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フェアリー・ダブル  作者: 芝森 蛍
雪の葉踏み散らす白銀の十三夜
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第三章

「大木切りですか……」


 昨日カガチから聞いた話。そして夜に寮まで訪ねて来て直接アランが告げた噂を、ヴァネッサ博士の下へと伝えに来た。

 一応昨日のうちにカリカンジャロスの件については書類で伝えておいたのだが、アランの話を聞いた後ではどうにも気に留めておくだけと言うのは出来なかったのだ。

 そこで陛下に直接具申したところ、妖精変調(フィーリエーション)に関する諸問題の総括は研究所に委ねていると伺い、こうして彼女の下へとやって来たのだ。

 軍内部ではヴァネッサ女史の事を特に博士と呼ぶ者が多い。それは彼女が妖精と言う存在を解き明かす身にしては珍しいハーフィーと言う生まれであり、それを見込まれて英雄的妖精であるカドゥケウスの世話係を任されているという特別性故だ。

 実際に彼女が何か大きな功績を打ち立てたというわけではないのだが。周りと違う特別には勝手でも期待をしてしまうというもので。

 そうした特別がなんとなく形となったのが、博士と言う呼称だ。

 本人は謙遜するが、妖精に関する細かい知識では恐らくわたしよりも上。たとえ年下だとしても、尊敬するに値する人物だ。


「確かに、『風変り』を考えれば十分に可能性はありますね。それに情報提供者はあなたのはんぶんだったわね」

「えぇ。今は別行動です。何かあれば知らせてくれることにはなってます」

「ふむ…………」


 考え込むように目を閉じた博士。次いで彼女は椅子から立ち上がり、羽織っていた白衣を椅子の背に掛けた。


「フォルナシスさん、時間はありますか?」

「エルヴェで構いませんよ。お付き合いします」

「わたしもヴァネッサで構いません」

「分かりました」


 彼女とはスアロキン峡谷の時以来二度目だが、なんとなくやりやすい空気を感じる。

 恐らく、軍人にしては文官気質なわたしと根が似ているのかもしれない。少なくともアランよりは気が合いそうだ。




 白衣に代わり私服に身を包んだヴァネッサとやって来たのは、カリーナ城近くに運営されている国立図書館だった。

 知の蔵。有史以来語り継がれ、遺されてきた様々な文献などが所蔵されているここは、世界屈指の情報の虚だ。

 流石にこの世全ての知識が存在する、とまでは言わないが。それでも大方は写本なりで保管され、求めに応じて答えてくれる

 簡単な調べ物や、一昔前に流行った物語などに関しては無料で閲覧でき、利用者もそれなりに多い。特に今は、妖精変調の影響で妖精に関する書籍の需要がとても多いようだ。

 そんな、カリーナ屈指の名所の中を静かに進んで。館内の中では奥まった部分にいる初老の男性に声を掛ける。


「陸軍のエルヴェ・フォルナシスです。三級以下の禁帯出文書の閲覧許可を願います」

「少々お待ちを」


 陸軍式の礼と共に襟に付けた階級章を見せれば、一目確認したその男性は台の奥で何かを操作する。

 従軍者には幾つかの特権が与えられている。これはその一つであり、複写はもちろん、持ち出しも禁止な文献を閲覧する権利が存在するのだ。

 階級が上がればそれに応じて許可される量も増える。わたしの陸軍としての階級である大佐では三級の秘蔵図書までが閲覧可能だ。

 因みに、アランは海軍中佐。階級だけで言えばわたしの方が上だ。

 二級以上は将官に。一級以上ともなれば元帥のみに閲覧が許される特秘文書となる。

 とはいえ、基本的に軍人は知よりも武を問われる仕事だ。そのため、この権限に関しては滅多に使われることがない。アラン辺りはそんなのがあることも忘れていそうだ。


「どうぞこちらへ」


 ああいうのこそもっと本を読んで勉強すれば、少しは落ち着きも養われるのではないかと思いつつ。禁帯出文書の手続きが終わったらしい男性について奥へと進む。

 しばらく行くと、重々しい金属製の扉が一枚。その鍵穴に手に持つ鍵束の中から武骨な一本を取り出して差し込み回すと、扉全体に幾重にも重なった複雑な方陣が浮かび上がった。

 恐らく、高度な封印や結界術式を組み合わせた妖精術による防壁だ。

 なにせここには様々な、表に出ない知識が所蔵されている。流出を防ぐ措置は過剰な程がちょうどいいのだろう。


「どうぞ」


 重い金属音と共に鍵が解かれると、微かに蝶番を軋ませて部屋の口が開く。

 男性に促されて中に入れば、そこには古めかしかったり分厚かったりと、様々な文献が数多所蔵されていた。

 ……だがここは五級。鍵が必要な中で最も価値の低い本の部屋だ。わたし達が用があるのは、さらに二つ先。

 そんなことを考えている間に次の扉へ。またしても複雑な妖精術による隔壁を抜け、四級へ。更に止まらずその流れのまま三級の扉が開かれる。

 ここまでくると蔵書の数も随分と減ってくる。それでも千近くはありそうな辺り、ここから先の未知は魔窟と呼ぶにふさわしいかもしれない。


「外におります。用が済みましたらお声がけください」

「ありがとうございます」


 案内はここまで。静かに礼をした男性が、わたし達二人を残して部屋を出て行く。

 扉が閉まると、緊張と感嘆が入り混じったような声をヴァネッサが漏らした。


「……ここってこんな風になってたんですね」

「流石に来たことはございませんでしたか?」

「ただの研究者にそんな権限はありませんので」


 知と経験によって世界を解明せんとする研究者達くらいには、せめて四級までの閲覧権限があってもいいとは思うのだが……。

 まぁいい。彼女にとっても貴重な経験ならば、ここで知ったことをこれからの世界に生かしてもらえばいいだろう。彼女の働きを考えれば十分に見合った報酬に違いない。


「では、早速ですが調べましょうか。お手伝いいたしますので遠慮なく仰ってください」

「ありがとうございます。……そうですね、では妖精の本質……妖性が分かる文献や、古い地図などがあれば持って来て貰えますか?」

「分かりました」


 既に切り替わったらしい理知的で聡明な彼女の顔に、どこか心地よささえ覚えながら足を出す。

 さて、権限があるとはいえわたしも滅多に来ることがない場所だ。博士の手伝いをしつつ未だ知らない真実を自分なりに解き明かすとしよう。




 昼頃になると流石に集中力が切れてきた。特にハーフィーであるヴァネッサはその起伏が顕著で、傍から見ていて分かるくらいに調査能力に精彩を欠いていた。

 流石にこれ以上続けては文献にも失礼だ。もちろん、無い事だとは思うが、不注意から損失が出ると大問題になる。

 そうなる前にと様子を見計らって退出の提案をすれば、少し疲れた微笑みで彼女は頷いた。

 部屋を出て、言いつけ通りに番をしている男性に礼を告げ、図書館を後にする。

 ずっと篭っていた所為か、外に出た時に肌寒さを感じた。

 と、昼を知らせる鐘の音が城下町に響き渡る。どうやら時間の感覚に狂いはなかったらしい。


「お昼ですね。エルヴェさんはどうされますか?」

「今日はこの後待機なので、食事をしたら戻ります。博士は研究室ですか?」

「えぇ。ですがその前に、よろしければ食事をどうですか? 折角外に出て来ましたし、いきなりの願いを聞いていただいたお礼もしたいので」

「……そうですね。ではお言葉に甘えます」


 過度に遠慮してもいいことはない。それだけの得を彼女が得たのだと納得して、好意は素直に受け取るとしよう。


「お店はどうしましょうか?」

「エルヴェさんのお好きなところへどうぞ。お礼ですので」

「分かりました」


 相手は既婚者とはいえ女性だ。男が詰める『大地の首輪』のような食堂では味気ない。

 が、これでも店には幾らか心当たりがある。城下町を警邏している最中に見つけたり、部隊内の仲間から聞いた幾つかのお店。小綺麗で、それなりにお手頃で、美味しい。そういう食事処は、この城下町にも……大統領陛下のお膝下だからこそ幾らか存在するのだ。

 そんな中の一つに足を向けつつ、ヴァネッサに問う。


「いかがでしたか? 普段は見られない文献なども沢山あったと思いますが」

「そうですね。流石に全て先回りと言うわけにはいきませんが、現状でも幾らかは推察が出来ると思います」

「お訊きしても?」


 本来であれば、こういう会話は腰を落ち着けてするものなのだろうが。わたしも彼女も結論は急ぎたい性格の持ち主だ。道中の暇潰しにもなるし、言葉にさえ気を付ければ街中でも問題はない。


「まず、大木切りへの対処方法に関しては、これまで知られている通りで間違いないと思います」


 大木斬り……カリカンジャロスは、数字が上手く数えられないというのが物語の中に描かれる姿だ。

 それを逆手に取ることで、木を切り倒すという目的を不発に終わらせるというのが対処法なのだ。大木斬りが活発に活動するとされる時間には限りがある。その間騙し続けることが出来れば、彼らは目的が達せずとも勝手にいなくなってしまうのだ。


「ですが、現れたとしてどこに目的の木があるかと言うところまでの特定は難しいですね」

「出現位置の予測は出来ないと」

「ただ、現れてすぐにどうにかなる問題でもないので、発見さえ遅れなければ十分に対処は間に合うと思います」

「問題は、目的の木の場所ですか……」


 大地を支える木。物語の中で描かれるその存在は、空想故に果てしない。

 しかし、このフェルクレールトにそんな木は存在しない。少なくとも、人の世界はそれを見つけられていない。

 それに、もしそんなものがあるとすればこれまでにも話題になっているはずだ。

 つまり、最初からそんなものは存在しないことになる。

 だが木が存在しなければ、それを切り倒すことを目的とした大木切りと言う存在は成り立たない。それはおかしいのだ。

 なにせカガチはその存在を仄めかした。空想上の妖精が実在するというのであれば、その存在意義たる木も何処かに無くてはならないのだ。

 そうでなくては妖精は存在できない。妖精とは、人が社会で役割を持つように、魂に何かしらの存在理由を持っているのだ。どちらか一方だけでは成り立ちはしない存在だ。

 ということは、まだ人が見つけていないその木が何処かに存在するという事になる。

 けれどもこれまで見つかっていなかった物を調査して簡単に見つけることはまず出来ない。そもそもそこに割くだけの余力は今の陸軍には存在しない。世界は今妖精変調への調査に向けて大規模な準備中なのだ。

 何より──


「そもそも『風変り』ですからね。必ずしも空想通りとは限りません」

「えぇ。存在意義に逸脱しない範囲内で別の目的を振り翳すことも十分にあり得ます。そうなれば、大木切りへの対処がそのまま効果を発揮するかどうかも怪しくなります」

「そこに関しては陸軍として対処するほかありませんね」


 荒事になれば手を(こまね)いている時間さえ惜しくなる。その場合は、最悪の選択肢も含めてわたし達の仕事だ。

 できれば下したくない決断だが、世界の平穏と天秤に掛ければ致し方ない事もある。


「そうならないように善処します」

「期待しています。何かあれば言ってください。今日のような事であればお力になりますので」

「ありがとうございます」


 まだ明確に答えが見つかったわけではないが、前はしっかりと向けている。

 彼女ならきっと望む未来を手繰り寄せてくれることだろう。




              *   *   *




「お、戻って来たな」


 坂を上ってきた相棒の姿に少しだけ安堵をしながら待ち受ける。

 隣に立つ双子の少女はこんな時でも変わらずいつも通りなのがありがたかった。

 彼女達が動転していたらおれもこんなに直ぐには落ち着けなかっただろうから。


「カガチ。ピスにケスまで。どうしたんですか?」

「エルヴェを待ってたんだよ。急ぎで伝えることがあったからな」

「急ぎですか? 一体何が……」

「大木切りの件だ」

「何か進展がありましたか?」


 前置きの一切ない、至って真剣な自分の声にエルヴェが首を傾げる。そんな姿さえもどかしく思いながら、逸る気持ちを抑えてどうにか冷静に伝えるべきことを伝える。

 すると言葉の先を継いで答えたのはピスとケスの二人だった。


「カドゥ」

「『大樹』」

「え……?」


 人の世では通じづらい、要領の得ない単語だけの会話未満に目の前の二人が疑問符を浮かべる。

 と、次いでエルヴェの隣にいたハーフィーの女性が悪寒に戦慄(わなな)くようにぶるりと身を震わせた。


「っ、まさか……!」

「博士?」

「二人共、それいつっ!?」

「さっき」

「直接」

「失念してたっ……!」


 悔しさを噛み締めるように唇を噛んだヴァネッサ・アルカルロプス。彼女が気付いた事の重大さが行動に現れる。


「エルヴェさん、今からすぐに特機動戦装備で人を集めてください! カリカンジャロスの対処に当たりますっ!」


 特機動戦装備。それは、カリーナの軍が持つ中で最も機動力、展開力に優れた特殊装備の事だ。

 妖精のしっぽを追い求める者がその装備の事を知っている。その事実よりも、彼女の逼迫(ひっぱく)した声音にこそ軍人の性が反応したらしい。

 直ぐにエルヴェの表情が仕事のそれに代わった。静かに燃える温度が契約を介して胸の奥を急き立てる。


「規模は幾らですか?」

「集められるだけお願いします。城内第三演習場付近で合流しましょう。ピス、ケスあなた達も一緒に来て頂戴っ」

「エルヴェ、行くぞっ」

「えぇ!」


 挨拶さえ置き去りにそれぞれが目的地へ走り出す。

 エルヴェに追い付いてその肩に腰を下ろせば、訓練された冷徹な焦燥感が情報を求めた。


「何があったんですか?」

「あの双子に『大樹』から直接声が届いた。大木切りがあの老骨目掛けて接近してるらしい」

「カドゥケウス……。では、彼が大木というですか」

「そういうこった。事態は一刻を争う。許可は向こうに任せて直ぐに準備するぞ」

「分かっています!」


 日ごろの訓練の賜物か、いきなりの事にも即応できる胆力は信頼に足る証。

 それ故に、いつも冷静なエルヴェが走っているという事実に、向かいから歩いてくる隊員の顔に(にわか)に緊張の温度が揺らめいたのが分かった。


「隊長? どうかしたんですか?」

「城内に待機中の全陸軍に即時通達を。特機装(とっきそう)一種で第三に緊急招集。準備が整い次第出立します」

「は、拝命しましたっ!」


 鋭い声に背筋を正した部下が全力で駆けていく。

 特機装一種。特機動戦装備の中でも特に妖精に対する任務に用いられる装備一式の事で、基本運用理念は先駆け部隊による戦場の制圧が主となる。

 本来であればその後本体が到着し、持ち場を引き継いで行く先行隊用の装備ではあるのだが、その運用目的上こうした危急の案件に対応する事にも適している。

 最も活躍したのは先の大戦中で、目立った戦のない今では埃を被りがちな装備だ。が、こういう時の為に維持管理は常に徹底している。


「カガチ、陽炎(カゲロウ)の準備を」

「もうしてるっ」


 エルヴェの思考を先回りして既に準備は始めている。もう半分は灯した。

 続けて術式を自分の中で回し続ければ、エルヴェの足が目的地である監視塔の上に辿り着く。


「行くぞっ!」


 久しぶりの大規模術式。だが、しっかり準備する時間があったお陰で難なく発動する。

 陽炎。その名の通り、炎の幻影を作り出す(フラム)の妖精術だ。用途は様々あるが、今回は広範囲に渡る伝達目的。

 作り出したのは揺らめく巨大な炎の人型。監視塔の高さを上乗せしたお陰で、城内どころか城下町からもその姿は確認できるだろう。

 その炎の巨人から、増幅された声が伝播する。


『陸軍所属の全騎士に告ぐ。ここに陸軍条項第六条、第三項に基づく特別緊急措置を発令する。全騎士は速やかに特機動戦装備一種を着装の上、城内第三演習場への参集を命じる。陸軍所属の全騎士へ繰り返す。陸軍条項第六条、第三項に基づく特別緊急措置を発令する────』


 一瞬冷え込んだ気がする空気が、次いで胎動するような熱となって辺りから立ち昇ったのを肌で感じた。

 延焼していくように広がっていくざわめきを見回せば、広域伝達を終えたエルヴェが告げる。


「わたし達も行きましょう」

「あぁ。おれ達が遅れると示しがつかないからな」


 ここからが勝負。常日頃の面倒な訓練の成果を見せる時だ。




 直ぐに集まった騎士たちの姿を見回してエルヴェが情報伝達を行う。

 その裏で、気になった双子の様子を伺いに彼の傍を離れた。

 列の一番端にはみ出すようにして並び立つ鏡合わせ。今回の緊急事態においてはあまり出番のないだろう二人は、軽装ながらもしっかりとした軍服に身を包んでいた。

 それはエルヴェもよく着ている、執務や要人の応対、公式な式典への参列の際などに用いられる装束。黒を基調とした長袖長裾に、青と銀で国章を刺繍した、カリーナで一般的に軍式礼装と呼ばれる服だ。

 正式な軍属ではない双子には、軍人としての正装などは支給されていない。その為今二人が身に纏っているそれは、予備から引っ張り出してきた男物の礼装だ。陽の匂いが殆どしないのがその証拠だ。

 軍人には少ないが女性もいる。その為女性用の服装もあるにはあるが、人数が少ない故に予備がなかったのだろう。

 結果、二人は男装する事となったようだ。


「お、似合ってるな」

「借り物」

「初めて」

「二人は着る機会なんてないだろうしな。……エルヴェがあれだから俺から言っとくぞ。二人は門客扱いであって正式な軍属じゃない。だから今回は荒事は無しだ。それでも同行する理由は理解してるな?」


 指揮官の責務を全うするエルヴェに代わって尋ねれば、双子は静かに頷く。


「陛下の代行」

「カドゥの味方」

「その通りだ」


 実を言うと、今回のこれが緊急事態だったが故に、陸軍への正式な通達がまだ上から降りていないのだ。だが、時は待ってはくれず、認可を待っていたら対処が間に合わなくなってしまう。

 そこで、二人には陛下の孫という肩書きを利用して、公的証人として同行してもらう事になったのだ。

 つまり、今ここにいるピスとケスはグンター・コルヴァズ大統領陛下の名代と言う事になる。その証拠に、ピスは腰に剣を差し、ケスは指輪を嵌めている。

 それぞれが彼女達の立場と肩書きを保証する装飾品。そんな二人が同行することによって、少し強引ではあるが今回の軍事行動に正当性を持たせているのだ。

 人の世の面倒臭いところだが、それはあの髭がどうにかする仕事。おれ達は彼女達を旗印に、責務に邁進するだけだ。


「二人にはあのハーフィーと一緒にいてもらう。くれぐれも勝手な行動はしないでくれ」

「うん」

「分かった」


 二人は言葉を違えない。その言葉が聞けただけで十分だ。

 そんなやり取りを終えるのとほぼ同時、エルヴェの方の話が終わる。


「行ってくる。怪我しないようにな」

「カガチも」

「頑張って」

「おう」


 平坦な声の、温かい応援に心地よさを覚えながらエルヴェの下へと戻る。


「ではこれより行動を開始するっ! 捧げた剣に誓い、我が地、我が母の平穏を堅守せよ!」


 号令と共に全員が動き出す。

 大木切り……カリカンジャロスから英雄的妖精カドゥケウスを守護する作戦が開始された。




              *   *   *




 大木切り、カリカンジャロスと呼ばれる妖精は、物語の中の存在だと思われていた。

 何せ、かの魂が存在するに値する目的……切り倒す巨木がこのフェルクレールトの世界に存在していないからだ。

 だからあれは、冬を恐れた過去の人たちが勝手に作り出した幻想だと。物語で悪役を被るだけの作り物だと、考慮をしていなかったのに……。


「まさか本当にいたなんてね」

「珍しいのは確かだな。僕達の中でも半ば伝説みたいになってる存在だ。転生するまでに顔を見れたら逆に幸運って言われるくらいにな」

「だから人の世に伝承もあまり残っていないのね」


 前を飛ぶ相棒、ニッセの言葉に恨めしささえ覚えながら続ける。


「お陰で古書まで漁る羽目になったじゃない……」

「そんなの知らないっての。僕達は自由を愛しているんだ。不躾(ぶしつけ)に来歴を暴かれ、その存在を知識に閉じ込めておかれるのはごめんなんだ。だから僕達は自分も仲間も売ったりしない。秘密主義だなんて、知りたがりな人間が勝手に言ってるだけだ。君だってわかるだろう?」

「わたしは研究者よ。真実を探求することが楽しいの。楽しさの価値は比べる物ではないわ。そうでしょう?」

「この話は何時まで経っても平行線だな」

「そうね」


 そう諦められるから、互いに理由を押し付けて悪態を吐ける。

 契約なんて形は様々だ。根の分で気があっても、伸びる枝葉の方向までが一緒とは限らない。

 わたしとニッセは、そういう関係だ。


「……それで? 今回はどうしてまたついて来たの?」

「気分が向いただけだ。この季節だからな。普段じゃ考えられないくらいに興味が湧くんだよ」

「荒事になるかもしれないのに……」

「それは君も一緒だ。生憎と、契約相手を失って喜ぶ趣味は僕にもないんでね。次の自由を満喫するために、今の目的を達するだけだ」

「なら、その未来をお願いごとにしておこうかしら?」

「ははっ、それはいいな。よし来た! この僕が頑張ってる君にご褒美をあげようっ」


 この歳になれば縁のない事だと思っていたが、彼が傍に居るとそうでもないらしい。これはわたしだけの特権か。

 そんなことを考えながら、着地点に同じ目的を見つけて肩を並べて焦点を目の前に結ぶ。するとそこには見慣れた彼の居城が、外とは不釣り合いにいつも通りに広がっていた。


「ふむ、人の世の(わずら)わしさならもうしばらくかかると思っていたが」

「少し偶然が重なってね。お陰でこうしてわたしも直ぐに動けたの」

「カドゥ」

「平気?」

「あぁ。無理を聞いてくれたことに感謝する」


 歓迎の言葉に答えれば、わたしと挟むようにして歩調を同じくしていた双子の少女、ピスとケスが寝そべる巨体と言葉を交わす。

 英雄的妖精カドゥケウス。先の第二次妖精大戦を終幕へ導いた、カリーナの特別。妖精でありながらドラゴンの体を有する彼は、更に頭を二つ有する、異形の中の異形の存在だ。

 大戦が終わった後、妖精従き(フィニアン)を失った彼はカリーナ近郊の森の中、番人のように妖精にしては長い時を過ごしている。

 本来契約相手のいない妖精は20年から30年ほどでその身を維持する妖精力を使い果たし、転生してしまう。それを避け、魂に根差す本能を満たすために契約を交わした者達は、今わたしの隣にいるニッセのように人と同じだけの生を得る。

 カドゥケウスは既に40年以上を生きている。本当ならば既に妖散期(フィターム)を迎え、転生をしているはずの存在だ。

 そんな彼が未だその命を繋いでいるのは、この地に溢れる妖精力の影響だ。

 わたしもまだ解明できていないのだが、どうやらこの場所には他より多くの妖精力が漂っている。それはハーフィーであるわたしが人の世界で生き、ここにやってくる度に重苦しさを感じる程の密度だ。

 だが、そんな環境が妖精の身には心地よいのか。この地には沢山の妖精が集まり、留まる者はカドゥケウスのように妖散期を越える程の存在時間を有している。

 人の世からしてみれば不思議な場所であり、そして都合のいい事実だ。

 英雄的妖精と言う冠を頂くように、カドゥケウスは特別な存在だ。彼は妖精でありながら、人の世の(まつりごと)にさえ影響を及ぼす大事な柱。世界の均衡を維持する為には、既に必要不可欠な要素なのだ。

 そんな彼の身の回りの世話を任されているのがわたし。ハーフィーであるという理由だけで、妖精であるカドゥケウスと人の世界の橋になれると期待された、ただの知りたがりだ。

 わたし個人としてはそんな大役よりも、この地の解明や、妖精そのものの探求がしたいのだが……。どうにも今年の春以降から目に見えない何かがそれを阻んでいるようだ。

 その一つと言わんばかりに、今回もまた椅子から引き剥がされてここまでやってきた。


「まだ大丈夫なの?」

「あぁ。しばらくは時間がある。彼らが布陣を展開するだけの余裕はあるだろう」


 爬虫類を思わせる縦長の瞳孔を、重い瞬きと共に微かに細めたカドゥケウスが告げる。

 英雄的妖精として他の妖精とは一線を画す彼には、この地に居ながらにして外の様子を伺うことなど造作もない。

 その力の応用として、今回緊急を告げる伝令役に、彼が気に入っている双子を介して大木切りの接近を伝えてきたのだ。

 幾らこの双子が特別だからと言って、あんまり便利に使わないで貰いたい。彼女達はまだ学生だ。本来ここにいるべきではない。


「それじゃあ改めて()かせて頂戴。相手が大木切りなのは本当なの?」

「この身と同じく(グラド)に愛された魂だ。間違えようもない。彼らは──回帰種(フィーリス)だ」

「っ……」


 飾らない言葉に……そうでなければいいと思っていた想像が現実だったことに、思わず息を呑む。

 これまでその存在すら幻想とされていた妖精が姿を現し、想定外の景色を引き起こそうとしている。その段階で疑ってはいたが、これで逃げられなくなった。

 と、そこで彼の言葉の違和感に気付く。


「……彼、ら……? 大木切りは一人じゃないの?」

「全部で三つ。それぞれ少しずれた場所からやってきている」

「あぁ、心配しなくても、騎士たちの展開の仕方なら問題ない。十分に対処できる範囲内だ」


 捕捉の声は彼の後ろから。見れば、ドラゴンの尻尾……その先端に付いた小さな顔が、いつもの調子で軽い語調を響かせていた。

 カドゥケウスのもう一つの顔。普通のドラゴンにも、ましてや妖精にもありえない頭と尾、二つの顔。

 それぞれが別の事を考えながら、しかし思考を共有しているという、常識では計れない荒唐無稽だ。


「それよりも対処法は知ってるんだよな? まさか無策で突っ立たせてる訳じゃないんだろ?」

「数字で惑わすんでしょう?」

「うむ。であれば問題はなかろう。但し、聞く耳持てばの話であろうが」

「そこは彼らを信頼するしかないわ。あれでも人の世の平穏を守ってるんだもの。多少荒事になってもしっかり対処してくれるはずよ」

「であればいい」


 カドゥケウスは先の大戦を生きている。時代を経て少し変わったとはいえ、人の叡智や研鑽がどんな結果を齎すのかは知っているのだ。

 そうでなくても彼は世情に敏感で、どこからか人の世界の話を知り得ている。

 彼がそういうのであれば、まず問題ないはずだ。

 ある種のお墨付きを貰って詰めていた呼吸を少し吐き出す。それと同時、双頭の興味がわたしの直ぐ傍に移った。


「して、そっちのはまた珍しいな」

「聖農夫かっ。あんたの契約妖精か?」

「えぇ。知っての通りこの時期にしか活動しないの。そう言えばここに来るのは初めてかしら?」

「ニッセだ。よろしくな、大木殿」

「来歴の差など思慮して何になる。同朋に隔たりなどなかろう」

「そうだな」


 カドゥケウスの言葉にニッセが笑う。

 尾の頭の言った聖農夫とは、ニッセの魂の別名だ。基本的に妖性を直接口にされることを嫌う妖精の為作り出された、もう一つの名前。ガンコナーを恋語らい、トロールを丘の人々(ベルグフォルク)と呼ぶのと同じだ。


「他の子も……大丈夫そうね」

「彼女達には既に説明してある。身を潜めていれば問題はあるまい」

「一応聞くけど、木に由来を持つ子は?」

「いるぞ。ただ向こうの目的を考えたら標的はこの身だ」

「無茶」

「駄目」

「心配いらぬ。何か起きぬ限り犠牲など出さぬよ」


 ピスとケスの声に答えたカドゥケウス。

 主語の見えない会話だが、今のは何となくわかった。

 カリカンジャロスの目的が大木を切る事ならば、その最たる目標はカドゥケウスだ。であれば、彼が存在を誇示して、他の妖精が自然に紛れればそっちに被害が及ぶことはなくなる。

 だが当然、狙われるのを覚悟でいれば想定外の事態も起きかねない。

 だからこそ、二人が心配して釘を刺したのだ。必要以上に相手を刺激する必要はないと。

 わたしも当然同じ意見。彼がここにいることは既に大木切り達も把握している。今以上に彼らの注意を引く必要はない。


「だがよいのか? 根は退けぬぞ?」

「それも分かってるわ」


 根。それはカドゥケウスがこの地に張り巡らせている彼の干渉範囲だ。

 わたし達の足の下……地面の下には彼の感覚器官のようなものが通っている。これを介することでここに居ながらにして外の事を大まかに知り得ているのだ。

 そしてそれは、この地を守護する術でもある。

 カドゥケウスはその根を使って遠隔地に自らの影響を及ぼすことが出来る。例えば、迷い込んだ者を追い返すくらいの事はその身一つで出来てしまうだろう。

 だからこそ妖精達は妖精力の溢れるこの地を安全地帯として活用できているのだ。

 カドゥケウスの根とは、彼の眼にして耳。剣にして盾なのだ。

 強大な英雄的妖精に、この妖精力溜まりだからこそ出来る芸当。しかしそれ故に、結界のように作用するそれを簡単に解除することは難しい。

 この地はカドゥケウスの支配下。それが、この場所を半ば司る彼の力だ。

 だが、支配下故に、他の力は阻害されてしまう。

 簡単に言えば、自然の力を借りた妖精術の行使が困難になってしまうのだ。

 今この場所を守るために展開しているのは陸軍の人たち。彼らは各々の力量に軍隊という集団の力を掛け合わせることで、個人では成し得ない結果を紡ぎ出す存在。そしてその過程に要因の一つとして数えられるのが、自然の力なのだ。

 妖精術はそもそも妖精の力。そして妖精は自然を愛する者達だ。つまり、妖精術は行使する環境に結果を左右される。もしくは、周囲の環境を味方に付けて術の効果を増幅させることが出来る。これは学び舎で得る技術の一つだ。

 大抵の妖精従きは自然の力を利用して妖精術を行使することが出来る。

 だがそれには、幾つかの条件が存在するのだ。

 代表的なのは二つ。一つは属性(エレメント)がその地に即しているか。

 つまるところ、(ウィルム)の力は水の多いところで。(フェリヤ)の力は風の通り道などで、その恩恵を受けることが出来るという事だ。

 これに関しては、その気になれば人工的に環境を作り出すことで再現できるからいいとして。

 もう一つは他の妖精力の干渉が及んでいないことだ。

 妖精の力は別な波長の力と交わることによって減衰、無効化されてしまう。属性の相性も関係があるが、これには妖精力の総量や結びつきも考慮材料となる。

 主なのは結界術式だろうか。一定範囲内を閉鎖的な空間として区切ることで内と外を隔て、その境界線を跨いでの干渉を阻害する。もしくは、結界術式の効果範囲内での一方的な支配権を有する。

 効果が強力な分、事前準備や結界の維持に手間を取られるため、今では基本的に大規模な作戦でしか軍も使用しない手段だ。

 そしてその影響範囲……別な言い方をすれば、干渉範囲であるそれは、本来自然に暮らす妖精の力だ。住処、と言った方がしっくりくるだろうか。

 人で言うところの家のようなもの。

 他人の家ではその家の作法に(のっと)るのが関係を荒立てない一つの手段……処世術であるように。他者の懐では十全な力の発揮と言うのは困難を極めてしまう。

 それと同じことが妖精の関係するところでも再現されるため、より強固にその地に根付いている干渉範囲の中では、他の力が抑制されてしまうのだ。

 つまり、カドゥケウスが根を張り巡らせるこの周辺では、陸軍の彼らも、他の妖精も。いつも通りの力を発揮することは難しく。特に陸軍の彼らにとっては、大地という味方がいなくなることで、個々人の力のみで事態に直面せざるを得なくなってしまうのだ。

 もちろんカドゥケウスが根を退かせればその限りではないのだが。彼にも彼の居場所を守るという目的がある。自身の力で襲い来る障害に対処するためにも、譲り難い一線なのだ。


「けど環境を味方に付けられないのは向こうも一緒でしょう? だったら数で勝り対処法を知っている陸軍の方が有利じゃないかしら?」

「そこに逡巡が挟まらなければな」


 尾の言葉に反論を見失う。


「向こうは理性を殆ど捨てて目的のために邁進してるし、同じく地に属する魂として自然に紛れることは出来るだろう。けど人の剣共は幾ら相手が回帰種であっても、そう簡単に存在を消すほどに強硬な手段は取れない。違うか?」

「………………」

「大木切りがその身さえ(なげう)って突破を図った時、妖精殺し(フィリング)の汚名を背負ってまで対抗できる者が一体幾らいる?」


 妖精殺し。共に歩む妖精をその手で殺めた者を蔑称したものだ。

 騎士の面子に()けて、国の安寧と双璧を為すのが死無き結末。彼らは、特別な後ろ盾でもない限り、戦のないこの時代に妖精を手に掛けることは許されない。

 それは例え理性を失った魂であっても同じこと。国と個人の尊厳を守るため、彼らは妖精を過剰に傷つけてはならないのだ。

 もし仮にそんなことをすれば、その者は今後一生周囲から迫害されてしまうだろう。

 武の筆頭にして一端である者が、命を粗末に扱う。例えどんな状況であっても、周囲の視線は厳しい事になる。

 守るべき行いは、傷つける行いと必ずしも同義ではない。その矜持を忘れた者が、国の……世界の矛を名乗ることは出来ないのだ。


(もっと)も、回帰種そのものに対する明確な対抗手段があるのであれば話は別だがな」

「……分かってて言わないでくれるかしら?」


 残念ながら未だ妖精変調への完全な対策があるわけではない。用意を進めている露草姫の遺した回帰の揺籃歌(ベルスーズ)も効果を発揮するまではもう少しかかる。

 それまでは今回のように相手の妖性を見極め、個別に姑息な対処法を講じていくしかないのだ。


「憶測で物を語っても仕方がなかろう。全ては蓋が開いてからだ」

「ま、そうだな」


 二つの頭が他人事に自己完結して吐息を吐き出す。

 それとほぼ同時、存在すら希薄に耳を傾けていたピスとケスが揃って北へと視線を向けた。


「来たな」

「始まるぞ」


 数瞬の間。次いで、木立の合間を縫って肌を揺らす妖精力の感覚に緊張が張り詰める。

 陸軍とカリカンジャロスが衝突したらしい。しかもこの様子だと、妖精術を使って状況打開に試みている様子だ。

 初っ端から実力行使。それだけで、ここを目指している三つの魂が普通ではないと分かる。


「ピス、ケス。虚へ入れ」

「うん」

「分かった」


 いざとなれば英雄的妖精の力を行使する覚悟でカドゥケウスが二人を懐に招き入れる。

 正直、わたし一人では彼女達を守り切れる自信はない。一応妖精従きではあるが、戦闘はからっきしなのだ。

 せめて自分の身くらいは守らなければ……。


「ニッセ、封の準備をお願いしてもいい?」

「面倒だが、やるしかないな。倒れるなよ?」

「えぇっ」


 そもそもわたしはハーフィーでありながら体に宿す妖精力の総量が普通より少ないのだ。恐らく人間寄り故に、人の血が妖精のそれを抑え込んでいるのだろう。

 お陰で妖精術もそう連発出来ない。継戦能力は群を抜いて貧弱なのだ。

 だが、それでも身を護る術くらいは知っている。ニッセとならば、少しは耐えられるはずだ。

 それに、もし妖精力が枯渇して倒れたとしても、この場所ならば回復も早いはず。最低限、命は助かるはずだ。


「『大樹』、根を借りられるか?」

「ふむ、いいだろう」


 既に冬。森の木々は葉を散らし、残った物も殆ど枯れている。緑の枝葉の力を借りることはできない。

 だが、封を……繭を作るのに葉だけを使う必要もない。今回はカドゥケウスの根を借りるつもりのようだ。

 ニッセの声に答えて、近くの大地が盛り上がり土に濡れた木の根が姿を現す。

 ニッセがこちらを見て頷く。これでいつ大木切りが現れても対処は出来る。わたしは彼の術式がしっかりと効果を発揮するように少ない妖精力を譲渡するだけだ。


「根」

「切らせちゃ駄目」

「心得ておるよ」


 この周囲に張り巡らされた根や枝葉は彼の分身でもある。大木切りに切られれば、カドゥケウス自身が傷ついてしまう。

 だからカドゥケウスは、いざという時に自分の身を一番に考えながら戦わなければならない。

 そもそも木の──大地の象徴と大木切りなんて、相性最悪なのだ。カドゥケウスに無茶だけはさせられない。


「ニッセ、頑張ったら後でお礼してあげる」

「そりゃいいっ、嘘吐くんじゃねぇぞっ?」

「わたしを誰だと思ってるのよ」


 わたしにだって妖精の血は半分流れているのだ。一度口にした言葉を違えるつもりはない。

 そう覚悟を固めれば、ニッセと共にカドゥケウスを背にして森の奥をじっと見つめる。

 得意ではないけれど、付き合ってあげる。この世界を支える大切な『大樹』は、決して切らせたりなんかしないっ!




              *   *   *




 カドゥケウスの出現させた根っこに座り込んで目を閉じる。半端者である僕だが、この時期であれば普通の妖精と同じくらいには……否、場合によってはそれ以上の力が発揮できる。

 それが僕の魂の形。『大樹』が聖農夫と言い表したそれは、人の世で随分と馴染み深い存在。この季節……ユールに縁を持つ大地の禍福────トムテだ。

 その存在は、人の世では子供たちの夢の象徴でもある。

 ユールと言う一年に一度の日、年の終わりに子供たちの(もと)を訪れ、一年間よく励んだいい子には福を。悪事を働いていた子には災いを齎す審判。

 今ではユールに贈り物を持ってくる妖精としての認識が広まってしまい、悪い子にはという側面は随分と影を潜めてしまった存在だ。

 が、しかし。妖精であり、農夫であるように。僕は幸せばかりを振り撒くわけではない。豊穣と不作を司るが如く、悪い子にはそれ相応の仕打ちを。回帰種でなければ命を脅かすようなことはしないが、それでも見咎めた者にはそれなりに悪戯を仕掛ける。

 それ故に、トムテと言う魂は人に依存しやすく。子供の欲と大人の理性が混ざり合った存在なのだ。

 ユールと言う時節にある程度縛られる生き様は、けれどもこの時期に限れば数多の子供たちからその存在を嘱望される。その為、認知は風説へと変わり、この身を彩る力となる。

 結果、ユールが近くなると魂に由来する本能の活動が活発になり、力の行使がいつもより強くなる。

 ここ最近ヴァネッサの周りに……人の傍に姿をよく表していたのもその一つ。この頃になると無性に人の機微が気になって仕方なくなるのだ。

 そんな僕の魂は、聖農夫と言われる通り農夫……地に属する。これは英雄的妖精として崇められるカドゥケウスと同じものであり、だからこそこうして力を重ね合わせることが出来るのだ。

 だからそう、普段では出来ないようなことも、この時期ならばできる。


「…………見つけた」


 カドゥケウスの張り巡らせた根を辿って意識を広げ、遠く離れた場所で奮戦する騎士たちの姿を脳裏に捉える。

 干渉範囲の拡大。ハーフィーの僕では、こうして誰かの力を借りなければうまく制御できないのだが。純粋な魂の持ち主ならばその身一つで、ともすれば国を丸ごと支配下に置いて監視することも出来る。

 力を使える時期が限定的故に、その効果はとても強大なのだ。

 だがそれは、力の一端。トムテとしての本来の力は、ユールに纏わる禍福の操作。その能力は、時に人の歴史すら左右しかねない。

 何せ目に見えない気運の流れのようなものを操れるのだ。その気になれば誰かを時の人にしたり、はたまた尊大な椅子をひっくり返すことだってできる。

 もちろん、そんなことをすれば個の魂など直ぐに擦れ切れてしまうだろうが……。戦場ならば局面の趨勢さえ左右しかねない破格にして凶悪な力なのだ。

 時にそれは、力そのものが災いの種と言われるほどに……。

 けれどもまぁ、今の時世にそんな荒々しい衝突が世界で起きている訳ではない。

 何より、妖精である以上この力は楽しく正しいと思える事に使いたいのだ。願われてもそんなことをするつもりはない。


「借りるぞ、ヴァネッサ」

「えぇ」


 一言断って小さく息を吐くと、妖精術を行使する。

 言葉にすれば簡単な運勢操作。福を招き、災禍を遠ざける、目に見えない力。

 大地の加護とも言うべきその力の対象は、この世界を守ろうと奮闘する騎士たちだ。

 彼らは子供ではないが、褒美を受けるに値する働きをしている。彼らのお陰で国の、世界の平穏が守られているのだ。そんな功労者に福という褒美を与える事には抵抗もない。トムテは、良き者の味方であり、悪しき者の敵なのだ。

 薄く拡散した意識を大地に蒔く感覚で流れを……淀みを操る。大木切りの力によって倒された木々が、騎士たちの進路を妨げないようにと向きを変える。ぬかるんだ大地に踏み込んだ足が、泥の下に石の足場を掴んで前に進む。

 流れが、傾く。幸福の恩恵が騎士たちの進軍を後押しし、彼らの歯車がかみ合い始める。

 これこそがトムテの力の本質。良き行いをする者に、ささやかながら更なる福を送り届ける。相対的に、悪意ある行いはその因果を背負わされる。

 回帰種ではない為、今の僕にはわざわざ悪意を振り撒く道理はない。だが、片方に肩入れをするという事は必然的にもう片方を蹴落とすという事。

 結果、彼らの戦いがより良き方へと歴史を紡ぐ。

 巡り巡ってその福が、カドゥケウスを助け、世界を助ける。

 だからこそと、強く自分を意識する。

 運命に抗うな。世界を覆すな。あり得る景色だけを選び取れ。僕の力は、些細に過ぎない。

 願望の渦に溺れないようにと、力を使うたびに存在の確認を行い続ける。僕にとってのその拠り所こそが、契約相手であるヴァネッサだ。

 ハーフィーとして半端者の僕は、彼女無しではこの力を使えない。無理に使い続ければ、魂をすり減らして不必要な結果を手繰り寄せてしまう。

 特に今は妖精変調と言う特異な状況下だ。契約をしていればその影響の外だと言われているが、その気になればそれさえも僕は覆してしまう。

 だからこそ、ヴァネッサと共に在る自分を意識する。禍福を司る一端だからこそ、均衡の秤が壊れないようにすべきなのだ。


「…………ふぅ……」


 何より、ヴァネッサは僕と同じくハーフィーでありながらその身に宿す妖精力の総量が多くない。それはきっと彼女の生き様ゆえの結果なのだろう。

 人の世で研究者として働く彼女は、秘密を解き明かし世界を知ることを生業としている。それは妖精である僕達が来歴を隠そうとするのと全くの真逆の行い……。即ち、人の欲そのものなのだ。

 だからこそヴァネッサは、人としての魂に存在意義が引っ張られて、妖精の力を上手く扱えない。より人に近しいから、妖精力を宿せない。

 妖精を否定したり、相対する者がそうなるのは必然だ。愛さない者が、愛されるわけがない。

 頑張りの見返りに福を齎す。それその物のように、力は絶対的に等価なのだ。

 だが、彼女がそうであるから、僕はこの力を使える。彼女を頼りにできる。

 ……どうにも僕はトムテとして人を好きになりやすいから。妖精が嫌う事を生業とする彼女とは釣り合いが良いのだ。


「平気か?」

「えぇ。ここは妖精力が多いから」

「そうか」


 僕にとっての道標。僕にとっての(わざわい)であり福。

 だから僕は、ヴァネッサと契約をしたのかもしれない。僕は唯、僕のままいたかったから。

 妖精の嫌う事を率先して行いながら、その実誰よりも妖精に恋い焦がれ憧れている彼女の事が。人に惹かれ易く、時に悪意に悪意を()って向かう僕と重なったのかもしれない。


「今のところ大丈夫そうだ。落ち着いたらもう一回だ。いいな?」

「分かったわ」


 だからこそ、カドゥケウスには謝っておこう。

 今僕が力を使うのは、(ひとえ)に大切なヴァネッサの居場所を……僕の居場所を守りたいがためなのだと。


『幸せか?』

『……あぁっ』


 根を通して流れ込んできた『大樹』の声に、心の底から頷いて。

 改めて胸の奥の繋がりに自らを預け、空を仰いだのだった。




              *   *   *




 人が今の世を形作るために積み重ねた叡智と武力の結晶。その一端である陸軍の活躍により、この身を脅かそうとしていた脅威……大木切りからの過度な干渉を抑え込むことに成功した。

 そこには純粋に人の力だけではなく。我が身を守るための不退転と、気まぐれの生き甲斐を振り翳した禍福を纏う農夫の存在もあった。

 お陰で懸念は杞憂へと変わり、無事直接の被害が出ることなく事態は収束を迎えた。

 もちろん、全てが理想通りとはいかなかった。この身が安息の地として巨体を横たわらせる自然の聖域。絡み合って生まれた巨木の上に存在の尊厳をまき散らす扉を秘した、残り香のような安寧の場は、かの回帰種の影響で幾つかの大地が荒らされた。

 その殆どが、大木切り故の結果。彼らが本能のままに突き進んだために引き連れてきた、木々の無差別な盗伐(とうばつ)という現実だ。

 衝動を満たすために振るわれた力の所為で、本来であればこの冬も難なく超えられたはずの数多の木が切り倒されてしまった。

 それは当然、自然の破壊であり。基本的に人の手の及ばない空間を好んで日々を過ごし、自由を愛する者達が忌避する行いだ。

 誰だって自らの居場所を……心地よい住処を荒らしたくはないし、荒らされたくもない。

 それを行ってしまったのが、何より今回の騒動を引き起こした彼らの罪なのだ。

 妖精として(もと)る行いをしてしまった。その始末をどう付けるべきかと悩んだ末、妙案を導き出したのは今回の件の功労者であるニッセだった。

 彼のお陰で陸軍にも被害は殆どなく事態を鎮圧できた。加えてハーフィーとして人と妖精の間の橋渡しもできる特異性と、持ち前の禍福を振り翳した言い分が採用されたのだ。

 責は全て個人の裁量と大局の損得。意図しない形での迷惑を振り撒いたのであれば、その釣り合いを取るべきなのが妖精の生き様だ。

 妖精の悪戯は、生きる上で必要とされているから人の世に受け入れられている。だが、その範囲を逸脱した行いは酌量の恩恵に与ることを知らない。よって、自らの罪は自らの新たなる行いによって償うべき、というのが禍福を司るニッセの言い分だ。

 恣意(しい)的に善悪を決めつけ、その本能に従い禍福という結果を突き付ける。それが許された存在だからこその自覚ある言葉に反論を挙げる者はおらず。妖性の暴走も落ち着いて話し合いの通じるようになった大木切り達も素直に頷いて従った。

 そうして当人が受け入れ納得したのであれば、それ以上周りが口を挟む道理はなく。結果、彼らに課せられた戒めは、切ってしまった木々を有効利用するための手立てを見つけることと相成った。

 これは、切る事が出来てもその逆が出来ない大木切りに合わせた措置。それに、この贖罪には彼らの側から人に協力をするほかない。

 そもそも妖精は無から有を作り出す事を生き甲斐としている者が多い。その為、有から有を作り出す……人の得意とする加工というその技術を持ち合わせていないのだ。

 大木切りにとって切り倒した木は最早興味の外。それを再利用して人の世に何かしらの還元を行うというのが、彼らが背負った責だ。

 これならば、いきなり荒事に駆り出された騎士たちにも幾らかの利がある。大木切りの(わざわい)と、それ以外の福を上手く釣り合わせたニッセの申し出。天秤の両方をしっかりと見極められる彼だからこそ導き出すことのできる答えと言うわけだ。

 人の世で語られる禍福の道徳。その一端を間近で垣間見れたことに少しだけ満足感を覚えながら、騎士たちの去った森の中で独り言のように零す。


「世話になったな」

「本人がどれだけ腐れようが、あんたは世界を支える『大樹』だ。もう少しその自覚を持って欲しいものだな」

「……承知した。以後気を付けよう」


 この身はそれほど特別ではないとは思っているのだが……どうにも周囲はそうとは認めてくれないものらしい。

 ままならないとはこういう事なのだと、妖精らしさを振り翳してそんな事を思えば、聖農夫が続けて告げる。


「だが、そうか……」

「まだ何か思うところがあるのか?」

「………………」


 じっと冬の色の強い方角を見つめたニッセが、(おもむろ)にこちらに振り返る。


「どうやら大木切りの事は、ただの前触れだったらしい」

「前触れだと?」


 不穏な言葉に尾の頭が疑念を(もた)げる。

 聞き逃すことのできない神妙な声に同じく身を入れれば、彼は苦い木の実でも口にしたように表情を歪めて落とした。


「今年のユールは、安寧とは程遠いようだぞ」


 この身でも捉えられない予感。やはり万能でもなんでもないのだと、この身を改めて認め直せば、ユールを司る農夫は再び北へ…………スハイルの方へと視線を向けたのだった。

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