第12話 託したい相手
水中では水の抵抗を受けるため思うように身体を動かすことができない。
腕を振るうにも足を上げるにも、重心をしっかりと定めなければ体制があっという間に崩れてしまい、まともに戦闘行動を行うこと自体が至難の業だ。
何をするにも身体が重く感じられる、ここに剣を握ったのなら重さで振えるかどうかすら分からない。
だが少なくともトレーニングにはなっているだろうと、手を繋がれながらバタ足を続けるミナトは一応ながら意味を見出しつつあった。
「あとどれくらいで?」
先程から長い時間ずっとバタ足を続けているミナトだが、少なくとも往復を5、6回は繰り返している。
足でもつれば中止になるんだろうが、半ば強制的に準備運動を手伝わされているため、それも不可能。
今のところ体力を切らせる以外にこれと言ったやめる機会はなく、その体力でさえもここ最近のトレーニングによって効率的な肉体の動かし方と共に叩き込まれているため当分は尽きそうもない。
無心で足元から水をバタつかせているミナトに対して、
「そうだな……」
と言い淀んでから考え込むそぶり見せていた彼女だったが、何を見たのか蒼白な表情を浮かべると、今まで離すことのなかったミナトの手を離した。
突然外された彼女の支えに少しだけバタつくミナトだったが、すぐに足をつけて起き上がる。
すると水を自身の顔にかけ、両手で顔を覆ったマルティナは手を下ろすといつもと変わらない声根で、
「今日はここまでにしよう。最近は根を詰めすぎたかもしれないからな」
そんなことを言うとプールサイドに置かれていたタオルを持つと更衣室の方へと足を向けていた。
そして更衣室の扉に手をかけた時、
「お前は…………」
何かを呟こうとして口を閉ざし、その次を言うことなく扉を開けて消えていった。
■
『馬鹿じゃねぇの? 今更トレーニングだなんて効率の悪いことするかよ。スキル磨いた方がよっぽどタメになると思うけど?』
『前時代的すぎると思いますよ。今の冒険者に必要なものは強靭な肉体ではなくどれだけ魔法を使えるか。いくらあなたが優秀な剣士だったとしても、魔法が苦手で落ちぶれたんでしょう?』
『お前のやり方は間違ってる。俺たちに必要なのは敵を殲滅する上級魔法だ。基礎トレーニングなんて魔法一発で死んだら元も子もないだろうが』
更衣室から直通でシャワーへと向かったマルティナはシャワーヘッドから流れる温水に、髪を纏める紐を外して項垂れていた。
「私はまた……同じことを繰り返したのか」
壁にもたれるようにして座り込んだマルティナは、かつて同じように世話を焼いて拒絶してきた多くの人間を思い出して膝を抱えた。
ミナトを指導という名の自己満足に陥っていた時、窓ガラスの向こうから自身を拒絶した冒険者の姿を見た。
彼らはマルティナの指導を無意味な物として切り捨て、前時代的な効率の悪い不出来な物だと切り捨てた。
彼らのいうように魔法の力は絶大で、今ではどれだけ多く強大な魔法を使えるかどうかが冒険者のランクに直接作用するようになっており、10年間剣を振っていたとしても、魔法使いが1ヶ月で覚えた魔法には歯が立たないのが現状だ。
初めから筋力の面で勝っているモンスターを相手にする以上、遠距離から強力な魔法を叩き込むのは訓練学校でやる教本通りの戦い方で、それ自体が悪いとは言わない。
ただ彼女はどうしても伝えたいことがあった。
自身の過ちから、自身の過去から、最強と言われた彼女が廃れた歴史を、反面教師にして誰かに伝えたい。
冒険者として既に使い物にならない彼女が最後に何かを残したいという思いは、今まで誰にも届いた試しはない。
「もう……諦めた方がいいのか」
誰もついてこなかった。
誰も理解は示さなかった。
彼女の指導に意味を見出すことはしなかった。
流れ出る水を止め、引っ掛けてあったタオルで乾かした後に衣服へ着替える。
そしていつもの癖で出てしまった剣を取る腕を静かに下ろして、武器を持たずに更衣室を出る。
先ほど見かけた冒険者たちは既に移動した後で見当たらず、それを内心ではホッとしている自分が嫌になる。
そうしてここに来るのも後何回なのだろうかと、ガラス越しにプールへと視線を投げやる。
するとそこには、水中でひたすら前に突き進むミナトの姿があった。
「なんで……」
既にマルティナは居ない。
彼女自身の口から解散の言葉が出されたのだ。
もうここに残る理由は無理やり連れてこられてきているミナトにはない。
それに彼女は更衣室の中で無駄に時間を潰しており、彼女がその場を離れてから相当な時間が経っているはずで、なのに彼はそこにいる。
それを知るや荷物を投げ捨てて更衣室へと走り、着替えることもなくプールへと駆け抜ける。
そして未だに水の中を歩いているミナトへと飛び出して抱きついた。
「いや、えぇ! それ水着じゃ……」
いきなり飛んできた彼女に全く察知できなかったことで動転するミナトだったが、有無も言わせずに彼を抱きしめて、
「ありがとな」
突拍子もない彼女の行動に何を意味しているものかと勘繰ろうかとしたミナトだったが、耳元で呟かれたその言葉に裏を読むことをやめて上を見上げた。
「それ濡れてどうやって帰るんですか? まさか水着で、なんてことはないでしょ」
「はははっ! そうだな、じゃあお前の服を借りようか」
人間は変わらない。
彼女の拒絶されて続けてきた物語は、きっと彼に会うために有ったのだ。
初めて自分について来ることを選択した後輩に、彼女は二度と離さないよう抱きしめた。
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