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15. お見舞いに来た御曹司

 階段を駆け上がる慌ただしい足音に、ランドルフは目を瞬いた。寝台で上体を起こし、本を読んでいたところだった。


「坊っちゃん! ランディ坊っちゃん!」


 急き立てるようなノック。裏返った声。穏やかな執事が珍しく狼狽している。


「お客様がっ、いらっしゃってますっ! お連れしてもよろしいでしょうかっ!」

「あ、はい。どうぞどうぞ」


 本を脇に置いて待っていると、緊張の面持ちの執事が再度やってきた。気まずさを隠しきれない表情は、こんな部屋へ貴人を入室させるのはどうなのかという、後ろめたさの現れだろう。失礼な執事である。


「見舞いに来たぞ。怪我の調子はどうだ、ランドルフ」

「ジェラルド様!」


 ランドルフの見舞い客は、カゼッリ伯爵家の御曹司ジェラルドだった。


「ははっ、びっくりした。もう大分いいんですよ。松葉杖があれば歩けますし」

「先触れより早く到着してしまったらしい。近道しようとした下僕が、悪路に手こずっているのだろう。急に訪ねて、悪かったな」

「とんでもない。この雪ですから仕方ありませんよ」


 執事が取り乱すわけである。帽子と外套を預かり退室する後ろ姿が、ヨロヨロして見えた。


「しかし、驚いた……」


 ジェラルドが興味深そうにランドルフの部屋を見回した。


「まさか、屋根裏部屋を使っているとは、思わなかったぞ」


 ランドルフは屋根裏部屋で寝起きしている。元々、普通の子供部屋を兄たちと共有していたが、一人部屋に憧れて、どうしても欲しくなったのだ。


 ランドルフは夢の個室を所望した。すると小馬鹿にしきった両親から、埃とガラクタに埋もれた屋根裏部屋を与えられ『自力で整えろ』と言い渡された。

 癪にさわったランドルフは、仰るとおり整理してやったのだ。一年近くかかったが、どうにか一人部屋を入手したのである。


「好き勝手にできるんで気に入ってるんです。虐げられてるわけじゃないですよ」

「内装を見れば、それはわかる。なんというか、お前らしい、よくわからない部屋だな」


 古い壁一面に、ジャングルとライオンの下手くそな絵がペンキで描いてある。ラフレシアの上にメモらしきものが何枚も鋲で貼られていた。


 紙で作った気球の模型が吊ってあったり、松葉杖とクラケットの競技用バットが一緒に立て掛けてあったりと、なかなかのカオス空間だ。

 本棚や書物机、煤けたカーペットなど、家具の類いは元々屋根裏に収納してあったガラクタを清めて使用している。


 ライオンの壁に近付いたジェラルドが、ペタペタ貼りつけられた紙片に目を通す。


「ええと……かっこいい乗り物リストに、古典詩歌、あくびする猫の落書き、こっちは偉人の名言か」

「ごちゃごちゃのほうが楽しいでしょ。暖炉の側にどうぞ。屋根裏だけあって、冷えますからね」

「ありがとう」


 くだらない書き付けが面白かったのか、ちょっと名残惜しそうにジェラルドは壁から離れた。暖炉の近くに置かれたアームチェアへ腰かける。


「元気そうで安心した。さっき下で、お前の弟に会ったんだが、人懐っこいな。僕を見るなり飛び付いて来たぞ」

「おおふ」


 ランドルフの弟は、まだ五歳のくせに高価な服が大好きなのだ。絹のドレスの貴婦人にも、幼児特権と美少年優遇権を行使し、よく飛び付いている。


「兄弟そろって無礼者で、すいません」

「かまわない。さすがに慣れてきた」


 寛容に頷いたジェラルドが、寝台の横に重ねられた本に目を止める。


「ん? それは、南部地帯の郷土史か。それに、アルベローニ伯爵領の資料だな」

「ええ。いずれ婿入りする家だし、勉強しとこうと思いまして」

「立派な心がけじゃないか」

「意気込みに教養が追い付いてくれたら楽なんですけどね。難しい言葉ばかりで辞書がないと、読めやしません。言いまわしまで難解で、暗号解読してる気分ですよ」


 貴族や専門家など知識層向けの資料だ。ランドルフはプリシラ・アルベローニを調べている。とにかく根気が要る作業で、少しずつしか進まない。結婚するまで、あと七年は時間があるため、気長にやるつもりである。



 ジェラルドと談笑していると、茶菓が運ばれてきた。盆を運んできた執事は、御曹司の傍らへ鎮座するコンソールテーブルを見て、卒倒しそうな様子で紅茶を淹れた。


 ランドルフが発掘したガラクタの一つで、ようは飾り棚である。ジェラルドの従者に頼んで、部屋の隅から移動して貰っていた。不服そうな視線を五男坊へやる執事と、涼しい顔のランドルフ。ジェラルドと従者は肩を震わせて、吹き出さないよう口を結ばねばならなかった。


 友人との会話が弾む。茶菓が半分減った頃だ。ジェラルドがふと、用件を思い出した。


「そうだ、見舞いついでに、女性相談役について説明してやるつもりだったんだ」

「女性相談役?」

「ほら、女主人にも補佐があるのだと、アルベローニ家で話しただろ」

「ああ。俺が怪我しなきゃ、帰り道で教えてくださるはずだったお話ですね」


 律儀なジェラルドは、約束を憶えていた。


「富裕な高位貴族は、高度な運営能力を求められる。補佐の人員が必要だ。執事へは邸内の運営、家令には財務管理を任せて、当主はそれを統括するんだ。ここまではわかるな?」


 ランドルフは頷いた。フィネッティ家の執事が給仕まで行ったのは、それだけジェラルドが重要な客人だからである。普通の客なら下僕かメイドがお茶を淹れる。邸内の責任者として、粗相が無いよう対応したのだ。

 貴族は家格に合わせて使用人を雇い、使用人は役職に合わせた仕事を行う。


「爵位が高く、家の規模が大きいほど、女主人も能力を要求される。家政の責任者であり、女性貴族との社交を担うからな。女性当主は平行して、領地運営や財務管理の統括も行わなければならない」

「よっぽど敏腕じゃないと、過労で死にそうですね」

「だから、女性相談役が要る。家政運営を補佐する家令のようなものだが、同時に秘書であり、客人でもある」

「客人? 使用人じゃないんですか?」

「客分扱いで雇用するんだ。貴族婦人でなければ勤まらない」


 女性相談役は雇用主より、家格がやや下の貴族婦人でなければならない。

 女主人の代行として社交の場にでたり、あるいは、補佐として付き添いをする以上、身分が低すぎては、他家の貴族と渡り合えないのである。


 ランドルフの家でも、母の妊娠中は叔母が手伝いに来て、執事やメイド長へ指示を出していた。母が若い頃は、慣れるまで祖母が補佐していたと聞く。『オカアサマ メッチャ キビチィ……』そう語る母は、いつも挙動不審になる。


 下位貴族は補佐を身内に頼むのだと話すと、ジェラルドが頷いた。


「女性相談役を置かず、家族が支える家は多い。だが、有能な人材に手当てを支払って働いて欲しい場合は、女性相談役として雇用契約を結ぶ」


 女性相談役は、淑女としての立ち居振る舞いは勿論、教養や話術、交渉術、采配の手腕など、高度な技能を持つ貴族女性だという。また、家政に深く影響するため、赤の他人からではなく、縁戚や同一派閥から選ばれるものなのだそうだ。


 国や文化、爵位、貧富の差で、貴族家の運営方式は変わる。また、家族に適任者さえいれば不要な役職だ。高位貴族でもわざわざ女相談役まで雇用しない家は多いという。


「だがな、どう考えても、アルベローニ家には必要なんだ。招待状の不手際を見ても明らかだろう」

「確かに」

「ボルジャンノ夫人は、別に悪人じゃ無い。だが、嫁いで何十年も経っていて、南部貴族の繋がりに疎すぎる。叔父上の事情を表面的にしか知らず、偏見があるのだろう」

「カゼッリ家の方々がヴァイオレット嬢に肩入れするのは、ジェラルド様のお母上の、我が儘に見えるのかもしれませんね。そういう御方じゃないんですけど」

「わかってくれるか」


 お披露目で軽蔑してきたカゼッリ伯爵夫人。あれは、招待状を送ったのがフィネッティ家の差し金だと疑っていたためだ。また、祖父の代にカゼッリ派へ何かしでかしたせいで心証が悪い。さらに、父フィネッティ子爵がフィリッポを脅迫したとかで、全く好意が無かったそうだ。

 そりゃ疑うよね、というのが正直な気持ちである。


 お泊まりに行ったランドルフには、まだ複雑そうではあったが、ちゃんともてなしてくれた。やや直情型だが、理不尽な人ではない。そういうところが、息子さんにちょっと似ている。


「俺に対して、お義父さんの事情を話せないのはわかります。ただの婚約者ですからね。ですが、ボルジャンノ夫人には説明されたらいかがですか?」

「彼女は元法衣貴族の妻だ。中央貴族に近すぎる。部外者に内部情報など話せるか」


 南部貴族の真理である。領地を重視し、中央政治に興味が薄く、隠しているが王族や中央貴族へ反感をもっている。

 疫病、飢饉、災害、戦争。そういった苦難の時に、南部地帯は王家から黙殺された苦い歴史があるのだ。

 謀反を企てるほど激しい憎しみは時代と共に薄れている。だが、貴族から農夫に至るまで、国など信用できないという気持ちが根強い。


 ジェラルドがランドルフをトゥッチ家の小領地まで連れて行ってくれたのは、友人であり、南部地帯の同胞だからだ。親族ではない以上、箝口令は破れない。だが、同胞で友人だから、フィリッポ父娘をうわべで判断しないで欲しいと行動で示唆してくれた。


「じゃあ必要ですね、女性相談役。アルベローニ家の分家あたり出身の、人間関係を把握してる貴族女性がいないと、また失策がありそうです」

「だが、いないんだ。あんな大家を子供一人にゆだねている。おかしいだろ。理由を尋ねても、教えてくれない」


 貴族が箝口令をしくのは醜聞を隠すためだ。ジェラルドはフィリッポの事情を知る一方で、どうしてアルベローニ家に女相談役が不在なのかは知らされていない。


 醜聞が二重になっている?


 一つは、プリシラとフィリッポの結婚。

 一つは、女性相談役の不在理由。


「そういえば、先日、前任者がどうとか仰ってましたよね?」

「うん。僕も幼かったし世情に疎くて、使用人と客分の違いすらわかっていなかった時期だ。それでも、女性相談役だと名乗った人間がいた気がするんだよ」


 乳母や侍女、メイド、家庭教師、領主館に勤めている女性は大勢いた。そんな中に女性相談役がいたという。顔や名前は憶えていないそうだ。ただ、我が家にはいないなと思った幼児期のジェラルドは、役職名だけが記憶に残っているという。


「先代女伯付きの女性相談役かもしれない。技量が必要な役職だから、先代が亡くなっても雇用を継続して、ロゼッタに付くのが普通だ。だが、数年ぶりに訪ねたら、素人当主と子供だけになっていた」


 ロゼッタとジェラルドは、数年間、会わない時期があったようだ。


「単純に適任者がいないってだけでは? 前任者の方だって、なんかムシャクシャして辞めたとか、裏なんか無いかもしれませんし」

「前任者は、まあそうかもな。穿った見方をしたのは認める。でもな、適任者はいるぞ。アルベローニ派には伯爵家や分家の子爵家がいくつかあるんだ」


 ジェラルドが記憶を探り、適任らしい貴族の家名を次々と挙げていく。ランドルフと同い年だが、さすが名家の御曹司。南部貴族の名前や相関関係が頭に入っている。


「けっこう、いらっしゃるんですね」

「たしか、近年、事業に失敗して潰れた分家があったが……バレストラ子爵家だったかな。減ったのはそこだけだ。子育てを終えた夫人や、嫁に女主人を譲った壮年の夫人が何人かいるはずだ」


 派閥内の争いがあって選任できない、といった揉め事も無いそうだ。旧バレストラ子爵領は、爵位ごとアルベローニ家が買い取って運営している。子爵位は休止中だが、派閥や領民に混乱は見られない。


「爵位をいくつも持ってるなんて、凄いなあ」

「お前がロゼッタと沢山子供をつくって、子爵位を譲り、分家にすればいい」

「子供っ!?」


 だしぬけにからかわれたランドルフは、ワタワタした。ランドルフも一応、初々しい少年なので、そこまで具体的な発言には、やっぱり照れるのだ。顔が赤くなっている。


「次男ドゥーエ・アルベローニが独立し、バレストラ子爵ドゥーエとなるわけだな」


 次郎的な名前である。アルベローニ次郎だ。


「ちょっ、ドゥーエって誰ですか。やっつけで名前をつけないでくださいよ!」

「ははは」


 堅物のジェラルドだが、気を許した相手には冗談くらい言ってくる。真面目な話は切り上げて、あとは子供らしく雑談した。

 和やかな時間は早く、気付けば帰宅する頃合いになっていた。


「つい長居してしまった。そろそろお暇するよ。怪我に障るから、見送りは不要だ。早く治せよ、ランドルフ」

「また遊びに来てくださいね」

「そうさせてもらおう」


 帰り支度を済ませ、外套と帽子を着たジェラルドが、しみじみ言った。


「お前となら、王都の寄宿学校でも有意義な時間がすごせそうだ。心強いよ。では、またな」

「え……」


 ジェラルドは石化したランドルフを残して、カゼッリ伯爵家へ帰って行った。


 王都の寄宿学校。

『お前となら』と言わなかったか。


 ランドルフは魂が半分抜けかけている。



 夕方、外出先から帰宅した父の元へ、大急ぎで質問しに行った。聞き間違いかもしれないと前置きして尋ねた五男坊へ、フィネッティ子爵は平然とこたえる。


「秋になったら、寄宿学校へ入学させる。ジェラルド卿のご学友だ。俺とカゼッリ伯爵に感謝しろ」

「ええぇっ! 本気ですかぁ!?」


 悲鳴をあげるランドルフの前で、父は当主の印章を取り出した。一枚の書類に印章を押す。当主の印章は、とても重みのあるものだ。当主の承認が必要な重要書類には、必ずこれを押さねばならない。

 サインは代筆が認められている。だが、王家の許可がおりない限り、新しい印章は認められないのである。


 この国では、爵位と領地、そして王家が認めた印章が揃って、正式な貴族とみなされる。


「俺は本気だ」


 ランドルフへ、ひらりと書類を見せてくる。それはフィネッティ子爵家の印章が押された、王立ナハロウ寄宿学校の保護者同意書だった。

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[良い点] 一気読みして引き込まれました [一言] サスペンス要素があって続きが気になります。天才肌のアホという…痛快なヒーロー像が最高に楽しいです。ストーリーは重厚感があってシリアスなのに要所要所で…
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