第二章
回帰種の存在が周知されて数日。
まるで世界滅亡の序章のように重々しく語られた状況の変化だが、日常は以前とそれほど変わらずに紡がれる。
というのも、そもそも妖精とは偶然の巡り合わせで気が合えば一時を共に過ごすのが常の関係なのだ。特別用事がなければ彼女達に会いに行くことはまずない。
結果、近付く理由もなければ会う事もなく。必然的に回帰種に会う機会は訪れないのだ。
もちろん、だからと言って油断をしていいわけではないだろうが。名前の定着と周知は大人たちが勝手に決めた事であり、ぼくたち子どもや学生にとってはそれほど変わらないのが現状だ。
妖精との付き合い方は学園を出た後でも毎日のように学んでいく、終生の学問だと言われる。そこに回帰種や妖精変調と言う特別が増えたところで、ただの学生には特別感など殆ど無いのだ。
そんなことよりも目下頭を悩ませるのは、冬の休みを目前に課せられる修学課題……試験だ。
「……ふぅ。よしっ」
一区切りをつけて少し丸まっていた背中を伸ばす。
すると向かいから一瞥。再び手元へ落ちた視線で筆の走る音を微かに響かせれば、少しして彼女も顔を上げた。
「休憩?」
「いや。そろそろ時間……おっ」
体内時計で答えれば、耳に届いたのは学園内に響く鐘の音。
どうやらお昼の休み時間はこれで終わりの様だ。
「ん。それじゃあ戻ろうか、ロベール」
手早く片付けた向かいの少女が席を立ちながら僕の名前を呼ぶ。
ロベール。これまで何度呼ばれたのかすら分からない響き。
そして、それ故にきっと同じだけ音にした彼女の名前を紡ぐ。
「なぁシルヴィ、次の授業何だっけ?」
「妖精史」
答えたのは、ぼくの幼馴染であるシルヴィ・クラズ。きょうだいのように共に育ってきた彼女は、最も近い競争相手であり、最も信頼のおける他人だ。
ぼくの家、アリオン家とシルヴィのクラズ家は古くからの付き合い。家系図を辿れば過去に繋がりを持つほどの深い関係だ。
とはいえ、ぼくとシルヴィの中に互いの血が入っているとはどうにも思えない。それくらいには薄く、遠い過去だ。
そんなアリオン家とクラズ家が、互いの家の者と酒を酌み交わすほどに仲がいいのは、きっとぼくとシルヴィの所為だ。
もちろん過去に家系図が繋がっているというのも一つの理由だが、一番新しいのはぼくとシルヴィが同じ年に生まれた事だ。
仲のいい家に、それぞれ子が生まれた。互いが祝福し合い、何でもない偶然が目に見えない縁を紡いで、なんとなく仲良く過ごしてきた。
今のアリオン家とクラズ家がここまで親交深く付き合っているのは、ぼくとシルヴィがいたからだ。
「確か今日はユールの事勉強するって言ってた気がする」
「あー、近いもんな」
大人の都合に巻き込まれるのは勘弁願いたいが、掛け替えのない相手なのは間違いない。
ぼくはぼくらしく、これからもシルヴィと付き合っていくだけだ。
そんな、腐れ縁の幼馴染とどうでもいい話題を交わしつつ教室へ向かって歩く。
つい先ほどまで、シルヴィと二人で勉強をしていた。
と言うのも、数日後には学業をきっちり修めているかどうかを問う、試験が行われるからだ。
これが突破できなければ、心地よく冬の休暇を過ごすことはできない。
何より、シルヴィには負けられない。筆記は彼女より得意なのだ。そこだけは譲れない。
「けど今更勉強することあるのか?」
「それを決めるのは先生でしょ。それにほら、一応境界だから」
「あぁ……」
シルヴィの言葉に納得する。
境界。それは今のフェルクレールトで暮らす上で考慮するべき概念だ。
「ハロウィンやサウィン程じゃないけど、冬な事を考えれば外せないんじゃない?」
「なるほどね」
暦の巡りには境界が存在する。大きく分ければ季節と言う四分割。細かく言えばそれぞれの季節の最盛を祝う八分割だ。
フェルクレールトでは、前者を季節祭。後者を四季祭と呼び習わす。
季節祭は、その名の通り暦の上で四つの季節の始まりを知らせるものだ。
春の始まりであるインボルク。夏の幕開けを知らせるベルティネ。豊穣の秋を知らせるルーナサ。冬の大地の眠りを告げるサウィン。
そんな季節祭の合間に催されるのが、別名収穫祭とも言われる四季祭だ。
四季祭は、それぞれの季節の最盛を祝うお祭りだ。
厳しい冬を乗り越えてインボルクの後に催されるオースタラ。夏の暑さ真っただ中なリサ。一年で最も食に溢れるメイボン。過酷な冬を越すためのユール。
古い暦ではサウィンを一年の始まりとして、ユール、インボルク、オースタラ、ベルティネ、リサ、ルーナサ、メイボンと巡る。
一応有名な日として、ここにサウィンの前日であるハロウィンも入ってくるのだが。明確な祝日と定義されているわけではないから割愛。
今では暦の数え方も変わり、メイボンではなくユールが一年の最後に執り行われる祭日だ。
これらの特別な日は、節目と言う事もあり八分割された暦の境界線の上にある。それ故か、現世と異世界が交わりやすい日とされ、古くから目に見えない悪意と戦う日でもあるのだ。
特にユールは冬のど真ん中に催される祭日。大地の眠る冬は一年の夜であり、陽の届かない暗闇。悪霊が跋扈する夜半は人ならざる者の領分であり、揺らぎと共に悪意が顔を覗かせる時間だ。
だからユールもまた、冬を無事に過ごし新たな春を迎えるために必要な境界線なのだ。
「シルヴィはユールどうするんだ?」
「……多分いつも通りだよ。そういうロベールは?」
問われて、それから脳裏を過ぎった顔二つ。
「……二人はどうすんのかなって思ってる」
「ふぅん」
興味なさそうな声。だが、無視して続ける。
「だってほら、ユールだぞ? 例え恋人じゃなくても、気になる相手と過ごしたいってのは当然だろ?」
賛同を得たいわけではないが、無視もそれなりに傷つくと。視線を向ければ、隣の幼馴染は確かめるように口を開いた。
「……別に、それはロベールの気持ちだからいいけどさ。意味分かって言ってる?」
「意味ってなんだよ」
「はぁ…………」
溜め息一つ。それからシルヴィは呆れたように零した。
「それ、告白してるのと一緒だから」
言われて、一瞬息が詰まった。
確かにシルヴィの言う通りだ。
ユールは恋人の日と言われるほどに、町中に出ればそこかしこで仲睦まじい光景が散見出来る。
ぼくとシルヴィも、去年までは特別な相手もおらず寂しさを埋めるように過ごしていたから、そういう目で見られて誤解されたりしたこともあるほどだ。
ユールに男女で町を歩くとは、そういう事。
であれば、ユールの日に一緒に過ごしたいと告げること自体が、半ば告白の意味を持つのだ。
「いや、告白自体はあたしに止める権利はないんだけど。本気ならそろそろ聞かせてよ。……どっちか決めたの?」
冬の風よりも鋭い視線と声に、答えをなくして黙り込む。
シルヴィのそれは、幼馴染としてのものではない。人としての軽蔑だ。
ぼくは、全く同じ感情を二人の人間に抱いている。
もちろん、誰かを好きになることが悪いわけではない。問題は、それが一人ではないことだ。
ぼくが想いを寄せる相手は、ピスとケス。この春より同じテトラフィラ学園に入学してクラスターも一緒になった、王孫殿下。
彼女達だけの雰囲気。独特な呼吸。言動の全てが鏡合わせて突飛押しもない妖精のような、双子の少女。
だからこそこの胸に芽生えた感情は、平等に隔たり無く一緒で。双子を双子のまま、二人共好きになってしまったのだ。
本来ならばどちらか一方に決めるべきな、不純な想いの形。けれども二人が、二つで一つ……何もかもが同じ故に、その境界線を引けないでいるのだ。
とはいえピスとケスも人の子なのだから、探せば一つくらい違いはありそうなのだが。どうにもぼくにとって二人はピスとケスであり、それ以上でも以下でも、ましてやそれ以外の何者でもないのだ。
もちろん、二人の所為な訳がない。これは、単純にぼくの責任だ。
「………………」
「そんなの、誰も幸せにならないよ。ピスとケスの事を思うんだったら、ロベールが悩んででも決めないと。今のままだと、結果は春の時以上だよ?」
春の時。シルヴィには語って明かした、ちょっとした擦れ違い。
告白が告白の体を為さなかった。ぼくが一人で盛り上がって落ち着いただけの過去。あれはまだ、なかったこととして記憶から消してしまえる程度だった。
だが、今回はあの時とは違う。
幾ら浮世離れしたピスとケスでも、ユールの日に一緒に過ごすというその意味は知っているはずだ。もし今のまま彼女達を誘えば、ぼくの気持ちの不誠実さに幻滅されてしまうだろう。
けれども、どうすればいいかなんてまだ分からない。だって本当に、二人に差なんてないのだから……。
そんなのは、ぼくの知るピスとケスではないのだから。
考え込むように黙り込んだぼくを見かねてか、しばらく隣を静かに歩いていたシルヴィが独り言のように呟いた。
「……まぁ、今が無理なら急ぐ必要はないんじゃない? 暇になるようなら、今年もあたしが付き合ってあげるから」
「同情なんかいいっての」
「…………そうじゃないんだけど……」
顔を背けたシルヴィが何事かを零す。が、近くの教室から響いた声にかき消されて何を言ったのかまでは聞き取れなかった。
そこでふと、先ほどのシルヴィの答えが気になって尋ねる。
「……なぁ」
「なに?」
「もしぼくが決めて、ユールは二人のどっちかと過ごすんだとしたら、シルヴィはどうするんだ?」
シルヴィがさっき言ったいつも通りとは、互いに暇なら折角だから一緒に過ごすという、これまでそうしてきた家族付き合いの延長線上の事だろう。
だが、仮にそうならなかった場合、シルヴィはぼくと一緒にユールを過ごす事はなくなる。
だとすれば、一体シルヴィはどうするのか……。誰と、過ごすのか。
これまでずっと一緒にそうしてきたからこそ、なんとなく変な感情を覚えて訊く。
すると彼女は、考えるような間を空けてどうでもよさそうに答えた。
「さぁ。他の友達かもしれないし、家族とかもしれないし。今のところこれって言う予定はないけど、誰かと何かはしてるんじゃない? あたし、ロベール程人付き合い下手なわけじゃないし」
「僕だって友達くらいいるっての!」
思わず言い返せば、シルヴィがからかうように小さく笑う。
……なんだかいいようにはぐらかされた気もするが、胸の奥の微かなざわめきはいつの間にか気にならないくらいには小さくなっていた。
なんでこんなことを訊いたのだろうか……。
自分でもよく分からない問いの意味に、けれども答えにはならない安心に似た何かを落とし込んで再び前を向く。
気付けば自分たちの教室がすぐそこにあった。
「……とりあえず、二人の予定訊いてみる」
「ま、頑張って」
他人事が過ぎる幼馴染の声に怒っても仕方ないと思いつつ教室に戻る。中では先生が来ていないのをいいことに自分の席から離れて友達と談笑をする姿が幾つか。
そんな中で、ピスとケスは周りに流されることなく自分の机に座って静かに授業の開始を待っているようだった。
あと少ししたら先生も来るだろう。話は帰り道にでもしてみるとしよう。
授業終わり。帰る支度もそこそこに、一直線にピスとケスの下へと向かう。
彼女達は妖精のような身軽さだ。少し目を離せば直ぐにいなくなってしまう。こういう時は即行動が望ましい。
春から紡いだ半年以上のクラスターの関係の中で知った二人の事。過去ここまで好きになった相手の事を深く知ったことがあっただろうかと思いながら、教室内の喧騒を素通りして声を掛ける。
「ピス、ケス。ちょっといいか?」
一瞬向いた級友の視線。しかしクラスターの話だと思ったのか、再び雑談に掻き消える。
そんな中で、ピスとケスが今日も今日とて鏡合わせにこちらへ顔を向けた。
「あ、いや。急ぐ話でもないから帰りながらでいいんだけど」
「分かった」
「シルヴィは?」
言われて幼馴染の席へと視線を向けるが、彼女の視線はリゼット先生へ注がれている。どうやらこちらには興味がないらしい。
「大丈夫。行こう」
こくりと頷く双子。この程度の会話ならば日常的で、今更特段緊張もしない。
そういう部分で言えば、普段話をしないその他大勢と比べると少し特別かもしれない。
そんなことを考えながら荷物を纏めて教室を出る。去り際、シルヴィを探すと彼女は先生に声を掛けていた。試験が近いから何か質問だろうか?
今回は勝敗で何かを賭けているわけではないが、手を抜くつもりはさらさらない。普段通りに勉強をして、いつも通りにやるだけだ。
……それでもきっとピスとケスには敵わないだろうと思いつつ。校門を抜けて見慣れた帰路を歩みつつ二人に尋ねる。
「もうすぐ試験だな。で、それが終わったら冬期休暇だっ。二人は何か予定とかあるのか?」
問いには、珍しくすぐに答えが返らない。どうしたのかと見やれば、二人はぼくを挟んで互いに視線を交わし合っていた。
と、答えの代わりに疑問が返る。
「お仕事は」
「予定?」
「仕事?」
一体何の話か分からずに訊き返す。すると二人は結論から遡るいつもの調子で続けた。
「お休み中」
「お城にいる」
「……家の事?」
二人はアルレシャの次代を担う器であり、祖父は現大統領のグンター・コルヴァズ陛下だ。
ぼくの家であるアリオンもそれなりに歴史があるが、それと責務が必ずしも比例するわけではない。
カリーナの大統領は民選によるものだ。その為、血に因らない人選でその椅子に座る。結果、一代でも国の主と言う事もあり得る。
大統領ともなれば当然その仕事は多岐に渡り、膨大になる。二人が陛下の血縁者として度々城内での仕事に協力しているというのはぼくも知っている。だから今回もそれかと思ったのだが……返答は首を振る物だった。
「お仕事」
「使用人」
「え……?」
使用人。その言葉が上手く思考と噛み合わず、抜けた声を出す。
「城内勤務」
「少し前から」
「…………あ、そう言えば職業体験の時も使用人の仕事してたな……。もしかしてそれ?」
今度は縦に動いた頭。飛び石な情報をどうにか理解で繋げられて安堵する。
が、直ぐに別の疑問も湧いた。
「そっか。……でもなんでまた。そんなに職業体験が面白かったのか?」
「違う」
「合ってる」
食い違う二人の言葉。だがそれに今更困惑はしない。
二人の言葉はいつだって一繋ぎだ。例えその意味が対極でも、二人の中では正しく成り立っている。
つまり…………。
「他にも理由があるのか……」
使用人に興味が湧いたのも理由の一つ。そしてそれ以外の何かもあって、仕事をしているのだ。
が、直感で悟る。これ以上は訊いても教えてくれないだろう。
というか、言えないという方が正しいかもしれない。
何せ城内勤務の使用人だ。扱う仕事は国の中枢にさえ関わる。そう簡単に漏洩するようでは仕事は務まらない。
気にはなる……が、知った所でぼくに何かが出来るとも思えない。これ以上はなしだ。
知って巻き込まれてもそれはそれで困るしな。
「まぁいいや。まさか働いてるとは思わなかったけど……」
テトラフィラの校則に就業禁止はない。学業を疎かにしない範囲であれば、と言う暗黙の了解はあるが処罰の対象ではないのだ。
というか、社会勉強の一環として推奨している節さえある。
良家の子息子女も沢山通っているのだ。机の上だけが世界ではないと、視野を広げるためのものだろう。
ぼくもそれなりに興味はあるが、今は少し難しい。妖精変調以前なら、親にでも言って口利きしてもらえたかもしれないが……。
「てことは休み中はそっちの予定があるってことか」
「うん」
「少しだけ」
冬期休暇中も宿題は出る。まずはそれを最優先。その上で時間があれば使用人の仕事をする。当然だ。
そうと分かるからこそ、彼女達がただの興味だけで使用人をしているわけでないと察することが出来る。
二人はしっかりと目標を持っている。そのことが羨ましく、眩しく思える。
「ロベールは?」
「予定は?」
「ぼく? ぼくはまぁ、あっても家の手伝いとかかなぁ」
いずれはアリオン家を継ぐ身。今から少しずつでもそっちの勉強はしていかなければならない。
きっと休みに入れば好機とばかりに幾つかの話を父が持ってくることだろう。
妖精変調や回帰種がちらつく状況から考えて、国外にアリオンの名代で行ってこいとは言われないだろうが……城下町内を走り回る嵌めにはなるだろうか。少し気が重い……。
「唯一確実に予定が空いてるとなるとユールだけど……」
っと、そうだった。その話を二人としたかったのに。もうちょっとで忘れるところだった。
「二人はユールどうしてるんだ?」
「ユールはお休み」
「予定はない」
「そうなんだ」
言葉にされると、変な緊張感が生まれる。
けれどもどうにか呑み込んで、いつも通りを装って尋ねた。
「……よかったら、その……ユールに一緒に過ごさないか?」
「うん」
「いいよ」
「え、ほんとっ!?」
変わらぬ調子で紡がれた理想の言葉に思わず前のめりに訊き返す。
返った頷きと真っ直ぐな視線に、周りの目も気にせず喜びそうになる。が…………。
「シルヴィも一緒?」
「皆で過ごす?」
「……え?」
続いた言葉に一気に体の熱が冷めた。
隣を見れば、変わらぬ瞳でぼくを見つめる天色の双眸。
その視線に見つめられて、次ぐ言葉を見失う。
「ぁ、っと……その…………」
不意に脳裏を過ぎったのは幼馴染の声。
────……どっちか決めたの?
ユールに異性が一緒に過ごすのは告白も同義だと彼女が言っていた。それはぼくも理解できるし、同意もする。
けれども、だとしたら。
彼女達だけを誘うのであれば、そこにけじめをつけるべきなのではないか……。
好意に胸も張れずに、どうして好きだと言えるのか。隣に居たいというその気持ちは、不純ではないのか。
────そんなの、誰も幸せにならないよ
あの時続いたシルヴィの言葉が胸の奥に深く突き刺さる。
幸せを願うならば、誰もが認める理想でなくてはならない。誠実であろうとするならば、子供という言い訳は利かない。
……今のぼくには、その未来は描けない。
「……そう、だな。二人さえよかったら、だけど」
「うん」
「楽しみ」
「家族以外は」
「初めて」
「…………そっか」
二人にとってユールは特別な日ではないのかもしれない。しかし、共に楽しむことが出来るという点で見れば、ぼくの望みともかけ離れているわけではない。
答えはいずれ出す必要がある。けれども、特別急ぐ必要はないかもしれないとも思う。
事実、こうして目の前のことに一緒に一喜一憂するのも悪くないと思えるから。
…………だから、そう。少なくともユールはいつも通りに賑やかに楽しく過ごすとしよう。
二人に迷惑を掛けないために、ぼくはぼくなりに頑張る必要がある。
シルヴィはこのことに最初から気付いていたのかもしれない。言わなかったのは、自分で気付く必要があったからか。
だが、分かったからにはやり様もある。
「だったら贈り物も用意しないとなっ」
「考える」
「勝負」
「それ勝ち負け決める事か?」
相変わらず少しずれた二人の感性に笑みを零して、軽くなった心で前を向く。
目指していた形とは違うけれど、楽しみなのは間違いない。
少しでもいい思い出になるように、色々考えてみるとしよう。
* * *
「どうだい?」
「いいと思います」
紙に書かれた幾つかの品を見て素直に感想を零す。
次いで、改めてその数の多さに嘆息した。
「にしても、ユールに纏わる食べ物って沢山あったんですね」
「今は食べ物に困る時代じゃないからね。お腹に入れば一緒だろ?」
「それ、喫茶店の店主が言うのはどうかと思いますよ?」
紙を返しながら笑えば、この店の主であるジルが肩を竦めて見せた。
今日はロベールと別行動。ピスとケスをユールに誘うと意気込んでいた幼馴染と帰路を別にし、一人で『胡蝶の縁側』にやってきた。
いつもロベールと一緒にいる所為か、ジルさんにもからかい混じりに尋ねられたりもした。
そんな彼が飲み物と一緒に見て欲しいものがあると差し出してきたのが、先ほどの紙。書かれていたのは、ユールに向けて調べたらしい、特別な食べ物だった。
毎年ユールの時期には様々な場所で宴が開かれる。大きい家ともなると、有名な通りのお店を一日貸し切って様々なお客さんをもてなしたりもする、冬の中で最も賑やかなお祭りだ。
であれば当然、豊かな食事も机に並ぶ。食べきれないほどの皿は、それぞれユールに因んだ食べ物であることが多く、ジルさんの書き記した紙はそれらを一覧にしたものだった。
あたしもクラズ家の娘として社交界に出た経験は何度もある。
今では既に慣れてしまって、一々食事の品目まで気にしていなかったのだが……。こうして改めて目にすると少し意識してしまう。
「それでなんだが、よかったら試食してくれないか?」
「どれ作ったんですか?」
「ルイヴァブルイズだよ」
幾ら育ちざかりとはいえ、年頃の娘に毎度毎度あれこれ食べさせるのはいかがなものだろうか。
そうでなくても、曲がりなりにも良家の子女でもあるのだ。普通ならば不自然に用意された食べ物など口に入れるべきではないのだが……。
「いただきます」
少しだけ胸の奥にあった遣る瀬無さと、ジルに対する信頼の前ではそれも紙くず同然だと思いながら。
自棄になるつもりはないが、少しくらい間食に負けてもいいはずだと自分に言い聞かせて、ジルさんの持ってきたそれに手を伸ばす。
「これってそんな名前だったんですね」
指先に抓んだそれは、薄いビスコチョのような丸い揚げ菓子だ。
広義にはビスコチョの一つに含まれるのだろうが、ユールに合わせて作られるルイヴァブルイズには特徴的な模様が描かれる。
描く、と言うよりは彫られるという方が正しく、柄が葉っぱの形をしているのだ。
ルイヴァブルイズとはその名の通り、葉っぱ麺麭。薄く伸ばした生地に模様を描いて油で揚げた、さっくりとした食感のお菓子なのだ。
葉っぱの模様なのは、その年の穀物に……豊穣に感謝を示した表れだと言われている。
そのままで食べても素朴で美味しいが、普通は牛酪などを付けたりしながら食べる。
「これ全部模様付けたんですか?」
「いや、型抜きだ。自分で作ったのは初めてだけどな。上手くいってるなら大量に作らないとだろ? 一々手作業で模様を彫るのは面倒だ」
「確かにそうですね」
さくりとした食感が小気味良い。人によって後から味を幾らでも変えられるのも強みだ。嫌いな人はまずいないだろう。
「どうだ?」
「美味しいですよ。牛酪の他にも果醤や凝乳でも美味しく食べられると思います」
「なるほど。参考にさせてもらうよ」
言いながら自分も一つ手に取って口に放り込むジルさん。
そんな彼に尋ねる。
「ユールの伝統食を作るってことはその日もお店を開けるんですか?」
「当然だろ? お祭り時ってのは財布の紐が最も緩みやすいんだ。店を出さない奴はいないよ」
「じゃあジルさんは誰かと遊びに出たりしないんですか?」
「今のところはね。友人がいないわけじゃないけど、その日はお客さん相手で手いっぱいだよ」
「そうですか……」
彼の言葉に少しだけ悩む。
多分本心だ。だとするとジルさんは先生とは…………。
「どうかしたのかい?」
「いえ……。だったらユールは別のところにした方がいいのかなって思ったので……」
ロベールとの事も考えて言葉にすれば、ジルさんは声を出して笑う。
「まさか。幾らユールでもこんな奥まった場所にある店が満席になるとは思わないよ。少々賑やかでもいいのなら今年もおいで」
「……そうですか? では知り合いを誘ってもいいですか?」
「知り合い? ……あまり大人数でなければいいけど」
「それなら平気です。ユール、楽しみですねっ」
「君たちにとっては特にそうだろうね」
今し方思いついたお節介だが、どうやらジルさんは気付いていない様子。だったら当日までの秘密にしておくのも面白いかもしれない。
実を言うと、もう一人の予定についても何となく把握しているのだ。今日の目的……あたし個人の本題はこれ。その為に学校を出る前に直接探りを入れて来た。
このままではせっかくの機会を不意にしてしまいそうだが、あたしが間に入れば何とか繋ぐことが出来そうだ。
そんな事を思いつつ、彼の勘違いに乗っかる。
「うちは今年からは贈り物無しって言われましたよ?」
「ほんとかい?」
「学園に入学したら自立も学ぶべきだって、お父さんが。……ロベールは今年も貰えるって言ってたんですよ? 差別じゃないですか?」
「それだけ期待してるってことだろう? 彼より先に大人になってあげればいい」
不満を零して少しだけ発散する。
ユールの贈り物。ユールの日に、愛する家族や恋人に贈り物をする慣習だ。
特に子供はこの時期になると親の手伝いをして機嫌を伺い、欲しいものを強請ったりする。
あたしも去年まではその恩恵に肖っていたのだが、どうやら今年からあたしは対象外になってしまったらしい。
家の中の暗黙の了解だ。親が決めた事であれば子供は従う他なく、贈り物がなくなるという事は同時に大人の側へ足を踏み入れることにも繋がる。
早く大人になりたいと願う子供にとっては、認められたようで嬉しい反面。まだ少し甘えたいという葛藤に悩む通過儀礼のようなものだ。
「一般的には妖精従きになったら大人の仲間入りじゃなかったんですか……?」
「僕に言われても困るよ」
困ったように笑うジルさんに唇を尖らせる。
なんとなく言われているのは、17歳の境界線だ。多くの妖精憑きがその年に妖精と契約し、妖精従きとしての一歩を歩み始める。それを機にユールの贈り物も自然となくなるというのが通説なのだが……クラズ家はそんな常識に囚われないらしい。
「ジルさんはいつでしたか?」
「僕は見えないからね。けど、多分17歳になる年だった気がするなぁ」
「不公平ですよー」
「だから僕に言わないでよ」
別に彼を困らせたい訳ではない。納得がいかないだけだ。まだ15なのに……。
「…………いいです。大人は大人らしく振る舞いますっ」
「あまりおじさん達を困らせないようにね」
「知りませんっ」
大人は自分で自分のことを決められるのが特権だ。責任さえ背負うのであれば、それについて他人にとやかく言われる筋合いはないっ!
そう思う事にして机に投げ出していた上体を起こし、もう一つだけルイヴァブルイズを食む。
「残り、貰って帰ってもいいですか?」
「どうぞ」
子供っぽい事だと自覚しつつも、鬱憤を溜め込むよりは余程いいだろうと素直になる。
……後で結果を訊くついでにロベールに持って行くとしよう。
* * *
「以上が現在の進捗状況です」
「ご苦労様。この後は?」
「非番です」
「分かりました。お疲れ様」
「失礼しますっ」
足を揃え、直立でそう言い放った彼は、背筋を正したまま部屋を後にする。
扉が閉まる音を聞き届けて、人知れず息を吐き出した。
先ほどの彼は今年入隊したばかりの新人だ。例年であれば、そろそろ慣れが緩みに変わってくる頃なのだが、今の軍内部にその雰囲気は一切ない。
と言うのも、一月ほど先に大きな仕事が控えているからだ。
四大国合同でのフェルクレールト全土を対象にした一斉調査。年明けに行われる、対妖精変調大規模任務だ。
先の四大国会談。その後行われた臨時会談によって可決されたその案は、今現在フェルクレールトの大地を席巻している問題……妖精変調に対して、状況打開を試みる一手だ。
国の垣根無く行われるこの作戦には、陸も海も空も関係なく人員を投入され、過去類を見ないほどに大規模に行われる。
一つの目標に向けて国同士が手を取って足並みを揃える……。それはもしかすると、フェルクレールトの歴史始まって以来の出来事かも知れないほどだ。
であれば当然、それ相応の準備も必要となってくる。
危険に備えた武装は言わずもがな。長期に及ぶ任務続行を支える糧食や資材の確保。それを円滑に運営するための緻密な人員運用に、計画書の作成。
しかも今回は普段手を取らない陸と海と空。加えて国々が肩を並べようというのだ。擦り合わせは目が眩むほどであり、どれだけ懸念し用意を重ねてもすべての問題を事前に解消することはまずできない。
その為、いざと言う時の対処は個々人の判断に委ねられる──個が全を作る、まさに大規模戦略とも言うべき世界指針だ。
そんな状況であれば、まともに休息する間も惜しく。先ほどの彼も非番とは名ばかりの自主労働に駆り出されることだろう。
もちろん、それ相応の補填は後からするつもりではあるのだが……。できれば作戦開始前に持ち回りでしっかりと休息が取りたいものだ。
疲労を抱えた状態で任務に臨むのは好ましくない。そこから些事が発生しては本末転倒だ。
……だが、悪い事ばかりではないのも事実。
先に挙げた通り、例年であれば気の緩みが出てくる時期だ。しかし、今回の大規模任務のお陰で緊張感は適度に漲り、怠けている暇は無くなった。お陰で、余程の慮外者でない限り勝手に持ち場を離れる者はいない。
そもそもそういう輩は、集団行動が求められる軍にはそぐわない存在。多少個を殺してでも剣を捧げた国の為に動けなければ、今後騎士としてやっていくのはまず不可能だ。
集団の和を乱す者は軍には必要ない。それが、言葉にすらされない我々の繋がりと矜持だ。
「ん……」
そんな円滑な流れのお陰で、準備もどうにか予定通りに進んでいる。このまま何事もなければ、任務前に皆に休息を取らせることも難しい話ではない。
そう考えつつ先ほどの彼が持ってきた書類に目を通していると、背後の窓が小さく叩かれる。
振り返れば、そこにはよく知った顔が硝子越しにこちらを見つめていた。
直ぐに開けてやれば、彼は隙間から部屋に入って私の机の上に降り立つ。
「おかえりなさい、カガチ。外の様子はどうでしたか?」
「特に変わりなしだ。エルヴェの言ってた件は、伝えたら直ぐに対応してくれるとさ」
「そうですか。ご苦労様でした」
言って、私の契約妖精、カガチに燐寸を一本渡す。すると彼は待ってましたとばかりにひったくるようにして受け取り、早速擦って火を灯すと蝋燭のように机に立てた。
燐寸は棒の先端に薬剤を付けた、火種を熾す道具だ。擦った熱で発火させ、短時間だが物を燃やすことが出来る。
私のような炎の妖精術を使える者にとっては無用の長物だが、そうでない……見えない者には需要が存在する。
中でも嗜好品であるツィガレを愛する者にとっては、出先で簡単に火を熾せる燐寸は必需品だ。
そんな燐寸を、カガチは大層気に入っている。曰く、魂のない炎は彼の娯楽に丁度いいらしい。
カガチの魂、妖性はウィル・オ・ウィスプだ。その存在は魂の炎と言われ、魂そのものと同一視されることが多々ある。
その為、カガチは他の魂の動きに敏感で、存在そのものに気分を左右されやすい。
例えば霊園など、人が眠る場所は好まない。悪意ある魂が沢山いる訳ではないらしいが、良い物もたくさん集まれば迷惑らしく。
炎の属性に愛された者が、同じ力を愛する妖精に気に入られやすいように、近くを通れば向こうから寄って来られて対処に困るとの事だ。
その為、過剰に魂と言う存在が集まりやすい場所は嫌煙しがちで。しかしその反面、そうではない物にある種の憩いを求めることがある。
その代表格が燐寸だ。
純粋に人の知識から生まれた燐寸には、生物の魂は宿らない。それでいて、得意とする炎を熾せるという点が気に入ったらしく、カガチのお気に入りなのだ。
今回のように仕事を任せてしまった時などは、報酬代わりに燐寸をあげる。それを擦って熾した火を眺めるというのが、楽しいらしい。
妖精の価値観は相変わらず面白い。
「任務には燐寸も持って行かないとですね」
「別に強請ったりはしないけどさ……持って行ってくれるって言うなら嬉しい話だなっ」
既に半分ほど燃えた燐寸を見つめつつ上機嫌に答えるカガチ。
それだけ彼には負担を強いるかもしれないという事なのだが……きっと分かっていて知らない振りをしてくれているのだろう。
……なに、燐寸はそれほど高いわけではない。使い捨てだが、カガチの機嫌が取れるなら必要経費だ。
段々と短くなりながらも天井に向けて昇り続けるともしび。思わずわたしも一緒見つめて時間を過ごせば、燐寸を立てていた机が焦げる寸前でカガチが炎を吹き消す。
ほんの少し……妖精の爪の先ほど残った柄を掌の中へ握り込む彼に、それからなんとはなしに尋ねる。
「他に何か変わったことはありましたか?」
今のところ報告は来ていないが、直接見てきたカガチなら何か気付いたかもしれない。
そんな風に考えた直後、こちらに振り返った相棒は妖精には似つかわしくない難しい顔を作る。
「……今準備してる調査ってのは、年明けだったよな?」
「えぇ、そうですが。それが何か?」
「だとすると…………うん、そうだな……」
一人考え込むように自問自答したカガチ。次いで彼は、小さな体で居住まいを正すと、珍しく真剣な表情でわたしを見つめて告げる。
「まだ確定じゃないが、近々面倒事が起きるかもしれない」
「…………それは、どういった?」
妖精は嘘を吐かない。その事実に、遅れて気持ちを切り替えつつ腰を落ち着ける。
するとカガチは机の上に座り込んで唸るように続けた。
「ほら、ユールが近いだろ? 境界線だから、揺らぎやすい。しかもそれは魂の揺らぎだ。とすると、回帰種が問題を起こす可能性が高くなるはずだ」
「そう感じたのですね?」
「あぁ」
カガチの干渉範囲。ウィル・オ・ウィスプだからこその、妖精の視点。感覚。
魂へ干渉範囲を持つ彼が、不穏な予兆を覚えた。それは、見過ごしていい情報ではない。
「具体的にはどのような?」
「……大木切り、だと思う…………」
大木切り。その名を──カリカンジャロス。
大地に属する妖精であり、その名の通り木を切る者だ。
だが、その存在は殆ど確認されておらず、物語の中で語られる側面も眉唾な話が多い。
伝承の中のかの者は大木を切り倒すと言われる。その大木は、世界を……大地を支える物とされる。毎年ユール近くになると現れ、手にした鋸で削って切ってしまう。と言うのが、わたしが文献で見たことのあるカリカンジャロスだ。
大地を支える木なのだから、切り倒されてしまえば世界が終わってしまうのかもしれないが。彼らの行いは人が少し首を突っ込むことで完遂出来なくなってしまう。
物語の中でも、その弱点を突かれて目的を果たせぬまま、時が来て姿を消すという流れで描かれている。
そもそもの話、世界を支える大木などフェルクレールトの大地には存在しない。緑の生い茂る場所、と言う意味ではこれから調査をするミドラース周辺が該当するのかもしれないが。残念ながら象徴のような巨大な木など誰も見たことがないのだ。
無い物は、どう足掻いても切れない。
だからカリカンジャロスと言う妖精は空想の産物と言われ、ともすれば存在しない妖性だとも囁かれるのだ。
「カリカンジャロスですか……。しかし現れたところでどうなるというのです?」
「可能性としてはそうだな……。例えばここら一帯の木々が根元から切り倒されて森が消えてしまう、くらいか?」
巨木を切れないのであれば、それに類するものを。そう考えれば、カガチの想像は特別外れているとも思えない。
もしそうなったらそれはそれで一大事だが。だとすれば森を住処にする妖精が黙っていないはず。
本当ならば、事前に自由を愛する者達が一斉に何らかの動きを見せるはずだ。それを見張っていれば事の真偽は確かめられる。
それにもしやって来たとしても、空想通りならば簡単にその行いを往なせてしまう。
対処には手を取られるかもしれないが、何もできないまま呆然と嵐が過ぎ去るのをただただ待つという結果にはならないはずだ。
「ただ、はっきりしないって言うか。それだけじゃないって言うか……」
「カガチがですか? 珍しいですね」
「なんだろうな。もしかしたらおれもユールの影響を受けてるのかもしれない」
「ふむ……。分かりました。気に掛けておきましょう」
「断言できなくて悪い」
「気にしないでください。何も知らないよりは余程いいはずですから」
随分と悩んでいる様子のカガチの頭を指先で撫でれば、彼はされるがまま捏ね繰り回された後、翅を震わせて飛び上がる。
「エルヴェ、少しの間傍を離れてもいいか?」
「構いませんよ。何かあればすぐに戻って来てください」
「あぁ」
どうやら彼の中では拭い切れないらしい。妖精である彼がここまで一つの事に悩んでいるのだ。きっとそれだけの何かがあるのだろう。
であれば、わたしには出来ないことを彼に託すほかない。
何より、ここ最近はわたしの仕事に付き合わせ続けていたのだ。気分転換でもすれば、人の世界に染まった感覚も晴れるはずだ。
「エルヴェも、何かあったら呼んでくれ」
「えぇ。それではどうぞ、いってらっしゃい」
言いつつ窓を開ければ、隙間からするりと外へ出た彼が、ずっと握っていた燐寸の欠片を、薬剤もないのに再発火させる。
次の瞬間、小さな火花が一瞬にして燃え盛りカガチの体を包み込むと、中空に炎の残滓を溶かして姿をくらました。
妖精にだけ許された、秘密の通路。魂の形を手掛かりに妖精たちが行う、異空間移動だ。
カガチの場合は、近くの火から遠くの火へと、時には時間の流れさえ無視して一瞬で移動してしまう。
僅かの間とはいえ本性である妖性の力を開放し人の目に晒する忌避感や、その小さな身にして考えれば多量の妖精力を消費してしまう疲労感からあまり好まれない方法。だが、それを我慢してでも急ぎたいだけの衝動が彼の中に燃えていたのであれば、余計に雑談として流すわけにはいかなくなる。
「大木切り、ですか……」
妖精従きとして既に20年以上過ごしてきたが、一度だってその気配を感じた事のない妖精。
そんな存在が、ユールに妖精変調と言う状況を重ねて現実のものになるかもしれない。
想像にさえ難しい光景に、言葉にならない焦燥感を覚える。
思い過ごしであってくれれば良いのだが……。
そう思わずにはいられないことが、既に何かを物語っている気がしながら、冬の冷たい風が吹き込む窓を閉める。
「……信じましょうか」
しばらく自分の手を見つめていたが、直ぐに顔を上げて切り替える。
ここで悩んでいても仕方ない。仕事はまだまだ山積みなのだ。休憩を終えて、今日の分を早く終わらせるとしよう。
その日の作業を終え騎士たちが詰める宿舎に戻ると、玄関口に珍しい客人が立っていた。
「お、やっと戻ってきた。おつかれさん」
「……どうかしましたか、アラン」
アラン・モノセロス。軍内部ではわたしと対を為す柱とも言われる、海の番人。
同年代では並ぶものなしの実力を備えた、学生来の腐れ縁だ。
「ちょいと時間あるか?」
「分かりました」
声音に、真剣の色を聞いて胸の内と言葉を反転させる。
「飯を持って来てる。食べながらでどうだ?」
「……わたしが一人部屋でよかったですよ」
悪態を吐きつつ自室へ向かう。途中、隊の部下と擦れ違った時に、夜に陽でも見たような表情をしていた。
それもそのはず、この宿舎は陸軍の者が詰めている。そこに海の顔が、陸の一部をを預かっている者と肩を並べて歩いていたのだ。
有事の際にこそ手を取り合うが、肩書きを背負い顔を突き合わせば互いを意識する関係だ。
そんな、普段背中を向け合っている二人が足並み揃えて、しかも陸軍の建物を歩いていれば驚きもされるだろう。
「……迷惑だったか?」
「そう思うのであれば、次からはもう少し考えてもらいたいですね」
無神経が人の形を取ったようなこの男にも気遣いと言う物がまだ残っていたことに、彼が持ってきただろう話の重大さをなんとなく知りながら。
部屋を明かりで灯しつつ彼を招けば、当然のように要らない言葉を並べて。
「想像通り、退屈な部屋だな。こんなのじゃ何時まで経っても貰い手なんかつかないぞ」
「大きなお世話です。何飲みますか?」
「なんでも」
訊いてから思い出した。確か貰い物の茶葉があったはずだ。
こんな男所帯の宿舎に住んでいれば来客も限られる。荒れ果てた木の枝のような彼が相手と言うのは少し癪だが、風味を失う方が物に失礼だ。
考えて、水を火にかけながら尋ねる。
「今日はネロはどうしたんですか?」
「水遊びだと」
「そうですか」
水遊びとは妖精の集会のようなものだ。
もちろん言葉ほど堅苦しい物ではなく、妖精が──主に妖精従きの契約妖精達が、一か所に集まって話をしたり情報交換をしたりするだけ。特に水に属する子たちが集まるそれを、水遊びと呼び習わす。
因みにカガチのような炎に属する妖精の場合は火守と呼ぶことが多い。
その他、地や風にもそれぞれ呼び名は存在するが、今はいいとしようか。
「そういうカガチの方は?」
「……自由に任せてます」
憶測で物を語っても仕方ない。それに、もし彼の予感が当たっていたとして、その時対処をするのはわたし達陸の人間の仕事だ。アランに言ったところでどうなるものでもない。
「んーそうか。出来れば一緒に聞いて欲しかったんだがなぁ……」
温度を見ていた視線を上げれば、アランはこちらに背を向けたまま短い頭を掻いていた。
と、視線に気付いたように彼がこちらに振り返る。
「ってか何してんだ?」
「湯を沸かしているんです」
「別に飲めりゃあ水でも構やしないんだが……。相変わらず律儀と言うかなんというか」
どうしてそう人の好意を無碍にするようなことを明け透けに言葉にするのだろうか。
いっその事彼の分だけ白湯のままにしてやろうかとも一瞬思ったが、彼の言うところの律儀な自分が先立って沸騰する前の湯に茶葉を沈めた。
どうでもいいが、カガチとの契約のお陰でわたしは肌で温度を感じることが出来る。
とは言ってもカガチ程正確ではないし、温度だけで細かいところまでを見極めたりも出来ないのだが。何となく、適温だったり雰囲気だったりと言うのが察せられるのだ。
カガチが魂に干渉範囲を持つから、と言うのも理由の一つだろうが。恐らく混じり合っているのだ。
妖精従きと契約妖精の間には契約という繋がりが結ばれる。それによって妖精力を渡したり、人の身だけでは不可能な妖精術を行使したりと言う事が可能になるのだが。そうした関係が長く良好に続いていくと、段々とその境界線が溶けて消えていくのだ。
すると、契約相手の考えていることが言葉にしなくても察せられるようになったり。はたまた今のわたしのように相手の価値観を借りて知覚や知識が広がったりすることがある。
早い者は十年かそこらで波長が混じり合い、力の行使がより円滑になる。その副産物で、こうしたなにかに目覚めることがあるのだ。
契り合い、または絡縁と呼ばれるこの現象は、誰もが至るものではない。契約の相性次第であり、簡単に言えば唯一無二の相手として互いを認めた証だ。
常日頃から共に過ごしていたり、同じ目的を抱いていたり。そうした過程を経て関係が深まった状態。
呼吸を合わせて命を共にし妖精術を使う頻度が高い騎士などは、この域に達する者が多いと聞く。わたしもその一人なのだろう。
特別な事ではないが、普通の妖精従きと契約妖精とも違う。妖精従きにとっての憧れのような存在の形だ。
……とはいえ、日常生活に得は殆どなく。わたしの場合は丁度いい湯加減がなんとなくわかる程度。便利だが、別になくても困らない物だ。
「どうぞ」
「おう。ついでにこいつも頼む」
綺麗に色と香りの立った茶をカップに注ぎ机に置けば、アランは遠慮など捨ててきたように包みを二つ取り出した。
どうやらそれが彼の持ってきたご飯なのだろう。大方、『大地の首輪』辺りから無理を言って二人分料理を詰め込んできてもらったに違いない。また今度お礼を言いに行くとしよう。
「中身は?」
「色々だ」
「だからそれを訊いているんです。肉ですか? 魚ですか?」
「どっちも入ってる。けど確か焼き魚だ」
「分かりました。では3……いえ、2で」
「ほいよ」
彼らしい、軽い返事と共に妖精術が一つ行使されると、出現した水の膜が包みを覆った。それを両の手に取って、炎の妖精術で温める。
すると膜の内側に瞬く間に熱せられた蒸気が立ち込め、器の隙間から中に入り込んだ。
水と炎の属性の乗算。それを応用した、簡易的な調理だ。調理と言っても、熱した蒸気で温め直しただけだが。
「……はい、どうぞ」
「これが一人で出来ればもっといいんだけどな」
「属性の複数行使なんてまず不可能ですよ」
唯一可能性があるとすれば、異なる属性に愛された者同士が契約を交わした先の奇跡だろうが……そんなのは絶無に等しい。
そもそも妖精の側がそれを望まない。契約を大方相手に委ねる以上、起こり得ない空想だ。
ましてや、一人の者が二つの属性を操るなど……。あぁ、いや。一人知っているか。
だが彼女は人ならざる者。その生まれからして特別だ。例外を通説としては認められない。
「そういやこの前流れでこのやり方話したら、うちのバカが真似して火石で同じことをやろうとしたんだよ。そしたら案の定失敗して飯を魚の餌にしやがってな。偶然近くにいた大型種が撒き餌と勘違いして部隊丸ごと追い回されて昼飯どころじゃなくなった。いい迷惑だったよ」
「平和そうで何よりです」
海の治安を守る彼らは食事の時間も水竜や船の上で過ごす。その為、基本は食べやすい片手間な食事を携帯しているのだが……その日はよく晴れていたのだろうか?
なんにせよ、タルフ岩礁の一件以降目立った問題が起きていないようで一安心だ。
お陰でアランも、こうして直接話に来られているわけだ。
「そっちは何かないのか?」
「……春先の事ですが、新人がユニコーンに蹴られてました。いつもの事ですね」
ユニコーン。誰もが一度は耳にしたことがある幻想生物の名前だ。
純白の毛並みを持つ、一本の角を持った馬。その角には浄化の力があるとされ、悪しき物を征伐するとされる。
これくらいの話ならどの幻想生物も大抵持っている肩書き。ユニコーンが有名なのは、その気性だ。
その背は清らかな乙女にのみ許される、静謐にして潔癖の象徴。その為、当然ながら男はユニコーンに騎乗することが出来ないのだ。
ユニコーンに騎乗し隊列を為す気高き乙女の騎士たちは、町の女性たちの憧れでもあったりするのだが。
毎年春になると、軍にも新人たちが入ってくる。そんな中で好奇心の強い一部の者が無駄な行動力を発揮して、無謀に試み返り討ちに遭う……と言うのが毎年の風物詩でもあるのだ。
「あれなぁ、一瞬骨砕けたかと思うんだよな」
「わたしは知りませんよ」
そしてこの男、アラン・モノセロスも、そんな蛮勇の一人。
彼は、足蹴にされただけでは飽き足らず、尚もユニコーンに挑んで全力の突進をその身に受け。入隊早々寝具の上で一月も過ごす羽目になった底抜けの向こう見ずだ。
わたしはその場にいなかった為詳しくは知らないのだが、『後ろから行くから蹴られるのだから、前から行けば大丈夫だ』と、意味の分からない論を振り翳した結果らしい。
いっその事角に貫かれて、濁った性根から正してもらえばよかったものを……。
「と言うか、一体何をしに来たんですか。まさか過去の蛮行を自慢しに来ただけじゃありませんよね?」
「おっと、そうだった。悪い悪い。エルヴェと昔話する機会なんてそうないから楽しくなっちまった」
「わたしは思い出したくないことばかりですけれどね……」
少し記憶を遡ってみても、彼に振り回されたことしか残っていない。
幾ら彼の隣に立てるのがわたししかいなかったからと言って、体のいいお目付け役まで押し付けるのはいかがなものかと思う。
それにアランもアランだ。家庭も持っている立派な大人のくせに、いつまで経っても子供の様な振る舞いばかり。もう少し年相応に落ち着いたらどうなのだろうか。
そんなことを考えていると、いつになく真剣な表情をしたアランが食べる手を止めて告げる。
「これは今朝聞いた話なんだがな。何でもスハイルの方で一騒ぎあったらしい」
「……それは、どのような?」
「実害らしい実害ってのじゃないんだが、森の中を沢山の痕跡が並んで歩いた痕跡が見つかったって話だ」
「動物ではなく?」
「野生動物が道を作るためにわざわざ積もった雪を掻き分けたりするか?」
「……冬に纏わる大行進ですか」
カガチに聞いたカリカンジャロスの話が脳裏を過ぎる。
それが必ずしも繋がっているとは限らない。が、少し注意する必要はあるだろう。
何より、海に居て無関係なはずのアランがわざわざ持ってきた話だ。少なくともただの賑やかしではないのは確かだ。
「船乗りの話だからな。情報はちと古い。多分だが調べはもうスハイルの方でついてるはずだ」
「……それで、その話をわたしにするという事は、カリーナも無関係じゃないという事ですよね?」
「これは推測に過ぎないんだが、どうやらその一団はスハイルから南下したようなんだ」
「南下……というと、真っ先に懸念すべきは…………」
「あぁ、ミドラースだ」
フェルクレールトの大地の保護区域。四国が手を取って管理する、妖精に纏わる地。
数多の研究者が妖精と言う存在を解き明かす宝庫だと囁くかの場所には、未だ人の足が及んでいないところが沢山存在する。
と言う事は、逆に考えれば自然を愛する妖精達の住処でもあるという事なのだ。
そんな場所に、普段群れる事のない妖精が不穏な動きを見せて向かった。
これから調査隊を派遣して大規模な探査を行おうという矢先の話だ。警戒するに越しておくことはないだろう。
それに、ミドラースが絡むとなると調査隊に参加するアランも無関係ではなくなる。
「『風変り』の可能性もある。俺達が行く前に、何か一波乱あるかもしれないぞ」
「あまり想像したくない話ですね」
もしそんなことになれば調査どころではなくなる。対応に追われて目的が先送りになれば、それだけ妖精変調解決への手掛かりが遠のくことになる。
世界の方針としては、殆どの妖精が姿を隠す冬の間に、雪中行軍を押し通してでも成し遂げたい。新芽も芽吹く春まで縺れ込むのは可能な限り避けたいのだ。
…………それに。
「けど、その者達の目的がミドラースと決まったわけではないでしょう」
「……ってーと?」
「仮に、別の何かを求めて動いているとするならば」
「…………さらに南──カリーナか。けどこの国に何があるって言うんだ?」
「さて、そこまでは……。単に温かい地を求めて遅く動き出しただけの可能性もありますが」
「思ってもない事言うなよ」
なんとなく、アランならそう言ってくれると期待していたのかもしれない。
楽観視を排した、最悪の予想。それを乗り越え国を守る事こそが、護るという事だ。
だが、決めつけるには情報が少なすぎる。先走って出来上がりつつある和を無理に壊す必要はない。
「……これ以上は憶測が過ぎますね」
「俺から言おうか?」
「いえ、わたしから進言しておきます。また何かあれば教えてください。必要であれば力も貸してください」
「あぁ、分かった」
カリーナに何か用なら、それは陸軍の領分。だが、今の状況ではそんなことに拘っている時間は惜しい。
そちらに対処をしないといけないようであれば、手段を狭める必要性は感じない。
何より、深刻な状況でなければ合同調査隊派遣のいい予行演習にもなる。何もかもが悪い事ばかりと言うわけではない。
「……冷めてしまいますね。早く食べましょうか」
「そうだな。折角美味しいんだ。残す馬鹿はいないよな」
「勝手にわたしの中身を取らないで貰えますか? そっちにも入ってたでしょう」
「さっさと食わねぇからだ」
「好きな物は後に食べたいんですっ。返してください」
「けちけちすんなって」
「そんなことを繰り返していると、その内食べ物に殺されますよ」
「そりゃいいなっ。目一杯食って死ねるなら悪くねぇ!」
「返して、くださいっ」
「……ちっ」
全く、早く大人になったらどうですか?




