第二章
グラードの月に入り早数日。秋の季節も終わり、世界が早くも冬と肩を並べ始めたころ。
カリーナ城下町では年に一度の大掃除が行われようとしていた。
「すごい数だな……」
「一年に一回、総出だからね」
辺りを見渡せば人、人、人。一体この町のどこにこれだけの数がいたのかと言うほどの、圧倒的な物量。
これが全員、たった一つの目的、一か所に集まろうとしているのだから少しワクワクする。
そんな、この町に住む彼らと一丸になって行われるお祭りにも似た行事が、ぼくが夏過ぎからずっと楽しみにしていた──水箒だ。
今年からぼくも学園生。どこの学び舎も平等に、大人も一緒になっての町の清掃だ。
枯れ葉舞うこの季節に、一年の溜まった汚れを流し落とす。その為に町の天辺から水の妖精術を一気に開放するという、見ているだけで爽快な一日だ。
ほぼ一日かけて行われるため、殆どの仕事は休み。水が建物に流れ込まないように処置もしてあるし、いざと言う時のための避難も済んでいる。
そんな聞くだけでも楽しい催しに、今年はただ見ているだけではない。実際に洗い流す側で参加ができるのだ。
これが楽しみで仕方がなかった。ここ数日は胸の奥で虫が動いているような疼きが止めどなかったほどだ。
「……楽しそうだね」
「もちろんっ!」
一年でこんなに心躍る日が他にあるだろうか。
そんな高揚感と共に、隣の幼馴染の声に答える。
すると彼女──シルヴィは理解できないという風に溜め息を吐いた。そのあからさまな態度に問う。
「嫌いなのか? 水箒」
「そうじゃなくて……。ロベールがそこまではしゃげる気持ちが分からないってだけ」
「なんでだよ。普段歩いてる町が水浸しになるんだぞ?」
「水浸しって……もっといい言い方してよ」
水化粧とでも言えば満足するのだろうか。
「それに町が濡れるのは雨と変わらないし。……確かに綺麗になるのは嬉しいけど、そこまで胸躍らせることじゃないでしょ?」
そんなこと言われたって気分がいいのだから仕方ない。これは、理由よりも感性なのだ。
「まぁロベールは水が得意だから、そうなのかもしれないけどね」
「別に水の中で生活したいわけじゃないからな?」
「それは分かってるって」
呆れたように零して、それから彼女が何かに気付いたよう続けた。
「あ、でもこの天気なら少し悪くないかも」
「天気?」
見上げれば空には陽の光。水箒は毎年この時期の晴れの日に行われるのが通例だ。そうしなければ町に流した水が乾かないから。
「ほら、終わった後はしばらく水が残るでしょ? それが陽の光を反射して、町中が宝石みたいに輝くのは好きだよ?」
「ふぅん?」
そっちの感覚はよくわからない。町が水に満たされて、何もかもが流れていく方が見ていて楽しい。
……どうやらこの点に関してはシルヴィとでは分かり合えないようだ。
「ピスとケスはどうだ?」
「水」
「塞き止めてみたい」
「えぇ……」
水箒はそういう行事じゃないのに……。やっぱり二人の感性は特別すぎる。止めてどうするというのか……。
相変わらずな双子の答えに安堵さえしつつ、辿り着いた丘の上から町を見下ろす。
これからこの景色が水に染まる。そう思うと、再び胸の奥が擽ったくなった。
人が集まり終えると、一通りの説明の後それぞれの配置についた。
ぼくが任されたのは中央より西よりの区画。周りには同じテトラフィラの生徒もいる。
今回一度に水を流すのは千人以上。後ろには二千人余りが控えており、交代で午前中は水を流し続ける。幾ら力を持った者でも、ずっと妖精術を行使し続けることはできない。休憩は必要だ。
水の属性を扱えない者は、それぞれ別の場所を担当だ。
地は町の外へ水やゴミが漏れてしまわないように、町の周囲へ壁を。炎の人は町の下で流れてきたゴミを海に投棄しないように設置した網の適宜交換。風の力は、水が一所に溜まったり、はたまた行き届かない部分へ行き渡らせたりと言った末端の仕事。
誰が欠けても円滑には運ばない連携だ。今頃シルヴィも町のどこかへ、ピスとケスも町の外周へと辿り着いたはず。合図があり次第、水箒の開始だ。
少しだけそわそわしながらその時を待つ。すると後ろから小さく肩を叩かれた。
振り返ってそこにいたのは、一人の妖精。次いでその顔に見覚えがあることに気付いた。
「あれ、君あの時の……」
「久しぶり。元気だった?」
にこりと微笑む仕草に短い髪が小さく揺れる。変わらない笑顔に記憶を辿れば、その時の出来事が鮮明に脳裏に蘇った。
彼女と出会ったのはちょうど一月ほど前。シルヴィが恋語らいに惑わされた時に、森の中を案内して一緒に探してくれた妖精だ。
お礼に町を案内してからそれっきりだったが、どうやら近くに来ていたらしい。
「あぁ。そっちこそ元気そうで何よりだ。今日はどうしたんだ?」
「どうしたって、それはこっちの台詞。なんでこんなに愛すべき人たちが集まってるの?」
「愛すべき……って、そうか。ここには水ばっかりだもんな」
彼女に言われて納得する。どうやら水に愛された人たちが集まっていたから、その波長にでも惹かれてきたらしい。
「水箒だよ。知ってるか?」
「聞いたことある。水で人の世界を掃除するんでしょ?」
「世界っつうかこの町だな。ほら、秋が終わると枯れ葉があちこちに落ちるだろ? それを一気に洗い流すんだよ」
「面白いよね。まるで生まれ変わるみたい」
生まれ変わる。その言葉が胸の奥に心地よく嵌る。
そうだ、シルヴィにもそう説明すれば分かってもらえたかもしれない。
それくらいに彼女の言葉が胸の奥を的確に射貫く。
「ここにいる全員でやるんだっ」
「君も?」
「あぁ。合図があったら……」
言いかけた瞬間、町の下から炎の球が空へと打ちあがる。直ぐに向き直って両手をかざし、水を作り出して放つ。
音を伴って各所から水が生まれ、絡まり合って波濤となり町へと流れ込んでいく。
「こんな風に町の汚れを洗い流すんだっ!」
直ぐに自分の作り出した水がどれかも分からなくなって眼下を埋め尽くす。時折見える町の路地が、段々と海へ向けて水で染まっていく。
その光景をぼんやりと眺めていると、不意に頭の上に小さな重み。続けて吐き出す水の量が倍以上に増えて、慌てて制御した。
「うぉっ!?」
「楽しそうだから手伝ってあげる」
「……いいのか?」
「こんなに妖精術使う機会もないからね。それに、楽しそうだから」
やっぱりそれが一番の理由。だったら彼女の力を借りて少し楽をさせてもらうとしよう。
「ん~! 気持ちいい~!」
頭の上で小さな体を目一杯広げて笑みを浮かべる妖精。その声にぼくまで楽しくなりつつ笑う。
さぁ、待ちに待った水箒の始まりだ。思いっきり楽しむとしよう。
他の学生や大人と交代しつつ水で街を染め上げる。
普段自分の足で歩く町の道と言う道が冠水し、大小様々な川となって町の下へと流れ落ちていく。
絶えず流れ行く水のお陰で気温は涼しく、陽が照っていてもそれほど苦ではない。
唯一つ、ずっと妖精術を使い続ける所為で、体の怠さは否めない。幾ら水に囲まれていても、ここは元々人の住まう大地。海の上に浮かんで感じる、包まれたような感覚はない。その為回復もいつも通りで、休憩の時間はただ水を眺めているだけと言うむず痒さを覚える。
「大丈夫?」
「あぁ。それに今日は君もいてくれるからな。普段よりは楽なんだ」
「そう、それはよかったっ」
契約はしていないが、傍に居てくれる女の妖精。彼女のお陰で少しだけ妖精力に対する干渉が広がって、唯の妖精憑きほどの疲労感はない。
「それにもうすぐで午前は終わりだしな」
「終わった後はどうするの?」
「少し休憩したら、今度は町に入って細かいところを掃除するんだ。路地の作りの関係上、どうやっても水が行き届かないところはあるし、そもそもこれで全部の汚れが落ちる訳じゃないしな」
「そっか。人の世界はごちゃごちゃしてるもんね」
ぼくに言わせれば森の中の方が目印がなくて方向感覚が曖昧になるから怖いのだが……。そこは普段住まう環境の……種族差による価値観の違いだろうか。
「ロベールっ」
「お、戻ってきた」
そんな風に話をしていると、早くも当番から解放されたシルヴィが坂を上ってやってきた。
「二人はまだ?」
「あぁ。けどもうすぐ来るだろ」
「あれ、君……」
「ロベール、その子は?」
シルヴィに気付いて隣の彼女が小さく首を傾げる。自由を愛する妖精は、愛される属性が同じでない限り人の名前を覚えることは殆どない。未来に契約を交わすことがない相手の事を覚えていても何も得はないからだ。
しかしもちろん例外はある。それは妖精にとって忘れられないくらいに特別な記憶に残った場合だ。
「ほら、ガン……じゃなかった。えっと、恋語らいにシルヴィが惑わされた時があっただろ?」
「もしかしてその時の?」
「ん。元気そうで何より。その後変わりはない?」
「うん。お陰様で。あの時はありがとね」
「お礼はこの子に貰ったから平気」
ぼくの頭を軽く叩きながら笑顔で答える彼女。
人と妖精。その身に宿した波長も異なる二人だが、相反することなく仲良く言葉を交わす。
「そっちも大丈夫? この前のハロウィンとサウィン、あちこちで色々あったみたいだけど」
「周りは少し大変だったみたいだけど、わたしは大丈夫。それにここは心地がいいしね」
「そう。ならよかった」
妖精変調と呼ばれる公然の秘密。野良の妖精の身に変化が起き、それが原因となって悪戯以上の問題を引き起こすという騒動。
未だ言葉に出すことも憚られる緊張感は、目に見えずそこら中に漂っている。
彼女も寄る辺を持たない存在。いつその影響を受けてもおかしくない対象なのだ。
しかし彼女の自己申告では問題ない様子。一度ガンコナーに巻き込まれたシルヴィもそれほど警戒していないことから、一応は平気そうだ。
「ごはん」
「食べよう?」
「うぉう!? びっくりしたぁ……」
と、いきなり直ぐ傍から響いた声に鼓動が跳ねる。見れば、いつの間にかそこにピスとケスの姿があった。
相変わらず不思議な二人だ。声を掛けられるまで気付かなかった……。
「あら、これまた珍しい。鏡合わせって初めて見た」
「ん」
「よろしく」
水と地。場合によっては本能で拒否反応が出てしまう組み合わせだが、ピスとケスは大丈夫そうだ。やっぱり二人は特別らしい。
「よし。二人も来たことだし食べに行くかっ」
「ごはん? けど町はあれよ? 大丈夫?」
シルヴィを助けてもらったお礼に、共に巡った町。水浸しなそれへと視線を向けて訝しげに尋ねる妖精に、シルヴィが笑って答える。
「確かにね。お店なら無理だけど……でもほら、あそこ」
「わっ!」
指さした方向に目を向けた妖精が、その瞳を大きく開いて輝かせる。
彼女の視線の先には、人よりも大きな金属製の鍋が複数個。燃え盛る炎の上に鎮座していた。
「材料は既に運び込んであるんだ。こんな時しかあれは使わないけど、でも楽しみだろ?」
「……けどいいの? あれは人の物でしょ?」
「手伝ってくれたんだ。食べる権利はあるに決まってる!」
「ひひっ、やったぁ!」
普段食べない人の世界の、しかも一年に一度の食事。彼女たち妖精にとってこれ以上ない娯楽なのは間違いない。
妖精一人増えたところで変わりない。共に昼食だ。
列に並んで順番待ち。しばらくすると少し深い皿に入った煮込み料理を渡された。
皿を持ってシルヴィ達と腰を下ろし食べ始める。隣では妖精の彼女が身の丈に見合った小さな食器で珍しそうに口に運んでいた。
「これなんて言うの?」
「ラグーっていう煮込み料理だ。入ってるのは肉、豆、野菜と……あとクルートかな」
「クルート?」
手元をかき混ぜて中の材料を一通り列挙する。すると疑問の声が続き、答えたのはシルヴィだった。
「麺麭を欠片に切って、牛酪とかで焼いたり揚げたりしてるんだよ。そのままでも美味しいけど、普通はこうして料理に入れるかな」
「これ……?」
掬って見せる先には、深い赤茶色の固形物。固形と言っても煮込んであるから柔らかい。柔らかくて噛める。不思議な食感の、ラグーに欠かせない材料だ。
じっと見つめた彼女は、それから意を決したように口の中へ。咀嚼すれば、次の瞬間翅を小さく揺らした。
「なにこれっ。噛んだのに溶けたよ?」
「面白いだろ? 元が麺麭だから腹も膨れるし、牛酪の風味が煮込み料理によく合うんだ」
「おかわりもあるからたくさん食べてね」
「うんっ!」
やっぱり妖精の食事は見ていて楽しい。普段ぼくたちが食べ慣れている物でもこうして新鮮な反応が返ると、改めてこちらまで美味しく感じるから不思議だ。
シルヴィが思い出したように告げる。
「そう言えば、契約したら料理が美味しく感じるって言う話があったけど……」
「こんなの見せられて感じないわけないよな」
彼女の言葉を継げば、幼馴染は「そうだね」と笑う。
それにやっぱり、食事は大人数で食べる方が楽しい。しかも晴れ渡る青空の下と言うのは格別だ。
不意に双子が立ち上がる。
「どうしたの?」
「おかわり」
「もらってくる」
どうやら早くも一杯食べ終えたらしい。
足並み揃えて再び列に並び始める少女の背中を眺めて、シルヴィと二人小さく共有する。
「……ピスとケスってさ、小さいのに意外とよく食べるよな」
「だね。……なんかちょっと不公平かも…………」
「何の話だ?」
「…………なんでもないっ」
自分の体を見下ろしていたシルヴィが邪念を払うように首を振る。
何でもないならいいとしよう。下手に突っついて食事がまずくなる必要はない。
さぁ、しっかり食べて午後からも頑張るとしよう。
「おっかわり~」
小さな翅を震わせて。笑顔の隣人が皿を抱えて飛んで行った。
午後からは町中の細かな清掃。まだ水の残る城下の中を、それぞれの足で巡って汚れを落としていく。
掃除の再開が告げられるや否や、いの一番に駆け出してカリーナの城下町へと身を躍らせた。
石畳の溝に溜まった微かな水を搔き集めて足の裏に。斜面との抵抗を少なくして、飛沫を小さく散らしながら街中を滑走する。
水上歩行の応用。これからの時期、スハイルなどでよく行われるシースと言う雪の上を滑る遊び。あれを真似て、傾斜を利用し水で滑って移動する。
上から下への一方通行だが、普通に歩くよりも格段に速く町中を行ける。
普段は人が込み合いそんな危ないことはできないが、人が町からいなくなる水箒の日だけは例外。
午後の清掃が始まり人々が町中に散るまでの僅かな間、水を得意とする者たちにだけ許された特権だ。
「いぃぃやっほぉおおいっ!」
別に何か特別な商品があるわけではないが、誰もが競って沿岸部を目指す。そんな光景こそが、水箒第二部開幕の狼煙なのだ。
「水化粧の人の世界も面白いねっ。まるで湖の水を空からひっくり返したみたい」
「涼しくて、キラキラしてて。今日はよく晴れてるから余計に綺麗だな」
「いつもこうだったらいいのに」
今日は一日付き合ってくれるつもりらしい彼女の、肩の上からの声に笑みを浮かべて角を曲がる。
どうやら人工物に溢れるいつもの場所も、水を被るだけで彼女たちにとっては楽園に早変わりらしい。授業のない学園が特別に感じるのと同じだろうか。
「左に行くぞっ!」
「うん!」
脳内に城下の路地を思い出しながらさらに加速する。
もちろん本来の目的である掃除は忘れない。が、それ以上に特別な今日と言う日を満喫するために、全力で顔を上げて胸を躍らせる。
流れ行く景色は一年に一度の唯一。そんな時間を、気の合う隣人と共に仲良く過ごせる事に例年以上の思い出を刻みながら、地面を蹴り階段横の壁を滑って再び石畳に着地する。
耳元からこれ以上ないくらいに楽し気な声が上がって。留まることを知らない興奮の熱を、頬を撫でる風が抉るようにして町中へと振り撒いて行ったのだった。
* * *
年に一度の城下町の大掃除。上から下へと一年の汚れを押し流す水箒が終わって数日。
既にいつも通りの活気を取り戻した城下町を、いつもの制服に身を包み歩きます。
行き交う人々に視線を向けられることは当然の事。なにせ今、わたくしが着ているのは賑々しく熱気溢れる商業区画には似つかわしくない……使用人の仕着せ姿なのですから。
本来ならば私服で訪れるべき場所。そんな中で、普段どこかの家や建物の中でしか目にすることのない使用人姿の女性が一人、憚りなく歩いていれば注目もされるというものです。
わたくしとしましても、このような姿を皆様の目に晒してしまう事に対して恥ずかしさや申し訳なさを覚えないわけではありません。使用人とは陰から支える者。こうして日の下に堂々と姿を現すという事はまずないのでございます。同業者からすれば恥以外の何物でもないでしょう。
しかし今こうしてその常識外れを冒しているのには、当然理由もございます。
それは単純明快に、今も尚責務に邁進している為でございます。
使用人の正装である白と黒の一繋ぎ。この装束で以って今お仕えするのは、わたくしが住み込みで奉公させていただいているお屋敷、アルレシャ家の双子姫こと、ピス・アルレシャ様とケス・アルレシャ様のお二方です。
事今回は、お嬢様の捜索と言う単純にして複雑難儀なお仕事でございます。
話の発端は、近日開催されるテトラフィラ学園での学園祭に及びます。学園祭では毎年、学生がそれぞれの教室で出し物を行い、ご家族や来賓を招いて盛大に宴が行われます。
その出し物において、学生は日頃の勉学の集大成として妖精に纏わる形での成果を求められます。
わたくしは妖精が見えませんので、同僚などから聞いた話になりますが。例えば妖精術を用いた座興や接客であったり、はたまた雄姿を競い合うような物まで催されるとの事です。
普段机を並べて様々な知識と真理に向き合っている彼女たちが、その発想の限りを用いて行う、お祭りにして発表会。その準備期間が昨日より始まり、普段の授業工程を一旦横に置いて日に少しずつ当日へ向けて様々な用意を行っているのであります。
もちろんの事、学園祭はテトラフィラ学園の敷地内での開催に留まりますが、その一回をより良いものにするために沢山の提案や資材を用いて準備を進めていくことになります。
となれば当然、買い出しなどの仕事もその都度必要になってきますので、手の空いている者が町へ繰り出して……と言う事になります。
さて、そんな風に事が運ぶと、自ずと普段は存在する垣根など熱量によって掻き消されてしまうでしょう。
いつもは大人しい人がやる気を見せたり、かと思えば逆に消極的になったり。様々な思いが入り乱れて段々と一つの答えへと固まって纏まっていく。
その過程の中では、適任ではない仕事を任されるという事も当然ありましょう。
わたくしが思うに、今回はその一つ。
特に、体の小さく周りに雰囲気に流されない、自分の世界を持っているお嬢様。そんなお二方が資材の買い出しを頼まれた、と言うのが、分かりやすい現状でございます。
そしてそこに偶然わたくしが別な仕事で居合わせて。小さな体で沢山の荷物を運搬しようとするお嬢様をお見掛けしては、堪らなく手を差し伸べてしまうのは致し方のない当然の事実でございましょう。
……いえ、公私混同ではございません。これは立派なお仕事です。
と言うのも、お嬢様のお手伝いをと言うのは、その時白皙城に戻る途中だった馬車の中からコルヴァズ大統領陛下が目を止めてわたくしに下賜された命でございます。
本来ならば一度城へ戻り、報告を終えてから次の仕事へ……と言うのが流れではあるのですが。馬車には陛下の他にエドワール様もいらっしゃって、後の事は彼が引き受けてくださるという事で急遽別命を拝命した次第でございます。
結果、仕方なく仕事着のまま、預けられた命……その実、私的な思いやりに突き動かされたいつも通りをこなし始めて。
まだ資材の買い出しが残っているというお嬢様に付き従い商業区をお供致しましてしばらく。お手洗いと言う事でしばしお傍を離れたのでございますが、想定される時間を過ぎてもお嬢様はお戻りになられなかったのです。
訪れたと思われるお手洗いも見回りましたが、そこにお嬢様の姿はなく。
その段に至ってようやく不測の事態が起きたのだと理解いたしました。
預かっていた荷物を近くにあった商館に預け。すぐさま仕着せを翻して町中へと足を向けたのがつい先ほどの事でございます。
「……さて、どこへ行かれたのでしょうか」
自らの頭を切り替えるように音にして辺りを見渡します。
先ほどお手洗い周辺で聞き込みをした限りですと、誘拐と言う線はまずありえないだろうというのが個人的見解です。
お二人は自覚が薄いようですが、ここカリーナの城下町ではお嬢様の名前を、姿を、お顔をご存じないという方はまずいません。
テトラフィラ学園へ入学する以前には、陛下が何かにつけてお嬢様を溺愛され。そんな様子をここに暮らす人々は日常のように頻繁に目にしていたのです。
ですので当然、町中を歩けば声を掛けられることはなくとも、視線はまず間違いなく注がれるほどの有名人でございます。
そんなお方が市中、しかも白昼堂々と狙われれば、瞬く間に噂として広がり。悪劣非道な行いは勇敢な方によって阻まれるはずです。
何よりお嬢様自身が抵抗されるはずですので、何かあれば目立つことでしょう。
わたくしが知る限りでは、そのようなお話はお聞きできませんでした。ですので恐らく、悪意ある意思に曝されたという可能性はまず排除できるのです。
では一体、お嬢様はどこへ姿を消したのか。
それを考えて真っ先に至る想像は、わたくしにとって中々に苦難の道のりを孕むのです。
この想像が当たっているとすれば、わたくし一人では偶然に頼るほかなくなってしまうと言うのが、どうしようもなく不甲斐ない話でございます。
で、あれば。わたくしに残された選択肢は幾つかだけ。その中から最も道理に適った道を選びましょうか。
「では参りましょうか」
小さく呼吸一つ。それから足を向けてやってきたのは、そう言えば初めて訪れることとなる、テトラフィラ学園でございました。
この春に、いざと言う時の為にと頭の中に入れておいた地図を頼りに目的地へ。途中擦れ違う生徒たちをお騒がせしつつ扉を叩いて入室すれば、こちらへ向いた視線の幾つかが驚きに見開かれるのが分かりました。
不躾に仕着せの使用人が姿を現せば当然の反応でございますね。
「突然の訪問失礼いたします。こちらに通われている、ピス・アルレシャとケス・アルレシャについてお話ししたいことがございまして参りました。リゼット・ヌンキ様はいらっしゃいますか?」
「え……あぁ。ヌンキ先生ならアルレシャさんの教室にいるはずですが。案内しましょうか?」
「そうですか。ではそちらに伺わせてもらおうと思います。失礼します」
逸る気持ちを抑えて職員室を後に。それから再び校内を進み、お嬢様が普段勉学に励まれている教室へやってきました。
と、丁度教室から出てきたところのリゼット様をお見掛けしました。
「リゼット様」
「あら? シンストラさん……? こんなところまで……どうかしましたか?」
「お嬢様の事で少しお話がございまして。今お時間よろしいですか?」
「二人の? ……そう言えばまだ買い出しから戻ってきていないけれど」
そこまで言葉にされたリゼット様が、それから何かに気付いたように纏う雰囲気を硬くしてこちらを見つめました。
「まさか……いえ、とりあえずこちらへ」
案内されたのは直ぐ傍の空き教室。念の為と施錠をしてこちらへ向き直られました。
「それで、二人がどうかしましたか?」
「先ほど、学園祭で使う予定の資材の買い出しに商業区へと出てこられていたお嬢様とお会いいたしました。訳あってそのままお嬢様のお手伝いを仰せつかったのですが、途中お手洗いに向かわれたお嬢様はその後時間が経っても戻られませんでした」
いきなりの説明に挟む言葉を見失ったように黙り込んだリゼット様。とりあえずは一通りのあらましをと言葉を続けさせていただきます。
「わたくしもお探ししましたが姿を見つけることは叶わず。幾つかの推測からこうしてリゼット様にお話をと思い学園を訪れた次第ででございます」
「……まず確認させてください。二人は…………」
「誘拐や、その他故意の悪意でないことは確認済みです」
「そう……。それで?」
「つきましては、リゼット様のお力をお貸しいただきたいと思いまして」
「私の?」
「はい。より具体的には、妖精従きとしてのお力です」
そう。わたくしがここにやって来たのはそれが目的でございます。
わたくしの想像が正しければ────
「わたくしの見立てでは、お嬢様は恐らく妖精と共にいるのだと思われます」
「……妖精変調…………」
理由は大まかに二つ。
一つは妖精に好かれるお嬢様が、困っている隣人のお手伝いにと行動を共にしている可能性。
そしてもう一つは、リゼット様が仰った妖精変調でございます。
これまで妖精たちに見られなかった、本能を第一主義とする理性の働かない悪戯。時には巻き込まれた人の側が物理的な被害を被ることもあるという報告も聞くほど大きな問題であります。
つい先日も、お嬢様のご学友であるシルヴィ・クラズ様が妖精変調と思しき状況に居合わせたとの事でございます。
国境付近に限らず、国の中心地でも……。であれば、妖精に好かれるお嬢様がそれに巻き込まれてしまう事もあるでしょう。
「まだそうと決まったわけではございませんが、念の為。リゼット様には春の時もお世話になったことを思い出しまして、助力を受けられればと思ったのです」
「なるほど、そうでしたか……。もちろん構いませんよ。私にとっても二人は大事な生徒ですから」
「ありがたく存じます」
二つ返事で頷いてくださったリゼット様。彼女は、前にお嬢様が森の中へと姿を消した時も懸命に探し出してくださったと後から聞きました。彼女の妖精従きとしての実力はわたくしも知るところでございます。
そんなリゼット様が学園に話を通しに行くのを待って校門でしばらくお待ちすれば、薄手の上着を一枚羽織って姿を現しました。
「では行きましょうか。最後に確認が取れた場所に案内してもらえますか?」
「こちらでございます」
足を出しながら、それから一つだけ気になったことを尋ねます。
「お嬢様の捜索に関して、事前に必要なものはございますか?」
「いえ、大丈夫なはずです。……強いて言えば終わった後の方が大変ですから」
「差し支えなければお訊きしてもよろしいですか?」
改めてお礼をしなければなりませんからね。リゼット様がお困りになるのであれば、可能な限りの返礼にて問題の解消のお手伝いを、というのも選択肢の一つですから。
「この子の……シリルの力を借りるのだけれど、急に呼び出しちゃったから機嫌が悪くて。また作業の邪魔をしちゃったみたいだからそれの埋め合わせをする予定なんです」
リゼット様が頭の上の辺りを指先で撫でるような仕草をなさいます。恐らくその辺りにいらっしゃるのでしょう。
「シリル様とおっしゃるのですね。顔を見てお礼申し上げられないこと、残念に思います」
「あぁ、そっか。シンストラさんは見えないのよね」
「はい」
わたくしがお嬢様の傍付きとして最も足りない部分があるとすれば、それはきっとお二方が感じられている世界の全てを共有できないという事でございましょうか。
妖精が見える者……妖精憑きであるかどうかは、生まれ持っての才でございます。両親が見えたからとてその子が必ずしも見えるとは限りませんし、その逆もまた然りなのです。
「そこでなのですが、お嬢様捜索のお手伝いと、直接のお礼が出来ないこと。それぞれ別の形で謝礼をできればと思うのですが、いかがでしょうか?」
「そんなっ、お礼だなんて!」
「ですが今回のお話は、わたくしの瑕疵に起因する私的なお願いでございます。わたくし個人としてリゼット様とシリル様のお手を煩わせ、相応の対価をお支払いするのは当然の帰結です」
これでも一応国に召し抱えられる使用人です。仕える主の品位の為にも譲れない矜持なのでございます。
「けど…………あ、ちょっと、シリルっ!」
リゼット様にとっても、お嬢様の捜索は教師の責務として当然の事。ですから素直には受け取れないのでしょう。
恐らくそんなお言葉を次ごうとした矢先、リゼット様が慌てたように契約なさるはんぶんの方のお名前を呼ばれました。
と、次いで頭の上に小さな感覚。まるで透明な空の瓶を置かれたような僅かな感触に何事かと意識を向ければ、想定の外……意識の内からわたくしではない声が響きました。
『ちょいと頭の上、失礼するぞ』
音の伴わない、けれども言葉として認識できる不思議な感覚。まるで頭の中に直接言葉を綴られているような違和感は、けれども続いた言葉で解消され、すんなりと呑み込むことができました。
『シリルだ。よろしくな』
シリル様。リゼット様の契約相手の妖精のお名前ですね。どうやらわたくしの頭の上から直接お話ができるようでございます。
少し驚きましたが、初めての経験ながらどこか安心してしまうのは不思議ですね。冷たくも暖かい何かが体の中を駆け巡っていくようです。
『でだ。さっきの話、本当か? どんなお礼でもいいのか?』
お礼のお話ですね。もちろん本心でございますが、さて……どのようにしてお伝えいたしましょうか…………。
『別に声に出さなくていいさ。このまま伝わる』
まるで心の中を覗かれているようでございますね。妖精と言うのは不思議な存在です。
『妖精ってのは取り引きが好きな存在なのさ。手助けの代わりには見返り。そこを蔑ろにしないあんたの事は結構好きだ。だから手を貸す。感謝しろよ?』
えぇ。もちろんです。ですのでご希望があれば何なりと仰ってくださいませ。可能な限り尽力させていただきます。
『よしきたっ。だったら革だ! 靴にしてもいい丈夫な奴。なんでも魚の皮を鞣した珍しいのがあるって聞いたんだ。それ用意できるか?』
魚の皮ですか。わたくしは存じ上げませんが、知り合いに知っている者がいるかもしれませんね。海の事にも顔の広い方がいらっしゃいますので、恐らく問題ないと思われます。
『なら契約成立だ! 直ぐに探し出してやるから約束は違えるなよ?』
はい。ご協力、感謝いたします。
そう胸の内に抱いた途端、頭の上の感覚が遠ざかっていつも通りに戻りました。リゼット様の下へ戻られたようでございますね。
「リゼット様」
「全く……。ごめんなさい、迷惑を掛けてしまって」
「いいえ。お手を貸していただくのですからお礼は惜しみません。シリル様にもよろしくお伝えください」
「……分かりました。お礼の件はそれで手打ちってことでいいですか?」
「はい」
これ以上はリゼット様も望まれないに違いありません。落としどころが見つかったのであればそれを尊重すると致しましょう。
「ではこちらに。シリル、お願いね」
そうして、先に立って歩きだしたリゼット様の後を追えば、やがてやって来たのはわたくしがお嬢様の足取りを見失った付近でした。
しばらくそこで足を止めたリゼット様は、それから徐に踵を返して商業地区を学園のある山の方へと向かって歩みを進め始めました。
ここまで進んできた道とは別にはなりますが、どうやらそちらにお嬢様はいらっしゃるようです。
もしや逸れた後、なにかしらの理由で合流が困難だと悟って学園へと戻ったのでしょうか? それでしたらただ少し擦れ違っただけと言うだけの話ではございますが……。
そんなことを考えながらリゼット様の背中について歩けば、その足取りはやがて学園とも違う方向へと向きました。
行く先に見える大きな建造物に、リゼット様が怪訝な声を呟きます。
「シリル、本当に合ってる? ……だってこの先は…………」
「白皙城でございますね」
白皙城。それはここカリーナ共和国の象徴たる、大統領陛下が座する中心地──カリーナ城でございます。
買い出しに町へと出て来られ、何らかの理由で消息を絶ったお嬢様。その行き先がわたくしが勤める勤務地と言うのは一体どういう事でしょうか。
お嬢様はつい先日、妖精変調に関する諸問題への対策部隊に、非常事態への門客としてお名前をお貸ししたと聞いております。もしやその肩書きに則って、居合わせた妖精絡みの問題解決にこちらを訪れたのでございましょうか?
そう考えた直後、リゼット様が入り口を前に歩みをお止めになりました。その意味に直ぐに気付き、ここからはわたくしが先に立たせていただきます。
「どうぞ、ご案内いたします」
「……ありがとうございます」
幾ら国民、そして人探しの建前があれども、ここは国の中枢であり世界の柱。断りもなく境界を侵犯すれば、後に責を問われます。
ですが、誰か……関係者の案内と言う事であれば問責は免れるでしょう。この場合、怒られるのはわたくしでございますが、今回は仕方ありませんね。
公私入り乱れているのは重々承知。それでも、と意を決して城内へと足を踏み入れます。
時折リゼット様に行き先を尋ねつつ敷地内を歩けば、やがてやって来たのは草花の温室栽培が行われている建物でした。
「……すごいですね」
「リゼット様は城内に来られたことはございますか?」
「昔に一度。ですがここに来たのは初めてです」
「この建物は城内に勤務する者達の憩いの場でもあるのです。妖精の方々もよく遊びに来られているみたいですよ」
「これだけ自然に溢れていればそれも頷ける話ですね」
妖精の多くは自然を好まれます。その為、人が発展させた町の中であっても、人工的であれ自然の多い場所は彼女たちにとっても憩いの場となることが多々ございます。
とはいえ、わたくしにはその賑やかで煌びやかな世界を覗き見することも叶わないのでございますがね。
「シリルも、工房にばかり篭ってないでこういうところに遊びに行ったらどうなの?」
ここに来るまでお聞きしたのですが、シリル様は物づくりをなさることが生き甲斐の一つとの事です。
お嬢様捜索の見返りにシリル様が所望なされたのも、靴にしてもいい丈夫な革と言う話。そこから類推するに、シリル様は恐らくレプラコーンと呼ばれる妖性の持ち主でございますね。靴職人とも呼ばれる、働き者の妖精でございます。
レプラコーンの作る靴は人が作るそれより数段上質と言われ、時には一生履き続けられる一品とも耳にしたことがございます。……もちろん人の世界に流通するそれは数少なく、相応の値が付くためにわたくしにはおとぎ話のような存在です。
その為、レプラコーン作の靴は富裕層の中でも更に一握りの者たちが履く、これ以上ない富の象徴の一つとなっているのです。
わたくしには、靴一足に土地一つの値が付くなんて全く以って信じ難い話でございますね。
リゼット様が今履かれている靴も、もしかしたらそんな一足かもしれません……。
と、そんなことを考えていた中、視界に見間違えることのない後ろ姿を捉えました。
どうやらシリル様のご案内通り、こちらにいらしたようですね。
わたくしが気付くのと同時、あちらもこちらへと振り返られました。
「お嬢様、お探し致しました。ご無事で何よりです」
「ん」
「ごめんなさい」
開口一番、天色の瞳と共に向けられたのは、いつもより少しだけ調子の沈んだ謝罪のお言葉でした。
そこで一つ気付きが。何やら今回の雲隠れには訳ありのようでございます。
一体どんな理由かと、尋ねようとしたところでリゼット様が問われました。
「その子は?」
声と視線の先には……幾つかの草花。次いでお嬢様の意識がそちらへ向いたことに察します。
どうやら当初の推察通り、妖精の方と関わり合いになっていたようでございますね。
「迷子」
「道案内」
「……え?」
お嬢様のお言葉に、一瞬の間を空けてリゼット様が驚いたような声を漏らされました。
お二方の担任をなさっている方が、今頃その言動に純粋な疑念を抱く……。そんな想像は、けれども続いて顔に浮かべられた表情で払拭されました。
リゼット様がお嬢様を見つめるその視線。そこには、強い警戒の色が見て取れたからです。
その情報があって、ようやくわたくしも納得が見つけられました。……なるほど、『迷子』に『道案内』でございますか。
「お連れの方の帰り道は見つかりましたか?」
「うん」
「大丈夫」
「それは何よりでございます」
リゼット様が何かを言うより先に、話を頂きます。向けられた視線には、小さな合図を。
「ですがお嬢様、隣人と過ごす時間も貴重で代え難い経験とはいえ、当初の目的もしっかりと果たすことこそが責任でございます。よろしければ今一度町に戻り、ご学友より承った責務を完遂するのはいかがでしょうか?」
「うん」
「行こう」
一度受けた仕事を放り出すような事をお嬢様がなさるなどとは微塵も考えていませんでしたが、やはり想定外は如何ともし難いですね。今回ばかりはわたくしがお力添えできないことがとても不甲斐なく思います。
そんなことを思案しながら、草花に……そこにいらっしゃるのであろう妖精の方に別れを告げたお嬢様の後について足を出します。
すると隣にはリゼット様の足取りが並ばれました。
「シンストラさん」
「はい。存じているのでご心配なく。今回のお話は、わたくしの方で預からせていただいてもよろしいでしょうか?」
「……えぇ、お願いします」
囁くような小声は周りに配慮してのもの。それだけの危惧と波乱を内包した場面に居合わせたのですから、仕方のない事でしょう。
先ほどお嬢様が別れを告げた妖精……。かの存在は、惑い者と呼ばれる妖精変調影響下の妖精でございます。
魂の在り方に大きく左右された言動を行う彼女たちは、時に不和を周囲へ及ぼす不確定な渦。どのような経緯かは未だ理解しかねますが、その天災の如き結果は、わたくしたちを危険の縁へと追い立てます。
お嬢様と行動を共にされていた妖精がそうであると気付いたのは、恐らくシリル様。それからリゼット様が聞き及び、関連して浮かべた横顔をわたくしが垣間見た、という事でございます。
そしてなにより、お嬢様はそれを『迷子』と『道案内』として表現為されました。
つまりは、偶然出会った妖精変調影響下の惑い者に手を差し伸べ、行き場の分からず『迷子』となっていた存在を、ここまで導いて『道案内』をしたと。それがわたくしと別行動をされたお嬢様の理由と今でございます。
終着点がこの温室であったのは、ここが妖精にとって心地の良い、自然溢れる場所であったからでございましょう。
人の世で迷っていたなら、妖精の価値観に近しい空間へと連れてくる。特別おかしなことではございませんからね。
……まぁ、強いて言えば、一言ご相談いただければここまで大きな問題になることはなかったという事でございましょうか。お嬢様らしい事とは思いますが。
「念の為、リゼット様にはお嬢様の事を気にかけていただきたいのですが」
「えぇ、それはもちろん。他の子にもよく言っておきます」
「ありがとうございます」
いついかなる時もわたくしがお傍に控えておくわけには参りません。
ですが、リゼット様は信頼のおける方。お任せして、間違いはないでしょう。
「ジネット」
「荷物は?」
「商館に預けています。まずはそこへ受け取りに参りましょう」
いつもと変わらない様子で振り返ったお嬢様に答えれば、満たされた納得と共にまた一歩足が前に進みました。
そんな、拍子抜けさえしかねない振る舞いに、リゼット様と二人小さく吐息を重ねれば、自然と笑みを零したのでございました。
* * *
「そっか、もうそんな時期か……」
飲み物を机に並べ終えたジルさんが呟く。
最早特別感などない、学校からの帰宅途中の寄り道。
隣の相方はいつもと変わらず気の知れた幼馴染。腰を落ち着けているこの場所も、もう何度訪れたのか定かではない行きつけの喫茶店、『胡蝶の縁側』。
そんな有り触れた放課後の、今日の話題は学園祭について。
「ジルさんの時も学園祭はあったんだろ?」
「そりゃ当然な。まぁ僕が通ってたのはただの教育機関だから、二人とは少し違うかもだけど」
ジルさんは妖精が見えない。もちろん、見えない人も教育を受けて育つ。
妖精憑きや妖精従きは妖精との付き合い方を学ぶところへ。そうでない者は極一般的な、基礎教養を身に着ける場所へと通う事となる。
とは言っても、見えない者も自衛のため、幾らかは妖精について学ぶのだが……。結局のところ交わらない人たちはどこまで行っても見える人とのそれを共有することはできない。これは致し方のない限界だ。
「やっぱりあれか? 妖精憑きや妖精従き向けの出し物だったりするのか?」
「そう言うのもあります。けど大体は見えない人でも楽しめますよ。どれだけ特別な力を使えても、それを行使するのは人なので。あたしたちは人間ですからね」
「そりゃそうだ」
これもまた、学園で耳が痛い程言われる言葉。
どれだけ足掻こうとも、結局のところあたしたちは人だ。ただ少し、妖精と交信して、持て余す力を使えるだけ。
妖精と言う存在がいなければ、ただの人に過ぎない。
気が合って、契約ができるからこそ特別感に浸れる。
その事を自覚して、自らが持つ力の意味をしっかり理解しなければ、本当の意味で妖精従きにはなれないのだと。
時には卒業さえ難しくなると脅される心の持ちようは、世界を歪めない為の大前提なのだ。
「それで、二人の教室は何をするんだ?」
「妖精術を使った疑似心霊体験です。教室を暗くして、陰から遊びに来た人を脅かすんですよ」
「妖精に悪戯されるのとそう変わらないな」
ジルさんにとってはその通りかもしれない。
ただ、暗闇と言う条件下は、必要以上に恐怖心を煽る。普段感じているそれだと油断して訪れた客は、それは愉快な反応を示してくれることだろう。
「それに、ぼく達にも制御不能な秘密兵器もあるからなっ」
「……それはまた随分と危なっかしいが、秘密兵器?」
「妖精の飛び入り参加です」
幼馴染……ロベールの勿体ぶった言葉を種明かしする。したところで、何の影響もない。
「妖精は楽しい雰囲気が大好きですからね。学園祭の空気に惹かれてやってくるって言うのはまず避けられません。けど、だったら逆に、それも巻き込んでしまえば見えないところで大きな騒動は起きませんよね?」
「……なるほど突発的な妖精の悪戯も出し物に組み込んでるのか」
「それに、先生曰く妖精と触れ合ういい機会だってよ。見えるからこそ警戒心が薄まるから、想定外に向き合う勉強らしい」
「強かだな」
実際問題、妖精の機嫌さえ損ねなければいい。諍いを起こさないように、彼女たちの衝動を受け流す。中々に難しい注文だけど、できなくはないはずだ。
何より、これが出来なければ学園を卒業して一人で立った時に、振り回されて痛い目を見るだけ。
厳しいようだが、妖精と付き合っていくためには必須技能なのだ。
「けど大丈夫なのか? 妖精変調、だったか……。あれが起きたら勉強どころの話じゃないだろ?」
ジルさんの指摘は尤もだ。
妖精変調と呼ばれる、妖性の暴走問題。時に命さえ脅かす彼女達からの干渉は、ようやく世界に噂ながら周知され始めたばかりだ。
特にジルさんのように、見えない人にとっては恐怖以外の何物でもない。知覚できないところから、気付いた時には手遅れ……なんて想像が巡ってしまうのは致し方のない防衛本能だ。しかし……。
「それなんだけどな、どうやら今回に限っては逆に有効なんじゃないかって言われてる」
「有効?」
「これはトゥレイス騎士団国の方から入ってきた情報らしいんですが、あの国では妖精変調や惑い者の報告が少ないらしいんです」
学友に、家の仕事柄、国外の情勢に精通している子がいる。その子の話だから随分信憑性は高い情報だ。
「トゥレイス騎士団国はフェルクレールトの中でも一際賑やかですよね。多分それが妖精変調の影響を最低限に留めているんじゃないかって噂です」
「賑やかが有効? どういう事だ?」
「ほら、妖精って楽しい事が好きだろ? で、国単位で楽しい事をしてるトゥレイスで、妖精変調の影響が少ない。ってことは、賑やかに盛り上がる方がそういう被害が少なく済むんじゃないかって事だ」
ジルさんの疑問に、分かりやすい論調でロベールが答える。
からくりは単純だ。ただ、効果が不明瞭なため、確実に大丈夫とは言い切れない。
けれどもしこの想像が当たっているのだとしたら……変に規模を縮小して学園祭を実行するより、より大々的に盛り上げた方が効果が見込めるかもしれないと、そういう事なのだ。
「だから今回は、遠慮せずに学園祭を開催するんだと」
「なるほど。……ただあれだな。盛り上がり過ぎて大事にならないようにしないとな」
「そこをうまく対応するって言うのが、先生の言ってる『いい機会』って事だと思いますよ」
妖精変調の影響を抑え込んだ上で経験を積み重ねられる。学びの機会を得られる学園としては願ってもない話なのだろう。
それに、いざという時は先生が対応してくれるという話だ。
ものを教えるという立場上、先生達は妖精との付き合い方に長け、軍属の経験があったりする。そんな人達が最後の砦になって守ってくれると言ってくれているのだ。だったら信頼して、経験を積むことこそがあたし達の使命。
なにより、楽しく盛り上がるというのは願ってもない話だ。……あたしにだって、やりたいことがあるのだから。
「だからな、ジルさんもどうかって思ってな」
「どうとは?」
「学園祭を盛り上げたい。その為にはお客さんが沢山来てくれるのが一番ってことです」
「ふむ……。けど、これでも一応店主なんでね。そう簡単に店を空ける訳にも────」
「先生もその方がきっと嬉しいですよ?」
「む……」
渋ったジルさんに、何でもない風を装って提案する。
この前のハロウィンの時、あたし達の担任であるリゼット・ヌンキと目の前の彼が一緒にいるところを目撃した。その瞬間、これまであった違和感の点が線となって繋がり、二人の関係性を知ったのだ。
あたしが見たところ、ジルさんは先生に片想いをしている。
同じく片想いをしている身からすれば応援したい人物。だからこそ、その背中を押すのだ。
因みに、先生の方はあまりそういう事に興味がない様子。結婚はまだだからジルさんがそういう対象にならないということはないだろうが、今のままだと少し厳しそうだ。多分、よく行くお店の店主……その程度の認識だろう。
けれども、接点がなければそれ以上はあり得ない。
片想いも、勇気と共に抱き続ければ実るのだと。同じ想いを抱く身として、彼の行く末には共感と期待が募るのだ。
「もちろんあたしたちもですけどね」
「つぅかさ、今日だって客入ってねぇじゃねぇか」
一言多い! と言うか、ロベールだってあの時は一緒にいたのだ。それなりにいい線をいった推測も出来ていたのだから、もう少し考えて発言して欲しい。本当に鈍感……!
「客なら君たちがいるだろ? ……まぁ暇だったら考えるよ」
「待ってますねっ」
ジルさんの事だ。きっと来てくれる。
そうしたらあたしももう少し協力できる。もちろんロベールも巻き込む。
折角知った秘密だ。理想が実りますように。
ジルさんのお店からの帰り道。通い慣れたいつもの帰路を、ロベールと二人歩く。
話題はお店から引き続き学園祭の事。
「ロベールはどこか見て回る予定とかあるの?」
「今のところは別に。……まぁ、ピスとケスが一緒だったらいいかなとは思うけど」
「………………」
行く当てが決まっていないのは本当。後ろの言葉も恐らく本心。……という事は、言い伝えの事は知らないのだろうか。
だったら…………。
「ねぇロベール」
「なんだ?」
「後夜祭の踊りなんだけど……」
「あぁ、バルフェストか。そう言えばそんなのあったな」
バルフェスト。学園祭の後夜祭で催される踊りの事だ。
炎を焚き、それを囲んで星空の下楽しく踊る。妖精の宴と呼ばれる、妖精の踊りの祭典。それを模した行事であり、学園祭最後の催しだ。
学園祭が盛り上がれば、妖精たちも沢山遊びに来る。そうすればバルフェストでも妖精たちと共に楽しい時間を過ごせる。
そんな舞踏会には、どうやら言い伝えがあるらしいのだ。
曰く、手を取り合って踊った者たちは特別な縁で結ばれるらしい。
妖精が絡むこと、彼女たちの文化を元にしていることからそんな噂が広まったのだろう。特別な縁というのも、本来は人と妖精が肩を並べる……契約に纏わる類の話であるようだ。
しかし、いつからかその言い伝えにもう一つの伝説的な願いが沿って語られるようになった。
一緒に踊った男女が結ばれる、というものだ。
冷静に考えれば、お祭りの熱気に充てられて交際が……はたまたそのきっかけが生まれるという事なのだろう。が、実際に結ばれたという例が過去にあるのだから、恋する者にとっては無視はできない言い伝え。
ロベールはまだこのことを知らないようだが、あたしとしては他の誰でもなく彼と踊りたいのだ。
あわよくば、先生とジルさんも踊ればいいっ。
「よ、よかったらあたしと踊ってくれない、かな……?」
「えー、面倒なんだけど」
「みんな踊ってるのを外から眺めてるだけなのは寂しいでしょ?」
どうにか食い下がる。
彼の恋心を知っているから、ピスとケスと踊るなとは言わないけれども。せめてあたしとは踊って欲しい。
「まぁ、暇だったらな?」
「絶対だからねっ?」
「暇だったらって言ってるだろ?」
「うん、約束!」
「人の話聞けよ!」
うるさい。
それに、言質を取って約束を取り付ければ、大概律儀なロベールは断らない。だからここは無理矢理にでも強調しておくのだ。
……よし、どうにか目的の第一段階は果たせた。例え告白は無理でも、できる限り意識してもらう。それが今年の学園祭での、あたしの目標なのだ。
家同士の繋がりなんて言う外堀には頼らない。あたしは、あたしの力でロベールを振り向かせてみせるのだ!




