武将 島津義弘 第22話 大口城の攻略
天正三年(1575)初夏。
大口城の南に広がる川沿いの道に入ったのは、
巳の刻を少し過ぎた頃だった。
大口城は、川内川支流の丘上に築かれた山城で、
南側の川が天然の堀となっている。
肝付氏の勢力が崩れた今も、
この城を押さえねば大隅北部は動かない。
義弘は馬を止め、川の流れを見つめた。
水量は多く、深さもある。
「ここは渡れぬ。城方も出られぬ」
静かに言う。
川沿いの道は狭く、城下へ続く坂道は急だ。
大口城の坂は、古くから“攻めにくく、守りにくい”とされる。
坂の途中で兵が並べば、城方は打って出ることができない。
義弘は坂の傾斜を確かめ、
「ここで止める」と短く告げた。
偵察が戻る。
「城内、兵三百ほど。士気は高からず。兵糧も乏しき様子」
肝付兼亮の死後、肝付家は急速に瓦解し、大口城は孤立していた。
義弘は地図を広げ、城の南側に指を置いた。
「主力はここ。川沿いに弓を置け。城下の道は封じる」
包囲線を描くように、指が静かに動く。
兵たちが動き始めた。
川沿いに弓兵が並び、城下への出入りを封じる。
坂道の途中には槍兵が整列し、城方が打って出る道を塞いだ。
西側の林には伏兵が潜む。
大口城の西側は林が深く、伏兵を置くには最適だった。
城下の道はすべて押さえられ、包囲線が静かに完成した。
義弘は城下へ入った。
大口城の城下町は、谷に沿って細長く伸び、道は曲がりが多い。
家々は坂に沿って並び、視界が開けない。
抵抗する小勢力を排除し、住民を避難させる。
城下の道を確保し、兵を配置した。
「殿、城方の動き、弱し」
十郎太が報告する。
義弘は頷いた。
「士気が落ちている。兵糧も尽きる」
城方は包囲を破ろうと、坂道から打って出た。
だが、坂の途中で槍兵に押し返される。
大口城の坂は足場が悪く、勢いがつかない。
城内に戻るしかなかった。
その夜、城内から松明の光が揺れた。
兵が動揺している証だ。
翌朝、城主側から使者が出た。
「兵糧尽き、これ以上は持ちませぬ。降伏を願いたい」
義弘は条件を静かに告げた。
「城兵の命は取らぬ。武具を置き、城を明け渡せ」
使者は深く頭を下げ、城へ戻った。
昼過ぎ、城門が開いた。
大口城は戦わずして降った。
包囲線が“外界の線”を整え、城が自ら崩れた形である。
城が明け渡されると、義弘はすぐに動いた。
守備兵を城に置き、周辺の村々を巡回させる。
反乱の有無を確かめ、大隅北部の道を押さえた。
大口周辺は肝付家の支配が弱まり、
島津寄りの村も多かったため、抵抗は少なかった。
大口城を得たことで、
薩摩から大隅へ伸びる島津家の支配線が一本につながった。
羽月堂崎・桶比良の制圧で揺れた外界が、
ここで初めて“安定した線”へ変わった。
義弘は地図を見つめ、静かに言った。
「次は……木崎原だ」
大隅の外界が、確かに薩摩へ傾き始めていた。




