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私の邪魔はさせない  作者: 逆立ちハムスター


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3/3

クソ旦那の自慢話と、完璧なXデーの到来

「おい、エルサ。お前は本当に、私の顔に泥を塗ることしかできないのか?」


週が明けた月曜日の朝。

まばゆい朝日が差し込む食堂で、ギルバートは仕立てのいい上着の袖口を気にしながら、私に向けていつもの「朝のモラハラ定食(特盛り)」をドカンとサーブしてきた。

今日の彼の不満の種は、私が朝の挨拶をした際、声のトーンがいつもよりコンマ数デシベル高かったことらしい。「アシェル伯爵家の妻たるもの、もっと落ち着きと気品を持て」だそうだ。めんどくさ。


「申し訳ありません、旦那様……。昨夜、あまり眠れなくて……」


私はすかさず、フォークを持つ手をわずかに震わせ、怯えた小動物のように視線を泳がせた。

はい、ここ、テストに出る重要なポイントね。視線は絶対にギルバートのネクタイの結び目あたりに固定。目を合わせると「生意気に見つめ返すな」と怒られ、俯きすぎると「暗い顔をするな」と怒られる。この「怯えつつも彼の存在を意識している絶妙な角度」こそが、数日間の社畜リサーチによって導き出されたベストポジションなのだ。


(心の声:あーはいはい、おっしゃる通りでございますねー。っていうか、私が眠れなかったのはお前の説教のせいじゃなくて、夜中に逃走ルートの地図を日本語で書き写してたからだよ。あとお前、その自慢の赤髪、ちょっと右側のセットが崩れて寝癖っぽくなってるぞ)


私が心の中で盛大に中指を立てているとは露知らず、ギルバートは私の従順(に見える)な態度にご満悦の様子で、ふんと鼻で笑った。


「まぁいい。お前のような出来の悪い田舎娘でも、アシェル伯爵夫人の肩書きがある以上、最低限の義務は果たしてもらわねばならんからな。――来週の土曜日、王宮で開催される『建国記念晩餐会』にお前を同伴する」


「……えっ? 王宮の、晩餐会ですか?」


これには演技ではなく、本気で目を見開いてしまった。

建国記念晩餐会。それは我がエルサ伯爵夫人の記憶にもある、国中の高位貴族が一堂に会する最高峰のパーティーだ。そして同時に、前世の私のオタク脳が、ものすごい勢いで警報を鳴らし始めた。


(待って。それって、ゲーム『プリルミ』の本編が始まる、まさに『運命のプロローグ』のイベントじゃない!?)


そうなのだ。ゲームの冒頭、まだ魔法学園に入学する前の平民ヒロイン・アリアが、手違い(という名の貴族の嫌がらせ)で給仕係として王宮に紛れ込み、そこで俺様王太子と最悪の出会いを果たす、あの伝説の晩餐会だ。

ギルバートは、私が王宮という大舞台にビビっているのだと勘違いしたらしい。ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて見下してくる。


「そうだ。お前のような垢抜けない女を連れて行くのは、正直に言って俺のプライドが許さん。周囲の美しい令嬢たちと比べられて、お前のせいで恥をかくのは目に見えているからな。だが、既婚の伯爵が妻を同伴しないのは、社交界での外聞が悪い。……いいか、エルサ。当日は俺の引き立て役として、一歩も俺の後ろから離れるな。他の男と目を合わせることも許さん。ただ大人しく、俺の所有物としてそこに佇んでいろ」


「……はい、旦那様。すべて、あなたの仰せの通りにいたしますわ」


私はしおらしく微笑み、深く頭を下げた。

もちろん、髪の毛で隠れた私の顔は、歓喜で盛大に歪んでいた。


(心の声:キターーーーーー!! Xデー確定!! クソ旦那、ナイス采配!!)


王宮の晩餐会。これ以上ない最高のシチュエーションだ。

何百人もの貴族や使用人がひしめき合い、厳重な警備の割には人の出入りが激しく、誰もが華やかな雰囲気に浮き足立っている。おまけに、あの夜の王宮では、ゲームのシナリオ通りなら「ある重大なトラブル」が発生し、大混乱に陥るはずなのだ。

やるなら、あの場所、あの瞬間しかない。


ギルバートが「フン、相変わらず手応えのない女だ」と吐き捨てて登城していくのを見送りながら、私は心の中で勝利を確信していた。


────


昼下がり。ギルバートが完全に留守になり、屋敷の空気ものんびりとしたものになった頃、アシェル伯爵邸に一台の地味な馬車が到着した。

やってきたのは、東方の最高級シルクや、貴婦人向けの希少な香水を取り扱うという、新進気鋭の行商の男。


「奥様、ノア商会の者が、奥様がお取り寄せになった絹織物の見本をお持ちいたしました」


買収済みのメイドが、あらかじめ打ち合わせ通りに私に報告してくる。ギルバートは私に「外出」を禁じていたが、屋敷に商人(それも身元がしっかりしていると偽装された大手の商会)を呼びつけることまでは制限していなかった。男の独占欲というのは、往々にしてこういう細かい実務の「抜け穴」に気づかない。


「ええ、お通しして。自室でゆっくり拝見するわ」


私は落ち着いた足取りで、自分の居室へと戻った。

部屋に入ってきたのは、仕立ての良い、しかし目立たないブラウンのコートを着込んだ長身の男だった。深く被った帽子の隙間から、艶やかな黒髪と、鋭いエメラルドグリーンの瞳が覗く。

裏社会の若き怪物、ヴァルター・ノアその人だ。


メイドが部屋の扉を閉め、完全に2人きりになったその瞬間――。


バサァッ!! と、激しい衣擦れの音が室内に響いた。


「――っ、天使よ……!!」


あの、冷酷無比で鳴らした王都の裏の支配者が、もの凄い勢いで私の前に進み出ると、まるで神聖な教会の祭壇の前に跪くかのように、滑らかな動作で片膝をついたのだ。その姿勢は完璧で、微塵の迷いもない。

ヴァルターは帽子を胸に当て、私を信仰の対象そのものを見るような、熱烈で、どこか恐れ多いといった瞳で見上げてきた。


「ヴァルター様、お立ちに……」

「いいえ! このままでお許しください、天使よ! 貴女の前で頭を高く上げるなど、女神アスクロノリュフィアの信徒として到底許されることではありません!」


ヴァルターの声は、わずかに震えていた。そのエメラルドグリーンの瞳には、圧倒的な歓喜と、ゾッとするほどの「畏怖」がギラギラと輝いている。


「3日前の夜……すべては貴女の『神託』の通りになりました。我が商会の密輸船『リヴァイアサン号』は、ルートを変更したことで王室水軍の奇襲を完全に回避。そして……副会頭のマルコの部屋からは、貴女が仰った通り、王宮からの前金である『刻印入りの金貨』が、一財産築けるほどの量、見つかりました……!」


「……そうですか。それは良かったわね」


私は優雅にソファに腰掛け、あらかじめ用意しておいた冷めたお茶を一口すすった。ゲームの知識通りだから当然なんだけど、いざ目の前で大の大人が盲信モードに入ると、ちょっとだけ引く。


「マルコはどうしたの?」

「はっ。我が商会の地下にある『特製懺悔室(物理)』にて……まあ、すべてお見通しの通りです」


(普通に拷問室でしょ。まあ、殺してないだけ彼の信仰心が働いたってことなのかな……。マルコ、どんまい)


ヴァルターはゴクリと唾を呑み込み、さらに頭を深く下げた。


「貴女の予言がなければ、俺は今頃、身内に後ろから刺され、商会を失い、半年後には冷たい監獄のベッドの上でした……。俺の命を、そしてノア商会を救ってくださったのは、紛れもなく貴女です、エルサ様。……いえ、偉大なる天使様」


「フフ、私はただ、あるべき未来の形を示しただけよ。……それで、ヴァルター様。私がお願いしていた『お取引』の件は、どうなっているかしら?」


私が本題を切り出すと、ヴァルターは弾かれたように顔を上げ、懐から一通の厳重に封印された書状と、小さな革袋を取り出した。


「すべて、完璧にご用意いたしました」


ヴァルターはそれを、両手で捧げるようにして私に差し出してきた。


「まずは、貴女の新しい『命(身分)』です。国境の交易都市リベルタにて、半年前に亡くなった富裕な貿易商の未亡人、『ステラ・マリス』。戸籍、市民権の登録、過去の納税記録に至るまで、我が商会の最高技術の偽造職人が、国家の魔導鑑識ですら見破れないレベルで完璧に仕立て上げました。これを使えば、貴女は一人の自由な平民として、誰に怯えることもなく大金を動かせます」


「素晴らしいわ。ステラ、ね。響きも悪くないわ」


「そして、こちらがそのステラ名義で開設した、リベルタ中央銀行の秘密口座の鍵、および現金の入った袋です。アシェル伯爵家から移された資金に、我が商会からの『命の恩人への感謝のしるし』として、同額の軍資金を上乗せさせていただきました。これだけあれば、リベルタの一等地に邸宅を構え、一生遊んで暮らせます」


(心の声:よっしゃあああああ!! 倍プッシュ! 資金が2倍になった!! 職なし未亡人ライフ、一気にセレブコース突入じゃん!!)


私は内心で踊り狂っていたが、表面上は「ふむ、大義であった」的な、どこまでも涼やかな聖女(偽)の微笑みを維持した。


「ありがとう、ヴァルター。あなたの迅速な仕事に感謝するわ。これで、最大の懸念だった『足』と『身分』は揃ったわね」


────


「ですが、天使よ」


ヴァルターが、少しだけ心配そうな表情で私を見つめた。


「身分とリベルタへ向かう隠密馬車、および高速船の準備は整いましたが……。問題は、このアシェル伯爵邸から、どのようにしてギルバート伯爵の目を盗んで脱出するか、です。あの男の貴女に対する執着と束縛は、王都の裏社会でも有名です。屋敷の周囲には、彼の息の掛かった私兵が常に目を光らせているはず……」


「それについては、心配いらないわ。最高のXデーが向こうから飛び込んできたの」


私は不敵な笑みを浮かべ、ヴァルターに向かって人差し指を立てた。


「来週の土曜日、王宮で開催される『建国記念晩餐会』。私はギルバートに同伴して、あの場所へ行くわ。そして、あの夜、王宮が最大の混乱に陥るその瞬間に、私は姿を消します」


「王宮の、晩餐会……!? あそこは近衛騎士団や結界魔術師たちが固める、国内で最も強固な要塞ですよ? 混乱など、そう簡単に……」


「起きるのよ、ヴァルター。それも、国家を揺るがすレベルの、ね」


私は、ゲーム『プリルミ』のプロローグの記憶を頭の中で再生した。


「来週の土曜日の夜、午後九時ちょうど。王宮の第一庭園に設置されている、王都全体の魔力供給を司る大元――『光の結界石』が、一時的に臨界点を超えて過負荷オーバーロードを起こします。原因は、ある平民の少女が持つ、規格外の『聖力』の無自覚な暴走。これによって、王宮全体が約十分間、完全な大停電と、魔導通信の不通、そして大混乱に陥るわ」


「な――っ!? 結界石の、暴走……!? そんなことが……」


「信じられないかもしれないけれど、これは絶対に起きる『決定された未来』よ。近衛騎士たちも結界魔術師も、その対応に追われて貴女の警備どころではなくなる。ギルバートも、王太子の側近としての職務上、その場を離れて対処に向かわざるを得なくなるわ。……ヴァルター、あなたの任務は、午後九時五分、王宮の北側にある『使用人口専用の通用口』の裏の路地に、極秘の馬車を待機させておくこと。それだけよ」


ヴァルターは息を呑み、私の言葉を頭の中で必死に反芻しているようだった。

国家の最高機密とも言える王宮の魔導システムの欠陥、そして未来の災害を、まるで明日の天気予報でも言うかのように平然と語る私。彼の目には、今の私が完全に「運命を司る、人智を超えた存在」に見えているに違いない。


「……畏まりました。午後九時五分、王宮北口ですね。我が商会の最高俊足の魔馬と、気配遮断の魔法を施した馬車を、俺自身が御して待機いたします」


「ええ、頼りにしているわ。……ああ、そうだ。せっかくの機会だし、命を救ってもらったお礼に、ノア商会がさらに大儲けできる『神託』をもう一つ、おまけであげるわ」


「えっ……? 神託を、さらに、ですか?」


ヴァルターが目を丸くする。私はフフンと鼻で笑い、デスクの上に置いてあった世界地図の、ある一点を指差した。


「先ほど言った『結界石の暴走』が起きるとね、その強力な魔力波の余波で、王都周辺に設置されている既存の『魔導具のコア(結晶)』が、一斉に一時的な機能不全を起こして焼き切れるの。晩餐会の翌日、王都中の貴族や役所、病院、魔導工房が一斉に代替のコアを求めてパニックになるわ。……意味が分かるかしら、ヴァルター?」


その瞬間、ヴァルターの「商人の脳」が、凄まじい速度で火花を散らしたのが分かった。彼の冷徹なエメラルドグリーンの瞳が、歓喜でギラリと輝く。


「……っ! 今のうちに、市場に流通している、あるいは地方の倉庫に眠っている『魔導結晶の在庫』を、ノア商会の名義で手当たり次第に買い占めておけば……!」


「ええ。翌日には、価格は最低でも五倍、下手をすれば十倍に跳ね上がるわ。それを国や大貴族相手に高値で売りつければ、ノア商会は一晩で、国家予算の一割に匹敵するほどの巨万の富を得ることになるでしょうね。――どうかしら、このビジネス?」


「天使……!! 貴女は、貴女は本当に……!!」


ヴァルターはもはや、感動のあまり涙ぐんでいた。

裏社会のボスをここまで泣かせるアラサーOLのメタ知識、恐るべしである。ゲームの設定資料集で「プロローグの魔力暴走により、翌日は王都中の魔導具が品薄になり、一時的に経済が混乱した」という一文を読み込んでいた私にとって、これはただの既成事実の活用に過ぎないのだが。


「これで、マルコの裏切りによる損失を埋めるどころか、我が商会は王国の歴史上、最も裕福な商会へと躍進できます……! このヴァルター・ノア、この命が果てるまで、貴女の忠実な下僕として尽くすことを誓います!」


「ふふ、期待しているわよ。じゃあ、今日の商談はここまで。ギルバートに見つかると面倒だから、そろそろ『高級な絹織物』を持って、お帰りあそばせ」


「はっ! 速やかに!」


ヴァルターはもう一度、深く敬意を込めて一礼すると、本来の「有能な行商人」の仮面を完璧に被り直し、恭しい態度で部屋を出て行った。


────


ヴァルターが去った後、私はベッドの上に大の字になってひっくり返った。


「よっしゃあああああ!! 計画、完全勝利へのロードマップ完成!!」


思わず声に出してガッツポーズ。

身分証よし。資金は予定の2倍よし。逃走用の足(裏社会のボス自らが御するスーパー馬車)よし。決行のタイミング(王宮大停電)よし。

前世の社畜時代、何度も徹夜で作り込んできた「絶対に失敗できない新規プロジェクトのプレゼン資料」並みに、今回の夜逃げ計画は完璧な歯車として噛み合っている。


残された時間は、あと数日。

私は、ギルバートに怪しまれないよう、徹底的に「いつも通り」を装った。


彼が夜、書斎から戻ってきて「おい、エルサ。俺の着替えの準備が遅いぞ」「お前は本当に、俺がいないと何もできない人形だな」とネチネチとモラハラをのたまう度に、私は心の中でカウントダウンを楽しんでいた。


(心の声:はいはい、今日も素晴らしいクソっぷりですね! 『俺がいないと何もできない人形』? 冗談おっしゃい。私は来週の今頃には、お前の手の届かない交易都市で、若くてピチピチしたイケメン平民たちをはべらせて、最高級のワインを飲んでる予定ですから! お前はせいぜい、妻に逃げられたマヌケな伯爵として、社交界の笑いものになってなさい!)


笑顔で「申し訳ありません、旦那様」と言いながら、私は着々とドレスの裏側のリフォームを進めていた。

晩餐会で着る予定の、ギルバートが「俺の好みの地味な色にしろ」と指定してきた濃紺のドレス。その幾重にも重なるスカートの内側に、いざという時に全力疾走できるように、動きやすい短パン型のペチコートを極秘裏に縫い付ける。

さらに、コルセットの隙間には、ヴァルターから受け取った新しい身分証(ステラ・マリスの書状)と、銀行口座の鍵、そして護身用の小さなナイフを仕込んだ。


準備はすべて整った。

気弱で泣いてばかりいたエルサの身体には、今や、いかなる逆境をも跳ね返す最強の社畜メンタルと、未来を見通すオタクの知識が宿っている。


「待ってなさいよ、王宮晩餐会。私の第二の人生の、本当のオープニングを見せてあげるわ!」


迫り来るXデーに向けて、私は暗闇の中で、不敵な、どこまでも邪悪で愉快な高笑いを(心の中で)爆発させるのだった。

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