「えっ!?」
持ち手だけになった棍棒を投げ捨て、トロールはフェリシアを掴みにきた。突然のことに反応できず、フェリシアは簡単にトロールに掴み上げられた。
「く、は、放せっ!」
「ギハッ!」
「くぅぅぅぅっ!?」
ギリギリと握る力が強くなり、フェリシアの細い体躯を絞りあげていく。ドラゴンとは言えフェリシアは成体のドラゴンではない。まだ、ドラゴン本来の力を持たない。それに、竜化していない普通の姿では耐えられる限界が違いすぎる。纏身防御系も使えないフェリシアには、致命的な状況だ。
「か、カヅキ……助け――」
ミシミシと聞きたくない音が体から聞こえ始め、フェリシアが泣き言を漏らした。
「何してんだ!!」
怒号とともに華月の回し蹴りがトロールの手の甲を痛打した。
「グアァァァァ!?!?」
華月の蹴りで手が麻痺したのか、トロールがフェリシアを取り落とす。
難なくフェリシアを抱えた華月は一旦トロールから距離を取る。
「大丈夫か!?」
「う、うん……。何とか……」
「アレは、ブッ倒していいのか?」
華月の眼が鋭くなっていく。戦る気だ。
フェリシアを降ろし、竜楯を纏う。
「出来れば、気絶させて」
「やってみる」
訓練ではない戦いは初めてだが、華月は不思議と何の感慨も覚えなかった。冷静に相手の状態を観、全意識が今までの経験を引き出し、動きを決めていく。
「ふっ!」
高速で正面から特攻。カウンターで繰り出される拳を跳躍して回避。その振りぬかれた腕を足場に使いもう一段ジャンプ。トロールの下顎を殴り上げる。
打ち切ったらトロールの胸部を蹴り後方に退避。
「打たれ強いヤツだな」
「グフゥゥゥ」
華月の一撃を受けても意識が残っていた。流石はトロールといったところだろう。
「だったら、もう少し強めに行く!」
華月が今度は一瞬でトロールの背後を取る。そのまま左足の踵を蹴り抜く。トロールは突然ハイキックを打ったような状態になり、バランスを崩して仰向けに倒れてくる。
「その意識、刈り盗る!」
本気で背中を足の裏で蹴り上げる。
トロールの巨躯が地面から離れ、浮き上がる。
華月は一回のバックステップでトロールの下から抜け出し、その側頭部に向け跳ぶ。
そのままの勢いで蹴り抜く。
「墜ちろ!」
おまけとばかりに反対の足でトロールの胸板を地面に向け蹴り落とす。
急加速をつけられたトロールは地響きを立てて地面に落ち、しっかり白目を剥いていた。
「ふぅ、知能が無いヤツで楽だったな」
読み合いも駆け引きも無い、単なる殴り合いだ。この程度なら華月には何てことは無い。もう慣れていた。
「カヅキ、一応耳塞いでて」
「ん? ああ」
言われた通りに両手で耳を塞ぐ。
フェリシアは大きく口を開け、皇宮に向け共鳴音叉を放つ。
「こんな所から届くのか?」
「竜の使う技、舐めちゃいけないなぁ……?」
ふらり。と、揺れるフェリシアをさっと抱え、抱き上げる。どうやらまだダメージが抜け切っていないようだ。
「みっともないなぁ」
「いいから、大人しくしろ」
ぼやくフェリシア。華月はそんなフェリシアに苦笑し、誰か来るのを待った。




