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武将 島津義弘 第72話 豊久が義弘の側に位置を取る

慶長五年九月十五日 午前十時過ぎ

関ヶ原・東軍中央前面(湿地帯の縁)


前方の鉄砲火がさらに近くなり、湿った空気の中で火薬の匂いが濃くなった。

湿地の草が揺れ、火縄の火が落とす赤い光が、低い霧の層に反射して揺らめく。

義弘の馬が耳を立て、鼻先をわずかに上げた。

島津の列は左右から東軍の影に押され、前へ出るしかない形に固まっていた。


その右側へ、豊久が馬を寄せてきた。

湿地の縁は柔らかく、馬の蹄が沈むたびに水がにじみ、泥が細かく跳ねた。

豊久は手綱を短く持ち、義弘の右側にぴたりと並ぶ。

馬の鼻先はすでに突破方向へ向けられ、前方の湿地の切れ目を捉えていた。


近習がすぐに動いた。

豊久の槍を受け取り、柄の汗を拭い、穂先についた泥を指でこそげ落とす。

湿気で重くなった槍袋を外し、穂先を陽に当てて乾きを確かめる。

別の近習が馬具に手を入れ、締め具の緩みを直し、鐙の高さを調整した。

革の締め具が湿気で伸びており、指で押すとわずかに沈んだ。


前方では、東軍中央の槍の列が揺れていた。

黒田・細川の旗が湿気で重く垂れ、わずかな風に揺れる。

槍の穂先が霧の中で鈍く光り、鉄砲の火花が断続的に走った。

火縄の煙は湿った空気に押し下げられ、地表近くに薄い層を作って漂っていた。


豊久は馬の首を軽く押し、前へ出るための間合いを測った。

義弘の馬との距離、前方の湿地の幅、敵の列までの歩数。

湿地の草の高さ、踏み込み位置の硬さ、馬の蹄が沈む深さ。

そのすべてを一度で読み取り、馬の頭を突破方向へ向け直す。


家臣たちが動いた。

豊久の位置を確認し、列の幅をわずかに狭める。

左右の兵が肩を寄せ、前方へ向かう“通り道”を作る。

槍の穂先が一斉に前へ向けられ、列の密度が高まった。

兵の足元では、湿地の泥が踏み固められ、ぬかるみの音が重なった。


義弘の周囲の兵も、豊久の前進に合わせて列を開けた。

馬の胸が通れるほどの幅を作り、すぐに閉じられるように足の位置を整える。

兵の息が揃い、湿地の泥に踏み込む音が重なり、列全体が前へ寄った。

背後では、追いすがる東軍の足音と怒号が混じり、湿地に反響していた。


前方の鉄砲が再び火を噴いた。

火花が湿地の草の上に散り、煙が低く流れる。

その煙の向こうに、東軍中央の槍の列が見え隠れしていた。

槍の列の後ろでは、黒田の足軽が鉄砲を再装填し、火縄を吹いて火を整えていた。


豊久は槍を受け取り、柄を握り直した。

穂先がわずかに震え、陽光を反射する。

馬の首筋に手を置き、前へ出る準備を整える。

馬の呼吸が深くなり、前足がわずかに地面を掻いた。


突破の先頭に立つ位置は、すでに確定していた。

豊久の馬の前には、一直線の“通り道”が開いている。

その先には、東軍中央の密集した列がある。

槍の穂先が揃い、盾のように前を塞いでいた。


義弘は前方を見据えたまま、わずかに手綱を引いた。

その動きに合わせて、島津の列全体が前へ寄る。

湿地の縁を踏む音が重なり、兵の影が密度を増していく。

列の後方からも押し寄せる圧が伝わり、突破の形が固まっていった。


突破の刃は、豊久へと収束していた。


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