休息にも金がかかる
【試練5】
【目的:休んでください】
【制限時間:24:00:00】
(……冗談か?)
次の瞬間、俺たちは暗い夜の街へと移動していた。
辺りを照らしているのは、街灯やランプから漏れるぼんやりとした黄色い光だけだ。
(……丸一日?)
「休んでください!」
「は?」
教官が笑顔を浮かべる。
「前の試練では、皆さんずいぶん休むのがお好きだったようですから」
「お前、本当に……いや、もういい。俺は行く」
俺は背を向け、目についた店の並ぶ方へ歩き出した。
葵もついてくる。
「やっと休ませてもらえるんだ。よかったぁ……」
彼女は大きく伸びをした。
「ずっとシャワー浴びたかったんだよね」
「どこで浴びるつもりだ? 宿か? だったら金取られるぞ」
「まさか。宿泊費まで私たちから取ったりしないでしょ?」
適当に目についた宿へ入る。
【宿泊料金:銅貨2枚】
「……そう」
野宿したくないというだけでも金を払わなければならないらしい。
だが、それ以上に妙なことがあった。
通りには試練から来た俺たち以外、誰一人としていなかった。
夜だからと言われれば、それまでだ。
だが、この宿に入っても、人間の代わりに出迎えたのはシステムだった。
(従業員がいない)
右を見る。
左を見る。
(なら、払う相手もいないな)
俺は何食わぬ顔で階段へ向かった。
ゴンッ。
額が何か硬いものにぶつかった。
「……」
【先に宿泊料金をお支払いください】
(だよな)
「大丈夫!?」
葵が駆け寄ってきた。
「試練中はそんなに心配してなかっただろ」
「そんな暇なかったの。ごめん」
「別にいい」
「冷たいなぁ」
「俺は部屋取るけど、お前は?」
「一部屋を二人で使えばいいんじゃない? その方が安いし」
「お前、それどう聞こえるか分かって言ってる?」
「でも、こんな状況なんだし仕方ないでしょ」
「……」
「で、誰が払う?」
「私が払うよ」
葵が目の前に浮かんだウィンドウを押した。
「優しいな。まあ、この金は俺たちが生き残るための金でもあるんだけど」
「貸しだからね。危なくなったら守ってよ」
「分かった。寝てる間に何かするなよ」
俺は部屋へ向かう。
「俺は寝る。お前はまだ街を見るのか?」
「私は先にシャワー浴びようかな。黒川も浴びた方がいいよ」
「ああ、そういや忘れてた。じゃあ俺もお前の後に入る」
「え……う、うん」
しばらくして、葵がシャワーから戻ってきた。
入れ替わるように俺も浴室へ入る。
シャワーは一つだけ。
宿全体で一つ。
まあいい。
設備自体はごく普通だった。
今までの出来事を洗い流すように、俺はかなり長い時間シャワーを浴びた。
身体を拭き、服を着て部屋へ戻る。
ベッドには水瀬が横になっていた。
部屋にあるのは一つのベッド、一脚の椅子、それから小さな棚だけ。
以上。
銅貨二枚なら妥当なところか。
俺は水瀬を見る。
ベッドを見る。
もう一度、水瀬を見る。
「毛布くれ。俺は床で寝る」
「ん」
葵が毛布を渡してきた。
「おやすみ、黒川」
「おやすみ」
俺は毛布を敷いて横になると、そのまま一瞬で眠りに落ちた。
◇
【残り時間:16:14:34】
目を覚ました。
窓の外を見る。
まだ夜だった。
俺は八時間ほど眠ったはずだ。
それなのに、外の景色は何一つ変わっていない。
相変わらずの深い闇。
(ここ、朝ってあるのか?)
ベッドでは水瀬が呑気に眠っていた。
俺は一人で外へ出て、店を見て回ることにした。
少し歩くと、『明るい夜』という名前の鍛冶屋が目に入った。
妙に気になる名前だ。
中へ入ると、壁に飾られていた一本の剣が真っ先に目に入った。
刀身そのものが淡く光っている。
【剣『エシャフォー』】
【価格:金貨10枚】
【チュートリアル】
【通貨換算】
【銅貨100枚=銀貨1枚】
【銀貨100枚=金貨1枚】
(初級剣術と同じ値段か。今の俺じゃ買えないが、覚えておいて損はない)
【所持金を大幅に上回る商品への購買意欲を検知しました】
【ローンをご利用になりますか?】
【金利:1日7000%】
「……」
俺はウィンドウを閉じた。
【あなたは呪われています。あなたは死にます】
【試練5】
【レベル:4】
【……】
【所持金:銅貨55枚】
(五十五枚か。結構貯めたな)
別の場所へ視線を向ける。
隅に置かれた籠には、変わった形の剣が何本も乱雑に突っ込まれていた。
その中に一本だけ、光ってもいなければ派手な装飾もないものがある。
いや。
どう見ても普通の剣だった。
【不良品の剣】
【価格:銅貨20枚】
俺は今使っている剣を確認する。
ゴブリン戦から何度も酷使したせいで、刃にはいくつもの欠けができていた。
一箇所には小さな亀裂まで入っている。
(あと二、三回あんな試練が続けば、柄だけになりそうだな)
(今の剣が折れた時の予備は必要だ。買うか)
【『不良品の剣』を購入しました】
【代金を徴収します……】
【残高:銅貨35枚】
剣を手に取る。
意外にも、手にはよく馴染んだ。
(不良品でも、一発殴っただけで折れたりはするなよ)
俺はしばらく他の武器も眺めてから、鍛冶屋を出た。
通りを見渡す。
そこで、また一つ妙なことに気づいた。
食べ物を売る店が一つもない。
丸一日戦い続けて、その後八時間眠った。
なのに俺は一度も腹が減っていない。
(俺たちは本当に死んでるから、もう食う必要がないのか?)
他の店も回ってみる。
ある露店では奇妙な植物の根や、見るからに呪われていそうな品が並んでいた。
別の店には、重そうな鎧が高値で売られている。
「黒川!」
聞き慣れた声がした。
「よう、水瀬。腹減ってるか?」
「ううん」
「最後に飯食ったのいつだ?」
「……」
彼女の笑顔が消えた。
「死ぬ前」
「そうか。俺もだ」
少しだけ沈黙する。
「たぶん、死んだから腹が減らなくなったんだろ。この街に食い物を売ってる店が一軒もないのも、その証拠だ」
「うん……そうかもね」
「近くに訓練場があった。ちょっと付き合わないか?」
さっき見つけた広場の方を指さす。
「もちろん!」
俺たちは訓練場へ向かった。
水瀬が弓を構え、俺は剣を抜く。
「撃ってみろ。俺が避ける」
水瀬は矢を取ろうとして――手を止めた。
「本気?」
「何が?」
「これ、本物の矢だよ」
「見れば分かる」
「当たったら、痛いだけじゃ済まないよ?」
「なら当てるな」
「……黒川」
「嫌なら逆にするぞ」
数秒、俺を見つめる。
やがて彼女はため息をつき、矢を一本取り出した。
「自分で言ったんだからね」
「ああ」
俺は十五メートルほど距離を取った。
水瀬が弦を引き絞る。
「準備いい?」
「来い」
矢が放たれた。
一歩横へ。
矢は肩のすぐ横を通過し、後ろの木壁へ突き刺さる。
「お」
「何?」
「外すの、もっと難しいと思ってた」
「お前、喧嘩売ってんのか?」
水瀬は笑いながら次の矢を取り出した。
俺は重心を低くする。
喧嘩には一つ、単純な鉄則がある。
武器を見るな。
拳でも。
ナイフでも。
鉄パイプでも。
武器そのものが顔の前まで来てから反応したんじゃ遅い。
見るのは人間だ。
肩。
脚。
どこへ体重を乗せたか。
そして、相手が未熟なら視線。
大抵の奴は、自分がこれから攻撃する場所を見てしまう。
水瀬が弓を上げた。
弦が張る。
指が動く。
俺は右へ。
矢が左を通り抜ける。
次。
しゃがむ。
外れ。
「やるね」
「喋るな」
「怖い?」
「お前が?」
次の矢はほとんど間を置かずに飛んできた。
俺は一歩下がる。
(速くしてきたな)
水瀬が再び弦を引く。
手。
肩。
弓の向き。
放つ。
左。
俺は右へ動いた。
――その瞬間、間違えたと気づいた。
矢はまさに右へ飛んできている。
俺は咄嗟に剣を振った。
ガンッ!
手首に衝撃が響く。
弾かれた矢が地面へ転がった。
俺たちは二人とも動きを止めた。
剣を見る。
矢を見る。
「……できた」
「今、矢を弾いた?」
「みたいだな」
「剣術できるの?」
「できない」
「じゃあ今の何?」
俺は剣を軽く回して握り直した。
「棍棒とそこまで変わらない」
「剣と棍棒は全然違うでしょ」
「強く殴れば、どっちも相手に下がってもらえる」
「武器の扱い方の定義がおかしいよ」
完全に間違っているわけでもない。
剣は違う。
重さも、バランスも違う。
棍棒より重心が手元に近い。
鉄パイプみたいに、何も考えず真正面から攻撃を受け止めるわけにもいかない。
変な角度で振れば、相手の骨に食い込んで抜けなくなることだってある。
それでも距離は距離だ。
振りかぶる動きも同じ。
そして俺の前にいるのは結局、人間だ。
それなら分かる。
「もう一回」
水瀬が弓を構えた。
◇
その後の何本かは避けた。
一本はもう一度剣で弾いた。
次の一本も弾こうとして――
失敗した。
矢尻が肩を掠める。
「――っ!」
俺は一歩下がった。
「黒川!」
水瀬は即座に弓を手放した。
俺が大丈夫だと言うより先に、駆け寄ってくる。
「待って、見せて」
「かすり傷だ」
「私が当てた」
「そのために――」
「見せて!」
「……」
手をどける。
肩から細い血の筋が流れていた。
大した傷じゃない。
水瀬はそう思っていないらしい。
「ごめん……ちゃんと外すつもりだったのに」
「今ここで肩を掠めてもらった方が、次の試練で胸を貫かれるよりマシだ。訓練は訓練だ」
「……本当に大丈夫?」
「大丈夫だ」
彼女はまだ納得していない顔で傷を見ていた。
「……分かった」
「次は俺の番」
「撃つの?」
「攻める」
剣を持ち上げる。
水瀬がその刃を見る。
「まさか、それで斬る気じゃないよね?」
俺は剣を返した。
「刃じゃなくて、腹で当てる」
「それでも金属の棒なんだけど」
「ほら。ようやく分かったな」
「そういう意味じゃない!」
俺は笑った。
「避ければいい」
水瀬は弓を置いた。
「分かった」
互いに向かい合う。
俺は慣れた手つきで柄を握り直した。
剣は棍棒より難しい。
だが、ゼロから始めるほどではない。
昔は喧嘩でも素手の方が好きだった。
だが、一人が鉄パイプや棍棒を持った瞬間、ルールがまるで変わることも知っている。
間合いが伸びる。
一発まともにもらえば、それだけで終わる。
剣なら、それがさらに極端になるだけだ。
「準備いい?」
「うん」
一歩踏み込み、右から振る。
水瀬が飛び退く。
そのまま剣を返し、左から。
彼女はしゃがんだ。
動きを止めず、一歩前へ。
また後退する。
(遠い)
俺は突然止まった。
次の攻撃を予想していた水瀬も、一瞬止まる。
その瞬間に距離を詰めた。
「あ――」
剣が彼女の肩寸前で止まった。
「一本」
「……」
水瀬は剣を見る。
「剣術できないって言ったよね?」
「できない」
「じゃあ今のは?」
「喧嘩」
「剣を持ってるけど」
「ああ」
「それを剣術って言うんじゃないの!?」
「違う」
剣を下ろす。
「第三試練で戦ったあの男が相手なら、俺はもう血まみれになってる」
水瀬が少し黙った。
あの戦いは彼女も見ていた。
「そんなに強かったの?」
「強い? たぶん違う」
自分の手を見る。
筋力十七。
敏捷十七。
身体能力だけなら、俺の方が上だった可能性すらある。
「あいつは、剣で何をすればいいのか知ってただけだ」
それが一番腹立たしかった。
俺は間合いを理解していた。
攻撃も読める。
フェイントだって使える。
だが、剣と剣がぶつかった瞬間、全部が変わった。
どの角度で受けるか。
どこへ刃を流すか。
大振りではなく、いつ突くべきか。
どうすれば相手の腕を開かせられるか。
あいつは知っていた。
俺は剣を、ただのよく切れる棍棒みたいに扱っていた。
ゴブリン相手なら、それで十分だった。
あいつには通用しなかった。
「だから練習してる」
水瀬が笑った。
「じゃあ、もう一回やろう」
◇
再び始める。
今度は俺がフェイントを使うことを水瀬も分かっていた。
一度目は効かない。
二度目も。
三度目。
俺は上から振り下ろすように見せた。
水瀬が横へ動く。
途中で軌道を変える。
だが、彼女は間に合った。
(覚えるの早いな)
追う。
一撃。
一歩。
もう一撃。
水瀬は少しずつ訓練場の端へ追い込まれていく。
俺はわざと右側だけを空けていた。
彼女もそれに気づく。
もう一歩。
水瀬が右へ飛び出した。
(かかった)
その進路へ踏み込み、逃げ道を塞ぐ。
「えっ――」
水瀬が慌てて身体をひねった。
足がもつれ、体勢が崩れる。
咄嗟に俺は彼女の脇腹を支えた。
水瀬が止まる。
俺も止まる。
「……」
「……」
すぐに手を離した。
「二本」
「今のは無し!」
「なんでだ?」
「剣使ってないじゃん!」
「誰が使うって言った?」
「剣の練習でしょ!」
「生き残るための練習だ」
「ずるい」
「喧嘩に――」
「――ルールはない。分かったから!」
頬を膨らませる。
俺は笑った。
「覚えるの早いな」
「じゃあ私も何してもいいんだ?」
「もちろん」
「分かった」
なぜか、その笑顔が嫌な予感しかしなかった。
「次は二十メートル」
水瀬が再び弓を持つ。
「ルールは簡単。私が三回当てるより先に、黒川が剣で私に触れたら勝ち」
「腹でな」
「はいはい」
「お前は本物の矢」
「さっき怪我したの見たら、もう嫌なんだけど」
「訓練は俺たちが生き残るために必要だ」
「……分かった」
彼女は肩の傷を見る。
「せめて頭は狙わないから」
「それでいい」
二十メートル離れる。
水瀬が弓を構えた。
俺は軽く膝を曲げる。
これは面白い。
棍棒を持った奴との間合いの詰め方なら知っている。
ナイフも。
だが、二十メートル先の弓兵?
まるで別物だ。
「準備いい?」
「来い」
射撃。
水瀬を見る。
肩。
腕。
弦。
一歩横へ。
矢が通り過ぎる。
走る。
もう二本目を構えている。
水瀬が俺を追うように弓を動かした。
俺は大きく右へ踏み込む。
彼女も追う。
そして放つ直前、俺は左へ切り返した。
矢は俺が行くはずだった場所へ飛んだ。
(よし)
残り十メートル。
次。
今度は撃たない。
俺も待つ。
(撃たないのか?)
五メートル。
弦が鳴った。
もう避けられない。
剣を振る。
ガンッ!
矢が弾かれた。
(あと三メートル)
一気に踏み込む。
水瀬が下がりながら次の矢へ手を伸ばす。
遅い。
もう弓をまともに構えられる間合いじゃない。
俺は剣の腹を彼女の腹に軽く当てた。
「俺の勝ち」
「違う」
「は?」
水瀬が手に持っていた矢で俺の胸を軽く突いた。
「一回」
下を見る。
「撃ってないだろ」
「撃たなきゃいけないなんてルールじゃなかったよ?」
「……」
満足そうに笑っている。
「喧嘩にルールはないんでしょ、黒川?」
「それ教えたの俺なんだけど」
「うん」
「しかもまだ一回だぞ」
「……」
笑顔が消えた。
俺は剣の腹で彼女の肩を軽く叩く。
「俺の勝ち」
「もう一回」
「負けず嫌いか?」
「も・う・いっ・かい」
「はいはい」
◇
残りの時間は驚くほど早く過ぎた。
睡眠。
シャワー。
訓練。
そしてまた訓練。
死んでから初めて、丸一日誰にも殺されかけなかった。
だからだろうか。
二十四時間は、妙に短く感じた。
【試練5】
【目的:休んでください】
【残り時間:00:00:00】
【試練5 クリア】
【報酬:銅貨30枚】
(三十枚?)
千匹近いゴブリンに殺されかけた第二試練では、たった五枚だった。
休んだだけで三十枚。
(このシステム、一体何を基準に評価してる?)
【試練6】
【目的:戦ってください】
【制限時間:―】
(……ああ。こっちはもう見慣れた)




