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武将 島津義弘 第51話 戦線の停滞と帰国準備

文禄元年(1592)六月初旬 釜山浦・島津軍宿営地


釜山浦の海は、梅雨の湿気を含んで重く光っていた。

雨で海が荒れ、補給船はまた遅れていた。

宿営地に届いた報告には、

米・弾薬・馬草の不足が続き、

名護屋からの補給が滞っていることが記されていた。

釜山浦の倉庫は空に近く、

各大名の兵が順番に残り物を分け合う状況だった。


軍議が開かれ、行軍予定は停止された。

補給線の改善が見込めず、

戦線は事実上の停滞に入った。

文禄の役初期は補給が慢性的に不足しており、

この時期の停滞は島津軍だけでなく、

加藤・黒田・小西ら諸軍も同じだった。


義弘の前には、各隊長からの報告が積まれていた。

兵数、負傷者数、装備の損耗。

久保隊の欠員も含め、

島津軍全体の兵力が再計算された。

行軍に回せる兵と、守備に残す兵が区分され、

補給不足に合わせて休息日程が調整された。

雨で弓弦が緩み、火縄も湿りやすく、

装備の点検がいつも以上に必要だった。


釜山浦の地図が広げられた。

港、倉庫、船団の停泊地。

義兵の襲撃が多い谷筋。

守備線が引き直され、

警戒兵の配置が増やされた。

宿営地の見張り番の交代時間も再設定され、

夜間の警戒が強化された。

梅雨の闇は深く、義兵の動きが読みにくかった。


その頃、他大名の撤収が始まっていた。

加藤、黒田、小西──

釜山港には各軍の船団が集まり、

出航の順番を待っていた。

港の混雑状況が記録され、

島津軍の撤収に影響する点が整理された。

名護屋の本陣から届く撤収報告も読み合わせられた。

秀吉の命令系統は名護屋を経由するため、

撤収の順番は厳密に守られねばならなかった。


数日後、名護屋の島津本陣から正式な帰国命令が届いた。

命令書には、撤収の順番、

名護屋帰還後の動きが記されていた。

軍議で内容が共有され、

各隊へ撤収準備の開始が通達された。


釜山港では、船団の準備が進んでいた。

島津軍に割り当てられた船の数が確認され、

乗船順が隊ごとに決められた。

荷駄、武具、馬の積み込み順が整理され、

出航予定時刻が各隊に伝えられた。

文禄の役では船の数が限られ、

積み込みの順番が遅れると出航が一日延びることもあった。


出航の日、各隊が港へ移動した。

荷物の積み込みが監督され、

兵が乗船し、点呼が行われた。

船団は静かに出航準備に入った。

釜山浦の海は穏やかだったが、

港の周囲には義兵の影が残っており、

警戒兵が最後まで周囲を見張っていた。


船団が釜山港を離れ、

海を渡って名護屋へ向かった。

到着後、島津本陣へ帰還報告が提出され、

名護屋での滞在場所と次の行動が確認された。

薩摩へ向かう船の手配が進められ、

荷物の再整理が行われた。

名護屋で必要な手続きを済ませ、

薩摩帰国のための最終点検が行われた。


釜山浦での戦線は、

補給線の破綻と他大名の撤収によって、

もはや維持できる状態ではなかった。

外界の崩れが戦そのものを止め、

島津軍は撤収へ向かうしかなかった。


義弘は、名護屋の海風を受けながら、

釜山浦での地図を思い返していた。

外界の乱れは、

戦場の線を静かに終わらせていった。


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