巫女姫、企む
夜も更けた巫女姫の部屋には、昨日と同じ三人が集まっている。ペトラに髪を梳かれながら、王女からもたらされた情報を整理していく。
「ファトマ様は既にお休みになられました。日中は巫女姫様からいただいた蝋板に何やら書き付けて過ごしておりましたが、何を書いているのかは全く読み取れませんでした。申し訳ございません」
「構いません。彼女の言葉通りなら、ニホンの文字なのでしょうし」
フローラが深々と頭を下げるのを制して、朝のやりとりを思い返す。興奮気味に話し続ける王女の話は時系列が曖昧で、その上王国側の視点で見た歴史しか知らないということで帝国の詳しい事情ははっきりしなかった。巫女姫の記憶と照合して確かなのは、二年後の大凶作とそこからの混乱。新情報と言えるほどのものは無かった。
正面からじっと観察しているうちに、王女の口の動きと聞こえてくる音がずれているのに気が付いた。そこが気になりだすと、今度は王女の声が二重に聞こえてくるようになる。帝国の共通語と、全く聞き覚えのない異国の響き。王国の言語とも全く違う音の連続に酔ったような感覚になり、王女には知っている情報をまとめるように依頼し解散したのだ。
フローラにも口の動きに気を付けるよう伝えておいたら、彼女も同じように聞こえるようになったと昼過ぎに報告があった。王女が言うには、『何も考えずに普通に話しているだけ』だそうだ。今までの報告にあった複数の言語を使い分けている、というのも、この奇妙な現象の結果のようだ。彼女は自分の言葉──ニホンの言葉──で話しているだけなのに、聞く側が勝手に自分の理解できる言葉に変換している。神殿にいる母語の異なる異邦人を集めて王女に話してもらえば、この予想は確定するだろう。
──神懸かりの力の一種でしょうか。文字までは変えてくれないようですけれど。
とりあえずはこちらの希望した通り、知っている情報を整理してくれてはいるようだ。王国の歴史しか分からないとしても、王国の有力者が何を考え、どう開戦に踏み切ったのかを知れば先回りして対策ができる。なぜここまで協力的なのかは掴めないが、この機会は最大限活かしたい。
「ペトラ、あなたはどう考えますか?」
髪を梳き終えて櫛を片付けていたペトラは、少し考え込むように中空を見つめた。
「ファトマ様に悪意は感じませんでした。少なくとも、今朝の発言は全て心からのものかと」
「彼女は死に、帝国は滅びる、と」
「語られた未来が真実であるかは分かりませんが、少なくともそう信じているのは間違いないと感じました」
「異界から来た、というのも?」
「…そう信じているのは間違いないかと存じます」
ペトラは王女の語る未来を受け入れられずにいるようだ。鳶色の瞳が、巫女姫を見据える。
「巫女姫様は」
「ええ」
「知っておられたのですね。ファトマ様のことを」
「…ええ」
「かしこまりました。私も認識を改めます」
表情をほとんど動かさない忠実な側仕えに、巫女姫は無言で微笑みを返した。
凱旋式での突然の宣言。そこからの常識外れな行動の数々は、巫女姫の立場からしてあり得ない話だ。きっとペトラの内心は疑問符だらけだったろう。
──まあわたくしも、こんな話だとは思っていませんでしたけれど。
最初は偽物を疑い、何らかの悪意があるなら排除せねばと思っただけだった。それが蓋を開けてみればこれである。巫女姫にとっても想定外の事態だが、ペトラの中で整理がついたのなら良しとしよう。
「私からもよろしいでしょうか」
フローラが頬に手を当て、ゆるりと首を傾げる。
「ファトマ様のお話は俄かには信じがたいものですが、そもそも前提となる知識に差があるように思います」
「と言うと?」
「朝のお話では火山が噴火して凶作になった、とのことでしたが、私には噴火と凶作の関係が分かりませんでした。もちろん火山の周りは影響を受けるでしょうが、帝国全土を巻き込むようなものなのでしょうか?」
「それは…そうですね」
「ファトマ様はさも当然のように仰っておりましたので、ファトマ様…の、姿を借りている御方にとっては当たり前のことなのでしょう。私共は言葉を聞き取ることはできているのですが、それを正しく理解できているのかは何とも言えません。言葉通りには受け止めない方がよろしいかと存じます」
「ありがとうございます。気を付けますね」
巫女姫の知る未来と、王女の語る未来の一致。それであっさり信じ込んでいたが、言われてみれば彼女は異界の存在。常識や価値観の全てが異なっていても不思議ではない。
「ペトラ、明日も朝食は中庭でお願いします」
「かしこまりました」
「あなたたちの食事も運んでもらってください。一緒に食べましょう」
「それは…」
「二人にも会話に参加して欲しいのです。わたくしだけでは気付けないことがあるでしょうし」
「それならば、発言を許可していただければ」
「おそらく、ですが。ファトマ様は共に食卓を囲んだ方が話していただけると思うのです。不本意でしょうが、協力してもらえないかしら?」
「不本意などということは…。どうしても、と仰るのでしたら」
難しい顔で頭を下げるペトラ。真面目な彼女にとって、主人と共に食事をするなど非常識に過ぎることなのだろう。
──ごめんなさいね。わたくしの我儘に、少しだけ付き合ってください。
帝都に敵が迫る中、神殿からは次々と人が消えていった。伝手のある者は公的に、あるいは突然に帝都を抜け出し、遠く独立の機運高まる属州に逃げていった。残ったのはどこにも逃げ場のない者と、神々に生涯を捧げると誓ったごく僅かな者達。すっかり静かになった神殿で、巫女姫が始めたささやかな楽しみ。
最初は、食糧の調達が滞りだした神殿で主人に十分な食事を提供するために自分は食べない、という事態を避けるためのものだった。目の前で共に同じものを食べれば、ごまかしは効かない。それがいつしか、大事な時間になっていった。
五歳から神殿に入り、誰かの給仕を受けながら一人で食事をする。時に会食の機会があるにしても、政治的な色彩の濃いそれに心を動かされることは無かった。
無口で真面目な側仕えとの、時に無言で過ぎていく時間。それがどれほど心地良いものであったか。避けようのない破滅が近付く日々の中で、巫女姫の記憶に灯る温かな風景。
自分一人では気付けないことがあるだろうというのも、その方が王女も気楽に話してくれるだろうというのも本心だ。でも。
──これくらいのお楽しみは、あっても良いでしょう?せっかく生き直しているのですから。
こっそりいたずらをする子供のような気持ちで、静かに困惑している側仕えを見上げる。自然に浮かんだ笑みは、蝋燭の作る影にそっと隠された。




