第六話:彼の顔
「え?俺の通う大学を見てみたい?」
『はい。悠一さんが普段どんなところで過ごしているか、知りたいです」
電話の向こうの栞の声は弾むように楽しそうだった。
「そうは言っても普段は授業あるだろ?」
『私、調べたんです、今度、オープンキャンパスありますよね?』
「……あぁ、なるほど? それで俺の通う大学をみたいって?」
『そう言うことです、これなら両親も外出許可を取りやすいですし……』
「外出許可?この間の水族館は?」
『……あれー、声が遠いですね。もしもーし』
「ワザとやってるだろ、親に怒られても知らないぞ?」
『……えへへ』
えへへ、じゃない。
だが屈託のない笑い方に悠一は怒りきれずにいた。
『でもでも、悠一さんの大学を見たいんです、お願いします』
「やれやれ……わかったよ。そうだなぁ、折角だから、オープンキャンパスのカリキュラム外の所も案内してやるよ」
『やった!約束ですよ!明日、学校に申請しますね!、あ、電車来ちゃった、それじゃまた!』
ぷつ、と電話が切られる。
「やれやれ、はしゃぎすぎだろ……」
「最近楽しそうだね日野君」
「藤野教授、からかわないでください……」
声のした方を向けば、ロマンスグレーの髪の教授が眼鏡の奥から意味ありげな視線を送る。
「噂の彼女かい?」
「噂って……噂になってるんです?」
「他のゼミ生からの話だよ。『LINEでしょっちゅう連絡している』、『女の子とよく電話している』、『土日の付き合いも悪くなった』等々……」
にこりと、教授がほほ笑んだ。
「必然的に彼女ができた?となるだろう」
「……確かに、まぁそんな所です」
悠一が肩をすくめる。
「含みのある言い方だねぇ……まぁ、いいや。
もしよかったら、オープンキャンパスの時にここに連れてきなさい。
私もその子に少し興味がある。実物を見て見たい」
「教授が?見て見たいって、見世物じゃないんですから……」
「『カリキュラム外の所も案内してやる』だっけ?私以外に許可なんか出ないだろ」
「ぐぬ……」
悠一が言いよどむ。
痛い所を突かれた。
悠一は単なる学生だ、許可を取って連れていける場所はほとんどない。
「……考えておきます」
「はっはっは、楽しみにしているよ」
「……日野君」
「なんですか?」
教授の言葉に少し不貞腐れたように悠一が言い返す。
「良い顔をするようになったな」
「……からかわないでください」
オープンキャンパスの日が来た。
指定の場所で待っていると、栞を先頭に数人の生徒の姿が見える。
「あ、来たね、し――」
「日野さん!本日はお世話になります」
栞と言いかけた所で、挨拶を被せられた。
呼び方も悠一さんではなく日野……
(なるほど?)
「……いらっしゃい、神崎さん。そして聖羅女学園のみなさん。
東都大二年、教育学部の日野悠一です」
にっこりと笑顔を向けると生徒達から黄色い声が上がる。
「え、カッコよくない?」
「大学生って大人っぽいよね」
「案内してくれるって事?」
「教育学部って事はこの人が先生になるの?」
女子高生達のざわめきが止まらない。
「あ、あの!」
一人の女生徒が手を上げる。
「日野さんと神崎さんはお知り合いみたいですけど、どういうご関係ですか?」
屈託のない女子高生特有のキラキラした目に見つめられる。逃げ場がない。
「関係?……えぇと、僕は神崎さんの……」
「家庭教師です」
悠一が言いよどむと、栞の声が被せられた。
「……家庭教師です」
「家庭教師!大学生が家庭教師なんて少女マンガ見たいじゃない?」
「そうかな?家庭教師のバイトをしている人は結構いるよ?」
「えー?」
「……皆さん」
栞の落ち着いた声が響いた。
すこし圧を感じる物言いに周りの生徒が静かになる。
「今日は、私達の進路を知る為に来たのですよ、真面目に見学しましょう」
「は、はい、神崎さん」
「すみません神崎さん、少しはしゃいでしまいました」
「ふふ、良いのですよ、私も楽しみにしていましたから」
柔らかにほほ笑むと、さっきの緊張感が嘘のように緩む。
栞の圧が効いたのか、はしゃぎすぎる生徒はいなくなり、オープンキャンパスの時間は真面目に過ぎていった。
予定通り三時間ほどで、オープンキャンパスの予定が終わった。
「日野さん、ありがとうございました~」
「神崎さん、また月曜日に」
「はい、皆さん気をつけて帰ってくださいね」
女子高生が帰路へ着くのを栞と悠一が見送る。
現地解散だったらしい。
「とりあえずオープンキャンパスは終わったな」
「すみません、騒がしくしてしまって」
「いやぁ、お行儀良くて流石、『聖羅女学園の生徒さん』って感じだよ」
「えぇ、みんな素直でいい子達なんです」
栞が彼女たちの背を見送る。
「さて、栞と約束してたカリキュラム以外の所を見せてあげよう。
……といっても俺が師事してる教授のゼミ室くらいしか行ける場所が無いんだけど」
「いいんですか!やった!」
喜ぶ栞と並んで歩きだす。
「栞はさ」
「何でしょう?」
「……みんなの前じゃ、俺の事は『彼氏』って言えなかったな」
そう問いかけると、栞の眉がさがり、うつむいてしまう。
「……それは、その……すみません」
「ん?何で謝るんだ?」
「悠一さんに、失礼な態度を……」
「責めてるんじゃないよ」
「え?」
栞が驚いた様子で顔を上げる。
「何と言えば良いかな……うちの教授の言い回しを借りるなら。
いまの栞の心の位置を確認してるんだ」
「……心の位置?」
抽象的な表現に、栞が首をかしげる。
「心理学的な話ですか?」
「似たようなもんかな」
「……それって」
「ついたぞ、ここが、ゼミ室だ」
扉を開けると見慣れた資料が乱雑に積まれた部屋がみえた。
「すごいですね」
「まぁ、色々とね、整理しても整理しても次々資料を引っ張り出すからなぁ教授は……」
「あの、さっきの心の位置って……」
「栞に何かしてほしい話ってじゃないよ、そう言う気はきちんと言うから。
今は今の栞のままで大丈夫だ」
「……はい」
「それより、疲れただろ?飲み物を買ってくる。何がいい?」
「では、お茶系が欲しいです、出来れば紅茶で」
「分かった、いい子で待ってろよ?その辺の資料見てていいから」
「はい」
栞がうなずくと、悠一が部屋を出ていく。
扉が閉まるまで背中を見送っていた。
「青春だねぇ」
「ひゃぁぁぁ!?」
声のした方を向けば、ロマンスグレーのおじ様がいた。
「あ、あなた。い、いつの間に!?」
「最初からいたよ?」
「……」
心臓が飛び出るかと思った。
「僕は藤野。教育学の教授をしている。日野君は僕のゼミ生なんだ」
「悠一さんのゼミの教授さん……」
さっきの言葉を思い出した。
「あの、心の位置って何ですか?」
「日野君がそんな事を言ったのかい?それはそれは……」
「それで心の位置って……」
「言葉通りだね、君の心がどこに位置するかだよ」
それ以上を藤野教授が言うことはなかった。
しばらくして、教授がぽつりと口を開いた。
「日野君は優秀だよ」
「……そうなんですか?」
「ああ。きっと彼の目指している、良い先生になる」
「良い先生……ですか」
「ああ」
教授は椅子に背を預ける。
「だから、安心して彼に色々と相談しなさい」
「……?」
「君のためでもあるし、日野君のためにもなる」
「悠一さんのため……?」
「ああ」
教授が栞を見る。
「彼が教師になるために必要なのは、知識だけじゃない」
「……」
「彼が目指す、救う教師になるためにもね」
「……救う教師?」
その言葉に、栞の胸がわずかにざわついた。
水族館で見た、あの横顔。
クラゲを眺めながら、どこか遠くを見るようなさみしそうな目。
「あの……それって――」
「おっと」
教授が苦笑する。
「しゃべりすぎたかな」




