武将 島津義弘 第57話 露梁海戦(1598)
慶長三年(1598)十一月。
撤退命令が下り、
義弘は船団を率いて露梁海峡へ向かった。
海峡は狭く、潮が速い。
風向きが変われば、
船は思うように進まない。
義弘は船首に立ち、
潮の色と波の向きを見た。
「潮が変わる。
抜けるなら、夜明け前だ。」
日本船団は五百余。
だが、その大半は輸送船で、
戦える関船はわずか。
負傷者と兵糧を積んだ船が列を成し、
海峡の手前で揺れていた。
家久を呼び、船団の再編を命じた。
関船を中央に集め、
補給船と負傷者を乗せた船は後方へ回す。
小早を前に出し、
偵察と誘導を担当させた。
朝鮮水軍の哨戒船が増えている。
海峡の北側には、
李舜臣の大船団が控えているという報告が入った。
退路となる海路の幅、
浅瀬の位置、
潮の変わり目──
義弘はすべてを頭に入れた。
その夜、
北側から太鼓の音が響いた。
敵艦隊が動き出したのだ。
「来たか。」
敵の旗艦の位置を確認する。
進路は日本船団の退路を塞ぐ形。
避けられない海戦だった。
義弘は家久と十郎太を呼び、
突破の順序を短く伝えた。
「船団を守り、
潮が変わる刻に乗る。」
敵艦隊が射程に入った。
義弘は砲撃開始の合図を出す。
関船が大筒を放ち、
小早が敵船の間を縫って火矢を放つ。
朝鮮水軍の火砲が轟き、
海面に白い水柱が立つ。
衝角が迫り、
船と船がぶつかり合った。
海峡は狭く、
敵も味方も身動きが取りづらい。
火矢が帆を焼き、
煙が海面を覆った。
敵の包囲が狭まり、
乱戦となった。
義弘は船首に立ち、
敵旗艦の位置を見据えた。
「家久、中央を割れ。
十郎太、後ろを守れ。」
家久の関船が中央へ突っ込み、
敵の隊列を押し広げる。
十郎太は後方の船団を守り、
火矢を避けながら進んだ。
義弘の船は敵旗艦の横を強行突破した。
敵船の衝角が迫る。
義弘は舵を切らせ、
波の力を利用してかわした。
その頃、敵旗艦周辺が騒然となった。
指揮の乱れが見えた。
(※史実ではこの時、李舜臣が被弾し戦死)
「退路へ押し出せ!」
船団が海峡の出口へ向かう。
その時、潮が変わった。
海面の流れが一気に南へ向かう。
潮の色が変わり、
波の向きが揃った。
義弘はその変化を逃さなかった。
「乗れ!」
日本船団は潮流に乗り、
一気に海峡を抜けた。
敵艦隊は追撃を続けたが、
潮に逆らう形となり、
距離が開いていく。
後方で火矢が海面に落ち、
水柱が上がった。
やがて、
露梁海峡の出口が見えた。
家久と十郎太が駆け寄り、
生存船の数を報告する。
「……よく残った。」
義弘は静かに頷いた。
露梁の海はまだ煙を上げ、
波が赤く染まっていた。
この戦は、
勝つための戦ではない。
生きて帰るための戦だった。
泗川で極致に達した義弘の武は、
ここでは“生還のための武”として働いた。
露梁を抜けた船団は、
巨済島方面へ向けて進路を取った。
島津家は存続した。
だが、
この突破がどれほどの死地であったか、
義弘は誰よりも知っていた。
「これで……帰れる。」
義弘は朝鮮沿岸を振り返り、
静かに目を閉じた。




