8 夕闇
城の周りでは、色とりどりの花が咲いていた。
上階の部屋から、ガクは大きな窓の外を眺める。
まだ日が沈み切っていない空は、山の端あたりは眩しい赤色から橙色に、そこからだんだんと藍色へと移ろう。
花の香りが太陽の残り日に輝き、ガラスを隔てたガクの下にも届く気がした。
かれらのその繊維までもが美しい。
一枚一枚の花弁に巡る細い管は、清らかな水を通していた。
ガクは窓に背を向ける。
そろそろ返本作業に戻らなければならない。
今いるのは、分野ごとに割り当てられた部屋の一つ、医学に関する本が集められた場所だ。
もともとは王族が住む城だったこの図書館の中でも、特に広く、そして装飾の少ない部屋だった。
長方形の窓が、規則正しく並ぶ。
そこから滲む夕と夜の間の色に、同じく規則正しく並んだ本棚が染まる。
その中に納まるのは、大体が分厚く、地味な色の背表紙の本だった。
ガクは、棚に並ぶ本の題と手元の本を見比べながら歩く。
すると、存外大きな物音がした。
ただでさえ誰もいない時間であるうえに、貸出数も圧倒的に少ない分野の部屋だから、ガクは肩をはね上げた。
音がしたのは、広い部屋の奥かららしい。
この図書館に初めて来た日、あの無愛想な司書に、時々本を盗もうとする者がいると伝えられたことを思い出した。
そして、ほとんどの者が、日が沈んでから盗むということも。
ガクは本を腕に抱え、忍び足で、音がした部屋の奥へと進んだ。
本棚に手を付いてそっと覗くと、そこにいるのは盗人ではなく、ロウンだった。
一つの棚の前に立ち、立て掛けられた古い梯子を見上げている。
ガクはひとまず安堵した。
ロウンは、今日もレンガ色のローブに身を全て隠している。
高いところに収められた本を取ろうとしているのか、立て付けの悪い梯子に足を掛けようとしていた。
彼の片足がローブの裾を踏みそうになったところで、ガクは本を手近なところに置き、彼の下へ向かった。
「ロウンさん」
ガクに気付いていなかったのだろう、ロウンは勢いよく振り返った。
ほとんど沈み切っている夕日を背にしているために、ローブの中にはやはり濃い影だけがある。
自身の瞳なら、その闇の中が多少見えてしまうだろうが、ガクは目を凝らすようなことはしなかった。
「僕が取りますよ」
声をかけてもロウンはしばらく動かなかったが、ゆっくりと片足を地面に降ろし、梯子から手を離す。
そして、そのまま数歩下がった。
ガクが礼を言っても、やはり何も言わない。
気にせず梯子に手をかけ、その立て付けの悪さに呆れながら、ガクは上った。
「どの本ですか?」
尋ねると、掠れた声が下から聞こえた。
確かに、ロウンが言った学者の名が刻まれている本がある。
見覚えのある背表紙に、かつてガクが学生の頃に読んだ本であることに気付いた。
それを抜き取って下りる途中、ロウンが曖昧ながらも梯子を支えてくれた。
ガクは本を片腕に抱え、ロウンの手を踏まないよう、慎重に足を運んだ。
「ありがとうございます」
この本で合っていますか?と、ガクが本の表紙を見せると、ロウンは「ああ、」と小さく頷いた。
そして、本をガクから受け取ろうとしたとき、落日の光に染まった布の下から、ロウンの手が伸びた。
次の瞬間、手渡そうとした本がロウンとガクの間に音を立てて落ちた。
その音が耳に届いた時には、ロウンは既に、手をローブの下に隠し、狼狽えるように後ずさった。




